現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

東京物語

2022-02-27 16:55:42 | 映画

 1953年公開の日本映画です。

 国内のみならず、海外でも歴史上の名画を選ぶときに、必ず上位に入る名画中の名画で、世界中の映画に影響を与えました。

 尾道に住む老夫婦(夫が七十ぐらいで、妻が六十八歳なのですが、当時の平均寿命を考えるとかなりの高齢と考えていいと思います)が思い立って、東京に住む子供たち(開業医をしている長男、美容院をしている長女、戦死した次男の嫁。その他に大阪に独身の三男が、尾道の家に独身の次女(末っ子)がいます)を訪ねます。

 生活に追われて忙しい長男一家と長女一家は、せっかく初めてはるばる(尾道から夜行で十時間以上かかるので、今で言ったら海外へ行くようなものです)やってきた両親を十分に歓待できません。

 その中で、次男の嫁だけは、二人を東京見物に連れて行ったり、狭い一間きりのアパートなのに自室で歓待したり、二人が行き場をなくした時には姑を泊めたりして、せいいっぱい親孝行をします。

 その後、母親は帰宅後に急死しますが、その時も、長男と長女は忙しさにかまけて、残された父親に対して十分に面倒をみないで、東京へひきあげます。

 次女は、葬儀後も残って後の面倒を見てくれた次男の嫁と比較して、二人を非難します。

 しかし、父親はそんな二人に不満をもらしたりはしませんでした。

 学生の頃、初めてこの映画を見た時は、二人はなんて冷淡なのだろうと、次女と同じ感想を持ちました。

 しかし、その後、自分が彼らと同じぐらいの年齢になると、はたして自分は彼らと違った対応ができただろうかと、自信がなくなりました。

 子供たちには、子供たちの生活があるのです。

 それと同じように、自分も家庭を持つと、なかなか両親の期待にはそえないものなのです。

 そして、自分がこの映画の両親と同じぐらいの年齢になると、そうした子供たちの立場がよく理解できるようになり、彼らと同じように子供たちの人生を受け入れられるようになりました。

 そうした意味では、この映画は何度見ても、その時その時で発見があるようです。

 なお、次男の嫁は、往年の大女優原節子が演じていて、その魅力がいかんなく発揮されています。

 白黒映画ですが、全編に小津安二郎監督ならではの、ローアングルを多用した、美しい映像が堪能できます。

 

 

 

 

 

