現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

プチ・ニコラ

2019-07-20 07:39:12 | 映画
 フランスの国民的絵本(漫画?)のプチ・ニコラ(サンペ絵、ゴシニ文)を実写版で映画化した2009年のフランス映画です。
 日本でも1976年に「わんぱくニコラ」と言う題で翻訳が出ていて、学生時代に結構はまった時期があったので、懐かしく見ました。
 原作はかなりハチャメチャなのですが、その雰囲気をかなりうまく再現(特に、子役たちが漫画のキャラクターに負けずにキャラがたっていました)しているので感心しました。

プチ・ニコラ(字幕版)
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進撃の巨人 Season3 Part 2

2019-07-15 19:51:45 | アニメ
 進撃の巨人では、Season 3に入ってから、ほとんどが人間対人間の戦いになって、肝心の巨人がほとんど登場しなくなってしまいましたが、Part 2はかなり改善されていて、巨人との戦いも描かれるようになりました(まだまだ不十分ですが)。
 特に、獣の巨人の投石攻撃の迫力は圧倒的で魅力があったのですが、それゆえその後にあっさりとリヴァイに倒されたのはなんだか納得がいかない感じでした。
 それと、Season 1・2では、一応巨人対人類の戦いだったのですが、今回は完全に巨人対調査兵団の戦いになっていて、その分ヒロイックなイメージが強くて(特に、死を覚悟した突撃や、アルミンの自分を犠牲にした戦いや、エルヴィン団長の戦死)、それに伴う巨人による残酷なシーンも無理な意味付けがされているようで素直に楽しめませんでした。
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進撃の巨人 Season3 Part 1

2019-07-15 18:47:44 | アニメ
 進撃の巨人Season3のPart1がNHKで放送されましたが、ある意味衝撃です。
 話が、巨人対人間の戦いでなく、完全に人間対人間の戦いになってしまいました(王の血筋がどうのこうのなんてつまらない話なんて、他の女性向けファンタジーに腐るほどあるので、わざわざ「進撃の巨人」で詳しくやらなくてもいいのではないでしょうか?)。
 また、全体に女性視聴者向けに作られていて、リヴァイ兵士長(いつの間にか背が高くなっていて笑えます)やエルヴィン団長のようなイケメンの男性が活躍する話になっていて、もともとの主役の三人、エレン、ミカサ、アルミンはほとんど活躍しないようになってしまいました。
 今までの「進撃の巨人」が衝撃的だったのは、なんといっても巨人たちのグロテスクさや人間が食われるような残酷なシーン(こんなのテレビアニメでやっていいの?と何度も思いました)が頻出することだったのですが、Season3 Part1ではそういったシーンはまったくなくなってしまいました(NHKで放送されることがアナウンスされた時から、ネット上では心配されていたことですが)。
 また、オープニング・アニメやエンディング・アニメも、今までは残酷でグロテスクで最高だったのですが、今回は美しい女性向けアニメ風になってしまいました(オープニング・テーマにも大物アーチストが使われ、いかにも売ることを狙っている感じです)。
 いったんビジネス的に成功すると、あらゆること(野球でもサッカーでも競馬でも映画でも小説でもマンガでもゲームでもテレビ番組でも)が、より一般的に受け入れられるように改変されていき(多くはエンターテインメントの消費の多数派である女性にうけいれられるようにします)、男性(特に大人)にはどんどんつまらなくなるのですが、「進撃の巨人」もそのパターンに陥ってしまいました。
 数少ない(というよりはほとんどない)大人の男性にも見られるアニメが、こうしてまたなくなってしまいました。
 いっそのこと、タイトルも「進撃の巨人」ではなく、「戦えリヴァイ兵士長」か何かに変えた方が良かったのではないでしょうか?

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「座談会 古田足日 現代児童文学のデザイン」日本児童文学2015年1・2月号所収

