現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

たかどのほうこ「お皿のボタン」

2018-08-31 08:15:23 | 作品論
 児童文学研究者の宮川健郎は「声をもとめて」という論文(その記事を参照してください)の中で、「声が聞こえてくる」幼年文学のひとつとして、この作品をあげています。
 ボタン入れのお皿の中にいるボタンたち(ボタン以外の物も交じっていますが)が身の上話をするお話が、十作載っています。
 この手のお話は、アンデルセンの「なまりの兵隊」やアニメの「トイストーリー」など、すでにたくさんあって特に新味はありません。
 また、身の上話も、ほとんどが安直なもので楽しめませんでした。
 「たかどのほうこ」ブランドでそこそこ売れるのでしょうが、宮川がいうような「ホラ話」との可能性があるような作品とは思えませんでした。
 ただ、ストーリーを進める語りとそれにチャチャを入れる別の語りになっているのが工夫されている点で、年少の読者にはお話を聞いているような効果が得られるでしょう。
 このあたりが、「声が聞こえてくる」幼年文学として、宮川が評価した点かもしれません。

お皿のボタン
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偕成社
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松本清張「駅路」駅路所収

2018-08-30 15:15:17 | 作品論
 銀行を定年退職した男が失踪した話です。
 短編集の表題作ですが、推理小説としてはすでに賞味期限が切れている(こんな小さな事件に専従の刑事が二人も担当して、広島まで出張して捜査しています)ようです。
 それよりも、この作品の時代設定である昭和30年代と現代とでは、いろいろな点が大きく違っていることが、興味深かったです。
 失踪した男は、銀行の営業部長で定年を迎えた(ただし、系列会社の重役になることをすすめられていました)のですが、以下のようにその暮らしぶりは今のそれとは大きく違います。
・応接間のある中流の瀟洒な住宅に住んでいた。
・地方支店に支店長として単身赴任していた時代に愛人を作って、毎月一定額を送金していた。
・失踪時にある程度のまとまったお金を持ち出し、愛人と新しい暮らしを始めようとしていた。
・それでも、残された妻(冷淡な女性として描かれています)には一生困らないだけの財産は残していた。
 現代では、みずほ銀行などのメガバンクの営業部長でも、とてもこうはいかないでしょう。
 ここに描かれているように、1950年代までの日本では非常に格差がありました。
 しかし、1960年代から1970年代の高度成長時代に、この格差は急速に縮まりました。
 いろいろな批判はあるものの、労使が闘争しつつも協調していた55年体制が、一定の成果を上げていたことも指摘できるでしょう。
 しかし、バブルの崩壊と2000年代の小泉政権の異様な高人気に支えられた様々な施策(特に竹中平蔵経済財政政策担当大臣によるもの)により、格差は再び拡大し始めました。
 その傾向はその後も続いており、安倍一強時代にさらに加速しています。

駅路 (新潮文庫―傑作短編集)
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浅野俊和「総力戦体制化の「幼児文化」」

2018-08-30 09:25:33 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 保育雑誌「国民保育」を手掛かりとして、戦時下の「幼児文化」を扱った研究です。
 この「国民保育」という保育雑誌は、「その存在もよく知られていなかった」ようです。
 今回、これが発見された(すべてではありませんが)ことは、それだけでも大きな成果だそうです。
 この報告では、この雑誌にどういった人たちがかかわったかを中心にまとめています。
 質疑の時に、この雑誌がどういった層に読まれていたかを質問したところ、「読者層を広げて一般の家庭にも対象を広げていった」とのことです。
 ただし、どの程度広まっていたかは今のところ不明だそうです。定量的な解析はこれからのようです。
 ちなみに、この雑誌は60ページから80ページでA5サイズだそうです。
 研究の苦労として、「資料の保護のためにコピーはさせてもらえないことが多い」ことをあげていましたが、会場からは「写真撮影したらどうか」とのアドバイスがありました。
 こんな時、マジックスキャン(その記事を参照してください)のようなハンディスキャナがあれば力を発揮すると思いますが、その時はまだこのアイデアを思いついていなかったので、アドバイスできませんでした。
 なお、内務省の指示のもと幼児文化を「浄化(もちろん悪い意味で)」していた保育問題研究会と、この雑誌を出していた国民保育協会の関係は不明とのことです。

