1987年公開のイラン映画です。
主人公の男の子(小学校中学年ぐらい)は、まちがって友だちのノートを持ってきてしまいました。
友だちのうちはかなり離れた地域にありますが、どうしても今日中にノートを返さなければなりません。
なぜなら、今日の授業中に、友だちは宿題をノート以外の紙に書いていて(ノートは同じ教室にいる彼のいとこが持っていました)、教師から激しく叱責されて、今度やったら退学させると脅されていたからです。
しかし、主人公の母親はそれを許してくれません(主人公にいろいろな作業を命じたり、そんなことより早く自分の宿題をしろと言ったりするばかりで、主人公の言うことにまったく耳を貸しません)。
母親の目を盗んで家を抜け出しますが、今度は道端で暇をつぶしていた祖父につかまります。
祖父は話し相手にいかに子どものころ厳しくしつけられていたかを自慢して、主人公に無意味に家へ煙草を取りに行かせます(実は、自分で持っているのです)。
こうして、主人公は、すっかり遅くなってから、友だちのうちの地域に着きます。
しかし、友だちのうちがどこかわかりません。
あちこち訪ね歩いた後で、親切なおじいさんが友だちのうちまで連れて行ってくれます。
でも、おじいさんの歩くのが遅いのと寄り道をするために、あたりは真っ暗になってしまいました。
そのため、主人公は、友だちにノートを渡せませんでした。
最後は、主人公が機転を利かせて友だちの分まで宿題をやっていった(教師は名前をチェックするだけで筆跡までは気づきませんでした)ので、友だちは危うくピンチを逃れることができました。
まっすぐな主人公の心と、周囲の大人の無理解が対比されていて、非常に印象に残ります。
たしかに、この映画は80年代のイランの実情を反映しているのでしょう。
しかし、現在の日本でも、多くの子どもたちが、無理解な大人たちのために、まっすぐな心を踏みにじられています。
そういった意味では、この映画は今日的な価値を持っているといえるでしょう。