[地上最強の動物は?」という副題を持つこの本を初めて読んだのは、この本が出版された中学三年生のときでした。
小学生のころの「大きくなっったら動物園の園長になる」という夢は、その後プロ野球選手やサッカー日本代表などになる夢に取って代わられたものの、動物好きは当時も変わりませんでした。
今だったら動物愛護協会に怒られそうなテーマですが、その頃の男の子の関心をそそったのでしょう。
しかも、作者は私と同様にサッカーファンだったようで、目次には「猛獣ワールドカップ」なる表記もあります。
この本が出た1970年には、ワールドカップと言えばサッカーしかなく、1968年のメキシコオリンピックで、杉山、釜本のゴールデンコンビ(先に杉山を書くのが通です)を擁し、名指導者クラマーコーチの薫陶を受けた日本チームが銅メダルを獲得する快挙で、日本は第一次サッカーブームだったのです。
話は脱線しますが、この1970年のサッカー・ワールドカップで、ペレを擁するブラジルチームが史上初の三度目の優勝をはたして、ジュール・リメ杯(ワールドカップを創設した時のFIFAの会長にちなんだ優勝カップ)の永久保持(それまでは持ち回りでした)が許されたのでした。
ブラジルには、ペレ以外にも、リベリーノ、ジャイルジーニョ、トスタンなどの名手がいましたし、それ以外の国にも、ウベ・ゼーラー、ゲルト・ミューラー、ベッケンバウアー(以上西ドイツ)、ボビー・チャールトン(イングランド)、リーバ、リベラ(以上イタリア)などの綺羅星のようなスーパースターたちがいました。
この本の目次を見ると、そうしたサッカー界のスターたちにも劣らない猛獣界のスーパースターたちの対戦が並んでいます。
対決1: ライオン対トラ
対決2: ライオン対ヒョウ
対決3: トラ対ヒョウ
対決4: チーター対ライオン
対決5: ヒグマ対トラ
対決6: ゴリラ対ヒョウ
対決7: ジャガー対ピューマ
対決8: ワニ対大蛇
対決9: ワニ対サイ
対決10:ホッキョクグマ対セイウチ
対決11:シャチ対マッコウクジラ
対決12:ドール対トラ
対決13:ハイエナ対ライオン
対決14:イノシシ対トラ
対決15:オオカミ対ハイイログマ
対決16:ペッカリー対ジャガー
対決17:ライオン対サイ
対決18:スイギュウ対トラ
対決19:アフリカスイギュウ対ライオン
対決20:カバ対ライオン
対決21:カバ対クロサイ
対決22:ゾウ対サイ
対決23:ゾウ対ライオン・トラ
それぞれの内容は、少年漫画雑誌に載っているようなキワモノではなく、当時の猛獣に関する日本の第一人者である作者が、動物学的な目撃情報から判定している正当なもの(目撃情報の少ない対戦には若干怪しげな情報も含まれていますが)で、その他のコラムも含めて猛獣ファン(そんなのがいるとしたら)にはたまらないものばかりです。
そして栄えある猛獣チャンピオンの座は、ライオンとトラが分け合い、アフリカゾウは別格として、さらに海中の王者シャチとマッコウクジラは対象外としている、至極まっとうな(ライオン派にもトラ派にも、アフリカゾウ・ファンにも顔が立つような)結論でした。
ホテルの伯爵夫人の部屋から盗まれた宝石の行方を、些細な手がかりからホームズが探り当てます。
推理小説としての出来はイマイチですが、19世紀のロンドンの雰囲気を再現した映像は、いつみても素晴らしいです。
1997年公開の人気シリーズです。
若き日のウィル・スミスと、まだ日本に住んでいなかった(?)トミー・リー・ジョーンズが、悪役エイリアンを相手に大暴れします。
ストーリーやセリフもひねりがきいていて面白いのですが、なんといってもスタイリッシュな黒ずくめの衣装や様々なタイプのエイリアンの創造が、この作品の成功の原動力でしょう。
今見ると、動物愛護や人種差別などの観点では問題なシーンもあるのですが、当時は規制が緩かったのかもしれません。
日本でも大ヒットしたので、主役の二人、特にトミー・リー・ジョーンズは日本でも知名度抜群です。
それにしても、あのコマーシャルは、この映画なしには作れなかったでしょう。
1990年公開のアメリカ映画で、リバイバル・ヒットしたロイ・オービソンの主題歌とともに日本でも大ヒットしました。
ロサンゼンルスのコールガールが億万長者に見初められるシンデレラ・ストーリーですが、彼女の純真さに億万長者の方も精神的に救われる話にして、うまくバランスを取っています。
