現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

小沢俊郎「なぜ一郎はどんぐりを貰ったのだろう」「注文の多い料理店」研究Ⅱ所収

2022-01-31 18:30:35 | 参考文献

 「四次元」(宮澤賢治友の会)四二号(昭和28年8月)に掲載された問題提起です。

 文中で、筆者は二つの疑問を読者に投げかけています。

 一つは、一郎が山猫の居場所を、栗の木、滝、きのこ、りすに尋ねたときに、それぞれが、東、西、南、南と、てんでんばらばらに答えたときに、それには従わずに(栗の木とは一致しているのですが)、最初から向かっていた東へ進んでいったことをあげています。

 これに関しては、一応「物事を決めるときには人の話を聞くが、自分で決めることが大切である」という仮の答えを用意しています。

 二つ目は、裁判の当事者でそこでは人格を持っていたどんぐりが、帰りには金のどんぐり(物)になってしまい、一郎はなぜ山猫からそれを裁判のお礼に貰ったのかです。

 さらに言えば、金のどんぐりは家に戻ると普通のどんぐりになっていました。

 これに関しても、不思議な世界と実世界とでは、同じものでも変わってくるという意見を紹介しています。

 

 

 

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Gガール 破壊的な彼女

2022-01-30 18:11:33 | 映画

 2006年公開のアメリカ映画です。

 平凡な男性が、スーパーヒーローの彼女と知り合うことで、いろいろな事件に巻き込まれる、ハチャメチャなコメディです。

 そのうえ、彼女がとてつもなく嫉妬深くて、スーパーパワーを使って彼を拘束するのです。

 今度は、彼女からのがれるためのハチャメチャ・ストーリーが、彼を待ち受けています。

 徹頭徹尾バカバカしい映画ですが、最後にはそれなりのオチが用意されています。

 

 

 

 

 

 

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グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告

2022-01-29 18:21:17 | ツイッター

 2020年公開のアメリカ映画です。

 児童文学を原作にした子供向けのコメディです。

 同居することになった祖父に自分の部屋を取られて、屋根裏部屋で暮らすことになった少年が、自分の部屋奪還のための戦争を、祖父に宣戦布告します。

 かなりハチャメチャないたずらや嫌がらせ(けっこうひどくて笑えないものも含まれています)の応酬が、これでもかと続きますが、その中に二人の交流も巧に紛れ込ませて、この戦争のおかげで妻を亡くした痛みから祖父が立ち直るというハッピーエンドが用意されています。

 両親やその他の登場人物も含めて、相当デフォルメされていますので、日本人の目から見るとちょっとついていけない感じもします。

 ただ、名優ロバート・デ・ニーロが、祖父役を楽しそうに演じているのには好感が持てました。

 

 

 

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ステージ・マザー

2022-01-28 16:30:20 | 映画

 2020年公開のアメリカ映画です。

 テキサスの保守的な田舎町で暮らす主人公の女性は、長年会っていなかった息子の訃報を受け取ります。

 ドラッグ中毒で急死したのです。

 息子はトランスジェンダーでサンフランシスコ(カストロ・ストリートというその業界では有名なところがあります)でドラァグクイーンとして活躍し、そういった人たちが出演するショーパブを経営していました。

 彼女は、息子が亡くなったために混乱していた店やそこで働く人たちの生活を再建するために腕を奮います(人生経験豊富ですし、もともとショービジネスに関心がありました)。

 彼女のおかげで店は軌道に乗り、働く人たちもそれぞれの問題を解決する方向に向かいます。

 敵役の保守的で無理解な夫の存在や、それに代わる老いらくの恋の相手の出現など、かなり御都合主義な感じはしますが、音楽が素敵でドラァグクイーンたちのショーは一見の価値があります。

 

 

 

 

