現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

武田勝彦「グラドウォラ=コールドフィールド物語群」若者たち解説

2025-02-28 08:52:24 | 参考文献

 訳者である鈴木武樹が、ジョン・F・グラドウォラあるいはホールデン・モリス・コールフィールドを主人公にした短編を一つのグループにまとめたのに即して解説しています。
 これらの作品は、サリンジャーの代表作である「キャッチャー・イン・ザ・ライ」ないしは、自選短編集「九つの物語」のための習作あるいは下書き的な性格を持っています。
 そのため、これらの作品自体を論ずるよりは、完成形の作品との差異やなぜそのように変化していったかを考察すべきだと思うのですが、そのあたりが中途半端になっています。
 また、アメリカ文学の流れとしての「ロマンス」から「ノヴェル」への変化についても言及していますが、こうした大きな話は限られた紙数の「解説」という場にはふさわしくなく、中途半端に終わっています。
 以下に各短編の評について述べます。

<マディスンはずれの微かな反乱>
 この作品は、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の第17章から第20章にかけての内容の、ごく断片的な下書きともいえます(その記事を参照してください)。
 しかし、著者は、それとの関連に対する考察は、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と「美しき口に、緑なりわが目は」とのあまり本質的ではない関連に触れただけで、この作品自体の評価としては、サリンジャーの巧妙なまとめ方は認めつつも完成度が低いとしています。
 この短編を読んで、ここから長編「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にどのように変化していったかを類推しようとしないのは、著者が実作経験に乏しいためと思われます。
 他の記事にも書きましたが、創作する立場から言うと、長編作品には、大きく分けると「長編構想の長編」と「短編構想の長編」があります。
 前者は、初めから長編として構想されて、全体を意識して創作される作品です。
 後者は、初めは短編構想で書きあげられて、そののちそれが膨らんだり、あるいはいくつかが組み合わさったりして、結果として長編になる作品です。
 サリンジャーは、自分自身も認めているように、本質的には短編作家です(長編は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」しかありません)。
 そうした作家の長編の創作過程を考察するためには、こうした初期短編は絶好の材料です。
 その点について、もっと掘り下げた考察をするべきでしょう。
 また、五十年以上前の文章なので仕方がないのですが、著者のジェンダー観の古さと、アメリカ人と日本人のメンタリティの違いが理解できていないことも感じられました。

<最後の賜暇の最後の日>
 平和主義者のサリンジャーの戦争批判の仕方について論じて、「エスキモーとの戦争の直前に」(その記事を参照してください)との共通点を指摘しています。
 ただ、この作品が、幾つかの点で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)のための習作の役割(詳しくはこの作品の記事を参照してください)を果たしていることが書かれていないので、物足りません。

<フランスへ来た青年>
 戦争で精神的に傷ついた青年が、妹からの手紙で救済されたことについて、「エズメのために ― 愛と背徳とをこめて」との関連で述べています。
 ここにおいても、幾つかの点で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)のための習作の役割(詳しくはこの作品の記事を参照してください)を果たしていることが書かれていないので、物足りません。
 また、当時の翻訳者が、日本と外国(この場合はアメリカ)との風俗や人間関係の違いから、読者にわかりやすくするという名目で勝手に意訳したり設定を変えたりすることについて肯定的に考えていることがほのめかされていて、驚愕しました。
 そう言えば、最近は少なくなりましたが、外国の文学作品や映画の日本でのタイトルはかなり大胆に変えられていて、オリジナルのタイトルを知って驚かされることがあります。
 もちろん、そちらの方が優れている場合もあるので、一概に良くないとは言えないのですが。
 例えば、スティーブン・キングの有名な「スタンド・バイ・ミー」は本当は主題歌のタイトルなのですが、オリジナルの「ボディ(死体)」よりはこちらの方が内容的にもしっくりします。
 サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も、初めの邦題は「危険な年頃」なんてすごい奴でしたし、日本で一番ポピュラーになっている「ライ麦畑でつかまえて」もなんだかしっくりきません。