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児童文学を書く上で注意すること

2022-02-26 16:34:31 | 考察

 児童文学を書こうとした場合に、注意すべきことをいくつかまとめておこうと思います。
 まず注意しなければいけない点は、いかに読者である子どもたちの関心を引くかということです。
 児童文学は、作者である大人(子どもが書いた作品もありますが、それは非常にまれなことでしょう)と子どもである読者(最近は大人(特に女性)にも、児童文学の読者は広がっていますが、ここでは便宜上一次的な読者である子どもを想定しています)。
 作者側から見れば一般文学と同様に、自分の関心に基づいて書きたいように書けばいいのですが、児童文学では読者である子ども(それが自分自身の中にある内なる子どもだとしても)を意識する必要があります。
 例えば、「戦争体験をどう伝えるか」を例にあげると、自分自身の経験(実体験に限らず上の世代や外国の人から聞いた場合も含みます)をそのままに書くのではなく、現代および未来を生きる子どもたちに、他人ごとではなく自分自身にも関係のある問題だと思ってもらえるように書く工夫が必要です(例えば、那須正幹の「ねんどの神様」(その記事を参照してください)など)。
 児童文学の場合、自分自身の子どもの頃の体験を書く事も多いと思います。
 その場合は、それを現代に置き換えて書くのか、その時代のこととして書くのかを明確にした方が成功することが多いです。
 子どもたちの風俗は時として変化します(特に高学年や中学生やヤングアダルト物は)。
 それをあいまいにして書くと、どこか作品がピンボケになってしまい、読者の印象に残りにくくなります。
 児童文学の書き方にも流行があります。
 新しい作品を読んで、自分の手法や題材が古くなっていないかをチェックする必要があります。
 よく初心者の作品で、舞台になっている国や時代が不明ないわゆる無国籍童話が書かれることがあります。
 制約がないので、一見書きやすそうですが実はこれば一番難しいのです。
 こういった作品の場合、作品で書かれている部分の外に確固たる世界が広がっているように感じられなくては、読んでいて薄っぺらく感じられます。
 一番いいのは自分自身でひとつの世界観を作り出すことですが、これはよほど才能に恵まれていなければ難しいと思います。
 そこで、もっと楽に書くならば、他人の作った世界観(例えば、トールキンの「剣と魔法」の世界など)を借りてきて、その上で二次創作することでしょう。
 他人の物でも、はっきり世界観を意識して書けば、作品のリアリティは格段に違ってくるでしょう。
 なお、いわゆるリアリズムの作品は、「現実」という世界観のもとで創作されています。
 従来、子どもにわかりやすく伝えるために、児童文学は「アクションとダイアローグ」で書かれてきました(関連する記事を参照してください)。
 それが、80年代に入って、「描写」を前面に出した「小説」的な手法で書かれる作品が増えてきました。
 結果として、児童文学の読者年齢をあげることになり、一般文学へ越境する作品や作家(江國香織や梨木香歩など)が現れました。
 児童文学は女性の読者が圧倒的に多いので、特にL文学(女性作家による女性を主人公にした女性読者のための文学)に越境は多いでしょう。
 こうした手法を幼年文学(幼稚園から小学校三年生ぐらい)に適用して、子どもたちの繊細な感情を描こうという試みもありますが、読者の受容力を考えると限界があるように思えます。
 「子どもたちの風俗をどう描くか」も大きな問題です。
 同時代性を意識しすぎて最新の風俗を描くとすぐに陳腐化してしまいますし、かといって、古い風俗(例えば作者の子ども時代)を現代の子どもに適用するのも現代の子どもたちが読んでピンとこない場合も多いと思います。
 すぐに陳腐化しないような風俗の書き方(例えば、特定のゲームやアニメの寿命は数年ですが、ゲームやアニメという仕組み自体は数十年の寿命を持っています)を工夫する必要があります。
 幼年や絵本を書くのはやさしいという誤解があります。
 本当は、それらを書くのが一番難しいのです。
 読者の受容力が限定されている中で、魅力的なキャラクターを生みだし、ひとつひとつの文章を磨き、より起承転結をはっきりさせて物語のメリハリをつけなければ、気まぐれな年少の読者たちはすぐに本を投げ出してしまいます。
 自分が書きたいのが純文学的な(変な言い方ですが)児童文学なのか、エンターテインメントなのかも、はっきり意識して書かなければなりません。
 エンターテインメントでは、リアリティの追求、細かな心理描写、社会性などよりも、魅力的でデフォルメされたキャラクター(パターン化していてもOKです)、大胆な筋運び(例え偶然を多用したとしてもかまいません)、読者へのサービス(恋愛シーンやスポーツの試合や戦闘シーンなど)などが大事です。
 実際に書き出す前に、自分が何を誰に対してどのように書くかを問うことが必要です。
 ただし、どちらの場合でも、作者が自分自身と読者と主人公のために用意された独自の世界を生みださなければならないことは言うまでもありません。
 また、自分の書き手としての強みが、ストーリーテリングにあるのか、描写力にあるのか、自分自身の体験にあるのかを、はっきり意識することも重要です。

三振をした日に読む本 (きょうはこの本読みたいな)
クリエーター情報なし
偕成社
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カジノ

2022-02-25 16:12:43 | 映画

 1995年公開のアメリカ映画です。

 70年代から80年代の、まだマフィアが牛耳っていた頃のラスベガスのカジノの内幕を実録風に描いています(原作はノンフィクションです)。

 天才ギャンブラーでカジノの実質的な経営者に成り上がった男と、その娼婦上がりの妻、それに男の幼なじみの暴力的な犯罪者を中心に、複数の関係者の視点で描いて、作品のリアリティを上げています。

 名匠マーティン・スコセッシの確かな演出と、主役を演じたロバート・デ・ニーロを初めとした、シャロン・ストーンや ジョー・ペシなどの迫真の演技が、ドラマを盛り上げています。

 現在のレジャーランド化したラスベガスとは違った、裏側に腐敗と犯罪の臭いのする虚飾の世界が、見事に描かれています。

 

 

 

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一度も撃ってません

2022-02-23 14:26:23 | 映画

 2020年公開の日本映画です。

 売れない小説家、実は伝説のヒットマンといわれる老年の男性が、本当は依頼された殺しを本物のヒットマンに依頼して、その過程を取材して、小説にしているだけだったのです。