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新潮日本文学アルバム「宮沢賢治」

2022-01-26 18:44:08 | 参考文献

 賢治の一生を、豊富な写真(賢治やその家族、直筆原稿、縁の場所など)と評伝(詩人で賢治の研究者でもある天沢退二郎が、編集も含めて担当しています)で辿ります。

 以下の各時期について、非常に良く構成されていて、まるで花巻にある賢治の記念館を訪れたような気分にさせてくれます。

 幼少年時代(明治29年から大正3年まで)

 高等農林時代(大正4年から大正9年まで)

 出京・花巻農学校教師時代(大正10年から大正15年)

 羅須地人協会時代(大正15年から昭和4年)

 晩年(昭和5年から昭和8年まで)

 さらに、巻末の黒井千次の「大人と童話」というエッセイは、子ども時代には賢治の作品に出会わなかった大人が賢治の作品を読む上で、多くの示唆を含んでいます。

 全体として、賢治ファンよりは、これから賢治の作品を読もうと思う読者に有益で、さらに言えば賢治の作品を読もうという気を起こさせてくれます。

 

 

 

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病院

2022-01-24 15:08:54 | 作品

 ガチャン。
 ぼくは、アパートの部屋の鍵を開けた。
「ただいま」
 ドアを開いて中に入る。
でも、なんの返事もない。家に帰っても、そこには誰もいない。おかあさんはいないのだ。
ぼくは、学童からの帰りを、いつも少し早くしてもらって、暗くならないうちに一人でアパートへ帰っていた。ぼくの通っている学童では、本当は迎えの人がいないといけない。
でも、日没前に帰るのだったら、特別に迎えなしに一人で帰るのも許されている。
アパートに着いた時に部屋に誰もいないのは、いつものことだ。明かりのついていない暗い部屋に一人で入るのも慣れていた。
今までは、全然平気だったのだ。
でも、おかあさんが入院してからは、それがだめになった。
今までも、おかあさんは七時ごろにならないと、仕事から帰らなかった。それまでの間は、いつも一人で待っていた。
だけど、それはそれで大丈夫だったのだ。おかあさんがもう少しで帰ってくると思うと、部屋に一人でいても平気だった。
それが、今はすっかりだめになっている。一人きりで一晩中すごさなければならないと思うと、たまらない気持だった。
アパートに着くと、まだ薄明るいのに、すぐに部屋中の灯りをつけた。そうしないと、不安でとても耐えられなかった。

おかあさんは、先月から内臓の病気で入院している。仕事と家事におわれて、働きすぎたったのが原因のようだった。
ぼくの家にはおとうさんがいなかったから、おかあさんが一人でがんばりすぎたのかもしれない。
世田谷のおばさん(おかあさんのお姉さんだ)は、入院中はこちらで一緒に暮らそうと言ってくれた。
でも、それだと、学校を一時転校しなければならない。
だから、ぼくは一人暮らしを選んだ。
そんなぼくを助けるために、おばさんは、毎週水曜日と土曜日に、大きな保冷バッグをいくつも抱えてやってくる。
おばさんは、持ってきた電子レンジでチンすればすぐに食べられるようにパックしたおかずで、うちの冷蔵庫の中を満杯にしてくれた。そして、それと入れ替わりに、ぼくが洗っておいた食べ終わった容器などは持ち帰ってくれる。
土曜日に来た時には、一緒に病院へお見舞いにも連れていってくれた。その時には、おかあさんの着替えを持って行って、一週間分の洗濯物を持って帰る。
水曜日には、何回も洗濯機を回して、一週間でたまった洗濯もしてくれて、家の中に干してくれる。狭いアパートの中は、洗濯物でいっぱいだ、
その中には、土曜日に病院から持ち帰ったおかあさんの洗濯物も交じっている。それを見ると、おかあさんが恋しくなってしまった。
おばさんは、洗濯機を回す間に部屋の掃除もしてくれた。
こうして、おばさんが家事のほとんどをやってくれるので、ぼくがやらなくていけないのは、お風呂を沸かすのと、おばさんが分別しておいてくれたゴミを出すことぐらいだった。
それに、郵便物をおかあさんに持っていったり、回覧板を回したりもしている。