<このサンドイッチ、マヨネーズがついていない>
 主として技巧面での解説をしていますが、この作品については「キャッチャー・イン・ザ・ライ」との関連が述べられています(詳しくはこの作品の記事を参照してください)。

<一面識もない男>
 サリンジャーの繊細な表現について肯定的な評価をしていますが、明らかな誤読か見落としがあって、この作品もまた「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の原型の一つであることに気づいていません(詳しくは、この作品の記事を参照してください)

<ぼくはいかれている>
 この短編が、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の原型であることは述べていますが(まあ、誰が読んでも明白なのですが)、それについての具体的な考察はなく将来の研究(他者の?)に委ねてしまっています(私見については、この作品の記事を参照してください)。

 

 

 

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トイ・ストーリー4

2025-02-27 08:33:39 | 映画

 人気アニメ・シリーズの第4作です。
 ディズニーらしいハッピーエンディング・ストーリーなのですが、よく練られたストーリーで大人の鑑賞にも十分耐えられます。
 夏休みの子どもたちと引率の親たち(圧倒的に母親ですが)で満員の場内には、終始大きな笑い声が響いていました。
 そのタイミングを観察していると、子どもたちが笑うシーンと大人が笑うシーンは見事に違っています。
 子どもたちはちょっとした言葉の面白さやギャグに敏感ですし、アクションによるドタバタシーンへの反応もいいです。
 もちろん、大人たちもそういったシーンでも笑っているのでしょうが、もう少し手の込んだギャグやユーモアに対しては子どもたちよりも大人たちの笑い声の方が目立ってっていました。
 意外にオーソドックスな人間(?)関係(持ち主の子どもとおもちゃ、恋愛、男同士の友情、親子の愛情など)は目新しい物ではありませんが、その方が子どもたちにも理解しやすいのかもしれません。

 

 

 

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トイ・ストーリー2

2025-02-26 09:04:16 | 映画

 1999年公開の人気アニメシリーズの第二作です。
 前作から四年後の作品ですが、持ち主のアンディの家族の様子を見ると、映画の中の設定は前作の直後のようです。
 この作品では、おもちゃが壊れたり、持ち主が大きくなったりすることによって、おもちゃとサヨナラする日がテーマになっています。
 それは、人間側から見ると、「子どもの時代にサヨナラする日」を意味するので、児童文学の大きなモチーフの一つです。
 そして、このテーマは後に「トイ・ストーリー3」(その記事を参照してください)で、深化されてその素晴らしいラストシーンへと昇華されます。
 また、この作品でも、主人公のウッディ、アンディ、バズ・ライトイヤーの三人の友情が作品を支えています。
 特に、前作でウッディに救ってもらったバズが見せる男気は、観客の男の子たち(子供時代を忘れない大人の男性も)にはたまりません。
 また、新登場のカウガールのジェシーとかつての持ち主のエミリーとの悲しい別れ(エミリーが成長しておもちゃに関心がなくなり、ジェシーは捨てられてしまいます)が描かれ、女の子のファンも拡大されたことでしょう。
 この作品では、おもちゃを取り巻く環境の変化も巧みに取り入れられています。
 ウッディが、かつて白黒テレビ時代の操り人形劇の主人公で、関連グッズもたくさん販売され、おもちゃコレクターの間で莫大な金額で取引されるプレミアな人形だということがわかり、そのためにおもちゃ屋のオーナーに誘拐されます(最終的な行き先が日本のおもちゃ博物館だというのが笑えます)。
 テレビゲームのヒットにより、バズは大人気おもちゃになり、おもちゃ屋には多数のバズが並んでいて、「俺が本物だ」と争うのも笑えます。
 誘拐されたウッディ救出のためにお約束の冒険活劇が繰り広げられますが、結果として、従来のおもちゃのメンバーに、元気少女のジェシーやウッディの愛馬のブルズアイといった魅力的なキャラクターが仲間に加わり、アンディのおもちゃたちへの愛情も再確認でき、ディズニーらしいハッピーエンドで物語が終わります。