ジュリア・ロバーツの魅力を全開させるための映画と言っても過言でなく、こうしたマイ・フェア・レディ的なストーリー(「マイ・フェア・レディ」主演のオードリー・ヘップバーンにはこの種の作品が多く、「ローマの休日」(この場合は逆方向ですが)、「麗しのサブリナ」(その記事を参照してください)、「パリの恋人」などがそうです)は、一人の女優の魅力を多面的にファッショナブルに表現するのに適しているようです。
ジュリア・ロバーツが、コールガールのセクシーなファッションから、エレガントなカクテル・ドレス、スポ−ティなファッション、フォーマルなイブニング・ドレスなど、まるでファッション・ショーのように様々な衣装を楽しませてくれます。
身長175センチのモデル体型なので、どのような服を着ても最高に似合うので、女性ファンだけでなく男性ファンも魅了されます。
ただし、時々挿入されるラブシーンには、ボディダブル(替え玉)が使われたそうです。
それにしても、ラストで白馬の騎士よろしく彼女にプロポーズをしに行くリチャード・ギアを見ると、彼の出世作の「愛と青春の旅立ち」(1982年)の有名なラスト・シーン(空軍パイロットの学校を卒業直後に、彼を諦めていた女性に、彼女の勤め先の工場で軍服姿のままプロポーズして、抱き上げてそのまま工場を出ていきます)を思い出さざるを得ません。
そう言えば、その映画の主題歌も大ヒットして、アカデミー歌曲賞を受賞しています。
これらの作品のような男女の役割を固定化(男性が主で女性が従)した映画は、ジェンダーフリーな現在はもちろん、1950年代から1960年代の女性の自立が叫ばれていた当時のアメリカでは難しかったと思われますが、当時(1980年代)は日本がバブルだった時期で逆にアメリカ経済は不調でジェンダー観の揺り戻しがあったようです(景気とジェンダー観の変化の関係については、関連する記事を参照してください)。
モンゴルの首都、ウランバートルで、マンホールの中で暮らしていた二人の少年たちのその後を追跡したテレビ・ドキュメンタリーです。
氷点下40度にもなる極寒のウランバートルでは、ストリートチルドレンたちは、富裕層のために温水が配管されているマンホールの中でしか、冬場をやり過ごせません。
そんな厳しい環境で暮らす二人の少年、ボルトとダシャが、20年にわたる厳しい日々を乗り越えて、たくましく生き延びていく日々を描いています。
友情、恋愛、喧嘩、別離、結婚、離婚、愛する人との死別、母親との和解、アルコール中毒などの、さまざまな困難を乗り越えて、三十代になった二人は、貧しいながらも、仕事につき、家や家族を築いて、未来へ向けて、一歩ずつ歩き続けています。
過剰な演出や干渉は廃して、カメラは淡々と二人を追いかけていきます。
ギャラクシー賞や芸術祭大賞を受賞したのも当然のできばえです。
「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡(前編)~モンゴル 愛と憎しみ、希望と絶望、魂の映像記録!~」 | |
リリー・フランキー | |
メーカー情報なし |
昭和二十七年に出版された将棋の十四世名人である著者の自伝「将棋一代」を、将棋観戦記者の天狗太郎が、遺族の了解のもと、将棋関係者以外には難しいないしは興味が持てないと思われる部分は梗概にして読みやすくし、巻末に著者の息子で将棋八段の木村義徳の「父の思い出」という小文を付け加えて、著者の家庭人の様子を補足して、平成2年に出版したものです。
一読して、著者の文章の酒脱さと抜群の記憶力に驚かされます。
高峰秀子「わたしの渡世日記」の記事にも書きましたが、どんな分野でも一芸に秀でた人は、例えいわゆる高等教育は受けていなくても、文章力と記憶力に優れているので、ゴーストライターを使っていない自伝ならば、面白い読み物であることが保証されているようです。
特に、著者の場合は、将棋界初の実力名人(それまでは世襲だったり、実力者が推挙されたりして決まっていました)なのですから、記憶力が抜群なのも当たり前かもしれませんが。
後半の将棋史に関わる重大事件も将棋ファンである私には興味深いのですが、前半は大正から昭和初期にかけての庶民の暮らしが、子どもの視点で克明に描かれていて興味深いです。