 ある日、学童の帰りに、家に寄ってから、おかあさんのお見舞いに病院へ行くことにした。
 土曜日におばさんと一緒に行った時に、持っていくのを忘れた着替えがあることに気がついたからだった。持っていかないと、きっとおかあさんが困るだろう。
いつもはおばさんと一緒だったので、一人で病院へ行くのは初めてだった。
病院の平日の面会時間は、5時からだった。病院までは歩いていくと、ぼくの家からは二十分はかかる。ぼくは、それに合わせて家を出た。

 病院は、通学路から外れて大通りを越えたところにある。大通りが危ないから、一人では来ないように言われていた。
 でも、今日はそんなことはかまっていられない。大通りを渡る時、ぼくは信号が青になっても、用心して左右を十分に確認してからダッシュした。
 病院の建物は、古い木造だった。廊下も階段も、歩くたびにギシギシなった。階段の真ん中あたりは、すりへってへこんでいる。
 二階の一番奥が、おかあさんの病室だった。
部屋には、ベッドが四つあった。おかあさんのベッドは、窓際の左側だった。
病室の中はシーンと静まり返っていた。病人たちはみんな眠っているようだった。
 ぼくは、まわりの人に迷惑がかからないように、忍び足で近づいていった。
 おかあさんは、じっと目をつむって眠っていた。顔色が真っ黄色で、何だかしなびてしまったように見える。ぼくは、おかあさんの髪の毛にずいぶん白髪がまじっていることに、初めて気がついた。
(どうしようか?)
と、ぼくは困ってしまった。
 せっかく良く寝ているのに、おかあさんを起こしてしまうのは悪いと思う。
 でも、そばで目を覚ますのを待つのも、なんだか恐ろしいような気がした。
迷った末に、ぼくは、一階の待合室で、おかあさんが目覚めるのを待つことにした。家からランドセルに入れて持ってきた着替えの包みを、ベッドに作り付けになっているテーブルの上に置いて、また忍び足で病室を出ていった。 

 待合室には、いろいろな人たちがいた。
 頭に包帯をグルグルまきにしたおじさん。移動式の点滴を付けたままのおばさん。
 この病院は全館禁煙なので、タバコを吸っている人はいない。タバコを吸うには、建物の外まで出なければならなかった。おかげで、ぼくの嫌いなタバコの煙に悩まされることはなかった。
 みんなは、ぼんやりとテレビを眺めていた。テレビでは、ドラマの再放送をやっている。古いテレビのせいか、画面の色がにじんでいる。画面も上下が黒くなっていてその分小さかった。
 ぼくは、ソファーの端に腰を下ろした。ドラマには興味がないので、ランドセルからコミックスを出して読み始めることにした。
 ウーーン、ウーーン。
 突然、どこからかうめき声が聞こえてきた。ぼくは、コミックスから顔を上げた。どうやら近くの病室からのようだ。
「かわいそうにねえ。まだ若いのに」
 点滴のおばさんがいった。
「頭に水がたまって苦しいんだってよ」
 包帯のおじさんが答える。
 ぼくは体を縮めるようにして、またコミックスを読み始めた。
「ねえ、ぼく、何年生?」
 点滴のおばさんが話しかけてきた。
「三年です」
「そうかい。誰か入院してるの?」
「おかあさんが」
「そうかい、そうかい。大変だねえ」
 おばさんは、一人でうなずいていた。

 ピーポ、ピーポ。……。
 救急車のサイレンが鳴り響いてきた。
「急患でーす」
お医者さんや看護士さんたちが、あわただしく走りまわっている。
「交通事故です!」
 誰かが叫んだ。
「ストレッチャー!」
 ガチャーン。
 非常ドアが力いっぱい開けられて、救急隊員たちが入ってくる。移動式のベッドのような物の上には、患者さんが乗っているようだが、ぼくは怖くてそちらが見られなかった。
「ECU(緊急治療室)へ!」
 看護士さんが叫んでいる。みんなはすごい勢いで、ぼくのそばを駆け抜けていった。
「ぶっそうだねえ」
 包帯のおじさんがいった。
「おお、やだやだ」
 点滴のおばさんは、肩をすくめている。
 ぼくはそんな騒ぎの中で、みんなから隠れるように首を縮めて、じっとコミックスを見つめていた。
 でも、なかなかキャラクターもストーリーも頭に入ってこなかった。