2019-07-15 08:37:42 | 参考文献
 2014年に亡くなられた古田足日先生の追悼号において、総論の代わりとして行われた、児童文学評論家の西山利香、宮川健郎、藤田のぼる(司会)による座談会です。
 「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)において、評論と創作の両面で大きな足跡を残された古田先生について、きちんと仕事の全体像を明らかにした総論を書かない(あるいは書けない)のが、現在の評論の弱さを示しています。
 そう言えば、2010年に後藤竜二が亡くなった時も、評論の現場を二十年以上離れている人(その人は一所懸命に作品の読み直しをしたりして、彼としてはベストのものを書いていました)に総論を押し付けていましたが、あの時もずっと評論の現場に居続けている彼らのうちの誰かが責任を持って書くべきだったでしょう。
 あんのじょう、個人的な思い出や自分の関心のある話題(戦争児童文学)に引っ張りすぎて、古田先生の仕事の全体像はさっぱり浮かび上がってきません。
 特に、未完(「日本児童文学」に連載途中で打ち切りになった)の戦争児童文学二作の話を長々としていたのにはびっくりしました(読者はほとんど誰も読んでいないし、古田先生自身の判断で打ち切られた作品です)。
 古田先生の現代児童文学における活動について、総論としてまとめるべきだった思われる内容について、私見を述べれば、以下のようになります。
1.1950年代の童話伝統批判において、いかに中心的な役割りをはたしていたか。
2.盟友で最も文才のあった山中恒が去った後で、「赤毛のポチ」の世界を発展させた形で、どのように社会主義的リアリズムを児童文学の世界に取り込もうとしていたか。
3.各地の教育実践の成果を、どのように児童文学に取り込んでいったか。
4.新しい幼年文学の世界をどのように切り拓いていったか。
5.新しい戦争児童文学(及びその書き手)をどのように育てていったか。
6.後進の指導(評論及び創作の両面において)
 1990年に安藤美紀夫が亡くなった時に、追悼号で彼の仕事の全体像を理路整然とまとめてくださった(その記事を参照してください)のは古田先生ご自身でした。
 図らずも、古田先生の不在の大きさを、今回痛感させられました。

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ヘッドライト

2019-07-14 08:08:37 | 映画
 1956年公開のフランス映画です。
 初老の長距離トラック運転手と、そうした運転手たちを顧客にしている、郊外のロードサイドにあるガソリンスタンド兼食堂兼ホテル(主に仮眠用)の若いウェートレスとの悲恋です。
 家族から疎外されている男(NHKの「72時間」というドキュメンタリー番組で見たのですが、日本でも長距離トラック運転手たちは家庭問題で悩んでいることが多いようです。長時間にわたる不在、変則的な勤務、家にいても疲れ切っていて寝ていることが多いなどの理由で、家族生活を営むことにいろいろな困難があるのかもしれません)と、ひとりぼっちの若い女性(母親は、若い再婚相手が彼女の方を好きになることを恐れて、実家にいることを拒んでいます)が、互いに自分の求めているものを相手に認めて魅かれあっていきます。
 女性の場合は亡くなった父親の、男性の方は一番彼を阻害している実の娘(スターになることを夢見ていて派手な男たちと遊び歩き、父親のような地道な労働者を馬鹿にしている)の代わりを、相手に求めていたのかもしれません。
 ストーリー自体はベタなメロドラマなのですが、この作品が映画史に残っている理由は、主役を演ずるフランスの大スター、ジャン・ギャバンが、人生の悲哀を重厚な演技で観客にうったえかけてくることと、ヒロインのフロンソワーズ・アルヌールのいかにも幸薄そうな表情や仕草にひかれるからでしょう。
 また、こうした感情にうったえかける作品は、余計なビジブルな情報のないこうしたモノクロ映画の方が向いているようです。
 それにしても、この映画のジャン・ギャバンの年齢(実年齢は52歳ごろで、この役も同じぐらいの年齢設定でしょう)を等に越してしまっているのに、幸か不幸か、彼のように人生の重みを表すことができていません。


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サキ「宵闇」サキ短編集所収

2019-07-12 10:16:54 | 参考文献
 宵闇の公園で、一端は詐欺師の手口を見破ったのに、利口ぶった考察をしたために、自ら詐欺師を追いかけていって詐欺にかかってしまう(いわゆる「盗人に追い銭」って感じですね)男の話です。
 チェックインしたホテルを忘れてしまって途方に暮れたふりをして寸借詐欺をする詐欺師の手口を、買ったはずの石鹸を取り出して見せられないことで見破ったのに、その後詐欺師が座っていたベンチのそばに包装された石鹸を見つけて、わざわざ詐欺師を追いかけていってお金を貸してしまい、元の場所に戻ったら他の男が石鹸を探していたというオチです。
 かなりの偶然に頼ったストーリーなのでサキの作品の出来としてはあまりよくありませんが、これと似たコントはテレビで今でも見かけますから、結構普遍的な話なのかもしれません。
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サキ「開いた窓」サキ短編集

