ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今 【薩摩永野のスイッチバックの謎】  その5

2010年03月29日 23時34分17秒 | Weblog
 今回の写真は、なんの変哲もない道路のそばにある境界標です。
 変哲もないのですが、よくよく見ると、道路の左右に境界標が立っているのです。ということは、境界がジクザクに走っていたのでしょうか・・・。

 この場所は、この連載が№100を迎えた樋脇駅の1㎞ほど上樋脇駅側にある道路です。線路跡の道路の横を走っている道路です。

 ちょっと場所をがらすと、線路跡の場所からだけでは分からない景色が見えてくるものですね。



 さて、最後に、取り上げるのは「魅惑の鉄道写真」です。

 この薩摩永野の地形はスイッチバックを必要とする程に急峻な地形ではなく、地元民の陳情により集落の中央に駅を設けた・・という説と、八代から“矢岳越え”を避けるべく新線を延ばし、この薩摩永野で合流させる計画があった・・という説がある。
 私としては後者の方に信憑性があるかな・・と思うが、“真実は藪の中”である。
 建設目的が“山越えルート”であった当時の鹿児島本線(現肥薩線)の代替ルートでしかなかった事で、現ルートが完成した現在は“目的を何ら持たない支線”となり、当然廃止対象に指定されてしまう。また、県都・鹿児島に向かうにしても薩摩大口や川内へ大きく迂回する形となり利用客を見込めるはずもなく、何ら廃止に抗する武器を持たぬまま、ひっそりと1987年1月に路線廃止となっている。
 これは肥薩線とのアクセスによって、より効率的な物流の推進や金山開発という点では有意義です。
 ただし、ここも地図を見れば分かると思うのですが、薩摩永野駅から精錬所のあったところまで平均30‰を駆け上がり、そこからトンネルにしたとしても、反対側の山ヶ野まで約3㎞と、薩摩求名~針持間以上に長大なトンネルが必要になってきます。
 それができず、反対方向へ線路を延伸せざるをえなかったのでないかとも言われています。


 氏は、薩摩永野~大隅横川間の急勾配と指摘されています。その通りだと思います。だからこそ「反対方向へ延伸せざるをえなかった」と薩摩町と大口市の間の「急勾配の克服」が紹介されています。
 そして、旧鹿児島本線(現・肥薩線)のルートの選定問題が、スイッチバックに影響したと分析された意見だと思います。
 
 その分析は当然だと思うのですが、ただ、私は「せざるをえなかった」のではなく、もっと積極的な意味を持っていたのではないかと思うのです。


 こういった先達の考えと多分重なってくるのでしょうが、次回からは私の意見を述べさせていただきたいと思います。
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国鉄・宮之城線の今  393

2010年03月29日 23時27分04秒 | Weblog
 年末にここを訪れたその時、草木の葉がずいぶんと落ち、見通しもけっこうありました。
 橋台の先に倒れかかっている孟宗竹が邪魔!って思うんですが、そのさらに向こうに見えている四角い建造物・・・

 そうです、手前の橋台から伸びた鉄橋を支えていた対岸の橋台です。

 こうして2つ同時に見ると、ここにかかっていた約50mの鉄橋の姿を想像できそうですね。
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国鉄・宮之城線の今  392

2010年03月29日 23時14分04秒 | Weblog
 葉が生い茂っていては見える物も見えないと思い、年末に改めて訪れてみました。

 橋台のすぐ下は、国道504号線が走っています。
 そして、そのすぐ隣りには穴川が流れています。

 久しぶりに出ましたが、「穴川」の名前は記憶されているでしょうか・・・。

 川内川の支流の一つですが、宮之城の市街地の東のはずれから始まり、日特宮之城工場の前を通り、佐志を抜けて、この場所に東進しています。
 この先、穴川は、現在、滞在型のアウトドアの名所である観音滝公園を通り、永野の中心部を抜けて、正月特別版でも紹介した永野金山に達しています。

 この川は、現在は冬の弱い太陽光をきらきらっと反射するのが美しい、ただの河川ですが、かつては、金の粒が流れていた川でもあったのです。
 別途、【薩摩永野のスイッチバックの謎】でも、改めてそのことは触れたいと思います。
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国鉄・宮之城線の今  391

2010年03月29日 23時11分24秒 | Weblog
 橋台にもっと近づいてみました。

 すると、これまでの橋台とは違って、ぎりきりのところにまで枕木が乗っていました。

 ボルトがレールの幅を表しているんでしょう、想像力をたくましくしてしまいました。
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国鉄・宮之城線の今  390

2010年03月29日 23時06分33秒 | Weblog
 389の写真には、建物の手前にブロックが横に並んでいましたが、建物に近寄って、振り返ってみました。

 私の眼前には、橋台がありました。


 写真を撮影した11月上旬は鹿児島ではまだ秋とも言えないくらいに、草木の葉が青々とした時期です。

 ここに橋台があることは以前から知っていましたが、この場に立ったのは初めてでした。

 わくわくしてきました。
 
 
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国鉄・宮之城線の今  389

2010年03月29日 22時36分15秒 | Weblog
 共同調理場の東側から建物を振り返ってみました。
 左側には388で紹介した境界標が小さく見えています。

 両側から孟宗竹が覆い被さるように伸びています。

 
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