 そんな男が、対抗する勢力のヒットマンから命を狙われるようになります。

 全体的にコメディタッチですが、豪華出演陣(主な出演者は、石橋蓮司、大楠道代、岸部一徳、桃井かおりですが、佐藤浩市、豊川悦司、妻夫木聡、井上真央、江口洋介、柄本明らがちょい役で出ています)で作った楽屋落ち的な作品になってしまっています。

 映画の雰囲気は味があるのですが、全体に懐古的で、多くの観衆はついていけないでしょう。

 

 

 

 

 

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ブーメラン・ファミリー

2022-02-21 17:06:45 | 映画

 2013年公開の韓国映画です。

 刑務所帰り(実は次男をかばって服役したようです)の長男、映画を失敗し妻には不倫された映画監督の次男(主役と思われます)、二度目の結婚に失敗した子連れバツニの妹が、訳あり(父親が生きているときから、近所の男性と不倫しています。妹はその人との子供のようです)の母親のアパートへそろって転がり込みます。

 次男の成人映画への転向、妹の三度目の結婚、妹の娘の家出、長男の闇カジノの雇われ社長就任などを巡って、家族ですったもんだします。

 悲惨な結末(長男がヤクザに殺される)かと思ったら、ラストではノホホンと生きていて(後遺症はあるみたいですが)、取ってつけたようなハッピーエンドで肩透かしをくいます。

 徹底したドタバタ・コメディのB級映画なのですが、不思議な人情味があって、昔の日本映画を見るような趣があります。

 頻出する韓国の庶民的な料理(サムギョプサルやプルコギなど)が、実にうまそうです。

 

 

 

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アナと雪の女王2

2022-02-20 14:30:08 | 映画

 超ヒットアニメ映画の続編です。
 こうしたヒット作の続編では、前作で観客に受けたところをデフォルメするのですが、この作品でも、主人公の二人の女性、アナとエルサの活躍場面をさらに強化していますが、さすがにバランスを崩さずにうまく仕上げています。
 圧倒的に美しい映像と楽曲をバックに、魔法が使えて責任感が強い美人系の姉のエルサと、普通の人間だが並はずれて勇敢なかわいい系の妹のアナといった、対照的な二人の魅力的なヒロインが、大活躍します。
 圧倒的に多数の女の子(大人の女性も)の観客は、二人のどちらかに自分の憧れの姿を投影でき、そこに軽いロマンスや家族愛などの女性にとって魅力的な要素を散りばめられていて、ディズニー映画お約束のハッピーエンディングなので冒険も安心して楽しめるのですから、この作品も大ヒット間違いないでしょう。
 さらに、こうした予定調和の世界は何度でも楽しめるのが特長なので、アナ雪ファンは、何回も映画館に行ったり、ブルーレイを買ったり、テレビでの放送を録画したり、ディズニーの配信サービスを利用したりして、繰り返し作品世界に浸れます。

アナと雪の女王2 (オリジナル・サウンドトラック)
ヴァリアス・アーティスト
Walt Disney Records
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アナと雪の女王

2022-02-20 14:26:32 | 映画

 2013年に公開されて大ヒットした、ご存じアナ雪です。
 アナと雪の女王2の記事にも書きましたが、普通の人間ですが並外れて勇敢で明るい可愛い子タイプの妹のアナと、強力(それゆえ制御できずに苦悩するわけですが)な魔法を使える賢く優しい美人タイプの姉のエルサという、女の子たちのあこがれの二人が大活躍するわけですから、女性ファンを中心として大ヒットしたのもうなずけます。
 クライマックスの心臓に突き刺さった氷のかけらをとかすのも、真実の愛を持った男性のキスではなく、互いを思いやる姉妹愛だというのも、非常に今日的で優れています。
 映画としては、アニメによるミュージカルという新しいスタイルなので、ご存じの大ヒット曲をはじめとした美しい楽曲とファンタジックな映像に彩られていて、観客を夢の世界へ連れていってくれます。
 なお、エンディングロールによると、アンデルセンの雪の女王にインスパイアされたとのことですが、雪の女王のイメージと心臓に刺さった氷をとかすというモチーフを借りただけで、完全なオリジナルストーリーです。
 なお、原題はFrozenという、世界を氷つかせるという意味と、氷のように固く閉ざした心という意味をかけた凝ったものですが、日本ではアナ雪の方が興行的には良かったでしょう。
 余談になりますが、字幕版で見たのですが、セリフは非常に簡単な英語と分かりやすい発音で作られていました。
 おそらく世界中でのヒットのためのディズニーの戦略なのでしょうが、英会話の教材にはピッタリです。

