現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

バグダッドカフェ

2025-04-13 09:28:48 | 映画

 1987年公開の西ドイツ映画です。

 日本ではミニシアターで公開され、当時のミニシアター・ブームの代表作の一つです。

 アメリカの砂漠地帯で、夫とけんか別れして車を降りた中年の太ったドイツ女性が、さびれたガソリンスタンドとモーテルを併設したカフェにたどり着きます。

 そこの風変わりな住人たち(グータラな夫を家からたたき出した女主人、いつもピアノを弾いている息子と彼の赤ん坊、遊び回っている娘、なまけものの店員、そばのトレーラーで暮らすヒッピー風の老画家(往年の悪役スター、ジャック・パランスが好演しています)、モーテルで暮らす女入れ墨師など)と交流するにつれて、主人公は失った人間性を回復していきます。

 その一方で、主人公の大きな童女とも呼ぶべき容姿と振る舞い(マリアンネ・ゼーゲブレヒトが体当たりの演技を見せています)が、住人たちの人間性も回復させていきます(イライラ周囲に当たり散らしていた女主人は落ち着きを取り戻して家庭(夫も戻ってきます)も商売も軌道にのせます。息子はピアノの腕前をみんなに認められます。娘は落ち着きを取り戻して勉強も手伝いもするようになります。老画家は創作意欲をかき立たせられると同時に主人公に結婚を申し込みます)。

 主人公が、夫の荷物(別れる時にスーツケースを間違えたようです)の中にあった手品セットを独習して、みんなに披露し、それが評判をよんで、カフェも繁盛します。

 全体に大人向けのファンタジーのような趣があり、典型的なハッピーエンドなので、幸せな余韻に浸れます。

 ただし、うまくいき過ぎの感は拭えないので、「みんなが仲良しすぎる」といって途中でモーテルを去った女入れ墨師のように、作品についていけなくなる人もいるかもしれません。

 

 

 

 

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ジョゼと虎と魚たち

2025-04-10 09:14:38 | 映画

 2003年の日本映画です(2020年にアニメ映画化されましたが、未見です)。

 ノーテンキな大学生の主人公と、足が悪くてほとんど外出せずに暮らしている少女ジョゼとの出会いと別れを、時には純愛風に、時にはエロチックに描いた恋愛映画です。

 妻夫木聡、池脇千鶴、上野樹里といった、当時売り出しの若手俳優たちが生き生きと等身大の若者を演じています。

 特に、池脇千鶴の文字通り体当たりの演技が、この映画の成功を支えています。

 食事などの生活シーンのリアリティと、学校にすら通ったことのない少女といったファンタジー的な要素が、うまくバランスを取っています。

 それを表現するのに、主人公を取り合う二人の女性を、いかにも健康的な上野樹里と病的な池脇千鶴が演じていて、成功しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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飛ぶ教室

2025-04-07 09:51:36 | 映画

 2003年のドイツ映画です。

 1933年に書かれたエーリッヒ・ケストナーの児童文学の古典の映画化です。

 現代に合わせるための変更はなされていますが、驚くほど原作に忠実に作られています。

 子どものころからのケストナー・ファンである私にとっては、驚きとともに深い満足感を味合わせてくれました。

 重要な場面はほとんど原作通りに描かれていて、感動で涙があふれてくるのをとめられませんでした。

 原作との主な変更点は以下の通りです。

 主役をマルチン・ターラーではなく、ヨーニー(ヨナタン)・トロッツにしています。

 ヨーニーは詩人ではなく、作曲家にしています(代わりにマルチンを詩人にしています)。

 禁煙先生との交流の理由として、ヨーニーが拾った子犬を登場させています。

 ゼバスチアンを、クロイツカム先生の息子のルディと合体させています。

 クロイツカム先生を、校長にしています。

 敵対しているチームを、実業学校から同じ学校の帰宅生に変更しています。

 敵対チームに焼かれてしまったのを、成績表から楽譜に変更しています。

 主人公たち寄宿生を、合唱団のメンバーにしています。

 敵対チームのリーダーのエーガーラントを女の子にして、ヨーニーの相手役にしています。

 マルチンの家庭の問題を、父親の失業から両親の離婚に変更しています。

 かつて禁煙先生が姿を消した理由を、西ドイツ側への逃亡にしています(この作品の舞台は旧東ドイツになっています)。

 彼らが演じる「飛ぶ教室」の舞台を、劇でなくラップにしています。

 逆に、現代を舞台にしたのでは難しいと思われるシーンが映画化されていて驚いたのは以下の通りです。

 マッツ(マチアス)・ゼルプマンとヴァヴェルカとの決闘シーン。

 両軍の雪合戦。

 クロイツカムが、敵対チームの捕虜になるシーン。

 ウリーが校舎から飛び降りるシーン(ただし、持っていたのはこうもり傘ではなく、大きな風船に変更されています)。

 教室で、ウリーがかごに入れられて吊されるシーン。

 禁煙先生が暮らす禁煙車。

 最上級生のテオたちの社交ダンスシーン。

 全体として、ケストナーの精神である「つねに子どもたちの立場に立つ」ことが、この映画でも非常に良く受け継がれています。

 おそらく、ドイツでは、今でもケストナーや彼の作品が広く愛されているのでしょう。

 それを考えると、異国に住むケストナー・ファンとしては、とてもうれしくなります。

 

 

 

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フェリーニのローマ

2025-04-03 09:13:47 | 映画

 1972年公開のイタリア・フランス合作映画です。

 子ども時代、ローマへ出てきた青年時代、そして現代のフェリーニの目を通したローマやそこで暮らす人々を描いています。

 特にストーリーはなく、断片的なシーンの連続ですが、それを通してフェリーニ独特の、荘厳、幻想、猥雑などが一緒くたになった世界が描かれています。

 有名なシーンを列挙すると、聖職者による聖職者のためのファッションショー、低級と高級の売春の館、嵐の中の高速道路の渋滞、バイクの群れの暴走、発見されたローマ時代の壁画が外気に触れて消えていくシーン、様々な人間が又借りで住み着いているアパートメント、大家族や近所の人たちが集まる外での食事シーン、戦時中のボードヴィル・ショー、フェリーニ自身も登場するこの映画の撮影シーンなどになります。

 

 

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ジンジャーとフレッド

2025-04-02 08:15:34 | 映画

 1986年公開のイタリア映画です。

 往年のアメリカのダンス映画の大スター、ジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアのものまね芸人として、イタリアのショー・ビジネスでかつて活躍したジンジャー(本名はアメリア)とフレッド(本名はピッポ)が、30年ぶりに再会する話です。

 テレビのクリスマス特番の見世物的番組に、「あの人は今」的な感じで出演を依頼されたのです。

 盛りをとうに過ぎた男女の悲哀を、こちらも往年の大スターであるジュリエッタ・マシーナ(「道」のジェルミソーナです)とマルチェロ・マストロヤンニが、鮮やかに演じています。

 こうしたかつての大スターたちが、平然と老醜をさらけだして演じる姿勢は、日本ではあまりないかもしれません。

 特に、マストロヤンニは、さらに老けメイクを駆使して老醜を強調して、かつての二枚目スターのイメージをかなぐり捨てて見せているのには、感心させられます。

 この映画は、ある意味、監督のフェデリコ・フェリーニと、彼の作品の秘蔵っ子たち(ジュリエッタ・マシーナ(フェリーニの妻)は「道」「カビリアの夜」「魂のジュリエッタ」など、マストロヤンニは「81/2」「甘い生活」「女の都」など」)とによる、同窓会的な趣もあります。

 ただ、それだけでなく、醜悪な巨大テレビ局の実態を、痛烈に批判してみせているのは、さすがフェリーニです。

 この作品が作られた時には、フェリーニが66才、マシーナが65才、マストロヤンニが62才でした。

 今回、彼らと同年輩になって見直したので、公開時にはそれほど感じなかった人生の哀歓を、自分自身の実感を持ってまざまざと味わうことになりました。

 

 

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スケアクロウ

2025-03-28 09:52:53 | 映画

 1973年公開のアメリカのロードムービーです。
 今見ると、同性愛者への偏見などの問題点もあるのですが、ジーン・ハックマンとアル・パチーノという持ち味の違う名優が、アメリカ各地をヒッチハイクと貨物列車へのただ乗りで放浪する二人のホームレス(そのころの言葉でいえば浮浪者か?)が直面するいろいろな事件を通して、プワー・ホワイト(アメリカの貧しい白人のことで、私が初めて知った典型的な人物は1994年のリレハンメル・オリンピックにおけるトーニャ・ハーディングです)の哀しみを見事に描いています。
 プワー・ホワイトは、政治的には通常はサイレント・マジョリティですが、人口に占める割合が大きいので、大統領選挙のトランプ氏のような彼らの権利や要求を代弁すると思われる存在が現れると、急激に一大勢力として強い発言権を持つようになります。

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プラダを着た悪魔

2025-03-26 16:13:12 | 映画

 2006年公開のアメリカ映画です。

 主演のアン・ハサウェイのキュートな魅力と、カリスマ編集長役のメリル・ストリープの貫禄の演技とで、大ヒットしました。

 ジャーナリスト志望の超優秀な若い女性が、ひょんなことから場違いなファッション誌のカリスマ編集長の第二秘書になり、悪魔のような編集長の要求に悪戦苦闘する姿をコミカルに描いています。

 ストーリー自体は、完璧なハッピーエンド(編集長に後継者に指名されるもののそれを断り、小さいながら念願の新聞社に就職が決まり、仕事にかまけて気まずくなったシェフ志望の恋人ともよりが戻り、ファッション誌にいたおかげで見違えるように垢抜けします(まあ、元がいいのですから当たり前ですが))の他愛ないものですが、随所に素晴らしいファッションを満喫できて女性ファンを魅了しました。

 

 

 

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メリー・ポピンズ

2025-03-25 15:12:20 | 映画

 1964年のアメリカのミュージカル映画です。
 1934年に書かれたトラヴァースの児童文学の古典である「風にのってきたメアリー・ポピンズ」を初めとしたメアリー・ポピンズ・シリーズをもとにしていますが、基本的にはオリジナル・ストーリーです。
 ミュージカル女優だったジュリー・アンドリュースを、主役に抜擢したディズニー映画です。
 アカデミー主演女優賞を獲得した彼女の圧倒的に美しい歌声が一番の魅力なのですが、アカデミー作曲賞と歌曲賞を受賞したシャーマン兄弟の「チム・チム・チェリー」を初めとした名曲の数々が素晴らしいです。
 また、CGどころかコンピューター自体さえ一般化されていなかった時代に、実写と特殊撮影やアニメを合成した映像(アカデミー編集賞と特殊視覚効果賞も受賞しています)も当時としては画期的でした。
 アカデミー賞は受賞していませんが、相手役のディック・ヴァン・ダイクの芸達者ぶりと彼を中心としたダンスの群舞も見ものです。
 ところで、映画はメリー、原作本はメアリーになっているのが長年気になっていたのですが、今回字幕版で見たので注意して聞いてみると、俳優によって、日本語の「メリー]に近い発音の人もいますし、「メアリー」とはっきり発音している人もいるので、どちらでもいいことがはっきりしてスッキリしました。

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ジョニー・ノックスビル アクション・ポイント/ゲスの極みオトナの遊園地

2025-03-24 15:24:47 | 映画

 2018年に作られた、アメリカでカルト的人気のあるコメディアンのジョニー・ノックスビルが主演した、日本非公開の超B級コメディ映画です。
 数十年前に実在した(?)手作り感満載の超危険なオンボロ遊園地を舞台に行われる、下品でおバカで体を張って作ったドタバタコメディで、背景にある父と娘とその孫娘の愛憎などの内容はお約束通りに薄っぺらでほとんど意味がないのですが、自主規制づくめで八方美人的な現代の映画の中では異彩を放っています。
 かつては、こうしたハチャメチャムービー(「大混戦」や「ピンク・パンサー」など)やテレビドラマ(「じゃじゃ馬億万長者」や「三馬鹿大将」や「ちびっこギャング」など)が日本でも公開されたりテレビで放映されたりしたのですが、最近はお行儀のいい映画やドラマばかりなので、こういった映画を久しぶりに見ると頭が空っぽになっていい気分です。
 さらに、バックに流れる「ザ・クラッシュ」などの懐かしい曲が、雰囲気を盛り上げています。

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シェイプ・オブ・ウォーター

2025-03-21 18:01:35 | 映画

 2017年のファンタジックなアメリカ映画で、アカデミー賞で作品賞、監督賞などの四部門を受賞しました。
 アマゾンで原住民に神として崇められていた半魚人が捕獲されて、アメリカの航空宇宙研究センターに研究用として連れてこられます。
 ふとしたことから、そこで清掃員として働く言葉の不自由な(耳は聞こえます)孤独な女性と、半魚人が恋に陥ります。
 半魚人が生体解剖されると知った女性は、友人たち(同僚の黒人女性と、アパートの隣の部屋に住む写真全盛のために雑誌社を追われた初老の挿絵画家)の手助けにより、研究所を脱出させます。
 この不祥事によって地位を失いそうで必死になっているサディスティックな警備責任者に執拗に追跡されますが、最後は二人で海の中に逃げます(半魚人の超能力により、警備責任者に撃たれた傷も治り、海の中でも呼吸できるようになります)。
 非常にファンタスティックな映像(アカデミー美術賞を受賞)と音楽(アカデミー作曲賞を受賞)の中に、1962年のアメリカ(ソ連との冷戦、宇宙開発競争の真っただ中でした)が再現(絶対権力者の元帥やソ連のスパイたちや当時の富の象徴である豪華なキャデラックなども登場します)されています。
 かなり残酷だったり、性的だったりするシーンもありますが、全体は非常に美しく描かれていて、その中で弱者(障碍者、LGBT(挿絵画家はゲイのようです)、人種、動物などのマイノリティ全般)に対する差別を鋭く糾弾しています。
 主演のサリー・ホーキンスは、惜しくも受賞は逃しましたが、抜群の演技とそれまでの彼女の役(「パディントン」(その記事を参照してください)のおかあさん役などの渋い役が多い)からはあまり想像できない大胆なシーン(全裸シーンも何度かあります)への挑戦で、アカデミー主演女優賞にノミネートされました(「ブルー・ジャスミン」の主役の異母姉妹役で、アカデミー助演女優賞にはすでにノミネートされたことがあります)。
 アカデミー賞受賞式後の2018年には、他にも「しあわせの絵の具 愛を描く人モード・ルイス」、「パディントン2」(その記事を参照してください)が日本で公開されたので、彼女の多才な演技力はお馴染みの事でしょう。

 

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ストレンジャー・ザン・パラダイス

2025-03-13 09:36:19 | 映画

 1984年のジム・ジャームッシュの映画です。
 ハンガリーから来た若い女性と、彼女のいとことその相棒のチンピラ男性たち(いかさまポーカーや競馬でその日暮らしをおくっています)との奇妙な関係を、ニューヨーク(といっても、いとこの男性のアパートの中だけですが)、クリーブランド(二人のおばさんが暮らしていますが、雪に閉ざされています)、マイアミ(といっても、ほとんどはモーテルの中ですが)を舞台に描いていますが、ロードムービーの趣もあります。
 底辺で暮らす若者たちの虚無感、絶望感、刹那的な生き方などが、感覚的に表現されていて、日本でも当時の若い世代の共感を得ました。
 しかし、作品内容よりも、全編を通して、モノクロ映像で描いた場末の雰囲気や、短いカットの連続、若者言葉での断片的な会話、バックに流れるひねりのきいた音楽などの表現方法の斬新さの方が、この映画の魅力でしょう。
 娯楽重視の今の日本での外国映画公開状況では、この映画も公開当時に得られたような高い評価は得られないでしょう。

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舞踏会の手帖

2025-03-12 09:25:57 | 映画

 1937年公開のフランス映画です。
 絶世の美貌を誇る大地主の未亡人が、夫が亡くなって身辺を整理している時に、20年前に16歳で社交界にデビューした時に、初めて出た舞踏会で彼女と踊った男性たちの名前を記した手帖が出てきます。
 新しい人生を踏み出すきっかけを得ようと、弁護士(?)に頼んで彼らの居場所を探し出し、イタリアの湖畔の城を出て、彼らを訪ねるために久しぶりに故郷フランスへ旅行に出ます。
 最初の男は、十数年前に彼女が結婚することを知って自殺していて、彼の母親はそのために精神を病んで今でも彼の死を受け入れていません。
 二番目の弁護士志望の男は、弁護士にはなったものの悪の道に走り、彼女が彼の経営するキャバレーを訪れた時に警察に逮捕されます。
 三番目の音楽家の男は、彼女のために書き心を込めて演奏(ピアノ)した曲が、彼女の心を少しも動かさなかったことに絶望して、音楽家をやめて聖職者の道を選んでいました。
 四番目の詩人志望の男は、都会暮らしを捨ててアルプスの山岳ガイドになっていて、彼女もかなり惹かれるのですが、彼は彼女と一夜をすごすよりも山を選んで雪崩事故の救助に向かいます(唯一、彼だけには彼女のほうが振られた形です)、
 五番目の政治家志望の男は、希望よりはスケールが小さいものの田舎の町長になっていて、彼女が訪ねていった日はちょうど彼の女中との結婚式でしたが、長く会っていなかった不良の養子が金の無心にきて大騒動になります。
 六番目の医者志望の男は、希望通りに医者になったものの、酒で身を持ち崩してアル中の堕胎医に落ちぶれていて、彼女と再開した後で、錯乱して内縁の女を殺害してしまいます。
 七番目の男は、陽気な理髪師で三人の子どもにも恵まれていて(ただし、やはり彼女に未練があったようで、末の女の子に彼女を忘れないために同じ名前を付けています)、彼女を誘ってダンスホールへ踊りに行きます。
 そこは、かつての舞踏会とは違って大衆的な場所でしたが、かつての彼女と同じように初めての舞踏会に目を輝かせている十六歳の美少女がいました(あるいは、彼女の分身かもしれません)。
 イタリアのお城に戻った後で、八人目の男が意外にも湖の対岸の屋敷に住んでいることがわかります。
 しかし、彼女が訪ねてみると、彼は一週間前に亡くなっていて、そこにはかつてのその男にそっくりな一人息子が行く場もなく途方に暮れていました。
 結果として、この男の子を養育することに、彼女は新しい人生の意味を見出そうとしますが、その子が非常な美少年なので、あるいはこの八番目の男が、彼女が本当に好きだった相手だったのかもしれません。
 人生の悲哀や残酷さなどを、美しい映像(白黒映画ですが)と音楽にのせて、当時の名匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督が流麗に描いたので、世界中で大ヒットして、日本でも1938年に公開されて翌年のキネマ旬報外国映画ベストテンの第一位に選ばれています。
 主役のクリスティーヌは当時の美人女優マリー・ベルが演じていて、十六歳の時にはきっとこの世のものとは思えないほどの美少女だったのだと、思わせてくれます。
 そして、こうした並外れた美貌の持ち主は、本人の自覚のないまま、周囲の男性たちに深い傷を負わせるのでしょう。
 私も、生涯一度だけこの世のものとも思えないほどの美少女と出会ったことがあるのですが、幸い旅先の札幌の地下鉄で十分ほど向かい合わせの席に座っていただけなので、心に傷を負わないですみました。


 

 

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サード

2025-03-11 07:43:15 | 映画

 ふとしたことから少年院に入ることになった少年が、そこでさまざまな経験を通じて少しずつ大人へと成長していく姿を描いた青春映画の秀作です。
 映画のタイトルは、高校野球の3塁手として活躍していた主人公のニックネームからきています。
 サードは、友人のⅡBとクラスメートの女の子二人で、「どこか大きな町へ行こう」と話し合います。
 そのためにはお金が必要だと、四人は売春を始めます。
 しかし、ある日ヤクザにつかまったサードは、衝動的に殺人を起こしてしまい少年院へ入れられてしまいます。
 大人になりきれない少年の焦りや苛立ちを、朴訥ながら永島敏行がみごとに演じています。
 サードが入れられた関東朝日少年院は、三方を沼で囲まれています。
 鉄格子の中で、少年達は朝早くから点呼、掃除、食事、探索等の日課を黙々とこなしています。
 しかし、数日前、上級生のアキラがサードの優等生ぶりが気に入らずケンカをしかけたため、二人は単独室に入れられていました。
 ある日、サードの母が面会にやってきます。
 退院後の暮しをあれこれ心配する母に、サードは相変らず冷淡な態度を示しました。
 少年達が待ちこがれる社会福祉団体SBCがやってきます。
 三ヵ月に一度やって来るこの日だけが、若い女性に接する事ができるのです。
 SBCとのソフトボールの試合中、一人の少年が院に送られてきます。
 サードの友人の数学ⅡBが得意なのだけが取得なので、ⅡBと呼ばれている少年です。
 ある日、農場で一人の少年が逃走しました。
 誰とも口をきかなかった、緘黙と呼ばれる少年です。
 その騒ぎにまぎれて院の生活に馴じめないⅡBも逃走を図りますが、やがて連れ戻されます。
 サードはそんなⅡBを殴り倒します。
 走っていくなら何処までも走れと、無言で語るサードの表情には、確固とした決意が読みとれました。
 サードの頭の中に在るのは、ここへ護送される途中に垣間見た、祭りの町を走り抜ける夢でした。
 彼が「九月の町」と名付けたその町は、彼が少年から大人へと成長する時に、彷徨しながら通りすぎる青春の象徴でした。
 この作品は、サードの少年院での生活と、事件当時の男女二人ずつの高校生を描いた部分のタッチが違い、観る人によって印象が変わってしまいます。
 原作は軒上泊の『九月の街』でこれを寺山修司が脚色しているのですが、でき上がった脚本はほとんどオリジナルといってもいいほどの斬新さを見せています。
 その脚本を、東陽一が監督して映画にしています。
 前半のサードの少年院での暮らしの部分はドキュメンタリータッチに描かれ、登場人物も実名で呼ばれていて妙に現実感があります。
 そこで、主人公のサードは一見模範生を演じながら、面会に来る母親、教官の先生たち、他の収容生たち、ボランティアの人びとなどに、内面で強い反感を示しています。
 ただ、ところどころの幻想的なシーン(サードがいろいろな所を走る、収容されている少年たちが社会福祉団体SBCの若い女性たち(当時の日活ロマンポルノの女優たちが採用されていました)を強姦するところを夢想しながらマスターベーションをする、通りがかりの海辺の町の祭りの様子など)と、収容生の一人が時々つぶやく短歌などが、寺山修司ならではの感性のきらめきを感じさせます。
 それに対して、回想シーンでの四人の少年少女たちの姿は、どこか作り物めいて見えるほどドラマチックで、わざと現実感がないように描かれています。
 それを象徴するかのように、少年少女たちは、名前ではなく、サード、ⅡB、新聞部、テニス部と呼ばれています。
 狭い田舎町の閉塞感、大きな町へ出たいという夢、町を出るための資金稼ぎとして新聞部とテニス部からあっけらかんと提案された売春、四人ともセックスが未経験だったので売春の前に実際にしてみるぎこちない初体験、部活感覚でサードとⅡBが客引きをして新聞部とテニス部が一人二万円でするどこかこっけいな売春シーン、新聞部に三時間以上もしつこくセックスを強要するやくざ風の男をサードが衝動的に殺してしまった殺人など、どれもがむしろ空想の世界の中で行われたかのように現実感がありません。
 この映画は、1978年のキネマ旬報の邦画の第1位に選ばれています。
 別の記事で書いた「帰らざる日々」は、同じ年の5位(読者投票では1位)でした。
 サードを演じたのは永島敏行で、彼は委員選出と読者投票の二つのナンバーワン映画に主演していたことになります。
 当時の若者の閉塞感と過剰なエネルギーを表すのに、彼の暗い表情とたくましい肉体はうってつけだったのでしょう。
 惜しげもなくたびたび現れた新聞部を演じる森下愛子のフルヌードは、様々なアダルトビデオやかわいいアイドルたちがあふれている現在において見ても圧倒的に美しく、この映画の芸術性や思想性を理解できなくても、これだけでもこの映画を見る価値があります。
 ただ、「帰らざる日々」で竹田かほりを見た時の「悲しさ」を感じなかったのは、森下愛子が結婚後も芸能活動続けていて年をとってからの彼女の姿も見ているので、この「若く美しい」森下愛子の姿を自分の中ですでに葬っているからでしょう。
 現時点でこの映画を理解するためには、いくつかの予備知識が必要です。
 今はやりの社会学者の古市憲寿によると、日本では1973年ごろに政治運動や高度成長などのいわゆる「大きな物語」は終焉して、みんなが個別の「自分探し」を始める「後期近代」が始まったと言われています。
 また、古市によると、未来に希望が持てない現代の若者はむしろ「今」に対して幸福を感じていて、まだ未来に希望が持てた70年代の若者の方が「今」に対して不満が強かったとのことです。
 「サード」の少年少女たちが「大きな町へ行って自分の夢を探したい」というのも、現状(閉塞した今の町)に不満があり、他の世界に未来の「自分探し」を求めていたと考えることができます。
 また、脚本の寺山修司の存在も、この映画では無視できません。
 寺山修司は現在では忘れられかけていますが、当時は、短歌、詩、エッセイ、演劇、映画、競馬解説などで多面的に活躍していて、その作品世界や彼自身の独特の「暗さ」、「寂しさ」、「孤独感」、「土着性」、「閉塞感を打破するための挑発」などが、若者の心情にマッチしていて強く支持されていました。
 この映画の監督の東陽一は、その寺山修司の「美的感覚」や「世界観」を忠実に描いています。
 また、現在は「援助交際」としてありふれたものになっている女子高生売春が、まだ(特に田舎では)一般的でなくて、この映画が時代を先取りしていたことも付け加えておきたいと思います。
 現代児童文学の世界では、この映画の持つ大人への不信、アイデンティティの喪失、現状の閉塞感などは、やはり寺山修司に影響を受けている森忠明の作品などに表れています。

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ダウン・バイ・ロー

2025-03-05 09:38:11 | 映画

 1986年に公開されたジム・ジャームッシュ監督の映画です。
 留置所で知り合った三人の男が脱獄し、南部の湿地帯をさ迷い歩く話です。
 題名は「ムショ仲間」と言う意味のスラングだそうですので、そのまんまの映画です。
 ストーリー自体はいい加減なものなのですが、それはどうでもいいのです。
 荒廃した風景を切り取ったモノクロ写真の連続のような映像、しゃれた会話、三人の俳優(この映画に楽曲を提供しているシンガー・ソングライターのトム・ウェイツ、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(その記事を参照してください)でもおなじみのジョン・ルーリー、そしてなかでも異彩を放つロベルト・ベニーニ(後に「ライフ・イズ・ビューティフル」で監督主演をして、アカデミー賞やカンヌ映画祭などの賞を総なめにしています))の魅力が、画面に溢れていて観客を引きつけます。

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トイ・ストーリー4

2025-02-27 08:33:39 | 映画

 人気アニメ・シリーズの第4作です。
 ディズニーらしいハッピーエンディング・ストーリーなのですが、よく練られたストーリーで大人の鑑賞にも十分耐えられます。
 夏休みの子どもたちと引率の親たち(圧倒的に母親ですが)で満員の場内には、終始大きな笑い声が響いていました。
 そのタイミングを観察していると、子どもたちが笑うシーンと大人が笑うシーンは見事に違っています。
 子どもたちはちょっとした言葉の面白さやギャグに敏感ですし、アクションによるドタバタシーンへの反応もいいです。
 もちろん、大人たちもそういったシーンでも笑っているのでしょうが、もう少し手の込んだギャグやユーモアに対しては子どもたちよりも大人たちの笑い声の方が目立ってっていました。
 意外にオーソドックスな人間(?)関係(持ち主の子どもとおもちゃ、恋愛、男同士の友情、親子の愛情など)は目新しい物ではありませんが、その方が子どもたちにも理解しやすいのかもしれません。

 

 

 

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