トイ・ストーリー2 (吹替版)
ヘレン・プロトキン,カレン・ロ・ジャクソン
メーカー情報なし
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J.D.サリンジャー「シーモァ ― 序論」大工らよ、屋根の梁を高く上げよ所収

2025-02-24 09:42:18 | 作品論

 1959年に発表された、グラス家サーガの一篇です。
 グラス家七人兄妹の中心人物である長兄のシーモァについての人物論を、二歳下のバディ(作家兼大学教師)が描く形をとっています。
 しかも、シーモァの外見、考え方、性格、能力、家族内での位置づけなどを、彼の遺稿である184篇の詩を出版するために紹介する名目で書いているという、非常に凝った形式で描かれています。
 また、バディ=サリンジャーだということを匂わせる記述(「バナナ魚にもってこいの日」、「テディ」、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」らしき作品(それらの記事を参照してください)の作者であることと、この時の年齢が同じ40歳であることなど)もあって、シーモァ、バディ、ブー=ブー、ウォルト、ウェイカー、ズーイ、フラニーの七人兄妹だけでなく、サリンジャー自身も登場人物であるような不思議な感覚を味あわせてくれます。
 実際に、「バナナ魚にもってこいの日」でシーモァが31歳で自殺した時には、バディとサリンジャーは共に29歳だったわけで、そう考えるとバディが自分を描写している中年太りが始まった姿は、かつて本に載せることを許していた痩身で若々しいサリンジャーの写真からの変化が想像されて微笑ましいとともに、夭折したものだけに許されるいつまでも31歳のままで変わらないシーモァとの対比がより鮮明になります。
 筋らしい筋がない書き方は、1957年に発表された「ズーイ」(その記事を参照してください)よりさらに進んでいるため、グラス家サーガの先行作品をすべて読んでいない読者には非常に分かりにくい作品になっています(「ズーイ」は、少なくとも「フラニー」(その記事を参照してください)を読んでいれば理解が可能です)。
 その一方で、グラス家サーガのファン、特に、「なぜ、シーモァは自殺しなければならなかったか?」を考え続けている私のような人間にとっては、貴重な手掛かりに富んだ作品になっています。

 

 

 

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宮沢賢治「やまなし(初期形)」校本宮澤賢治全集第九巻

2025-02-23 09:16:19 | 作品論

 わずか二つのシーン(作者は「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈を見てください。」と冒頭で語っています)からなる短い作品です。
 五月と十一月に、口からふく泡の大きさを競っている蟹の兄弟たちを通して、「死」と「生」を鮮やかに切り取って見せます。
 「死」を象徴しているのは五月にカワセミに仕留められてどこかへ行ってしまった「魚」で、「生」は十一月に川へ落ちていい匂いをさせながら流れていく(やがては水に沈んでおいしいお酒になります)「やまなし」が象徴しています。
 蟹の子どもたちが「魚」はどうしたのかを尋ねた時に「魚はこわい処へ行った」と答えた父親の言葉が印象に残ります。
 また、「死」を描いてから「生」を描いた順番は、児童文学的に優れている(子どもたちには「死より」も「生」の方がこれからも続いていきます)と思われます。
 「やまなし」には、その後書き換えられて新聞に発表された最終形があります。
 それについては、また別の記事に書きたいと思います。
 私が「やまなし」を初めて読んだのは18歳の時ですが、それまでにこれほど美しい文章を読んだことがありませんでした。
 特に、「クラムボンはわらったよ。」で始まるクラムボンの繰り返しにはしびれました。
 そして、美しい詩的な文章なのに、きちんと状況をとらえた散文性を兼ね備えていて、「現代児童文学(定義については他の記事を参照してください)主義者」でもある私の要求も完全に満足しています。
 それから、五十年以上がたちましたが、「やまなし」に匹敵するような美しい作品に出合ったのは数えるほどです(その中には同じ賢治の「雪渡り」も含まれています)。
 ちなみに、この全集本は、出版先に勤めていた知人に父が頼んでくれて、社内販売の八掛けで買ったものです。
 神田小川町の筑摩書房に自転車で本を取りに行って、千住の自宅までの帰り道、荷台に積んだ段ボール箱の中で本がゴトゴトと音を立てているのを聞きながらペダルを踏んだ時の嬉しさを、今でも昨日のことのように思い出せます。