「たけちゃん、やっぱり来てたのね。」
 顔を上げると、おかあさんが立っていた。ピンクのガウンをはおって、水色のスリッパをはいている。
「おかあさん!」
 ぼくは、ソファーから飛び上がるようにして立ち上がった。
 かあさんの顔色は、やっぱり黄色っぽかった。
 でも、いつものやさしい笑顔を浮かべていた。
 ぼくもけんめいに笑顔を見せようとしたが、うまくいかなかった。
「どうしたの? 何か怖いことでもあったの?」
 おかあさんが心配そうにたずねた。ぼくの顔が、こわばっていたからかもしれない 
「ううん」
 ぼくは、首を横に振った。さっきまでの恐ろしかった事は、おかあさんには言いたくなかった。
「一人では来なくてもいいよ。着替えも大丈夫。土曜日に、世田谷のおばさんと一緒に来ればいいんだから」
「うん、わかった」
 ぼくはコクリとうなずくと、一番聞きたかったことをおかあさんにたずねた。
「おかあさん、おかあさんは絶対に死なないよね」
「うんうん、たけちゃんを残して死んだりしないよ」
 おかあさんは、笑いながら答えてくれた。ぼくは、そんなおかあさんの顔をじっと見つめた。

    

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フィギュアなあなた

2022-01-22 17:10:50 | 映画

 2013年公開の日本映画です。

 何をやってもうまくいかないオタクの男性が、偶然拾った等身大の美少女フィギュアと同棲する話です。

 ストーリー自体はどうでもいいようないい加減な物なのですが、最大の見せ場は佐々木心音(ここね)の演じる美少女フィギュアでしょう。

 ほぼ完璧な肉体と美少女フィギュアに徹した演技(?)は一見の価値があります。

 それに比べると人間になった時の彼女の演技(特に台詞回し)は格段に落ちるので、かなり興ざめします。

 

 

 

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上 笙一郎「序 児童文学研究を志す人へ」児童文学研究必携初秋

2022-01-20 12:18:17 | ツイッター

 日本児童文学学会が、そのころ(1971年)急激に増えていた児童文学研究を志す人(つまりは、各大学で児童文学の講座が開設されて、そこで学ぶ学生や学会の会員も急激に増えていました)に向けて出版した手引き書(他に「日本児童文学概論」と「世界児童文学概論」も出版されました)の序文です。

 タイトルからもわかるように、序文というよりは、檄文に近い内容です(本自体にも「必携」なる文字が付されていて、当時の執筆者たちの気負った雰囲気が伝わってきます)。

1、児童文学研究の意味するもの

 一般文学と比較して児童文学研究がいかに遅れているかを慨嘆しつつ、ようやくこうした手引き書を出せるようになったことを感慨深く述べています。

 また、当時の児童文学者の背景にあった政治的立場を反映して、「児童文学を志す者は、国家というオーソリティーにたいする批判の精神を、常に持ちつづけてほしいしまた持ちつづけなくてはならない」としています。

2、児童文学研究とは何か

「「子どものための文学に関する科学」であると同時にそれ自体ひとつの「知的文学」でもあらねばならぬ」と主張しています。残念ながら、この言葉に見合った論文は、そのころもその後も非常に少ないです。