子どもとつくる保育実践 (シリーズ保育フレンドブックス)
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佐藤宗子、高田ゆみ子「<記憶>の伝達を考える――「戦争児童文学」という枠からの脱出」

2018-08-29 09:02:35 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で行われたラウンドテーブルです。
 児童文学評論家の西山利佳が司会をして、児童文学研究者の佐藤宗子と翻訳家の高田ゆみ子が発言者になって行われました。
 佐藤によると、比較文学などの国際学会では、「戦争児童文学」というタームはなく、「メモリー」という言葉がキーワードになっているそうです。
 ここで「メモリー」とは、国民的記憶という意味合いで使われているようです。 
 日本では、戦争児童文学の評論は多いが研究は非常に少ない状態だそうです。
 例えば、雑誌「日本児童文学」などではほとんど毎年特集が組まれるのに、学会の発表では戦争児童文学はほとんどありません。
 現在では、短編や幼年ものでは戦争児童文学はだめだというのは、共通認識になっているそうです。
 また、東日本大震災の経験を踏まえて、日本でも戦争だけでなく記憶の問題になってきているとのことです。
「そこに僕らは居合わせた」ということを伝える必要が重要です。
 しかし、過去の記憶を現代の読者に読ませる工夫が必要です。
 高田によると、外国の作家、例えばドイツのグードルン・パウゼヴァングの最新作「そこに僕らは居合わせた――語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶――」(その記事を参照してください)は、過去を振り返るだけでなく軸足は現代にあって、戦争体験を孫世代に聞かせる形で書かれています。
 そのあたりは、1961年に同じドイツで書かれた戦争児童文学の代表作と言われているハンス・ペーター・リヒターの「あのころはフリードリヒがいた」とアプローチが違うようです。
 1961年には「メモリー」として共有されていた事柄が、2012年では共有されていない若い読者にどのように伝えるかが工夫のいるところでしょう。
 記憶は風化していくので、繰り返し更新していくことが必要ではないでしょうか。
 ただし、負の歴史を、現代の子供たちに響くように伝えることが大事です。
 高田によると、佐藤の発言と矛盾するようですが、「そこに僕らは居合わせた――語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶――」では、短編であるがゆえに強さが出ているそうです。
 これからは、記録、記憶、物語化の位置づけを明確にする必要があるでしょう。
 戦争体験者の高齢化が進んでいるので、再話、再創造をする必要がだんだん高まってきています。
 しかし、記憶とメモリーの間には違いがあるでしょう。
 記憶は個人的で、メモリーは例えば国民などの集団的記憶という意味があるのではないでしょうか。
 記憶は主観なのでブレがあってもいいと思われます。
 集団的記憶の問題では、例えば広島とそれ以外では被爆に対する温度差があります。
 8月6日は、全国的には「原爆の日」としてその日だけ盛り上がるが、広島の人たちにとっては犠牲者と向き合う鎮魂の日です。
 最後に、「閉塞している戦争児童文学の現状を文芸主義的に反転して欲しい」と、二十年前から戦争児童文学と言う枠組みに疑義を示してきた児童文学研究者の宮川健郎が発言しました。
 たしかに何が描かれるかも大事ですが、児童文学の学会なのだから文芸論的な検討ももっと必要だと思われました。


はじめて学ぶ日本の戦争児童文学史 (シリーズ・日本の文学史)
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立花隆「セックスを回避する親和関係 高畑由紀夫」サル学の現在所収