2019-07-11 09:01:36 | 参考文献
 ショートショートといっていいほど短い作品ですが、サキの代表作の一つとして有名です。
 当意即妙に作り話をする少女によって、神経衰弱を癒すために田舎へ転地療法でやってきた若い男が翻弄される話です。
 三年前の今日、この開いた窓(描写はありませんが、当時の居間によくあった床までの見開き窓なのでしょう)から出ていって、沼地に呑み込まれて行方不明になった伯父と伯母の二人の弟と猟犬のコッカ―スパニエルが帰ってくるのを、少女の伯母がいまだに待っているのだと、男に信じ込ませます。
 その後にやってきた伯母と自分の病気について話していた男は、良い闇の中を実際に帰ってきた三人と犬を見て、男は恐怖に駆られて一目散に逃げ出します。(少女はご丁寧にも恐怖の表情を、彼に見えるように浮かべて見せます)
 さらに、少女は、あわてて逃げ出した男をいぶかる家族に対して、その理由についても、さももっともらしく聞こえる作り話をしてみせます。
 伏線のはりかた、場面転換の見事さ、めりはりのある起承転結など、短編(特にショートショート)を書く上ではお手本になる作品です。
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サキ「運命」サキ短編集

2019-07-10 17:30:50 | 参考文献
 お金も仕事も何もない浮浪者が、偶然彼とそっくりな出奔者(村で問題を起こしていなくなったらしい)と間違えられて、農園で食べ物や住居や仕事にありつきますが、その出奔者をひどく憎む男に捕まって、おそらく殺される運命に陥ります。
 設定そのものは面白いのですが、題名からオチが推測できるので、途中からラストの展開が読めてしまうのが難です。
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百円の恋

2019-07-10 08:08:47 | 映画
 「0.5ミリ」でも書きましたが(その記事を参照してください)、主演の安藤サクラは、美人女優ではないので、圧倒的に得をしています(それだけが彼女の魅力ではないのですが)。
 美人でなくブスでもなく、どこにでもいるような一般人としての存在感があり(しかもそれが魅力でもある)、彼女が主演するだけで作品に一定のリアリティを保証してしまうのです。
 この映画は、脚本も演出も他の共演者たちもイマイチなのですが、彼女を見るだけでも価値はあります(というか、それだけが魅力なのかもしれませんが)。
 特に、冒頭の小太りで自堕落な女性が、ぜい肉をそぎ落として血みどろで戦うプロボクサーに変貌を遂げる姿は、女性版ロバートー・デ・ニーロを彷彿とさせ、こういった役をこなせる彼女が、映画監督たちの間で引っ張りだこなのもむべなるかなと思いました。 

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色川武大「名なしのごんべえ」怪しい来客簿所収

2019-07-08 08:18:06 | 参考文献
 戦前の東京の話です。
 そのころは、人々の行動範囲が狭く、テレビもなかったので、それぞれの町々(筆者の場合は、牛込や神楽坂など)が小社会を形成していたようです。
 町ごとに、小さな寄席や安い映画館があり、露店もずらりと立ち並んでいました。
 夜毎に、人々はそのあたりを散策して、露店をひやかしていたそうです。
 子どもだった著者もまた、自習塾へ行くと称して、毎夜そのあたりを徘徊していました。
 そこには、その小社会だけの人気者が存在していました。
 食べ合わせのタンカ売をしている薬売り、舌の裏に小さな笛を入れて器用にいろいろなメロディを吹く音符売り、鍾馗様のような髭を生やした熊公焼(あんこ巻)、バナナの叩き売り、大学帽をかぶり毎日決まった時間に高下駄で通りを往復するカランコロン、旗が大好きで葬式、お祭り、祝日、出征兵士の見送りなどで大活躍する旗バカなどです。
 しかし、彼らが生きていくだけの余裕のあった小社会は、やがて戦争(特に空襲)で一掃されて、彼らも姿を消します。
 その中で、著者が一番シンパシーを抱いていた世捨て人のような南京豆売りの婆さんだけは、戦後も焼け跡に姿を見せて、著者を祝盃をあげたいような気分にさせるのでした。
 こうした多様な人たちが一緒に暮らしていた小社会は、現在では望むべくもありません。
 人々は、その特性や境遇によって選別されて、互いにすれ違ったままで触れ合うこともなく暮らしています。
 現在のSNSの爆発的な広がりは、そうした人々の心の隙間を埋めるように見えて、実際は選別化をさらに加速しているのかもしれません。
 

怪しい来客簿 (文春文庫)
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文藝春秋
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サキ「七番目の若鶏」サキ短編集