アナと雪の女王 (字幕版)
ジェニファー・リー
メーカー情報なし

 

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ロン 僕のポンコツ・ボット

2022-02-18 15:34:17 | 映画

 2021年公開のイギリス・アメリカ合作映画です。

 友達のいない少年と、彼が手に入れたポンコツのロボット型デバイス(Bボット)との友情を描いた3Dアニメです。

 作品世界では、Bボットが友達を作るには必須のアイテム(現実世界のスマホのようなもの)なのですが、主人公だけは持っていません。

 やっと手に入れたBボットのロンは不良品で、友達ができないだけでなく、いろいろな問題を起こします。

 しかし、二人でいろいろな苦労をしているうちに、いつしか友情が芽生えます。

 そう、友達を作るのではなく、ロン自身が主人公の友達になったのです。

 最後は絵に描いたようなハッピーエンドですが、映像は綺麗で迫力があり、一見の価値はあります。

 

 

 

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トイ・ストーリー4

2022-02-17 18:03:54 | 映画

 人気アニメ・シリーズの第4作です。
 ディズニーらしいハッピーエンディング・ストーリーなのですが、よく練られたストーリーで大人の鑑賞にも十分耐えられます。
 夏休みの子どもたちと引率の親たち(圧倒的に母親ですが)で満員の場内には、終始大きな笑い声が響いていました。
 そのタイミングを観察していると、子どもたちが笑うシーンと大人が笑うシーンは見事に違っています。
 子どもたちはちょっとした言葉の面白さやギャグに敏感ですし、アクションによるドタバタシーンへの反応もいいです。
 もちろん、大人たちもそういったシーンでも笑っているのでしょうが、もう少し手の込んだギャグやユーモアに対しては子どもたちよりも大人たちの笑い声の方が目立ってっていました。
 意外にオーソドックスな人間(?)関係(持ち主の子どもとおもちゃ、恋愛、男同士の友情、親子の愛情など)は目新しい物ではありませんが、その方が子どもたちにも理解しやすいのかもしれません。

 

 

 

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トイ・ストーリー2

2022-02-17 17:59:24 | 映画

 1999年公開の人気アニメシリーズの第二作です。
 前作から四年後の作品ですが、持ち主のアンディの家族の様子を見ると、映画の中の設定は前作の直後のようです。
 この作品では、おもちゃが壊れたり、持ち主が大きくなったりすることによって、おもちゃとサヨナラする日がテーマになっています。
 それは、人間側から見ると、「子どもの時代にサヨナラする日」を意味するので、児童文学の大きなモチーフの一つです。
 そして、このテーマは後に「トイ・ストーリー3」(その記事を参照してください)で、深化されてその素晴らしいラストシーンへと昇華されます。
 また、この作品でも、主人公のウッディ、アンディ、バズ・ライトイヤーの三人の友情が作品を支えています。
 特に、前作でウッディに救ってもらったバズが見せる男気は、観客の男の子たち(子供時代を忘れない大人の男性も)にはたまりません。
 また、新登場のカウガールのジェシーとかつての持ち主のエミリーとの悲しい別れ(エミリーが成長しておもちゃに関心がなくなり、ジェシーは捨てられてしまいます)が描かれ、女の子のファンも拡大されたことでしょう。
 この作品では、おもちゃを取り巻く環境の変化も巧みに取り入れられています。
 ウッディが、かつて白黒テレビ時代の操り人形劇の主人公で、関連グッズもたくさん販売され、おもちゃコレクターの間で莫大な金額で取引されるプレミアな人形だということがわかり、そのためにおもちゃ屋のオーナーに誘拐されます(最終的な行き先が日本のおもちゃ博物館だというのが笑えます)。
 テレビゲームのヒットにより、バズは大人気おもちゃになり、おもちゃ屋には多数のバズが並んでいて、「俺が本物だ」と争うのも笑えます。
 誘拐されたウッディ救出のためにお約束の冒険活劇が繰り広げられますが、結果として、従来のおもちゃのメンバーに、元気少女のジェシーやウッディの愛馬のブルズアイといった魅力的なキャラクターが仲間に加わり、アンディのおもちゃたちへの愛情も再確認でき、ディズニーらしいハッピーエンドで物語が終わります。