2018-08-27 15:54:19 | 参考文献
 非発情期に親和関係にあったオスザルとメスザルは発情期に交尾を回避するという、人間であれば浮気や不倫のような関係で、面白い発見のように思えた(事実、当時の学界でも非常に注目されたそうです)のですが、それを発表をした本人がこの対談時にはすでに否定的で、親和関係とみなす方法が恣意的であったと反省していました。
 確かに、3メートル以内(通常ニホンザルは互いに3メートル以上の距離を保っているのだそうです)に接近した回数が一定以上の場合は親和関係とみなすという方法はかなり強引で、3メートル以内に接近したといってもその時の行動(餌を食べるとか、グルーミング(毛づくろい)をするとか、何もしないとか)や状況によって違いはあるでしょうし、サルの個々のパーソナルな要因もあるでしょう。
 そういった意味では、研究テーマがだんだん細分化されていくと、研究者がサル全体を見なくなり、「人間とは何か」というサル学がスタートした時の根源的な問いかけも薄くなってきていたのかもしれません。
 このあたりが、日本のサル学を切り拓いた今西錦司先生がサル学を離れた理由のひとつなのかもしれません(その記事を参照してください)。
 この反省に立って、発表者本人が語った、(新しいフィールドである屋久島では)「問題が出てくるまで、とにかくボウッとみていようと思うんです」という言葉が印象的でした。

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神沢利子「りんごの木」いないいないばあや所収

2018-08-27 08:34:54 | 作品論
 りんごの木のあった懐かしい家の庭、幼い姉妹のままごと遊び、りんごの木にかけられたブランコ、兄弟で競ったかけっこ、ばあやとのお昼寝。
 誰にもある幼い日々の風景が、詩人の手にかかると、まるで夢の国のように魅力的に蘇ってきます。
 兄弟にいじめられた記憶さえ甘美な想い出に思えてきます。
 児童文学者のみならず、すべての人にとって懐かしい場所がここにはあります。

 
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アメリカン・ビューティー

2018-08-26 08:25:59 | 映画
 1999年に発表されて第72回アカデミー賞で、作品賞などの五部門を受賞した作品です。
 アメリカの中流家庭が崩壊する姿を、コミカルかつサスペンス・タッチで描いています。
 ドラッグ、不倫、リストラ、親子関係、性的マイノリティ、暴力、セックスなどの様々な現代の問題を盛り込みつつ、エンターテインメントの手法で観客をひきつけます。
 これは児童文学も同様で、シリアスな問題をそのままシリアスに描くのではなく、面白さを加えて読者に読んでもらう工夫が必要なのでしょう。

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立花隆「まえがき」サル学の現在所収

2018-08-25 18:38:46 | 参考文献
「アニマ」誌の1986年10月号から1990年3月号まで連載された霊長類学者との連続対談をまとめて、1991年8月に出版されたこの本の「まえがき」です。
 なぜ、この時期に「サル学」なのかについて述べています。
 まず、なぜサルに学ばなければならないかの理由として、「人間とは何か」という根源的な問題を問う時に、近接する存在であるサルを学ぶことにより、「人間」だけが持つ特性(「人間性」といってもいいかもしれません)を明らかにできることをあげています。
 また、サル学は日本で急速に発達した学問であり、常に世界をリードしている数少ない学問分野でもあります。
 さらに、日本は先進国の中で唯一、サル(ニホンザルもしくはそれの亜種であるヤクザル)が広く野生のまま分布しており、研究もしやすいし、日本人もサルに対して親しみがあることも挙げられています。
 1950年代から1960年代には、サル学は一般の人たちにも関心が高く、それらの人に対する啓蒙書も多数発行されていました。
 そうしたサル学ブームを再燃させようと意気込んで本書は書かれたのですが、残念ながらこの本が出版されてから30年近くがたち、一般の人たちのサル学への関心はますます薄くなっています。
 私は学生のころから動物学に関心があるので、今でも私の蔵書の中では、文学関係を除くとサル学を初めとした動物学の本が一番多いです。
 また、私自身も、学問をする意味合いは、「人間とは何か」、「人類や社会にどうしたら貢献できるか」といった根本的な問いかけが必要だと考えています。
 私の学生時代の専門は電子工学なのですが、今でもはっきり覚えていますが、大学でもオリエンテーションにおいて、「電子通信(当時はその大学では電子工学と通信工学が一緒の科でした)で社会に貢献できるアイデアを問われました。
 当時は、今よりも交通事故が深刻な時代でしたので、私は、「自動車は電子化した免許書カードを挿入しなければ運転できず、そのカードには道路上のあちこちに備えられている電子装置によって自動的に計測された違反行為が送信されて書き込まれ、一定のポイントになると運転できなくなる交通システム」を提案しました。
 残念ながらこうした交通システムは実現していませんが、現在の通信や電子記録の技術ならば、国がやる気になれば実現可能だと思っています(自動車会社や警察などの利権が絡んでいるので、実際には難しいでしょう)。
 こうした学問の理念は、実用万能主義の傾向におわれて、その後少なくとも日本では衰退している事は否めません。
 しかし、児童文学においても、「子どもとは何か」「子どものためにどのように貢献するか」という問いかけなしに作品を書くことには、少なくとも私には何の価値も見出せません。


