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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

妻夫木聡さんパークアベニューへ

2006-05-31 | 沖縄の暮らし
 俳優の妻夫木聡さん、小泉今日子さん、長澤まさみさんが、明日、6月1日(木)と4日(日)、オ・ペイシの店舗があるパークアベニューで映画の撮影をするそうです。

 2カ月ほど前から、オ・ペイシの前を撮影したり、メジャーで建物の長さを測っている人たちがいたのですが、彼らは映画のスタッフでロケの下見をしていました。オ・ペイシの2階が撮影場所となっているので、オ・ペイシも入口の壁をこの撮影に提供することになっています。

 オ・ペイシ前を妻夫木さんやキョンキョンが通るシーンは、木曜日は午後6:30~10:00、日曜日は、午後5:00~深夜まで、といずれもオ・ペイシの営業時間にぴったりはまっています。
 映画の製作会社より、見物は撮影の妨げになるのでお断りです、という通達がきていましたが、オ・ペイシの店内でお客さんとして見ていれば、野次馬にはなりませんよ。ファンの方はいらっしゃいませんか?

 ちなみに日曜日の午後4:00~5:30はオ・ペイシでサンバのレッスンがあります。レッスンに来る女の子に今日この映画のロケの話をしたら、「私も映るかもしれないから、いい服着てこなくっちゃ」とやけに張り切っていました。私たちが映ることは、まずないのですけどね。

 ちなみに、この映画は「涙そうそう」という題名で、この秋、全国東宝系で放映されるそうです。
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コザの町の店

2006-05-30 | 沖縄の暮らし
 オ・ペイシの2階に、アメリカ人向けのストリップバーが出来て5カ月ほどになりますが、このところ若い兵隊たちに大人気で、週末はごった返しています。
 
 静かなコザの町が彼らでにぎわうのは、ありがたいことなのですが、それに比例して、1階のオ・ペイシの店内には、「ガガガーン」とかなづちで床を叩くような音が頻繁に鳴り響くようになりました。

 オ・ペイシでお客さんが一番よく座る席の真上でいつもこの音が鳴るので、ゆっくりお食事をしているお客さんたちは、何事かと身をすくめるほど、この音に驚いています。

 あまりにもよくこの音がするので、2階のアメリカ人の店長に、何とかしてほしいと、話をしました。どうもビリヤードの玉が落ちる音のようで、マットを敷いたり、キューの先端にゴムをつけたり、一通りの対処はしてくれましたが、一向に改善されません。たまりかねて、かなづち音がする度に、2階へ走りあがって行って「また、すごい音がしましたよ!」と言いに行きす。

 しかし、そんなときに限って、店長は飲み物の注文をさばくのに大忙しで、まともに話をすることができません。私のトーンもどんどん上がっていって、店のガードマンの兄ちゃんでもビリヤードをしている米兵でも、ともかく誰でもいいので、今のこの音をやめてくれるように言っています。

 2階の店では、私のことをうるさい奴だと思っていることでしょう。この前など、店長に「頼むから僕たちに怒鳴らないでよ」とまで言われてしまいました。まあ、こちらも怒ってばかりいても問題は解決しないので、先週末はお互いの営業時間外にビリヤード周りの音を出してみて、何がハンマー音の原因なのか実験してみました。

 どうもビリヤードのポケットから、球が床に落ちるときの音が、ガガガーン、と下に響いているようです。さあ、原因がわかったところで、音が止まるでしょうか。店長も一生懸命やってくれているので、私も怒らないようにしたいとは思います。コザの町の店は、アメリカ人の店とも上手く付き合わなければならないと実感しています。
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多すぎる自殺

2006-05-24 | 沖縄の暮らし
 沖縄市に来て6年になりますが、オ・ペイシがあるパークアベニューの界隈だけで、6件もの自殺がありました。亡くなった方は、面識のない方もいますが、オ・ペイシにも来てくれた方、と後から知ることもありましたし、お一方は常連さんご本人だったこともあり、非常に考えさせられました。

 残念なことに、先週もこの町で自殺をした方がありました。芸能活動をされていた有名な方だけに、お葬式の日は、町中が黒い礼服を着た人ばかりになり、葬儀会場までの道は、大渋滞でした。

 この方が亡くなった晩、オ・ペイシの常連さん、Kさんが飲みに来ていました。Kさん自身もミュージシャンで、亡くなった方の後輩にあたるそうです。
 オ・ペイシにお気に入りのレコードをキープしているKさんは、ブラジルの女性ボーカル、ガル・コスタのレコードを聴きながら「ガル・コスタみたいなこんなきれいな音楽を聴いていればいいのに、何で自殺なんかしたんだろうな・・・」とつぶやいていました。

 沖縄の自殺率は全国一といわれています。癒しの島だと、県外から毎年多くの人たちが越してくるのに、皮肉なことだと思います。

 
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米軍警に怒鳴られる

2006-05-11 | 沖縄の暮らし
 ポルトガル語のレッスンに子供を連れて行くため、いつものように国道58号線を走り、嘉手納基地のゲート1に入りかけました。すると、米軍警のパトカーと沖縄県警の車がゲート1の入り口をふさいでいます。中央分離帯にななめに乗り上げたYナンバーの車があったので、どうやら交通事故があったようです。確かに、少し前に米軍の大きな救急車がサイレンを鳴らして国道を走っていました。