3、児童文学研究の領域と方法

 領域としては、児童文学理論、児童文学批評、児童文学史、児童文学書誌をその四領域としています。

 方法としては、文芸学的方法、歴史社会学的方法、書誌学的方法の三種類をあげています。

 さらに、補助的な方法として、哲学的方法、心理学的方法、教育学的方法、比較文学的方法、民族学的・文化人類学的方法、社会経済学的方法もあげています。

4、児童文学研究の心的基軸

 木を見て山を見ずや、その逆の山を見て木を見ずでもない、複眼的なアプローチの必要性を指摘し、モチーフとしては、投機的・功利的、知的興味的、教育的・児童文化的な責任感、人生論的のすべてを持ち合わせることを要求しています。残念ながら、それらを持ち合わせた児童文学研究者には、寡聞にして出会ったことがありません。

 

 総じて、学問分野の勃興期における、希望や気負いに満ちあふれた文章になっています。

 すでに斜陽になった(児童文学の講座は少なくなり、学会の会員数も減少しています)現在の児童文学業界(学会だけでなく、出版状況も含めて)から考えると隔世の感があります。

 私自身は、これら三冊を1976年の大学四年の時に買ったのですが、それは「ただちに児童文学の研究をする」ためでなく、全く違う業界(エレクトロニクス)で働くことを決めていたので、「いつの日か、児童文学の研究をする」ための自分自身への決意表明のようなものでした。

 その時は、こんなに早く日本の児童文学が衰退するとは夢にも思っていませんでした。

 

 

 

 

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宮沢賢治「烏の北斗七星」注文の多い料理店所収

2022-01-19 15:52:41 | 作品論

 賢治の作品には珍しく、当時の軍国主義が影を落とす作品です。
 烏の群れを一つの艦隊と見立てて、当時の軍人たちの気持ちを描いています。
 「注文の多い料理店」の新刊案内(その記事を参照してください)には、各短編についての賢治自身による紹介が載っているのですが、この作品については、非常に簡単に以下のように書かれているだけです。
「戦うものの内的感情です。」
 しかし、その後児童文学界を席巻する軍国童話とは一線を画していて、烏たちの守護神であるマジエル様(北斗七星)に、以下のように敵味方のない平和な世界を願うのでした。
(ああ、マジエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません)
 ただし、この作品が、軍国主義が本格化する1931年の満州事変よりも10年も前の1921年に書かれたこともその背景にはあるでしょう。
 大正デモクラシーにより、その後の戦前の昭和時代に比べて、はるかに自由な雰囲気で創作活動や出版活動が行われた大正時代の産物でもあると思われます。

注文の多い料理店 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社
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滑川道夫「児童文学研究の歩み 日本」児童文学研究必携所収

2022-01-18 17:15:23 | 参考文献

 日本の児童文学研究の歩みについて、江戸期、明治期、大正期に分けて、豊富な引用とともに詳細に紹介しています。

 しかし、昭和期においては、戦前についてはほとんど記述がなく、戦後に関しては門外漢の私でも知っているような有名な児童文学史の本(例えば、鳥越信「日本児童文学史研究」や藤田圭雄「日本童謡史」など)の名前を「優れた研究書」として列挙してあるだけです。

 おそらく、著者の研究分野や興味範囲によるものでしょうが、児童文学研究者向けの手引き書である本書にはふさわしくない、バランスの悪い論文になっています。

 また、文章も平易でなく、古い文献の引用を解説抜きに多用しているので、特に初学者には非常に読みづらい物になっています。

 

 

 

 

 

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宮川健郎「「箱舟」のなかでむかえる死 ― 那須正幹『ぼくらは海へ』からはじめて」