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永遠の僕たち

2018-08-25 08:33:34 | 映画
 交通事故で両親を亡くし、自分も三か月間昏睡状態だった主人公の少年は、まわりの人々に心を閉ざして、彼にだけ見える幽霊(日本人の特攻隊員で、加瀬亮が演じています)とだけ交流しています。
 高校もドロップアウトし、見知らぬ人の告別式に参加して回っている彼は、ある日、脳腫瘍の再発で余命三か月と宣告されている少女に出会います。
 こんな設定の悲恋を、美少年(ヘンリー・ホッパー、「イージー・ライダー」のデニス・ホッパーの息子)と美少女(ミア・ワシコウスカ、「アリス・イン・ワンダーランド」のアリス役)が演じるのですから、日本のアニメや実写版でもゴマンとありそうな映画ですが、さすがにマイナー映画の巨匠であるガス・ヴァン・サント監督の作品だけあって、セリフが詩的で映像もシャレています。
 お約束の展開とラストですが、児童文学でいえばヤングアダルト物を書くときの参考にはなるでしょう。

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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
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立花隆「ヴェールをぬいだ新世界ザル 伊沢紘生・渡辺毅」サル学の現在所収

2018-08-24 16:18:14 | 参考文献
 「新世界」とは、南北アメリカ大陸(ここでの舞台は、南米のアマゾン川・オノリコ川流域です)を指します(現在ではオーストラリア大陸も含めるのが一般的なようです)。
 この文章では、サル学が、従来の旧世界(ユーラシア大陸(アジアとヨーロッパ)とアフリカ大陸)ザルを研究していているだけでは、サル学の基本認識は正しく形成できないと主張しています(例えば、旧世界ザルだけの研究では知性(類人猿やヒトだけが持っているとされるもの)と考えられる行動を、新世界ザルでは他の行動からは知的ではないとされるサル(新世界には類人猿もいなければ、人類も生み出されませんでした)が普通に行うことがよくあるようです)。
 この旧世界ザルと新世界ザルの進化の違いは、新世界が旧世界よりも自然の恵みが豊かで、木を降りて平地で暮らす必要がなかったことによると考えられているようです。
 これらの旧世界と新世界の問題は、サル学に限らずあらゆる学問の分野において存在します。
 そもそも、「新世界」などと言う言葉も、ヨーロッパ人の勝手な観点から生み出されたわけで、彼らが「新世界」を発見した時にはそこには人類は既に存在していました。
 たんに、旧世界の人間たちの方がはるかに好戦的に進化していたために、彼らから簡単に「新世界」を略奪しただけなのです。
 ところで、「新世界」と言う言葉を聞くと、私は反射的にドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の第二楽章のメロディが浮かんできてしまいます。
 この旋律は、「家路」「遠き山に日が落ちて」などという歌に編曲されていて、かつては日本の多くの小学校の帰りの時間に鳴らされたものです。
 今でも、外出先でこのメロディを聴くと、とっさに「早く家へ帰らなければ」と思ってしまいます。

サル学の現在 (下) (文春文庫)
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青山文平「乳付」つまをめとらば所収