 現場検証のためなのでしょうが、ゲート1への入り口を完全にふさがれてしまうと、私はポルトガル語の先生とはゲート1で待ち合わせをしているため、困ってしまいます。

 迷彩服を着た米軍警が交通整理をしていました。ゲート1で待ち合わせなんだけど、どうしたらいいか尋ねようとしたら、この軍服のおまわりさん”GO TO GATE 3, JUST GO!" とものすごい剣幕で怒鳴ってきました。

 私は震え上がって、まっすぐ車を進めるしかありませんでした。しかもゲート3がどこなのか、軍の居住者ではない私は、知る由もありません。

 日本のおまわりさんだったら、いくらなんでも一般市民に突然、「行け!」と怒鳴ったりはしないと思います。しかし、ここは事実上の植民地沖縄ですから、仕方ないのかもしれません。

 とりあえずポルトガル語の先生と連絡をとって、ゲート2で待ち合わせをすることにしました。ゲート2とは、ゲート1以外に唯一私が知っている嘉手納基地への入り口で、沖縄サンバカーニバルをやっている空港通りの目の前です。
 この場所を提案したのは私なのですが、ここにたどりつくまでが一苦労。嘉手納基地をグルリと一周しなければならないのです。
 沖縄市を出発した私は、北谷町、嘉手納町を通り、再び沖縄市に戻ってようやく嘉手納基地に入ることができました。

 車の中の息子は、「先生の家、すぐそばなのに、ちっとも着かないね」。
 基地の外に住んでいるとアメリカの警察官には怒られる、基地を一周しなければならない、という宿命にあるのです。

 
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沖縄移住

2006-05-08 | 沖縄の暮らし
 連休明けの今日、沖縄市役所へ住民票を取りに行ったら、背後から「アキさんじゃない」と声をかけられました。振り返ると、沖縄サンバカーニバルの助っ人として、関東のサンバチームから応援出場をしていたAさん。この度、沖縄の男性と結婚して、沖縄市に住むことになったそうです。

 驚いたのは、Aさんのお母さんも東北から一緒に引っ越していらしたことです。住み慣れた土地を離れて、沖縄くんだり、しかもこのデコボコの町、沖縄市に来るのは、大きな決断であっただろうと察します。

「移住」という言葉には、単に国内の引越しではないか、と思えるので、疑問を感じますが、あまりにもよく使われるので、この頃、感覚が麻痺してきました。私も巷で言う「沖縄移住」をした1人なのですが、何でこんなところへ来たのかと思うこともよくあります。

 先日、RBCラジオで「ホーダ・ヂ・サンバ」の告知をさせてもらうのに北海道出身のベテランアナウンサーとお話をする機会がありました。この方は、私が沖縄へ来たのが6年前と知ると、「沖縄移住のブームの前ですね」とおっしゃいました。しかし、このアナウンサーの方は、30年も前に北海道から沖縄へ越してきたそうです。

 この方のことを思うと、沖縄移住というのは、決して新しい現象ではないように思います。自分の住みたい所へ、引越しをしたに過ぎないのです。どこに住もうと、住めば都なのです。

 
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呼ばれない誕生会

2006-04-24 | 沖縄の暮らし
 先週末は、知り合いのブラジル人の息子さんの1歳のお誕生日会があり、我が家の子供と一緒に行って来ました。来ていた人たちは全員が奥さんがブラジル人、だんなさんが米軍関係のアメリカ人というカップルでした。我が家のようなケースは特殊で、強いて言えば、ブラジルで生まれた子供がブラジル人というくらいでしょうか。

 ブラジルの子供に人気のタレント、シューシャの音楽を聞きながら、和気あいあいとした楽しい誕生会でした。

 帰り道、誕生日を10日後に控えた息子は、今年の自分の誕生日の計画を話し始めました。しかし私は、もう誕生会はやめた方がいいのではないか、と思っています。というのも彼が4歳のときから、昨年の8歳まで毎年誕生会をオ・ペイシで開いているのですが、彼の友達の誕生日にはめったに呼ばれません。

 冷静に考えてみると、この5年間で呼ばれた誕生会は、ブラジル人の友達が3回、保育園の友達が2回、小学校の友達が1回、全部で6回だけなのです。これでは、友達を呼んでも一方的にプレゼントをもらうばっかりで、何だか申し訳ありません。

 沖縄の子供たちは誕生会を開かないのか? それとも我が家の息子は、よほどの嫌われ者で、誰にも誕生会に呼んでもらえないのか? そのいずれでもないようです。

 あるとき息子が言っていました。「○○君の誕生日に呼ばれたんだけど、おいら以外はみんな親戚の人なんだって。恥かしいから行くのやめておこうかな」。直前まで迷っていた息子は、結局、親戚の集りのお誕生日には行きませんでした。

 息子は今年も誕生会を開くのだと張り切っていますが、今後も呼ばれることは、めったにないのだろうと思います。沖縄県内に親戚のいない家族にとっては、ちょっとさみしい習慣です。その分、ブラジル人の誕生会で楽しむことにしましょう。
 
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