2019-07-04 10:08:47 | 参考文献
 通勤仲間(20世紀初頭のロンドン近郊からの通勤用の汽車は、現代の日本の通勤列車と違って座れます。今でいえば、各私鉄の通勤ライナーのような感じを想像してください)との世間話で、自分の話(自分で作った大きなじゃがいもとか、大きな釣り上げた魚など、どちらも話をするたびにだんだん大きくなっていきます)が注目を浴びないのに不満な主人公は、友人から教えてもらった注意を引くような嘘の話(飼っている若鶏が六羽も蛇に催眠術をかけられてかみ殺されてしまったが、七番目の若鶏は目に羽がかぶさっている種だったので、蛇の催眠術にかからずに逆につつき殺してしまった)をして、みんなの注目を集めます。
 味をしめた主人公は、次々にうその話をでっち上げますが、しだいに陰では「ほら男爵」(有名なドイツの「ほら吹き男爵」ミュンヒハウゼンにちなみます。児童文学の世界では、「ほら吹き男爵」のお話は一種の民話的な扱いで、日本でもたくさん出版されています。なお、このような行為を病的にしてしまう人たちのことは、1951年にミュンヒハウゼン症候群と名付けられました)。
 そんな時、彼の妻が「死神の首」という非常に難しい一人遊びを完成し、直後に急死します(実は、彼女の母も、祖母も、「死神の首」を完成した後で急死していたので、完成させることを恐れていたのです)。
 主人公は、この数奇な話(しかも創作ではなく実話)の誘惑にどうしても打ち勝つことができずにみんなに話してしまうと、「こんな時に不謹慎だ」と、みんなから軽蔑されてしまいます。
 その後、主人公は通勤する汽車をもっと早い時間に替えて、新しい通勤仲間たちに元のような平凡な世間話(自分で作った大きな砂糖大根や飼っているさえずりの上手なカナリヤなど)をするようになります。
 「七番目の若鶏」も、「死神の首」も、お話としては良くできているのですが、全体としては有名なイソップ童話の「狼少年」のバリエーションの一つに読めてしまいます。
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アラジン

2019-07-02 16:05:35 | 映画
 2019年日本公開のディズニー映画です。
 1992年に同じくディズニーのアニメ映画の実写版(といってもCG中心ですが)リメイクで、アラビアン・ナイトの「アラジンと不思議な(魔法の)ランプ」とは、似ても似つかないストーリーです。
 ストーリーだけでなく、アラビアン・ナイトの他のお話に出てくる空飛ぶじゅうたんが大活躍しますし、原典にはジーニーがアラジンの願いを叶える三回の制限はありません。
 もっとも、本来のアラビアン・ナイトは、性的な内容や残酷なシーンがたくさん出てきますので、子ども向きな作品ではありません。
 1992年にアニメ化する時に、アラビアン・ナイトの幾つかのお話や他の民話(3というのはマジックナンバーなので、いろいろなお話で使われています)を参考に、ファミリーで楽しめるオリジナル・ストーリーを作ったのでしょう。
 同様に、他のディズニー・アニメは、原典からかなり改変されています(「白雪姫」や「不思議の国のアリス」のころはかなり原典に忠実だったのですが、「くまのプーさん」や「ミス・ビアンカ」などの児童文学作品は、ストーリーだけでなく絵柄もかなり違います)が、ディズニー・アニメの影響力は絶大なので、いつのまにかそちらの方が有名になってしまいます。
 ジーニー(ランプに閉じ込められていた魔人)役のウィル・スミスがかなり目立ちすぎますが、アラジン役とジャスミン役の二人は日本人好みのかわいい容姿をしているので、日本でもかなりヒットしています。
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板垣巴留「BEASTARS12」

2019-07-01 18:38:50 | コミックス
 この巻では、ついに主役のハイイロオオカミのレゴシ(17歳)は学校を退学し、社会に飛び出します。
 そして、壮獣ビースター(社会の頂点)のヤフヤ(黒馬)やレゴシの祖父のゴーシャ(コモドオオトカゲでかつてメスのハイイロオオカミ(レゴシの祖母)と結ばれた)、レゴシが住むことになったぼろアパートの隣の住人である29歳のメリノ種の雌ヒツジのセブン(勤め先の肉食獣中心のスポーツ用品メーカーで、セクハラならぬ草食動物ハラスメントをうけている)など、さらに個性的な登場人物が次々と現れて、食肉前科獣や毒を持つ生物への差別や異種族婚の困難さなど、作品世界の複雑度を加速化させています。
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