2022-01-15 17:58:14 | 参考文献

 「現代児童文学」が変質したタイミングを、児童文学研究者の石井直人は1978年とし、著者は1980年としています。
 どちらも、児童文学の「商品化の時代」(石井は那須正幹「それゆけズッコケ三人組」、著者は那須正幹「ズッコケ㊙大作戦」と矢玉四郎「はれときどきぶた」の出版をその理由としてあげています)と「タブーの崩壊(それまで「現代児童文学」ではタブーとされていた子どもの死、家庭崩壊、家出、性などを取り扱う作品が出現したことです)」(石井は国松俊英「おかしな金曜日」(その記事を参照してください)、著者は那須正幹「ぼくらは海へ」(その記事を参照してください)の出版をその理由としてあげています)を、「現代児童文学」が変質した点としていて、従来の「現代児童文学」が掲げていた「変革への意志」が変容したことを指摘しています。
 著者はそれに加えて、「子ども」という概念の歴史性が明らかになったことを、「現代児童文学」の変質の理由にあげています(柄谷行人「児童の発見(その記事を参照してください)」の発表とフィリップ・アリエス「<子供>の誕生」の翻訳化を理由としています)が、このことがどのようにその後の「現代児童文学」の作品群に影響を与えたかは明示されていません。
 著者は、ここでも「箱舟」というモチーフを使って、「ぼくらは海へ」を1969年に出版された大石真「教室205号」と比較して、児童文学の理想主義がこの時期に崩壊ないしは変質したと指摘しています。
 また、理想主義によるパターン化を脱却したオープンエンディング(結末を明示せずに読者にゆだねる)により、この作品が一種のユートピア文学(灰谷健次郎「我利馬の船出」や皿海達哉「海のメダカ」などを例にあげています)として読めることも示しています。
 そして、現代の子どもたちを取り巻く状況を従来の「現代児童文学」の方法では書き得なくなったとき、那須正幹は「ズッコケ三人組」シリーズのようなエンターテインメントの手法でそれらを描くために方向転換を図ったとしています。
 那須正幹のようなシリアスな作品(「ぼくらは海へ」や「屋根裏の遠い旅」など)とエンターテインメント作品(「ズッコケ三人組」シリーズなど)の両方を書く作家は、それぞれを区別して評価せずにトータルで評価すべきではないかと主張しています。
 この主張はもちろん正しいのですが、著者のアプローチはやや那須正幹という特定の作家の作品に沿った後追いのように思えます。
 むしろ、エンターテインメント手法の名手が那須正幹のもともとの特質であり、「児童文学の商品化」の時代においてそれが花開いたとみるべきでしょう。
 そういった意味では、「ぼくらは海へ」は「現代児童文学」作家としての那須正幹の限界であり、それと「ズッコケ三人組」シリーズの成功が、彼を主としてエンターテインメント作品の書き手になることへと転換させたのではないでしょうか。
 そして、この「商業主義化」の流れは、他の作家たちも巻き込んで児童文学界全体にどんどん広がっています。 
 それでも、出版バブルだった1980年代にはシリアスな作品も含めて多様な作品群が発表されたのですが、バブルが崩壊した1990年代に入るとその状況は一変して、しだいに商業主義的な作品しか出版されなくなってしまいます。
 このことが、「現代児童文学」を終焉させて、主として女性向け(子どもだけなく大人も)のエンターテインメントとしての現在の児童文学に変容させてしまったのです。

現代児童文学の語るもの (NHKブックス)
クリエーター情報なし
日本放送出版協会

 

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ミッドナイトスワン

2022-01-15 17:19:33 | 映画

 2020年公開の日本映画です。

 元SMAPの草なぎ剛が、トランスジェンダーの主人公を熱演して、日本アカデミー賞を獲得しています。

 トランスジェンダーの主人公が、ネグレクトされていた親戚の女の子を預かり、次第に母性に目覚めてゆくという、非常に今日的なテーマをいくつも含んでいる点が評価されたのでしょうが、映画のできは言われているほど良いものではありませんでした。

 女の子と主人公、女の子と実の母親との関係の描き方が粗雑過ぎて、両方の間で揺れ動く女の子の気持ちが良く掴めません。

 また、その過程で、女の子はバレエの才能を開花させてアメリカに留学するまでになるのですが、どうも御都合主義的で、その成功を素直に喜ぶことができませんでした。

 全体に、煽情的なシーンが多く、こうしなければトランスジェンダーの問題を描けないのか、疑問に思いました。

 また、二つの死(主人公と、女の子の親友)が暗示される描き方にも感心しませんでした。

 とにかく話題先行的で、真の映画としての魅力には欠ける作品でした。

 

