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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

いよいよ沖縄サンバカーニバル!

2011-11-22 | 沖縄サンバ
 オ・ペイシが主催する11年目の「沖縄サンバカーニバル」が、いよいよあと3日後に迫りました。

 関係者の皆さん、力を合わせて頑張りましょう!
 
 この日は、サントスFC応援団サンバチーム、トルシーダ・ジョーベンのエスコーラ誕生フェスタとも、今年はちょうど重なってしまいました。ヴァイヴァイ、カミーザ、ネネ といったサンバウロの伝統的なサンバチームがジョーベンに来る一大フェスタです。
 
 しかし、一度にすべてのことはできません。「沖縄サンバカーニバル」に全力を注いで、いいカーニバルにしたいと思います。

 沖縄で早くから準備に奔走している皆さん、お疲れ様です! カーニバルを育てていきましょう!

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サンバチーム同士の戦いは、ここに

2011-09-29 | 沖縄サンバ
 今年もモシダージ・アレグレの「24時間サンバ」のイベントへ行って来ました。今年、つくづく感じたのは、招待されたチームも招待したチームも、自分たちのチームは、こんなにすごいのだ! と戦っているのです。

  サンパウロ、リオで計10チームほどがこのイベントに招待されているのですが、どこのチームも自分のチームの歌を誇りに思い、これ以上踊れない、というくらい踊り、叩き、自分のチームがこの世で一番だ! と体いっぱいで表現しているのです。
 
  私たちの沖縄サンバカーニバルにも東北から九州まで10チーム近くの人たちが集まってくれます。各チームが、ここで戦うほど、すごいイベント合戦が出来たら、それはそれで面白いカーニバルになると思います。
 
  モシダージは44年の誕生日がこの24時間サンバ。沖縄サンバカーニバルは、まだ11年ですから、あと4倍の年数を重ねたら、こんなふうになれるのでしょうか。
 
  まあ、1年ずつ頑張ることですね。
 
  11月26日の沖縄サンバカーニバルまで、2カ月をきってしまいました。
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沖縄サンバカーニバル2011 参加募集

2011-08-30 | 沖縄サンバ
 恒例の「沖縄サンバカーニバル」は、今年は2011年11月26日(土)に行います。
 ユウジが作った参加募集の案内をこのブログに貼っておきますので、読んでくれた方々、是非、お知り合いに参加の声がけをしてくださいね。
 オ・ペイシが2001年に始めたカーニバル、少しずつ大きくなってきました。
 今年のテーマは、「海人」(うみんちゅ)です。このテーマを大パレードで、どう展開するか、もう具体化しなくてはいけません。
 パシスタの振付その1は出来ていますが、これから、どんどん構想を固めていかなければ、いけません。

 アイディアのある方、どしどしお寄せください。
 
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沖縄サンバカーニバル 東京ミーティング

2011-08-06 | 沖縄サンバ
 沖縄サンバカーニバルの東京ミーティングに来てくれた皆さん、どうもありがとうございました。
 東京で色々と意見交換ができて、とても有意義でした。
 2011年のカーニバルに向けて、また頑張りましょう!
 今年は「海人(ウミンチュ)」がテーマです。みんなの心にある、海人をダイナミックに表現したいですよね。
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サンバは皆でするもの

2010-12-15 | 沖縄サンバ
 沖縄からブラジルにもどり2週間。またいつものサンバの練習に戻り、沖縄でカーニバルをやったことが、ずっと昔のことのようにさえ感じられます。
 オ・ペイシが受けたカーニバルの妨害について、このブログに書くべきか、ずっと迷いがありましたが、書かなければ誰にも伝わらないので、私の強い意見として、あえてここに記しておくことにしました。

 沖縄サンバカーニバルの歴史は10年ですが、沖縄でカーニバルをやろうと思って下見に行ったのは、1994年。今から16年前のことです。
 
 その翌年、サンパウロへ引っ越し、沖縄出身でサンバ経験者である女性に声をかけました。
「私たち、沖縄でサンバカーニバルをやりたいと思っているのですが、一緒にやりませんか」。
 サンパウロで6年間暮らし、いざ沖縄へ引っ越す前にも、再度、この女性に声をかけました。
「いよいよ沖縄へ行くんですけど、あなたも早く沖縄へ戻って、一緒に沖縄でカーニバルをやりましょう」
 しかし、この女性は、「どうせ沖縄の人たちは、やらないよ」とつれない返事でした。

 2001年、私たちの沖縄サンバカーニバルは、沖縄市、コザでスタートしました。最初は参加者70人。パシスタ(フリーダンサー)は、6人だけのパレードでした。

 それから毎年11月、小さいながらも、手作り感たっぷりのサンバカーニバルを行うようになりました。
 2004年、くだんの女性が沖縄を訪問中と知り、私は彼女の滞在先を探し出して電話をしました。「早く沖縄に帰って来て、一緒にサンバやりましょうよ。沖縄サンバカーニバル、盛り上がってきてますよ」。

