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私のアーラが40周年

2012-01-23 | サンバ
 私は、サンパウロのサンバチーム、モシダージ・アレグレのカーニバルに出場するようになって今年で17年になりますが、そのうちの4年以外、つまり13年は「エン・シーマ・ダ・オーラ」という小集団(アーラ)で出場しています。
 そのアーラが今年、40周年を迎え、先日、祝賀会のフェスタがありました。
 
 アーラとは、沖縄サンバカーニバルでいえば、OOSのように一つの小集団として、ユニットを組んで、カーニバルに出場します。
 OOSをご存知の人は、アーラの結束がどれだけ強く、カーニバルをひっぱっていく原動力となっていることが実感としてわかると思います。

 エンシーマ・ダ・オーラの40周年とは、すごい歴史です。沖縄サンバカーニバルは、まだ11年ですが、40回のカーニバルをし、40種類の衣装を作り、毎年毎年ある色々な問題を乗り越えて、アーラを運営しているのですから。
 特に、去年は、アーラの後継者である27歳の愛息子が、事故で全身やけどを負い亡くなるという、悲しい出来事がありました。
 
 それでもアーラは、途絶えることなく、続いてきたのです。
 カーニバルの歴史を支えているのは、こうしたアーラ一つずつだと、強く感じます。

 私は、このアーラでは相当の古株なので、ずいぶんみんなによくしてもらっています。家族や親戚を母体に始まったアーラで、おばあさんの代から孫の代まで3世代がいる中で、私も親戚の次に古いメンバーとして、入れてもらっています。
 我が家でいえば、親戚の集まりに、友達が入っているような感じです。

 もともとは、このアーラのパシスタ(フリーダンサー)だったので、この日の祝賀会でも、10数年前のカーニバルのDVDを見て、みんなで懐かしみました。

 モシダージ・アレグレの歴史が44年あるなかで、40年アーラを続けていること。その一部に、私も入れてもらえているとは、外国人ながら、大変ありがたいことです。
 何か恩返しをしたいところです。

 今年のカーニバルまで、日曜日の練習は、早くもあと2回のみです。


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