貧困、子沢山の職人一家の暮らし、長屋の様子、母や兄弟との死別、父子の愛情、口べらしで養子や奉公でいなくなる幼い弟妹、貴族の館での奉公などが、将棋修行と共に、淡々とそしてそれゆえに痛切に描かれています。
それは、同時期の代表的な児童文学である「赤い鳥」にはもちろん、その裏舞台で書かれていた「プロレタリア児童文学」にも描かれなかった、本当の庶民の子どもたちが描かれている、優れた児童文学作品といってもいいと思われます。
ある勝負師の生涯―将棋一代 (文春文庫) | |
木村 義雄 | |
文藝春秋 |
主人公を演じる阿部寛のコミカルな演技(「テルマエ・ロマエ」(その記事を参照してください)と、吉田羊や稲盛いずみといったこれも独身(一人はバツイチですが)の美女たちとの軽妙な掛け合いが売りなのですが、現在の非婚化(特に男性)の状況をある意味的確に描いていて興味深いです。
このドラマは、2006年に放送された「結婚できない男」の続編なのですが、13年たって、その時は40歳の非婚男性が問題視されていたのに、現在では53歳でもリアリティが感じられる点にこの問題の深刻さがあります。
確かに、主人公は、高収入、高学歴、高身長という、かつての結婚相手としての理想の男性像(いわゆる「三高」)ですが、理屈っぽくてひねくれていて、現在では結婚相手としてはもっとも敬遠されるタイプでしょう。
しかし、その一方で、自宅は自分の設計事務所に近い都内の広いマンションで、趣味のクラシック音楽を自分で指揮のまねをしながら大音量で楽しみ、仕事帰りにはスポーツクラブに通い、休みの日には映画を見に行き、日常品はいつでもコンビニで簡単に買え、たまにはいろいろな高級料理を自作したりして、独身生活をエンジョイしている姿を見ると、わざわざ結婚する理由は全く見当たりません。
まあ、こうした恵まれた五十代や四十代の独身男性はまれでしょうが、一方でこうした趣味生活にあこがれている三十代や二十代の予備軍はいっぱいいることでしょう。
戦争から、他の兄弟より遅れて帰還した次兄(児童文学者の庄野英二)について書いています。
特に、戦争中に捕虜収容所の副官だった次兄が、戦犯として逮捕されて大阪から巣鴨の刑務所に送られるのに同行したことが中心に書かれています。
相客とは、その時に一緒に巣鴨プリズンへ送られた飛行場の大隊長のことです。
抑えた筆致で事実を淡々とエッセイ風に綴るのは、後の作者の作風に通ずるのですが、事態が深刻(ご存知のように、東条英機を初めとした多くの戦犯が、巣鴨プリズンで処刑されました)なだけに、作者の筆致がより抑制的で、小説としては物足りません。
「舞踏」や「プールサイド小景」(それぞれの記事を参照してください)のような家庭の危機をストレートに描く作品から、それは通奏低音として残したまま家庭の日常を写生的に描いた「静物」のような作品に至る過渡期だったのでしょう。
なお、庄野英二のその後は、ご存知のように児童文学者や教育者として活躍されたわけですから、裁判はうまくいったのだと思われます。
しかし、この体験は本人にとってはもっと過酷だったようで、エッセイその他でもあまり触れられていません。
一方、相客の運命は作品では語られていませんが、彼が飛行場を留守にしている間に起こった捕虜の処刑事件という不運な事実があっただけに、もっと厳しかったかも知れません。
エンディングで主演の新垣結衣たちが踊るかわいいダンスが流行して、今でも若い女性たちを中心に人気があります。
心理学を専攻した女子学生が就職活動に失敗して大学院進学へ逃げ、その卒業時にもかえって高学歴が災いして非正規の仕事にしかつけません。
ひょんなことから、仕事が忙しくて家事代行を頼んでいたシステムエンジニアと知り合い、
同居して家事を代行するために契約結婚する話です。
奇想天外な設定が、家族や同僚などの周囲を巻き込んでいろいろなトラブルを引き起こす
コメディで、前半は非常に面白かったです。
しかし、次第に二人がお互いに引かれあって、たんなる女性関係のまったくない35才の男性と、非常に限定された男性経験しかない25才の女性との、不自然なまでに不器用な恋愛話になってしまい、退屈しました。
特に、ラストでは、普通の若い共稼ぎ夫婦の話に収斂されていて、非常に平凡な(それが現実だと言われればそれまでですが)大団円でした。
