1986年9月21日に行われた当時若手(30歳前後)の児童文学研究者で評論家であった、石井直人、宮川健郎、佐藤宗子による座談会の記録で「主体性神話をこえて」という副題がついています。
「児童文学明日への展望 ― 児童分学は生きのびられるか ―」という大きな特集テーマの中で、「作家の主体性の喪失」、「受け身の読者たち」、「新人類(その頃の若者を指す流行語です)と児童文学」というサブテーマを、編集部から与えられていたようです。
1950年代にスタートした「現代児童文学」が1980年ごろに大きな変曲点(詳細については他の記事を参照してください)を迎え、当時の児童文学界は危機感(主には児童文学が商業主義に取り込まれるのではないかということですが、その予感が的中したことはご存じのとおりです)を持っていました。
私がかつて所属していた同人誌も、その危機感の中で誕生しましたが、今は完全に商業主義に適応しています。
編集部の意向を察するに、1978年にスタートした那須正幹の「ズッコケ三人組」シリーズの成功を受けて当時盛んになっていたエンターテインメント系の作品について、作家側や読者側から見てどう分析するかが期待されていたようです。
しかし、初めに当時の人気作家薫くみこの作品にちょっと触れた(しかも第三者(「季節風」という同人誌の七号に掲載された児童文学評論家の上原孝一郎)の意見を紹介する形です)だけで、与えられたサブテーマを疑問視する形で、より抽象性の高い児童文学における「主体性」についての議論へ移ってします。
それには、いくつかの理由が考えられます。
まず、彼ら三人が、それまでの「日本児童文学」誌上の主な評論の書き手であった古田足日や安藤美紀夫や砂田弘などと違って、児童文学の実作の経験が乏しく、「作家の主体性」が作品にどのように反映されるかを実感として認識できていなかったことがあげられます。
ちょうどこのころに、ふたたび児童文学の世界に戻ってきていた私は、その頃の若い書き手たち(その中には、この座談会で作品が取り上げられていた横沢彰(人気芸人の横沢夏子のおとうさんです)や長崎夏海もいました)と交流があったのですが、彼らと若手評論家たちはほとんど没交渉(評論は難しいという理由で、当時から若い書き手たちは誰も読んでいませんでした。今の若い書き手たちは、おそらく評論の存在すら知らないでしょう)でした)。
次に、彼らは評論家であるとともに児童文学の研究者(いずれもその後立派な研究成果を上げています)であったために、どちらかというと学究的な興味が勝っていたと思われます。
最後に、エンターテインメント作品をどう評価するかの方法論が、彼らに限らず児童文学界になかった(今でもありませんが)ことが挙げられます。
そのため、より取扱いしやすい「現代児童文学」(定義などについては別の記事を参照してください)である横沢彰「まなざし」や長崎夏海「A DAY」へ、議論が移ってしまいます。
たしかに、これらの作品では、作者の関心は、かつての作品のような「社会」から「個人」(受験や非行)へ移っています。
しかし、そこには依然として確固たる作家の主体性があり、サブテーマである「作家の主体性の喪失」とは無縁です。
その後は、ファンタジー作品(芝田勝茂「ドーム郡ものがたり」やわたりむつこ「はなみんみ物語」など)、子どもたちを個人でなく群像として描いた作品(安藤美紀夫「風の十字路」(その記事を参照してください)、自分の子ども時代を描いた作品(三木卓「元気のさかだち」)、歴史ロマン作品(しかたしん「国境」や浜たかや「火の王誕生」)などについて議論していますが、これらはどれも「現代児童文学」の範疇で、どのように表現されたら当時の子どもたちに読みやすく「主体性神話」(はっきりとは書かれていませんが、作者が自分が書きたいことに縛られていて、読者にどう伝わるかの表現上の工夫が十分でないことを批判している用語のようです)をこえられるかについては語られていますが、与えられたサブテーマ(「作家の主体性の喪失」、「受け身の読者たち」、「新人類と児童文学」)とは正面から向き直っていません。
本来であったら、「作家の主体性を喪失」した安易なエンターテインメント作品がシリーズ化されて量産されている状況や、そういった読むのに楽な作品に流れている「受け身の読者たち」や、「(読書に求めるものが(生き方や未知のものを知ることから娯楽へ)変わっっていく過程にある(現在では完全に変わってしまいましたが)新人類と児童文学」のあり方、などについて議論されるべきだったと思うのですが、これではたんなる現象の後追いに過ぎません。