2014年に亡くなられた古田足日先生の追悼号において、総論の代わりとして行われた、児童文学評論家の西山利香、宮川健郎、藤田のぼる(司会)による座談会です。
「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)において、評論と創作の両面で大きな足跡を残された古田先生について、きちんと仕事の全体像を明らかにした総論を書かない(あるいは書けない)のが、現在の評論の弱さを示しています。
そう言えば、2010年に後藤竜二が亡くなった時も、評論の現場を二十年以上離れている人(その人は一所懸命に作品の読み直しをしたりして、彼としてはベストのものを書いていました)に総論を押し付けていましたが、あの時もずっと評論の現場に居続けている彼らのうちの誰かが責任を持って書くべきだったでしょう。
あんのじょう、個人的な思い出や自分の関心のある話題(戦争児童文学)に引っ張りすぎて、古田先生の仕事の全体像はさっぱり浮かび上がってきません。
特に、未完(「日本児童文学」に連載途中で打ち切りになった)の戦争児童文学二作の話を長々としていたのにはびっくりしました(読者はほとんど誰も読んでいないし、古田先生自身の判断で打ち切られた作品です)。
古田先生の現代児童文学における活動について、総論としてまとめるべきだった思われる内容について、私見を述べれば、以下のようになります。
1.1950年代の童話伝統批判において、いかに中心的な役割りをはたしていたか。
2.盟友で最も文才のあった山中恒が去った後で、「赤毛のポチ」の世界を発展させた形で、どのように社会主義的リアリズムを児童文学の世界に取り込もうとしていたか。
3.各地の教育実践の成果を、どのように児童文学に取り込んでいったか。
4.新しい幼年文学の世界をどのように切り拓いていったか。
5.新しい戦争児童文学(及びその書き手)をどのように育てていったか。
6.後進の指導(評論及び創作の両面において)
1990年に安藤美紀夫が亡くなった時に、追悼号で彼の仕事の全体像を理路整然とまとめてくださった(その記事を参照してください)のは古田先生ご自身でした。
図らずも、古田先生の不在の大きさを、今回痛感させられました。