 

 

 

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最上一平「ようかいじいちゃんあらわる」

2022-01-13 17:00:59 | 作品論

 「すみれちゃんとようかいばあちゃん」(その記事を参照してください)の続編です。

 今回も、すみれちゃんは、山奥で一人で暮らしているひいおばあちゃん(ようかいばあちゃん)の家にお泊まりにいきます。

 そこに、亡くなったひいおじいちゃん(ようかいじいちゃん)が現れます。

 と言っても、幽霊が現れるのではなく、家や、まわりの自然や、ようかいばあちゃんの暮らし方などのあちこちに、ようかいじいちゃんの痕跡や気配が色濃く残っているのです。

 こうして、幼い読者たちは、祖先との繋がりを、自然な形で味わうことができます。

 

 

 

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最上一平「すみれちゃんとようかいばあちゃん」

2022-01-13 17:00:02 | 作品論

 小学校低学年ぐらいの主人公の女の子、すみれちゃんと、90歳のひいおばあちゃんとの交流を描いています。

 昔ながらの生活をし、自然と交流して暮らしているひいおばあちゃんは、町で暮らすすみれちゃんには、妖怪のように思えます。

 そして、ひいおばあちゃんが住んでいる山奥の地域も、妖怪エリアなのです。

 しかし、それらは、すみれちゃんにとって、けっして怖いものではなく、魅力的なものなのです。

 それゆえ、両親がクラス会で帰省するときに、すすんで一人で山奥で暮らしているひいおばあちゃんの家にお泊りに行ったのです。

 核家族化がすすんだ現代では、こうした三世代を超えた交流は、現実には難しくなっています。

 あったとしても、それは老人ホームや病院のような特殊な環境におけるものが多いでしょう。

 そうした時、この作品はそれを補う重要な働きをしているかもしれません。

 

 

 

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宮川健郎「現代児童文学の成立と展開」児童文学 新しい潮流所収

2022-01-11 08:56:12 | 参考文献

 1980年代中ごろから1990年代中ごろまでに書かれた短編のアンソロジーのまえがきです。
 日本の児童文学の成立、現代児童文学(定義などは関連する記事を参照してください)の成立、現代児童文学の変質、などについて、それぞれ要領よくまとめられていて、最後に現在の著者の問題意識が語られて、その観点でこのアンソロジーが編まれています。

1.「子ども」の発見と日本児童文学の成立
 一般的な1891年の巌谷小波「こがね丸」刊行を起源とする説(初めての子どものための創作文学)の他に、1910年の小川未明「赤い船」刊行を近代児童文学の起点を見る意見(童話というジャンルを確立した)も紹介しています。
 どちら(前者は「富国強兵」の人材、後者は純粋でけがれのないものとして理想化した「童心主義」)においても、「子ども」という概念が近代(日本においては明治以降)において発見されたもの(アリエス(「子ども」の誕生)や柄谷行人(児童の発見))(その記事を参照してください)であることと結びつけている著者の意見は納得できるものです。