トイ・ストーリー2 (吹替版)
ヘレン・プロトキン,カレン・ロ・ジャクソン
メーカー情報なし
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トイ・ストーリー

2022-02-17 17:57:21 | 映画

 1995年公開の人気アニメシリーズの第一作です。
 子どもがそばにいない時におもちゃが動き出すという設定自体は、児童文学の世界では特に新しくなく、有名なところではアンデルセンの「すずの兵隊」があります。
 このシリーズの優れた点は、おもちゃたちに子どもと遊ぶということに使命感を与え、彼らがそれにプライドを持って生きていることでしょう。
 この作品では、主役のウッディが、持ち主のアンディのお気に入りの座を、誕生日プレゼントとしてやってきた宇宙ヒーロー、バズ・ライトイヤーに奪われ、葛藤する様子が描かれています。
 そして、バズもまた、自分が本物の宇宙ヒーローではなく、台湾製(中国製でないところに時代がわかりますね)のおもちゃであることを悟り、悩みます。
 隣の家のおもちゃに対して乱暴な男の子に囚われたり、アンディ一家が引っ越していったりなどの障害を乗り越えて、バズはおもちゃとしての使命を受け入れ、二人はかたい友情を育みます。
 他のおもちゃたちもそれぞれの個性を活かして活躍しますが、なんといってもこの作品では、ウッディ、バズ、アンディの三人の男の友情がたまらない魅力で、世界中の子どもたち(特に男の子たちや子どもの気持ちを忘れていない男性たち)を虜にしました。

トイ・ストーリー (吹替版)
ラルフ・グッゲンハイム,ボニー・アーノルド
メーカー情報なし


 

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チャンシルさんには福が多いね

2022-02-16 08:46:30 | 映画

 2019年公開の韓国映画です。

 支えつづけていた映画監督が急死したために、映画プロデューサーの職を失った40才の女性の話です。

 気がつけば、職だけでなく、お金も、家も、男も、子供もなく、青春は過ぎ去っていました。

 彼女と、その周辺の人々(大家さん、女優、そのフランス語の家庭教師など)との交流を、軽いコメディ・タッチで描いています。

 女優の家政婦をしながら、本当にやりたいことを探すのですが、なかなかうまくいきません。

 お決まりのように家庭教師に恋心を抱くのですが、あっさりと振られてしまいます。

 けっきょく、映画に回帰して、脚本を書きはじめるところでお話は終わります。

 この作品は監督(女性で、長く特定の監督のプロデューサーをやっていて、本作が監督としては初作品のようです)の実体験に基づいているようで、レスリー・チャン(香港の大スターで自殺しています)の幽霊が出てきたり、小津安二郎の「東京物語」の話がでたりと、かなりマニアックな映画ファン向けの作りになっています。

 こうした淡々とした日常を描く作品も、韓国映画にはあるんだなあとやや意外な感がしました。

 

 

 

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パラサイト 半地下の家族

2022-02-15 18:01:38 | 映画

 2019年公開の韓国映画です。

 建物の半地下に暮らす貧しい家族が、裕福な家族に寄生していく話です。

 ひょんなことから、兄が裕福な家の、娘の英語の家庭教師になり、そこから、芋づる式に、妹が下の子の絵画療法の先生に、父親が運転手に、母親が住み込みの家政婦になっていくプロセスは、格差社会への批判やユーモアがあって、非常におもしろかったです。

 しかし、すでにその豪邸の秘密の地下室に寄生していた別の夫婦が登場してからは、お互いに殺し合いに発展していくなど、あまりに荒唐無稽でついていけませんでした。

 特に、ラストで、裕福な家族の主人を殺害した父親が、そのまま秘密の地下室で生き延びるに至っては、韓国の警察はこんなに無能なのか(実際は違うと思いますけれど)と、驚愕しました。

 この作品が、カンヌ映画祭のパルムドールと、アカデミー賞の作品賞をダブル受賞したとは、とても信じられません。

 

 

 

 

 

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J.D.サリンジャー「バナナ魚にはもってこいの日」九つの物語所収