 2008年、我々が再びサンパウロに暮らすようになり、この女性に再度、サンパウロで会いました。私はまたしても「沖縄サンバカーニバル、一緒にやりましょうよ」と誘いました。

 信じがたいことですが、私が1995年から沖縄サンバカーニバルに誘い続けていたこの女性こそが、今回の沖縄サンバカーニバル10周年開催の2カ月前に大妨害をした人物なのです。

 沖縄市役所からのメールを見て、目を疑いました。
「那覇に住む○○さんという女性が、沖縄サンバカーニバルを自分にやらせてほしい、と申し出ています。市としては、これまでサンバカーニバルを作り上げて来たオ・ペイシとの関係をむげにしたくないので、この女性にオ・ペイシと一緒にやってはどうか、と提案しましたが、一緒にはできない、とのことです・・・」

 なぜ、私たちが15年前から、沖縄でサンバを一緒にやりましょう、と声をかけ続けて来た人が、私たちには一言の相談もなく、「オ・ペイシとはできない。自分にカーニバルをやらせてくれ」と言うのか、全く信じられませんでした。
 しかも彼女は「オ・ペイシとの企画コンペを実施してくれ」と沖縄市に要望している、というのです。

 私はすっかり人間不信になりました。この女性との関係は良好だと信じていたのですが、こんなふうに裏切られるとは思ってもみませんでした。

 カーニバルというのは、普段は接点がなくても、サンバが好きというだけで、人が集まって、みんなで力を合わせて一緒にやるからこそ面白いのだと思うのです。
ブラジルであれ、日本であれ、同じことです。

 サンバの楽しさを知っている人は、当然、知っていると思っていたのですが、そうではなかったようです。
 私たちが10年がかりで、じっくり育ててきたカーニバルが、どうしてこんな妨害をカーニバル直前に受けなければならないのか、理解に苦しみながら、地元の有力者や私たちのカーニバルを応援してくれている人たちに相談をする日々が続きました。

 日本とブラジルの12時間の時差で、彼らのちょうどいい時間に電話をするには、ブラジルの深夜か早朝で、慢性的な睡眠不足になりました。
 沖縄市との交渉の資料作りも不毛な作業でした。

 沖縄では、強力はスタッフが仕事を休んで、動いてくれました。

 我々のこんな苦労をよそに、なぜ、この女性は、自分ひとりで、カーニバルをしようとするのか。しかも、そのカーニバルは、あなたも一緒にやりましょう、とこちらが、さんざん声をかけていたカーニバルなのです。

このカーニバルは、沖縄市の依頼で始まったイベントではありません。
 私たちオ・ペイシが、やりたくて、自分たちから市に陳情に陳情を重ねて、途中、市との会議では大喧嘩をしながらも、やっとのことで時間と場所を確保したイベントなのです。それを横取りしよう、というのは、どういう精神なのでしょうか。

 サンバは皆でやるからこそ楽しいのです。
 どんな妨害があろうとも、サンバを愛する者の精神は普遍です。

 (写真は、沖縄サンバカーニバル10周年の練習風景。色々な人たちが一緒にやるからこそ楽しいカーニバルだと思うのですが・・・)
 

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沖縄サンバカーニバル10周年

2010-11-30 | 沖縄サンバ

 2001年に私たちオ・ペイシが始めた沖縄サンバカーニバル。今年、10周年を迎え、大勢の皆さんのご協力の下、成功を収めることができました。参加した皆さん、大変お疲れ様でした。

 今年は新しい試みで、パレード会場を各グループがブロックごとに移動をする、ということをやってみました。これが複雑な動きで、前日まで、実行をしていいものかどうか、迷いがありました。
 当日の朝の練習でも、まだうまく機能をしておらず、心配ではありましたが、後戻りをするわけにもいかず、誘導のスタッフの力を信じて、当初の予定通り行いました。
 
 オ・ペイシの原点でもあるコザ絵巻にも有志で参加し、途中、休憩はあったものの、5時間に及ぶ大イベントでした。
 
 カーニバル前の3日間は、あまりに慌しく、沖縄スタッフは、ご飯を食べる物理的な時間も、精神的な余裕もありませんでした。
 
 多くの参加者には、混乱を招くので、あえてお知らせしませんでしたが、9月からの準備段階で、心ない人が、私たちのカーニバルの妨害をし、2カ月以上にわたり大変な交渉がありました。

 なぜこんな思いをしながら、カーニバルをしなければならないのか、と思いましたが、オ・ペイシには、10年かけて、みんなで育て上げたカーニバルを守る責任があります。

 とりあえず、10年目のカーニバルが終わりました。やれやれです。
(パレードの写真が1枚もないので、撮影をした方は、ご提供ください。写真は、コザ絵巻の出発前です)
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沖縄サンバカーニバルは家族の歴史

2010-10-09 | 沖縄サンバ
 息子の話が続きますが、我が家の息子は、来月10周年を迎える私たちの「沖縄サンバカーニバル」と共に成長しています。
 4歳から12歳までカーニバル会場を走り回る親と共に、当然、毎年、出場しています。
 