2.「童話伝統批判」と現代児童文学の出発
 小川未明や浜田広介たちの近代童話に対する、1950年代における批判や論争の上でもっとも代表的な、「「少年文学」の旗の下に!」に始まる早大童話会(後に少年文学会に改名)を中心とした批判(関連する記事を参照してください)と、石井桃子たちのグループISUMI会の「子どもと文学」による批判と評価(宮沢賢治、千葉省三、新見南吉)(関連する記事を参照してください)と佐藤忠男の「少年の理想主義について」による批判と評価(少年倶楽部)(その記事を参照してください)を紹介して、それぞれ異なる点はあるものの「子どもの立場に立つ」という点では共通しているとしています。
 そして、1959年に、有名な二つの小人物語(佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家の小人たち」)が出版されて、「現代児童文学」はスタートしたとしています。
 その上で、著者がまとめて、少なくとも研究者の間では共通理解になっている、「現代児童文学」における以下の三つの問題意識を紹介しています。
 ①「子ども」への関心 ― 児童文学が描き、読者とする「子ども」を生き生きとしたものとしてつかまえなおす。(ややわかりにくい表現ですが、ようは前述した「子どもの立場に立った」児童文学を創造するということでしょう。)
 ②散文性の獲得 ― 童話の詩的性格を克服する。(未明が童話を「わが特異な詩形」と称したことに対応しています)
 ③「変革」への意志 ― 社会変革につながる児童文学をめざす。(これは拡大解釈されて、子ども自身の変革を目指す児童文学、いわゆる「成長物語」が現代児童文学の大きな特徴になります。)
 上記の著者のまとめは、どちらかというと早大童話会(少年文学会)グループよりで、忘れてならないのが、「子どもと文学」グループが世界基準として提唱した「おもしろく、はっきりわかりやすく」というどちらかというと技術論的な主張です。
 「現代児童文学」は、これら二つのグループの主張が、混ざり合いせめぎあいながら、発展ないしは変質していきます。
 両者の主張は、初めは早大童話会グループの方が優勢でしたが、しだいに「子どもと文学」グループの主張が広く書き手の間にひろまり(技術論なので分かりやすいからでしょう)、今のエンターテインメント全盛の状況が形作られることになります。

3.現代児童文学の変質
 1978年説(児童文学研究者の石井直人の説で、それを代表する作品は、那須正幹「それいけズッコケ三人組」(エンターテインメント作品の台頭)と国松俊英「おかしな金曜日」(それまで現代児童文学でタブーとされていた離婚を取り扱った作品、その記事を参照してください))もしくは1980年説(著者の説で、それを代表する作品は、那須正幹「ぼくらは海へ」(ラストでそれまで現代児童文学でタブーとされていた主人公たちの死を暗示させる作品(はっきりとは書かずに読者の想像にゆだねる書き方も含めて、それまでの現代児童文学とは異なっているとされています。)詳しくはその記事を参照してください)と同じく那須正幹「ズッコケ㊙大作戦」(エンターテインメント作品のシリーズ化(遍歴物語化(定義などは石井直人の論文に関する記事を参照してください))と矢玉四郎「はれときどきぶた」(ナンセンス童話))を紹介しています。
 そして、ここでも、著者は自説の理由として、同じ年に翻訳や発表されたアリエス(「子ども」の誕生)や柄谷行人(児童の発見)によって「「子ども」という概念の歴史性が説かれた」こともあげていますが、他の記事にも書きましたが作品とは直接の関係はないでしょう。

4.そして、児童文学は、いま
 ここの文章は、「「児童文学」という概念消滅保険の売り出し」現代児童文学の語るもの所収」とほぼ同じですので、そちらの記事を参照してください。
 しいて違いをいえば、現代児童文学が変質した状況においても、新しい状況を描いた成長物語も書かれている例として、梨木香歩「西の魔女が死んだ」(1994年)(その記事を参照してください)と森絵都「宇宙のみなしご」(1994年)が紹介されています。

以上の日本の児童文学および現代児童文学の流れを理解したうえで、「現代児童文学」以降について考えるために、この12編からなるアンソロジーが編まれたとして、個々の作品について著者が解説を書いています。
 掲載された作品は、以下のとおりです(それぞれの記事を参照してください)。

ときありえ「森本えみちゃん」(1993年)
那須正幹「六年目のクラス会」(1984年)
森忠明「楽しい頃」(1985年)
村中季衣「たまごやきとウィンナーと」(1992年)
岩瀬成子「ダイエットクラブ」(1993年)
大石真「光る家」(1990年)
薫くみこ「はじめての歯医者さん」(1994年)
天沢退二郎「赤い凧」(1976年)
牧野節子「赤い靴」(1995年)
上野瞭「ぼくらのラブ・コール」(1995年)
あまんきみこ「かくれんぼ」(1990年)
よもぎ律子「遊太」(1994年)


児童文学―新しい潮流
クリエーター情報なし
双文社出版




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