線路跡の左側には、杉木立の間から求名の町や田んぼがちらりと見えます。
右側は急峻な山になっていますから、立派な擁壁が現在も苔むしてはいますが、しっかりと、この道の安全性を確保してくれています。
薩摩求名駅を出発して700mほどしか走っていませんが、田んぼなどが10m標高が上がっているのに対して、こちらはそこからさらに20mほど上昇しています。
ぐんぐんと勾配があがっていきます。
右側は急峻な山になっていますから、立派な擁壁が現在も苔むしてはいますが、しっかりと、この道の安全性を確保してくれています。
薩摩求名駅を出発して700mほどしか走っていませんが、田んぼなどが10m標高が上がっているのに対して、こちらはそこからさらに20mほど上昇しています。
ぐんぐんと勾配があがっていきます。
山裾に沿っての右カーブが続きます。
と突然に開けた景色の先には、求名の町が広がっていました。
写真の左端には、現在のこの地域の中心地である求名小学校が見えています。
かつての繁栄の跡は全く分かりませんが、昔の求名村の中心地でもあります。合併前の薩摩町の役場のあった広橋よりも住宅が密に接しています。
宮之城線のルートの形に大きな影響を及ぼした求名村の中心地ですが、また後日、特別編でもこの件については述べたいと思います。
と突然に開けた景色の先には、求名の町が広がっていました。
写真の左端には、現在のこの地域の中心地である求名小学校が見えています。
かつての繁栄の跡は全く分かりませんが、昔の求名村の中心地でもあります。合併前の薩摩町の役場のあった広橋よりも住宅が密に接しています。
宮之城線のルートの形に大きな影響を及ぼした求名村の中心地ですが、また後日、特別編でもこの件については述べたいと思います。