童話絵本 宮沢賢治 やまなし (創作児童読物)
クリエーター情報なし
小学館



 

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J.D.サリンジャー「バナナ魚にはもってこいの日」九つの物語所収

2025-02-22 09:41:54 | 作品論

 サリンジャーは、彼が創造したグラス家の七人兄弟姉妹のそれぞれについて、繰り返し作品に書いていますが、この短編がすべての始まりであり、また終わりでもあります。
 この短編の最後で、グラス家の長男であるシーモアは、フロリダのリゾート地のホテルでピストル自殺します。
 作中でも、第二次世界大戦後に戦場から帰還したシーモアが、精神的に病んでいたことが明示されていますが、その真相についてはほとんど語られていません。
 グラス家の兄弟姉妹を描いた様々な作品は、ある意味、「なぜ、シーモア(15歳で大学に入学し、18歳で博士号を取り、21歳で大学教授になった早熟な天才)は死ななければならなかったか?」といった命題に対して、様々な見解を提示しているともいえます。
 それらについては、それぞれの作品についての記事で言及していますが、この作品においては二人の典型的な女性によっては彼の魂は救済されなかったことだけが明らかになっています。
 一人はシーモアの妻のミュリエルで、当時の典型的な世俗的な女性で、シーモアの内面など理解しようにもできない存在として描かれています。
 もう一人は、浜辺でシーモアと遊ぶ幼女(四歳ぐらいか?)のシビルです。
 一般的に、幼い子どもは無垢な魂の象徴として描かれることが多い(サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」に出てくる主人公のホールデンの妹や弟もそれに近いです)のですが、シビルは赤裸々なほど女性性の醜い面(同性への嫉妬、限りない欲望、欲求不満、男性への要求など)の象徴として描かれています。
 こうした典型的な人物が、シーモアの死と対比的に描かれなければならなかったのか。
 そうした疑問と、自分自身の経験を彼女たちに重ね合わせた時に生じる一種の畏怖を感じざるを得ません。
 そういった意味では、同じように戦争体験で精神を病んだ飛行士が、同じく不幸な境遇にいる少女の無垢な魂によって救済された映画「シベールの日曜日」(その記事を参照してください)の方が、ラストで周囲の大人たちの無理解によって悲劇的な結末になったとしても、まだ救いがあります。

 

 

 

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トイ・ストーリー

2025-02-21 08:48:29 | 映画

 1995年公開の人気アニメシリーズの第一作です。
 子どもがそばにいない時におもちゃが動き出すという設定自体は、児童文学の世界では特に新しくなく、有名なところではアンデルセンの「すずの兵隊」があります。
 このシリーズの優れた点は、おもちゃたちに子どもと遊ぶということに使命感を与え、彼らがそれにプライドを持って生きていることでしょう。
 この作品では、主役のウッディが、持ち主のアンディのお気に入りの座を、誕生日プレゼントとしてやってきた宇宙ヒーロー、バズ・ライトイヤーに奪われ、葛藤する様子が描かれています。
 そして、バズもまた、自分が本物の宇宙ヒーローではなく、台湾製(中国製でないところに時代がわかりますね)のおもちゃであることを悟り、悩みます。
 隣の家のおもちゃに対して乱暴な男の子に囚われたり、アンディ一家が引っ越していったりなどの障害を乗り越えて、バズはおもちゃとしての使命を受け入れ、二人はかたい友情を育みます。
 他のおもちゃたちもそれぞれの個性を活かして活躍しますが、なんといってもこの作品では、ウッディ、バズ、アンディの三人の男の友情がたまらない魅力で、世界中の子どもたち(特に男の子たちや子どもの気持ちを忘れていない男性たち)を虜にしました。