日本の若い女性の結婚観や職業観は、その時の景気情勢に非常に振られやすい(それは、彼女たちを搾取している男性中心社会の要求によるものが大きいのですが)で、放送時のジェンダー観としては最初の設定自体も古かったかもしれません。
私の二人の息子は、2010年と2012年(このころの就職活動における人間ドラマについては、朝井リョウ「何者」の記事を参照してください)に大学を卒業して就職したのですが、上の子の時はリーマンショック後の新就職氷河期で、下の子の時はそれがやややわらいでいました。
そして、この新就職氷河期における文系女子学生の就職難はこのドラマの設定と同じように非常にひどく、その反映として若い女性の専業主婦志向が一時的に非常に高まりました。
このドラマでは、専業主婦の労働を仕事としてとらえ直して、視覚化した点が秀逸です。
しかし、主人公は2016年に25才という設定ですから、彼女のような優秀な女性が就職難というのはやや無理があります。
それもそのはずで、原作の海野つなみのコミックスの連載が始まったのは2012年なので、そのわずかな間に現実の状況は大きく変化していたのです。
【メーカー特典あり】逃げるは恥だが役に立つ DVD-BOX(B6サイズクリアファイル付) | |
新垣結衣,星野 源,大谷亮平,古田新太,石田ゆり子 | |
TCエンタテインメント |
その目黒が友人たちに勝手に配布していた個人書評誌を、定期的に公に発行される雑誌に立上げていく様子が、手作り感満載で描かれています。
椎名銘柄の有名人たち(おなじみの木村晋介や沢野ひとしに加えて、目黒孝二や群ようこなど)が多数登場します。
時代としては、「銀座のカラス](その記事を参照してください)の直後なのですが、フィクション度はかなり下がり、最初の「哀愁の町に霧が降るのだ」と同程度の感じです。
文字通り手作りで新しい雑誌を立ち上げるあたりは非常に楽しいのですが、後半は有名人になっていく作者本人と著名人も執筆するようになる「本の雑誌」の成功端(作者本人については、さらに中小企業とは言え、勤め先の社長就任を打診されるという二重の成功でもあります)を読まされているようで、読まされる方は他の記事にも書いたように「成功者の無惨」を感じてしまいます。
実際の作者は、社長就任の打診と有名人になっていく自分に引き裂かれるようして精神を病んでいったようなのですが、その部分は非常に簡単にしか書かれていない(本書の内容にそぐわないのかもしれませんが)ので、残念ながら作者に寄り添って読むことはできませんでした。
前作でマダガスカル島に流れ着いた四人組(シマウマ、ライオン、カバ、キリン)は、大昔に不時着していたオンボロ飛行機でニューヨークへ帰ろうとしますが、当然失敗して、運良く生まれ故郷(あるいは先祖の生まれ故郷)のアフリカの自然保護地区にたどり着きます。
今回は、ライオンを中心にして、ニューヨーカーである四人組が、故郷の自然や群れにどう順応するかが描かれているのですが、今回もおなじみのドタバタ・コメディを、ノリノリの音楽とダンスに乗せて展開します。
ノンストップのジェットコースター・ムービーは健在なのですが、さすがに第三作(それまでの二作についてはそれぞれの記事を参照してください)となるとマンネリ感は否めず、それを補うために、少年時代(「スタンド・バイ・ミー」で当時日本でも人気のあったリヴァー・フェニックスが演じてます)や父親(ジェームス・ボンドで活劇映画の大先輩のショーン・コネリーが、当時でもハリソン・フォードに負けないたくましい肉体で貫禄の演技を見せています)に有名俳優を登場させてカバーしています。
インディ・ジョーンズ 最後の聖戦 [Blu-ray] | |
ハリソン・フォード,ショーン・コネリー,デンホルム・エリオット,アリソン・ドゥーディ,ジョン・リス=デイビス | |
パラマウント |
オチを含めて掌編としては良くできているのですが、親戚中に同姓同名がいたり、銀婚式の時に銀の贈り物をする風習など、ある時代のイギリス固有の風俗がストーリーに利用されているので、この作品も賞味期限切れのようです。
サキ短編集 (新潮文庫) | |
中村 能三 | |
新潮社 |
オチを含めて掌編としては良くできているのですが、親戚中に同姓同名がいたり、銀婚式の時に銀の贈り物をする風習など、ある時代のイギリス固有の風俗がストーリーに利用されているので、この作品も賞味期限切れのようです。