2018-08-24 08:08:05 | 参考文献
 「乳付」とは、初産などで、乳が出なかったり、うまく授乳ができなかったりする母親に代わって、既に授乳の経験がありまだ乳の出る女性に、産まれてきた乳児に乳をやってもらうことのようです。
 身分の違う家へ嫁いだこと、乳が出ないこと、そして乳付をしてもらった女性への悋気などに悩む女性の姿を描いています。
 この作品でも、江戸時代の旗本の暮らしや漢詩についてよく調べてあり、それをわかりやすく読者に伝える工夫もなされているのですが、登場人物がすべて作者の意図通りに行動しすぎていて、作り物の感がするのは否めません。

つまをめとらば
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石森延男「宮沢賢治の作品」角川文庫版「注文の多い料理店」解説

2018-08-23 18:09:22 | 参考文献
 「コタンの口笛」などで知られる児童文学者による、子ども読者向けに書かれた文章です。
 賢治の作品の特長として、以下の点を指摘しています。
・驚異的な執筆スピードの理由は、文章のリズムの良さによるもの。
・書くことの楽しさにとらえられていた。
・自分のまわりのものがすべて書く材料であり、人間と同じような感情や理想、思想を持っている。
・作品を通して、世の人々を幸福にしようと念願していた。
・着想のおもしろさ。
・新鮮味がありユーモアもある独特の言葉づかい。
 そして、この作品集に入っている童話に触発されて、読者自身も文章や絵をかいてみてはどうかと勧めています。

注文の多い料理店 (新潮文庫)
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青山文平「つゆかせぎ」つまをめとらば所収

2018-08-23 08:36:34 | 参考文献
 この作品も、前半は江戸時代の俳諧や芝居などについての説明的な文章が多くて物足らなかったのですが、後半は貧しくてもたくましく生きている女性に影響されて、妻の死後に生きる気力を失いかけていた主人公が生気を取り戻していく過程が過不足なく描かれています。
 登場人物がみな善人で、ややハッピーエンドすぎる気もしますが、読み味は悪くありません。

つまをめとらば
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田中卓也「戦後における「少年倶楽部」の紙面構成と読者の様相」

2018-08-22 15:46:14 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 戦前は最高75万部まで売り上げた講談社の人気雑誌「少年倶楽部」が、戦後どのように復刊されて、その後衰退していったかの研究です。
 紙面構成などを調べ上げて詳細に語っています。
 それによると、戦後復活の号は54ページ、A5版、80銭の小さな雑誌だったようです。
 その後、名前を「少年クラブ」に変えて、だんだん雑誌も厚くなっていったのですが、週刊少年漫画雑誌(同じ講談社では少年マガジン)におされて1962年に廃刊になりました。
 発表からは、研究に対する熱意はすごく伝わってくるのですが、どうも練習不足だったようで、前振り部分が長すぎて、発表は尻切れトンボで終わってしまいました。
 後半の読者の様相まで触れられなかったので、質疑の時に助け舟にそこを質問したところ、「戦前は読者間の共同体志向があったが、戦後はそれが薄れてしまった。」とのことでした。
 どうも、戦後は出版社のモラルも低く、戦前のよう少年雑誌文化を作り上げようという意欲に欠けていたようです。
 それは作者たちも同様で、盗作が横行していたとのことです。
 発表後に、発表者と少し話す機会があったので、「戦後は雑誌「漫画少年」に読者間の共同体志向があったようだ」と話したところ、「ぜひ調べてみたい」と言っていました。

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マージョリー・ワインマン・シャーマット「こまったちゃん」ソフィーとガッシー いつもいっしょに所収

2018-08-21 08:06:31 | 作品論
 ガッシーが遊びに行くと、ソフィーは一所懸命掃除をしていました。
 掃除をしているソフィーのそばでお茶を飲んでいるガッシーは、なんだか落ち着きません。
 ガッシーは家へ帰っても、ソフィーが働いていると思うと落ち着きません。
 そこで、ガッシーは、再びソフィーの家へ行って代わりに掃除をします。
 すると、今度はソフィーが落ち着かなくなってしまいました。
 二人は掃除を辞めて、スミレをつみに出かけました。
 いつも二人で一緒でないとダメな、仲良し同士の様子がうまく描けています。 
 でも、タイトルは「こまったちゃん」ですが、二人はちょっと良い子すぎる感じもします。

ソフィーとガッシー いつもいっしょに
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