2022-02-13 13:25:20 | 作品論

 サリンジャーは、彼が創造したグラス家の七人兄弟姉妹のそれぞれについて、繰り返し作品に書いていますが、この短編がすべての始まりであり、また終わりでもあります。
 この短編の最後で、グラス家の長男であるシーモアは、フロリダのリゾート地のホテルでピストル自殺します。
 作中でも、第二次世界大戦後に戦場から帰還したシーモアが、精神的に病んでいたことが明示されていますが、その真相についてはほとんど語られていません。
 グラス家の兄弟姉妹を描いた様々な作品は、ある意味、「なぜ、シーモア(15歳で大学に入学し、18歳で博士号を取り、21歳で大学教授になった早熟な天才)は死ななければならなかったか?」といった命題に対して、様々な見解を提示しているともいえます。
 それらについては、それぞれの作品についての記事で言及していますが、この作品においては二人の典型的な女性によっては彼の魂は救済されなかったことだけが明らかになっています。
 一人はシーモアの妻のミュリエルで、当時の典型的な世俗的な女性で、シーモアの内面など理解しようにもできない存在として描かれています。
 もう一人は、浜辺でシーモアと遊ぶ幼女(四歳ぐらいか?)のシビルです。
 一般的に、幼い子どもは無垢な魂の象徴として描かれることが多い(サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」に出てくる主人公のホールデンの妹や弟もそれに近いです)のですが、シビルは赤裸々なほど女性性の醜い面(同性への嫉妬、限りない欲望、欲求不満、男性への要求など)の象徴として描かれています。
 こうした典型的な人物が、シーモアの死と対比的に描かれなければならなかったのか。
 そうした疑問と、自分自身の経験を彼女たちに重ね合わせた時に生じる一種の畏怖を感じざるを得ません。
 そういった意味では、同じように戦争体験で精神を病んだ飛行士が、同じく不幸な境遇にいる少女の無垢な魂によって救済された映画「シベールの日曜日」(その記事を参照してください)の方が、ラストで周囲の大人たちの無理解によって悲劇的な結末になったとしても、まだ救いがあります。

 

 

 

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宮沢賢治「やまなし(初期形)」校本宮澤賢治全集第九巻

2022-02-12 11:13:58 | 作品論

 わずか二つのシーン(作者は「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈を見てください。」と冒頭で語っています)からなる短い作品です。
 五月と十一月に、口からふく泡の大きさを競っている蟹の兄弟たちを通して、「死」と「生」を鮮やかに切り取って見せます。
 「死」を象徴しているのは五月にカワセミに仕留められてどこかへ行ってしまった「魚」で、「生」は十一月に川へ落ちていい匂いをさせながら流れていく(やがては水に沈んでおいしいお酒になります)「やまなし」が象徴しています。
 蟹の子どもたちが「魚」はどうしたのかを尋ねた時に「魚はこわい処へ行った」と答えた父親の言葉が印象に残ります。
 また、「死」を描いてから「生」を描いた順番は、児童文学的に優れている(子どもたちには「死より」も「生」の方がこれからも続いていきます)と思われます。
 「やまなし」には、その後書き換えられて新聞に発表された最終形があります。
 それについては、また別の記事に書きたいと思います。
 私が「やまなし」を初めて読んだのは18歳の時ですが、それまでにこれほど美しい文章を読んだことがありませんでした。
 特に、「クラムボンはわらったよ。」で始まるクラムボンの繰り返しにはしびれました。
 そして、美しい詩的な文章なのに、きちんと状況をとらえた散文性を兼ね備えていて、「現代児童文学(定義については他の記事を参照してください)主義者」でもある私の要求も完全に満足しています。
 それから、五十年近くがたちましたが、「やまなし」に匹敵するような美しい作品に出合ったのは数えるほどです(その中には同じ賢治の「雪渡り」も含まれています)。
 ちなみに、この全集本は、出版先に勤めていた知人に父が頼んでくれて、社内販売の八掛けで買ったものです。
 神田小川町の筑摩書房に自転車で本を取りに行って、千住の自宅までの帰り道、荷台に積んだ段ボール箱の中で本がゴトゴトと音を立てているのを聞きながらペダルを踏んだ時の嬉しさを、今でも昨日のことのように思い出せます。

童話絵本 宮沢賢治 やまなし (創作児童読物)
クリエーター情報なし
小学館



 

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