トイ・ストーリー (吹替版)
ラルフ・グッゲンハイム,ボニー・アーノルド
メーカー情報なし


 

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東京物語

2025-02-20 11:34:33 | 映画

 1953年公開の日本映画です。

 国内のみならず、海外でも歴史上の名画を選ぶときに、必ず上位に入る名画中の名画で、世界中の映画に影響を与えました。

 尾道に住む老夫婦(夫が七十ぐらいで、妻が六十八歳なのですが、当時の平均寿命を考えるとかなりの高齢と考えていいと思います)が思い立って、東京に住む子供たち(開業医をしている長男、美容院をしている長女、戦死した次男の嫁。その他に大阪に独身の三男が、尾道の家に独身の次女(末っ子)がいます)を訪ねます。

 生活に追われて忙しい長男一家と長女一家は、せっかく初めてはるばる(尾道から夜行で十時間以上かかるので、今で言ったら海外へ行くようなものです)やってきた両親を十分に歓待できません。

 その中で、次男の嫁だけは、二人を東京見物に連れて行ったり、狭い一間きりのアパートなのに自室で歓待したり、二人が行き場をなくした時には姑を泊めたりして、せいいっぱい親孝行をします。

 その後、母親は帰宅後に急死しますが、その時も、長男と長女は忙しさにかまけて、残された父親に対して十分に面倒をみないで、東京へひきあげます。

 次女は、葬儀後も残って後の面倒を見てくれた次男の嫁と比較して、二人を非難します。

 しかし、父親はそんな二人に不満をもらしたりはしませんでした。

 学生の頃、初めてこの映画を見た時は、二人はなんて冷淡なのだろうと、次女と同じ感想を持ちました。

 しかし、その後、自分が彼らと同じぐらいの年齢になると、はたして自分は彼らと違った対応ができただろうかと、自信がなくなりました。

 子供たちには、子供たちの生活があるのです。

 それと同じように、自分も家庭を持つと、なかなか両親の期待にはそえないものなのです。

 そして、自分がこの映画の両親と同じぐらいの年齢になると、そうした子供たちの立場がよく理解できるようになり、彼らと同じように子供たちの人生を受け入れられるようになりました。

 そうした意味では、この映画は何度見ても、その時その時で発見があるようです。

 なお、次男の嫁は、往年の大女優原節子が演じていて、その魅力がいかんなく発揮されています。

 白黒映画ですが、全編に小津安二郎監督ならではの、ローアングルを多用した、美しい映像が堪能できます。

 

 

 

 

 

