現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ベルリン・天使の詩

2024-12-24 06:49:16 | 映画

 1987年のカンヌ映画祭で監督賞を受賞した、ヴィム・ヴェンダース監督の代表作(最高傑作は「パリ、テキサス」(その記事を参照してください)でしょう)の一つです。
 人々の心の声を聞いてそっと励ましていく守護天使の一人(?)が、サーカスの空中ブランコ乗りの女性に恋をして、永遠の生命を捨てて人間になる話です。
 白黒とカラーを効果的に使い分けた映像、人々の心のつぶやきをあらわす詩的で深遠な言葉の数々、戦争の傷跡が残るベルリンの荒廃した風景、そんな所でも確かに存在する人々の暖かなつながり、この映画のヒントを与えたというバンドのロック・ミュージックなどが、互いにうまく響き合っています。
 普通の映画が「散文」ならば、この映画は題名にもあるとおりに「詩」でしょう。
 やや難解ですが、一度は味わう価値があります。
 天使と人間の対比が、生きていくことの意味を考えさせてくれます。

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レオン

2024-12-23 10:59:21 | 映画

 1994年のフランス・アメリカ合作映画です。
 リュック・ベンソン得意の派手な流血シーンに溢れたアクション映画で、主役を演じたジャン・レノを一躍トップスターにしました。
 孤独な殺し屋と家族(警察の麻薬捜査局を牛耳る悪徳警官に皆殺しにされます)に疎外されている12歳の少女の純愛を描いています。
 おませな女の子とまるで子どものような(読み書きができず、いつもミルクを飲んでいます)大人の男性という組み合わせは、「シベールの日曜日」(その記事を参照してください)を思い起こさせます(1962年のフランス映画(アカデミー外国語映画賞を受賞)なので、おそらくリュック・ベンソンは少なからず影響を受けていると思われます)が、派手な銃撃戦が目立つのでこちらの方が一般受けはしましたが、イノセンスな魂の触れ合いを描いた作品としてはかなり劣ります。
 当時はジャン・レノばかりがクローズアップされましたが、少女役のナタリー・ポートマンのややこまっしゃくれているけれど魅力的な美貌と演技(16年後に、「ブラック・スワン」でアカデミー主演女優賞を受賞)、敵役の悪徳警官役のゲイリ―・オールドマンの狂気溢れる風貌と演技(24年後に「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」でアカデミー賞主演男優賞を受賞)も強く印象に残ります。

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パリ、テキサス

2024-12-16 08:46:51 | 映画

 1984年にカンヌ映画祭でパルム・ドール(最優秀賞)を受賞した、ヴィム・ヴェンダース監督のロード・ムービーの傑作です。
 四年間行方不明だった男が、弟夫婦の献身的な愛情で、人間性を取り戻していきます。
 しかし、彼は、弟夫婦が育ててくれていた七歳の息子を連れて、テキサス州ヒューストンにいると思われる若い妻(25歳ぐらい。子どもを産んだときは17か18)を探しに、車でテキサスに向かいます。
 兄弟とは? 夫婦とは? 男女とは? 父子とは? 母子とは?
 いろいろなことを考えさせてくれる映画です。
 そういった意味では、児童文学のテーマとも重なります。
 実は、NHKのBS放送を録画して四十年ぶりに見たのですが、あいにく緊急地震放送のために放映の途中で打ち切りになっていました(大災害だったのですから当然のことです)。
 しかし、続きを見るのはなかなか難しかったです。
 NHKは地震のために放送中止になった番組が多いために再放送のめどは立っていませんし(これまた当然です)、近隣のレンタルショップや図書館はどこもこの映画のDVDやビデオを持っていなくて、かなり遠くの大型のレンタルショップでようやく発見しました(ただし、ディジタルリマスター版のブルーレイだったので、放送よりもいい画質で見られました)。
 他の記事でも書きましたが、古い名画を見るのは年々難しくなっているようなので、うまい方法を考えなくてはと思い知らされました。
 
 

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ペーパームーン

2024-12-13 09:04:10 | 映画

 大恐慌後の禁酒法時代を背景にしたロードムービーです。
 母を事故で亡くした九歳の少女を、母親の知り合い(わずかだが少女の父親の可能性もある)の気のいい詐欺師が、親戚の家に送り届けるまでの珍道中が楽しいです。
 いろいろなオーソドックスな詐欺の手口が、オニール親子(実の親子です)の達者な演技(特にテータム・オニールはシャーリー・テンプル(戦前の天才子役)の再来と言われて、この映画でアカデミー助演女優賞を最年少で受賞しています)で、鮮やかに描かれています。
 ペーパームーンと言う題名は、実際には血のつながりを持たなくても一緒に過ごしていくうちに心のつながりを築いていくという意味で、少女が、裕福でやさしそうな叔母夫妻との生活よりも、根無し草のような詐欺師との暮らしを選ぶラストを暗示しています。
 子どもがたばこを吸うなど、今では許されないようなシーンもありますが、人と人のつながりを見事に描いた傑作ですし、児童文学を創作する上でも大いに参考になります。
 それしても、天才子役たちのその後は、洋の東西を問わず悲惨なことが多く、テイタムもその例にもれません。
 そんな子役たちを、ちやほやしながら搾取する大人たちの存在は許しがたいものがあります。

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モスラ対ゴジラ

2024-12-04 09:10:36 | 映画

 1964年に作られた東宝の怪獣映画です。
 2014年は、1954年の作られた「ゴジラ」の60周年ということで、盛んに古い怪獣映画がテレビでも上映されました。
 この映画は、ゴジラシリーズでは第4作目で、先行して1961年に作られた「モスラ」と対決することになります。
 これは、第3作の「キングコング対ゴジラ」が好評だったのですが、キングコングはアメリカ産の怪獣だったので、東宝の自前の人気怪獣であるモスラと戦わせることにしたのでしょう。
 「ゴジラ」「ラドン」「モスラ」などの怪獣が単独で登場する初期の映画では、「核実験反対」「公害問題」「先住民問題」などの社会批判が作品に込められていましたが、対決シリーズになってからは、「人類の敵」ゴジラ対「人類の味方」モスラといった単純な構図になってしまい、娯楽色がさらに強くなりました。
 それでも、この映画のころまでは、ラストシーンなどに「より良い社会を作っていかなければならない」などの理想主義的なセリフがスローガンのように付け加えられていましたが、やがてそれもすっかりなくなりました。
 「現代児童文学」も同様ですが、当初は「社会の変革」などの意志を持って出発したどんなジャンルも、次第に商業主義に負けて娯楽色を前面に出していき、ついには陳腐なものに成り下がるようです。

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シベールの日曜日

2024-12-02 18:36:29 | 映画

 冒頭、第一次インドシナ戦争のシーンで始まります。
 戦闘機のパイロットだったピエールは、恐怖の表情を浮かべたベトナムの少女らしい子どもの姿を目にしたとたんに撃墜されてしまいます。
 この事故により記憶を失った30才のピエールは、病院で知り合った看護婦のマドレーヌと暮らしています。
 ピエールは、数少ない理解者の芸術家のカルロスの仕事を手伝ってわずかな小遣いをもらっていますが、生活面でも経済面でもマドレーヌの庇護下で暮らしています。
 そういう点では、マドレーヌはこの映画では母性を象徴しているかもしれません。
 ある夜、ピエールは、父親に修道院の寄宿舎に預けられる形で置き去りにされた12才の少女と遭遇します。
 日曜日、寄宿舎に出かけたピエールは、面会に来た父親と間違えられてしまいます。
 それから、日曜ごとのピエールと少女の交流が続きます。
 ふたりがいつも散歩する湖の景色が、白黒のスクリーンに本当に美しく描かれています。
 特に、少女が湖に小石を投げて波紋が広がる中にふたりの姿が映り、少女が「これが私たちのおうちよ」というところは、ため息が出るほど美しいシーンです。
 少女は修道院ではフランソワーズと呼ばれていますが、それは彼女のギリシアの女神から取った名前がキリスト教的でないというので変えられたのだと、彼女はピエールに言います。
 そして、教会の屋根の風見鶏を取ってくれたら、本当の名を教えてあげるとピエールに告げます。
 ところが、ピエールは記憶を失ったときの後遺症か、高いところにあがるとめまいに襲われてしまうのでした。
 二人の日曜日ごとの交流は、子ども同士のようにほほえましいシーンの連続です。
 ピエールは、事故のショックで記憶を失うだけでなく、子ども以上に純真な心の持ち主になっています。
 そのため、二人の会話は、いつも少女の方がリードして進められます。
「私がお母さんのかわりになってあげる。」
「私が12であなたが30、13で31」と、数えていって「私が18になったら、あなたはまだ36だから結婚しましょう……」
といった会話も交わしますが、二人の交流は子どもたちによる純真なものです。
 あとで二人の交流を知って不安を訴えるマドレーヌに、芸術家のカルロスだけはピエールに理解を示します。
 戦争で過去を失った男と、家族に捨てられた少女の、孤独な者同士の魂のふれあいという関係は、なかなかまわりからは理解されません。
 クリスマスの夜を、二人は一緒に過ごすことになります。
 カルロスの家からツリーを持ち出したピエールと、寄宿舎を抜け出した少女の、二人だけのささやかで暖かいクリスマスの晩をすごします。
 いたずらっぽくほほえんだ少女がピエールに渡したマッチ箱。
 その中の紙切れに、一言「Cybele」と書かれています。
 初めてピエールに明かした名前シベール。
 これが、少女の心からのクリスマスプレゼントでした。
 ピエールは、「あとで僕もプレゼントをあげるよ。」と秘密めかした笑顔で答えます。
 そのころ、不安に駆られたマドレーヌが同僚の医者に相談したことで修道院に連絡がとんて゛大騒ぎになり、警察が少女の行方の捜索を開始していました。
 カルロスが「なんて軽はずみなことを……」といったのも後の祭りでした。
 以前の約束を覚えていたピエールは、少女が眠っている間にナイフを片手に教会の屋根によじ登って、風見鶏を取り外します。
 その時、突然ピエールは、今まで自分を悩ませていためまいなどの発作が治っていることに気がつきます。
 シベールとの交流で、ついにピエールが戦争で負った心の傷(ベトナムの少女を殺してしまったと思いこんでいます)が癒えたのです。
 そして、ナイフと風見鶏を手に、シベールの所へ戻りかけたとき、警官にピエールは発見され、少女に害意を持って近づく変質者と思われて射殺されてしまいます。
 警官が無線で報告している声が聞こえてきます。
「危ないところでした。もう少しでナイフで少女を……」
 マドレーヌやカルロスたちが、現場に駆けつけたときは全てが終わった後でした。
 警官たちに起こされて「君の名前は?」と聞かれたシベールが、あたりの状況を見て、「もう、私には名前なんかないの。誰でもなくなったの!」と泣きながら叫ぶラストシーンが印象的です。
 そして、終始静かだった映画で最後のシベールの叫びに、いきなりかぶさってくる音楽が「miserere nobis」(我らを哀れみたまえ)なのでした。
 この映画は、1962年のアカデミー外国語賞をはじめとして、数々の賞を受賞しています。
 私が今は無きぴあ(当時は100円でした)を片手に、毎日のように都内各地の名画座や自主上映会で内外の名画を見てまわっていた1970年代には、「シベールの日曜日」は雑誌で人気投票すると必ず上位に入る(たしかぴあでは1位になったこともあります)ほどの有名な映画でした。
 当時はビデオ・レンタルもなく(だいたい家庭用ビデオレコーダーもありませんでした)、映画を見るためには自分でその場所へ行くしかなかったのです。
 その代わりに、フィルムセンターや名画座や自主上映会で、少なくとも都内に住んでいれば毎日どこかで名画を見られたので、商業主義全盛の今よりもむしろ環境は良かったかもしれません。
 話は脱線しますが、小劇場の演劇も今みたいに商業主義化していなくて、やはりぴあの情報をもとに毎週のように千円以下の低料金で見にいってていました。
 当時は、つかこうへい劇団と野田秀樹の夢の遊眠社(会場は東大の駒場キャンパスが多かったです)が全盛期でした
 話を映画に戻しますと、「シベールの日曜日」は2010年にDVDが出ているのですが、どこの宅配レンタルDVD会社も在庫を持っていません。
 名画を見る唯一の頼みの綱だったシネフィル・イマジカも、とうとう商業主義に屈して、2012年3月1日に名画専門チャンネルの看板を下ろして、イマジカBSという平凡な娯楽映画チャンネルになってしまいました。
「これはDVDをアマゾンで買うしかない」と思いかかっていたのですが、「第3回午前十時の映画祭」で「シベールの日曜日」を上映することが分かって、立川まで見に行くことにしていました。
 ところが、日曜日の朝刊を何気なく見ていたら、スターチャンネルの欄に「シベールの日曜日」の文字がありました。
 「第3回午前十時の映画祭」とのタイアップで、なんとその日の午前十時に放映されるのです。
 あわてて契約の手続きをして何とか時間までにスターチャンネルが映るようになり、「シベールの日曜日」を録画することができました。
 37年ぶりに見た「シベールの日曜日」は、少しも古びることなく二十歳ごろに見たときと変わらない感動を私に与えてくれました。
 当時は、冒頭のインドシナ戦争(アメリカでなくフランスとの間でおきました)でベトナムの少女を殺したと思いこんだことから始まっていることで、一種の反戦映画ともいわれていました(当時は日本だけでなく世界的に反ベトナム戦争運動が盛んでしたから、そういった映画もたくさんありました)。
 また、キリスト教の閉鎖性に対する批判という解釈もありました(修道院では、シベールがギリシアの女神の名前だという理由で、彼女は別の名前をつけられてしまいます。ラストシーンで、教会の風見鶏をピエールが盗みます。クリスマスの日に、ピエールは殺されてシベールは永遠に名前を失います。ラストシーンで、教会音楽の一節 「我らを哀れみたまえ」が流れます)。
 しかし、一番素直な解釈は、シベールとピエールという二つの孤独な魂が邂逅する物語だとする見方でしょう。
 その過程で、ベトナムの少女を殺したと思いこんでいたピエールの心の傷が、シベールという自分と同じように孤独な少女と触れ合うことによって癒され、ピエールが自己を回復していきます
 しかし、マドレーヌや同僚たちに象徴される世俗の人たちには、シベールやピエールという疎外されている人たちの心情を正しく理解することができません。
 ラストのピエールの死とそれによりシベールが永遠に名前を失う結末は、シベールのイノセンス(純真で無垢)な魂がやはりイノセンスなピエールの魂は救済したものの、世俗的な現実には受け入れられなかったことを象徴しています。
 イノセンスな魂による別の魂の救済というと、1956年に同じくアカデミー外国語賞をとったフェデリコ・フェリーニの「道」で、ジュリエッタ・マシーナが演じた知的障碍者の女性ジェルミソーナのイノセンスな魂が、アンソニー・クイン演じる凶暴な大男ザンパノの魂を救済したラストシーンを思い浮かべます。
 また、このイノセンスな魂による人や社会の救済というのは、映画だけでなく文学、特に児童文学にとって(狭義の現代児童文学だけでなく、近代童話や現在の作品も含めて)重要なテーマの一つだと考えています(ようやくこのブログの主題につながりました)。
 私は、イノセンスな魂と、いわゆる童心主義が同じものだと考えていませんし、イノセンスな魂というのは子どもだけに宿るものだとも思っていません。
 ただ、イノセンスな魂は、抑圧される側(大人より子ども、健常者より障害者、マジョリティよりマイノリティ)に宿りやすいとは信じています(あるいは、信じたいと思っています)。
 最後に余談になりますが、この映画の人気は、シベールを演じたパトリシア・ゴッジのちょっとおませでキュートな女の子の魅力に負うところも多いと思われます。
 そして、ピエールは、成熟した女性の魅力にあふれる同棲相手のマドレーヌでなく、まだ未成熟な少女のシベールを選択します。
 そのため、近年では「シベールの日曜日」とロリータ・コンプレックスを関連付けて語られることもありますが、実際に映画を見ていただければそんな単純な映画ではないことがよくわかります。
 

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木と市長と文化会館 または七つの偶然

2024-11-30 09:17:13 | 映画

 1992年のエスプリのきいたフランス映画です。
 村の活性化のために文化会館を作ろうとする市長(本当は村長の方が正しいのではないでしょうか?)と反対派のエコロジストの校長を中心に、みんなが議論を戦わせる姿を描いたドキュメンタリータッチの映画です。
 市長や校長(この二人は直接は議論しません)を中心に、市長の愛人の女流作家、この問題を取材に来た女性フリーライター、彼女が記事を載せた政治雑誌の編集長、文化会館建設のコンペに優勝した建築家、村の英語教師、牧畜を営む老人など、様々な人が、それぞれの立場で堂々と意見を述べ合います。
 私にはあまりフランス人の知人はいないのですが、みんなこんなに議論好きなのでしょうか?
 日本では日常会話ではタブーとされる政治がらみの話(社会党と緑の党が中心)でも、フランクに自分の意見を述べ合い、反対の立場の人の意見にも感情的にならずに尊重するので、かなり衝撃的でした。
 特に、校長の10歳の娘(校長の意見にも反対の立場)が市長を論破する場面では、今の日本の児童文学が忘れている「子どもの立場に立つ」が鮮やかに実現されていて感心しました。
 校長の娘の意見の通りに、文化会館の代わりに村の人たちがみんなで集まれる緑地が作られるラストは、ちょっとハッピーエンドすぎる(しかもそこだけミュージカル風)気もしますが、まあ一種の寓話と考えればいいのかもしれません。

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ジュマンジ

2024-11-29 09:08:54 | 映画

 1995年公開のアメリカ映画です。

 1981年に出版された同名の絵本を元に作られ、同名のボードゲームのサイコロの目によって次々と不思議なことが起きます、

 CG、アニマトロニクス、ミニチュアなどを駆使した当時としては最新の特殊撮影映像と、主演のロビン・ウィリアムスを初めとした一流俳優陣によるしっかりした人間ドラマを兼ね備えた、一級のエンターテインメント作品です。

 2017年に、舞台をビデオゲームに移した続編の「ジュマンジ/ウェルカムトゥジャングル」(その記事を参照してください)が作られてヒットし、さらに続編の「ジュマンジ/ネクストレベル」(その記事を参照してください)まで作られました。

 

 

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がんばれ!ベアーズ

2024-11-28 09:02:50 | 映画

 1976年に製作されたリトルリーグを題材にしたコメディ映画です。
 飲んだくれの元マイナーリーグ選手が、お金のために問題児ばかりのポンコツチームの監督を引き受け、次第に熱中していって、元同棲相手の娘の女性ピッチャーや運動神経抜群だが不良(日本なら小学生の年齢で改造バイクを乗り回して、いつも煙草をふかして、大人の女性もナンパしています)のホームランバッターの助けも借りて、リーグの優勝決定戦に進出するという、ありがちなストーリーです。
 今だったら、日本でも上映できないようなシーン(子どもへの暴言や体罰、子どもたちの飲酒や喫煙など)が多発しますが、監督と女の子投手の擬似親子関係や、不良少年と他のチームメイトたちの和解、ライバルチームの監督親子の問題も絡めてうまくストーリーを展開しているので、特に日本ではヒットしました。
 1973年の「ペーパームーン」で史上最年少でアカデミー助演女優賞を獲得して、当時人気があった天才子役テイタム・オニールのアイドル映画という側面もあるのですが、「おかしな二人」のウォルター・マッソーや「コンバット」のヴィック・モローなどの芸達者が大人のドラマの部分を演じて全体を支えています。

 

 

 

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シング・ストリート 未来へのうた

2024-11-27 08:18:22 | 映画

 1985年のアイルランドのダブリンを舞台に、バンド活動にのめり込んでいく少年たち(14、5歳)を描いてます。
 女の子にもてたいために、男の子がバンドを始めるのは万国共通なようです。
 でも、この映画は単なる「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」ではなく、その時代の背景も描いていて作品に深みを与えています。
 取り巻いている閉塞的な状況(両親の不仲と別居(カソリック教徒なので離婚できません)、経済的な理由で転校させられた学校(強圧的な校長、落ちこぼればかりで暴力的な生徒たち)、失業者が街にあふれ若者たちが英国へ渡っていってしまう故郷など)に抵抗するように、主人公たちはバンドにうち込んでいきます。
 音楽に関するメンターである兄(大学中退で家に引きこもっています)やミューズである年上の少女(児童養護施設で暮らしています)などに導かれながら、主人公たちは音楽の腕前をあげていきます。
 デュラン・デュランやAーhaなどの80年代のヒット曲が懐かしいし、少年たちのオリジナル・ソングも素晴らしい(主題歌はマルーン5のアダム・レヴィーンが担当しています)ので音楽映画としてもよくできています。
 また、少年たちが化粧をして自分たちのミュージックビデオを撮影するというのも、MTVが世界中を席巻していた当時を彷彿とさせます。
 学校のダンスパーティで演奏する(ギグ)のシーンは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「青春デンデケデケデケ」(その記事を参照してください)を、主人公が彼女と二人で小さなモーターボートで50キロ離れたイギリスへ向かうラストシーンは「小さな恋のメロディ」(その記事を参照してください)を思い起こさせて、映画ファンにとっても懐かしさを感じさせてくれます。

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マネキン

2024-11-26 12:54:05 | 映画

 1987年公開のアメリカ映画です。

 自分で作ったマネキンに恋した男性と、彼のおかげで命を得たマネキンとの恋愛を描いた、ロマンチック・ファンタジーです。

 全体的には他愛のないドタバタ・コメディなのですが、主役を演じている二人がとてもかわいいのでついつい最後まで見てしまいます。

 マネキンは男性と二人きりの時にしか生きた女性にならなかったのですが、ラストで彼に命を救われて完全な女性になることができて、めでたしめでたしです。

 また、挿入されているダンスシーンや音楽も魅力的です。

 特に、主題歌のスターシップ「愛はとまらない」は全米No.1ヒットになったので、映画よりもこちらの方が有名でしょう。

 実際、「愛はとまらない」のミュージックビデオはこの映画の名場面集なので、それだけ見れば映画は見なくてもいいかもしれません。

 これと同じことが、「フットルース」や「フラッシュダンス」でも言えます。

 

 

 

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ブレードランナー2049

2024-11-23 11:29:08 | 映画

 世界中に熱狂的なファン(私もその一人ですが)を持つ近未来SF映画の、35年ぶりの続編(映画の中の世界では、前作の2019年(この映画は2017年封切りでもうすぐなんですけど、「2001年宇宙の旅」でも21世紀になった時に同様の感慨を持ったのですが、科学技術の発展は当時考えていたものとは違った方に進んでいるようです。一番違うのは、空飛ぶ車の実現かもしれません)から30年後が舞台)です。
 新たな傑作への期待と、前作のイメージが壊されるのではとの不安とが、半々でしたが、結果としてはそのどちらでもなく「まあまあかな」といった感じです。
 「ブレードランナー」と言えば、前作の監督のリドリー・スコットが作り上げた2019年のロサンゼルスの圧倒的なイメージ(デッドテック・フューチャー(退廃的未来)と言うんだそうです)が有名ですし、私も真っ先に大スクリーンに映された芸者さんによる「わかもと」のコマーシャル映像が浮かんでくるんですが、この作品でもセットにCGを加味して立体映像にして、より壮大なスケールで描いていてます。
 前作を踏襲したロサンゼルスのダウンタウンや廃棄物処理区域などはそれほど感心しませんでしたが、ラスベガスを思わせるかつての歓楽都市の廃墟のシーンはヒネリがあって面白かったです(ただ、いろいろなシーンで、映画会社の親会社であるSONYのロゴが出てくるのには食傷されました)。
 ドラマやアクションはまあまあといったレベルで、主人公がレプリカント(人造人間)であることもあって、「人間とは何か」という根源的なテーマに対する問いかけは前作より薄まった感じがします(レプリカントが生殖能力を持つことがこの作品のポイントなのですが、そのことの持つ意味合い(レプリカントの増産に役立つ?、人間とレプリカントとの生殖による新人類(イエス・キリストのような奇跡をもたらす存在)の創生?といったことが匂わされています)が、最後は単純なアクションシーンで締めくくってしまって中途半端なままに終わりました。
 主役のライアン・ゴズリングは、「ラ・ラ・ランド」よりもずっとはまり役で、寡黙で控えめな演技が、従順な新型レプリカント(途中までは自分が人間とレプリカントとの生殖による新人類なのではないかと思っていました)にピッタリでした。
 前作の主役だったハリソン・フォードは、今回もアクション・シーンなどを熱演していましたが、かつての若々しい彼の姿を知るものとしては、年取った彼(この映画ではそれを強調しているかもしれません)を見ると、やはりなんだか悲しくなってしまいました。
 細かいところですが、一番印象に残ったのは、主人公の恋人がAIを持ったヴァーチャル・リアリティだったことです(前作では、人間とレプリカントの恋愛がテーマの一つでした)。
 レプリカントと肉体を持たないヴァーチャル・リアリティの悲恋なのですが、その感情の動きは非常に人間的で私の心の琴線に触れてきました(そのヴァーチャル・リアリティの女性がすごく魅力的なこともあったでしょう)。
 このあたりは、2049年まで待たなくてもすぐに実現して、今は二次元の恋人を持っている現代の若者たち(特に男性)にとっては、新しいより強力な恋愛対象になるでしょう(非婚化と少子化がさらに進んでしまうかもしれませんが)。

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ブレードランナー ファイナル・カット

2024-11-23 11:26:47 | 映画

 1982年公開のSF映画「ブレードランナー」には幾つかのバージョンがあるのですが、これは2007年版です。
 2007年当時の最新技術を用いて画質や音響は改善されていますが、ストーリー自体には大きな変化はありません。
 1983年の日本公開時には、レプリカント(過酷な労働などのために作られた人造人間のことで、感情を持って人間に反乱したために抹殺命令が出されています)とブレードランナー(レプリカントを発見して抹殺する役目の警察官のような公務員です)の壮絶な戦いばかりに目がいったのですが、今回見直してみると、寿命が四年に限定されているレプリカントの悲しみや、レプリカント同士の愛情、人間(ブレイドランナー)とレプリカントの愛情などが色濃く感じられて、一種の異類婚姻譚による新しい世界の創出を暗示しているように思えました。
 実際、この世界の30年後を描いた「ブレードランナー2049」(その記事を参照してください)では、「ブレードランナー」のラストで逃亡した人間(ブレードランナー)とレプリカントの子どもが、超人類として登場します(今回「ブレードランナー2049」を見てから見直したので、特にそういった印象を受けるのかもしれませんが)。
 それにしても、この映画の舞台であった2019年11月のロサンゼルスの退廃した世界を、同じ2019年に見てみるとなかなか感慨深いものがあります。
 実際には、映画の世界のようには酸性雨は降り続いていませんが、地球温暖化による異常気象は世界中で日常化しています。
 人間の奴隷として生み出されたレプリカントはまだいませんが、故郷を追われアメリカにも入国できない移民たちや正規雇用がされずに景気によって簡単に雇止めされる人たちの悲しみは、レプリカントの悲しみに通じる物があると思われます。
 世界中で格差が拡大して富が偏在している現代では、このままいけば人間に対するレプリカントの反乱のようなことが、支配階層に対して起こってもぜんぜん不思議はありません。
 監督のリドリー・スコットの描いた2019年の世界は、お馴染みの空飛ぶ車はご愛嬌としても、現実とはあきらかに異なる点がいくつかあります。
 やはり一番大きいのは、パソコン、インターネット、スマホの不在でしょう。
 これらを実現した半導体は、やはり偉大な発明だったと思われます。
 また、日本が衰退して、中国が台頭することは予見できなかったようです。
 2019年のロサンゼルスには、怪しげな日本語が氾濫していますし、中国人とおぼしき人たちは自転車で走り回っています(1980年代は日本はバブル最盛期でしたし、中国には自転車が溢れていたので、そのイメージを払拭できなかったようです)。
 なお、この映画の原作(ストーリーはほとんど違っているので、原案と言った方が正しいでしょう)は、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(アンドロイドとは人造人間の事ですが、現在ではあまり使われていません)ですが、それが書かれたのはさらに10年以上古い1968年のことなので、いかに当時のSF小説の書き手が優れていたかがわかります。

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グラディエーター

2024-11-23 11:24:12 | 映画

 2000年に公開されたアメリカ映画です。

 アカデミー賞の作品賞を受賞し、興行的にも大成功しました。

 監督のリドリー・スコットらしい大掛かりなセットによる迫力あるシーンは、エイリアンやブレードランナー(その記事を参照してください)と並んで、この作品を彼の代表作にしました。

 新しい皇帝(前の皇帝の息子)の陰謀で、前の皇帝に愛され位を譲られようとしていた将軍が、命を狙われ、剣闘士(グラディエーター)に身をやつして、復讐(前の皇帝や彼の妻や子供が殺されました)をとげます。

 かなりご都合主義なストーリーで、非常に通俗的な作品ですが、主演のラッセル・クロウの重厚な演技(アカデミー賞の主演男優賞を受賞しました)にも助けられて、娯楽作品としては大成功しました。

 

 

 

 

 

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竜二

2024-11-21 16:24:46 | 映画

1983年公開の日本映画です。

新宿を舞台にしたやくざ映画ですが、従来の暴力を中心とした映画ではなく、家庭を持ち、子供を持ったやくざが、その生活に疑問を持ち、足を洗おうとして苦闘する姿をリアルに描いています。

脚本を書き、主演をした金子正次は、この映画の封切り直後に胃がんのために死亡し遺作となりました。

全く無名だった金子正次が主役を演じたために、かえって映画にリアリティを持たせることに成功しています。

妻役の永島暎子、舎弟役の北公次や桜金造(当時は佐藤金造)もはまり役ですし、幼い娘役を金子の実の子どもが演じたために、やくざ映画なのに奇妙な生活感を出すことに成功しています。

 

 

 

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