 忘れられないのは、彼が小学2年生のときに書いた日記。
 
「きのう、サンバカーニバルに出ました。ぼくのお父さんが作った祭りです。タンボリンをずっとたたいて、とってもつかれたけど、おわりがちかづいたら、ぼくは、うれしくてうれしくて、なみだが出てきました」

 2歳のときから、ブラジルのカーニバルに出場している彼は、誰よりも大きな声で歌い張り切っています。私は、パレードの統制で、ゲート通りを走り回り、彼の涙を見ていないのですが、知り合いのお母さんによると、うちの息子は、「紅白に出た歌手みたいに、大泣きして感激していた」というのです。

 保育園のときに、親が始めたカーニバル。今年、彼は、中学1年生として、この沖縄サンバカーニバル10周年に出場します。
 我が家だけでなく、さまざまな家族の歴史が、このカーニバルにはあります。
 
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10年目の誕生日

2010-09-26 | 沖縄サンバ
 今日は、サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーベン・ド・サントスの41年目の誕生日でした。いつもの練習の後に花火が派手に上がり、大きなケーキを前に、みんなで41数えて、チームの誕生日を祝いました。

 来週は、41周年の大々的フェスタで、有名サンババンドを呼んだり、バテリア(打楽器隊)が演奏したり、私たちが踊ったり(笑)でジャンジャカやるのですが、今日は、生粋のジョーベンが集まるお祝いなのです。

 私たちのオ・ペイシも今年で10年目の誕生日。オ・ペイシがゼロから始めた「沖縄サンバカーニバル」も同じ誕生日で今年で10才です。10年目の誕生日は、こうして、みんなで仲良く、和気あいあいと祝いたいものだ、と心から思いました。
 11月27日、沖縄サンバカーニバルの席で、どんな誕生日を祝うか、色々な企画を温めているところです。
 
 このブログを読んでくれた方も、是非一緒にお祝いに来てくださいね!
 
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沖縄サンバカーニバル2009 NHK出演

2009-12-01 | 沖縄サンバ
 沖縄サンバカーニバルの前に、NHK沖縄「ハイサイ! ニュース」に生出演させていただきました。
 8分間の生放送のわくをいただき、とても光栄でしたが、この準備には、かなりめまぐるしいものがありました。

 サトウキビがテーマのこのカーニバル。せっかくならテーマ性のある衣装を見てもらいたい。ですが、こちらは沖縄に到着したばかりで、まだ素材も全部そろっていない。

 生放送の時間までに、どう衣装制作を間に合わせるか。カーニバルを指揮する夫、ユウジはNHK用の衣装を数時間で作るために、綿密な設計図を作っていました。素材調達と同時に、制作にこなれたメンバーが、即、取りかかりました。

 テレビ用にとにかく1着! を合言葉にウージ(サトウキビ)とティーダ(太陽)の衣装が完成しました。

 この日、出演したのは、美原小学校バレー部の子供たち、ブラジルからの研修生、私の総勢20名。
 バレー部の子供たちの衣装は、即、使えるように、名古屋からスーツケースに詰め込んで運びました。

 主要メンバーは、同じ時間帯に沖縄市で全体練習があったので、NHKには参加できず。とにかく忙しい一日でした。

 我々の大学の先輩で、カーニバルでは毎年、ボーカルをしている案納さんにもお付き合いをいただきました。

 20人分の衣装を用意し、大忙しでしたが、テレビを観て、沖縄サンバカーニバルに参加しよう! という人が増えれば、うれしいです。


 
 


 
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沖縄サンバカーニバル2009 大成功

2009-11-27 | 沖縄サンバ
 沖縄サンバカーニバル2009は、皆さんのご協力の下、大成功を収めることができました。関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした。

 東京練習に張り切って行こうと思ったら、突然、サンパウロの空港で飛行機が故障。丸一日、空港で待たされたあげく、出発が大幅に遅れ、東京練習には間に合いませんでした。
 
 こんな悪いスタートを切ったら、また何か悪いことがある・・・とイヤな予感を感じながら、沖縄での準備を始めたら、カーニバル当日は、雨、しかも「強雨」の天気予報。絶望的になりました。

 沖縄での準備期間は短く、短期集中で、衣装や装飾を仕上げなくてはなりません。この期間は、気持ちある人たちが集まって、集中して制作に取り掛かります。
 
 カーニバルの時間帯は、別の用事で出場できない、という人までが、朝から夜12時まで作業に来て、ひたすら、もくもくと、衣装のパーツ制作をこなしていました。その姿には、頭が下がる思いがしました。

 こんなカーニバルを支えてくれる人たちの気持ちが、雨を追いやり、カーニバル中、奇跡的にも雨は一滴も降りませんでした。
 
 全国からも大勢のサンビスタ(サンバ人)が集まってくれました。
 パソコンの調子が悪く、まだホームページを更新できずにいます。

 沖縄サンバカーニバル2009にかかわった、すべての皆さん、本当に本当にお疲れ様でした。
 2010年、また力を合わせて、より良いカーニバルを作りましょう。

 来年は沖縄サンバカーニバル10周年です!

 
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