ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  369

2010年03月17日 22時50分23秒 | Weblog
 さて、薩摩求名駅を出発する前に、さくらの開花に合わせて【特別編】を開始したかったのですが、もう出発しなければならなくなりました。

 だって、本当に薩摩求名駅は、宮之城線の歴史と意義を語る上でとても重要な駅なのですが、実に、何も周囲には残っていないのです。



 線路跡は、自動車工場と石橋の間を抜けて、山裾の中へ直進していきます。

 なお、写真手前の交差点はあくまで、新求名橋のためにできたもので宮之城線とは関係はありません。
 写真奥の石橋からの道と交差する場所に踏切がありました。


 では、薩摩求名駅を出発しましょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  368

2010年03月17日 22時35分24秒 | Weblog
 366でおそらく駅前の商店だったであろう個人商店を紹介しました。その商店のすぐ隣りにあったのが「求名橋」でした。
 
 この商店横の求名橋には動輪がデザインされていました。

 ちょっとしたことなのですが、こういう配慮が、単なるデザインとして橋の美を演出するのだけではなく、ここに鉄道があったことの証明になり、教育(学校・社会教育の両方を通じて)を通して、その記憶を人生の糧にせんとする、地域に誇りを持とうとするものにつながっていくと思います。

 地域の歴史をさりげなく橋の形の中に残そうとした地域の方々の発想と努力に敬意を表したいと思います。

 これは合併前の「薩摩町」当局の判断が大きかったと思いますし、何より先述したように、旧求名村の栄光を自負し続けている地域の方々の努力によるものではないかと思います。


 同時に、この「求名橋」の向こうには、かつての「求名橋」が見えています。石橋です。
 現在では通行は不可になっていますが、新求名橋と旧求名橋が隣り合って写っている姿に感動を覚えました。
 つい数年前までは、石橋の方がメインでしたからね。

 動輪のデザインのついた求名橋は、廃線とは関係なく架けられた橋です。
 隣の石橋の方が宮之城線の歴史に深い関わりを持っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  367

2010年03月17日 22時26分46秒 | Weblog
 先述したように周囲には駅としての利用価値を高める物は残っていません。

 ただ、駅跡から200~300mほど離れた国道上にあるバス停の名前に、ここに鉄道の駅があったことを証明するものが残っていました。

 「求名駅前」というバス停がありました。


 楠元、樋脇、入来などのように、駅なき現在にもかつての残滓を残しているバス停です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする