ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  391

2010年03月29日 23時11分24秒 | Weblog
 橋台にもっと近づいてみました。

 すると、これまでの橋台とは違って、ぎりきりのところにまで枕木が乗っていました。

 ボルトがレールの幅を表しているんでしょう、想像力をたくましくしてしまいました。
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国鉄・宮之城線の今  390

2010年03月29日 23時06分33秒 | Weblog
 389の写真には、建物の手前にブロックが横に並んでいましたが、建物に近寄って、振り返ってみました。

 私の眼前には、橋台がありました。


 写真を撮影した11月上旬は鹿児島ではまだ秋とも言えないくらいに、草木の葉が青々とした時期です。

 ここに橋台があることは以前から知っていましたが、この場に立ったのは初めてでした。

 わくわくしてきました。
 
 
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国鉄・宮之城線の今  389

2010年03月29日 22時36分15秒 | Weblog
 共同調理場の東側から建物を振り返ってみました。
 左側には388で紹介した境界標が小さく見えています。

 両側から孟宗竹が覆い被さるように伸びています。

 
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開幕は順調に・・・単独首位だぜ~

2010年03月27日 23時09分50秒 | Weblog
 タイガースの開幕2試合は、劇的な逆転勝利で始まりました。
 
 現在、勝率10割。2位ジャイアンツ、ドラゴンズ、スワローズ、カープに1ゲーム差つけて単独首位。
 今季は1強4だご1弱でした・・・・・なんて最後まで言われたいところです。

 戦力的には岩田が今季絶望ということもあり、ペナントレースが進むにつれて苦しくなってくることは確かです。
 ですが、城島や桜井といった今季の元気印がタイガースをさいごまで牽引していってほしいと願います。

 さあ、明朝、おやぶんとはりさんの「天晴れ!」「喝!」はどう出るんでしょうか。
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さくらは本当に美しいですね。

2010年03月27日 22時43分35秒 | Weblog
 自宅近くの眺めのいい場所からの一枚です。

 さくらの枝の向こうに見えているのは薩摩半島です。
 指宿の知林が島、開聞岳、喜入原油基地、金峰山、野間半島・・・

 ちょっとかすみがかかっていますが、いい景色です。



 今日、再就職を決めた娘の引っ越しのための荷物運びをしました。
 途中あちこちでお昼時にも、夕方にも、さくらの木の近くでシートを広げて、にぎわっている方々がいました。
 
 春はいいですね。
 ちょっと肌寒いので、お風邪を召さぬよう・・・
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国鉄・宮之城線の今 【薩摩永野のスイッチバックの謎】  その4

2010年03月27日 22時25分29秒 | Weblog
 今回の写真は、吉野山駅のプラットホーム向かいの土地にある桜並木です。
 3/17とさくら前線が熊本にやってきたばかりの時ですから、この頃は花もまだちらりほらりという感じです。

 
 さて、次に紹介するのは、神野由夫氏の「屍の駅」です。
 
 薩摩永野がスイッチバックになっているのは、最初は川内川沿いに薩摩大口まで通そうとしたところ、薩摩町を通ることになったため地形の関係と、針持との間の急勾配を克服するためだそうです。


つまり、「急勾配の克服」を理由とされています。

吉田氏も勾配上の理由を取り上げていましたが、神野氏も取り上げています。
 

そもそも宮之城線は、川内~宮之城間はのどかに各地を結んでいても、さほどの急勾配や難所はありませんでした。

 しかし、宮之城~大口間はどんなルートをたどっても、必ず標高300~400m級の山岳地帯を通り抜けなければなりませんでした。

 ルートの問題はさておき、当初想定されていた薩摩求名は標高80m台、大口の入り口になる針持は標高200m台です。
 
 現在、宮之城~大口を結んでいる国道267号線は、そのハードルが最も低い部分を選んでいますが、それでもそこに線路を通すとなれば、かなり厳しい勾配とのたたかいをせざるをえない区間です。

詳細については、後日触れたいと思います。

 ショートの「急勾配の克服」ではなく、ルート全体としての「急勾配の克服」を氏は指摘しているのだと思います。私も同感です。

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国鉄・宮之城線の今  388

2010年03月27日 22時23分46秒 | Weblog
 共同調理場の南側には境界標が残っていました。
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国鉄・宮之城線の今  387

2010年03月27日 21時48分00秒 | Weblog
 広橋駅の跡は、学校給食の共同調理場になっていました。
  
 さて、広橋駅は、1935(昭和10)年6月に薩摩鶴田~薩摩永野間が開通しますが、当初は存在しない駅でした。
 それに対して、線路が通過をしない祁答院方面の中津川村・黒木村などの強い要望があり設置されたそうです。

 しかし、戦争に突き進んでいく日本は、輸送力をアップさせなければならず、その都合のために一時業務停止を余儀なくされました。
 さらに、1945(昭和20)年7/26に爆撃を受け、駅舎は全焼、死亡者も出しました。


 そもそもが地域の人々の要望で設置された駅ですから、終戦後、村民の労力奉仕により、1946(昭和21)年12/25には新築、落成となりました。駅員も配置されたそうです。
 
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国鉄・宮之城線の今 【薩摩永野のスイッチバックの謎】  その3 

2010年03月26日 23時02分17秒 | Weblog
それでは、私の考えを述べさせていただく前に、いくつかの仮説を紹介します。

 まず、「宮之城線」で検索をした中で、最も丁寧にまとめられているのが、吉田恭一さんの「The Ruins of Rail」です。
 宮之城線についてのひとまとまりの探訪記としては、おそらく最高のものだと思います。
 その一文を勝手ながら紹介させていただきます。

  この薩摩永野がスイッチバック線形になったのは、勾配のためというよりは、花輪線の十和田南と同様、線路選定の際の複雑な事情によるものだという。
  たしかに地形図を開いてみると、さきほどのR地点から南川に沿って南東方向に進み、池山という集落のあたりから左に曲がって500メートルほどのトンネルを掘れば、薩摩永野を運転上の障害となるスイッチバック駅にすることもなかったように見える。
 九州南部では、既存の軽便鉄道を改良して開通した日南線の飫肥付近や、旧大隅線の鹿屋付近が、総距離は長くなったものの、大きく回り込む線形によって、スイッチバックになることを避けている。特に、飫肥付近は薩摩永野と同じような時期の建設で、スイッチバック解消のためにトンネルまで掘っている。
 しかし、こうやって現地を訪れてみると、意外なほど川内方・薩摩大口方の両者の線路跡に高低差がある。特に、大口方の線路跡の道路の築堤は、これでも鉄道時代から削られているからなおさらである。勾配上の理由も相まって、スイッチバック線形を選択したような印象を受けた。
 この駅から南西方に分け入る谷を使って、肥薩線の薩摩横川まで、延伸構想が練られたこともあった。ちなみに、その方向には「鉱事場」、あるいは「金山」という地名があることからもわかるように、1640年(寛永17年)に発見され、昭和28年に閉山となるまで、およそ300年もの長きにわたって続いた永野金山(山ヶ野金山とも呼ばれる)があった。最盛期には、佐渡を抜いて日本一の産金高を誇ったほどで、1万もの人々がこの近辺に住みついていたというが、今は昔、繁栄は追憶のかなたである。


 氏は、「線路選定の際の複雑な事情」を挙げていらっしゃるのですが、それがどんな事情かが分かりません。
 ただ、ルートを若干南側に振り、池山集落側へいったん回り込んで、永野の中心部を通過させようとする発想はおもしろいし、これが現実のものとなっていたとしたら、鹿児島交通(南薩鉄道)の伊作駅を彷彿させる線形・町並みになっていただろうと想像することは実に楽しいのです。

 ともあれ、Wikipediaが否定している勾配上の理由を取り上げているところが、現地を見た上での分析であり、おもしろいと思います。

 
 PS
 写真は薩摩永野とは全く関係ありません。
 川内~薩摩白浜間にある皿山川橋梁のすぐ近くの藪の中に、ころがっていました。踏切関係の施設だと思うのですが・・・
 今回を手始めに、この連載企画とは全く関係ありませんが、これまでにまだ紹介していない写真を出していきたいと思います。
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25th Anniversary Summer 美里祭り2010のトリは?

2010年03月26日 22時48分00秒 | Weblog
 夏の美里ライブ、25回目の夏がやって来ました。
 
 アニバーサリィーイヤーの企画は毎月進行中です。

 とは言え、九州も鹿児島からだとなかなか参戦できないのが悲しくも辛いところです。

 既に発表されている8/28・29の2days河口湖、1週間後の9/4の札幌芸術の森、そして、大トリが9/11に福岡・海の中道海浜公園ということが今日、分かりました。

 もちろん、参戦します。
 
 河口湖、札幌に参戦できない分だけ、この一日にかける思いで福岡に駆けつけたいと思います。

 当然、プレミアムシート。
 とにかくステージに近い席。9000円は大きいけれど、この一日に凝縮することを思えば十分安いです。


 今日は、ぼくにとっての2010年度の仕事の内容が決まる大事な一日でした。 
 任されたのは最も困難だと言われているところ、やりがいを感じつつも、この9/11を励みにがんばりたいと思います。

 さあ、この夏がもう待ち遠しくなってきました。 
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