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J.D.サリンジャー「ズーイ」フラニーとズーイ所収

2025-02-19 16:05:00 | 作品論

 1957年に書かれたグラス家の七人兄妹の六番目であるズーイ(作品の時代設定である1955年当時は25歳で、テレビの人気俳優です)に関する作品(ただし、語り手は次兄のバディのようです)です。
 前作「フラニー」(その記事を参照してください)で、大学や恋人の世俗主義に絶望し、ひたする祈りを捧げる念仏系の宗教(キリスト教でも仏教でもかまいません)に回帰して、精神的に参って家に閉じこもってしまった妹を、あらゆる方法(ズーイ自身としては自分の殻に閉じこもろうとしている妹を激しく批判し、次兄のバディ(当時36歳の作家兼大学教師で、サリンジャー自身の分身と言われています)を装ってフラニーへ電話をして優しく慰ぶし、それがばれてからは長兄のシーモァ(バディより2歳年上で18歳で博士号を取った、秀才ぞろいのグラス家兄妹の中でも最も優秀な天才で、他の兄妹たちに大きな影響を与えていますが、7年前に自殺しています(「バナナ魚にはもってこいの日」の記事を参照してください))の遺訓を伝えて、目指していた女優として人生を全うすることがフラニーにとっての神への祈りだということを悟らせます)を使って自閉的な状況から救い出します。
 幼いころからラジオの「賢い子」という番組に出演させられた(両親が成功した芸能人だったからでしょう)ために、異常に早熟にならざるをえなかった七人兄妹(もともと知性的には優れた資質があったのだと思われますが、特にその傾向が強かったシーモァの影響を弟妹たちが強く受けました)ことと、年が離れた上二人(シーモァとバディ)が下二人(ズーイとフラニー)の教育係をかってでて、難解な文学書や宗教書を幼い二人に押し付けたことが、フラニーの悲劇とそれを救済しようとするズーイの献身(彼がフラニーが陥っている状況を一番理解しています)を生み出したと言えます。
 彼らの両親は、かつて賢く可愛かった子どもたちを無邪気に懐かしむだけで、現在の彼らを理解することはできません。
 この時20歳だったフラニー(しかし、大学にもう4年もいると書かれていますので、シーモァほどではないにしろ、かなり早熟です)は、長兄のシーモァとは18歳も年が離れていただけに特にその影響が強かったようで、ズーイに「バディと電話で話すか?」と問われた時に、「私が話したいのはシーモァ」と答えていたのは痛切でしたが、一方で彼女の魂の救済方法を暗示していました。
 そのため、賢明なズーイはそれを察して、偽バディの電話とシーモァの遺訓によって、フラニーを救済することに成功したのでした。
 さらに、七人兄妹の中で、この二人が一番容姿に恵まれていると書かれていますので、他の兄妹にはないずば抜けた才色兼備であるがゆえの苦悩も、彼らの共通点としてあったことでしょう。
 結果として、ズーイはそれを逆手にとってテレビ俳優として成功(業界には不満があるようですが)し、フラニーも同じ道(ただし舞台女優志望のようですが)を歩もうとしています。
 なお、この作品の解説や評論には、フラニーが精神分裂症に罹ったという文章を見かけますが、正しいフラニーの状況は当時の言葉で言えばナーバス・ブレイクダウン(神経衰弱)だったと思われます。
 だから、兄妹とはいえ医学に素人のズーイ(もちろん、バディやシーモァまで繰り出した彼のアイデアは素晴らしいのですが)でも救済できたわけで、精神分裂症(現在の言葉では統合失調症)ではこんなに簡単には治らなかったでしょう。
 また、この作品では、グラス家の兄妹がシーモァ(15歳で大学入学、18歳で博士号習得)やフラニー(16歳で大学入学)を初めとして、日本にはない(現在は限定的に存在しますが)いわゆる飛び級をしていることがうかがわれますが、そのことが彼らの孤独(それゆえに兄妹のきずなは強い)にどんな影響があったかは言及されていませんが、なんらかの影響があった可能性はあると思われます。
 一方で、飛び級がないための悲劇(教育制度が平均的な子どもに合わせて作られていて、それについていけない子どもたちに対する救済策はありますが、通常の授業(私立や国立のエリート校の授業でも、その差はたかが知れています)ではすでに知っていることばかりで何も得られない子どもたちに対しては、日本では救済策はまったくありません。
 私事で恐縮ですが、私自身も小中学校では授業に全く関心が持てずに(知っていることばかりなので)、授業中に自分のやりたいことを勝手にやっていたので、毎日のように廊下に立たされたり、教室の前の方に正座させられたりしていました(今だったら体罰にあたるかもしれません)。
 受験体制をドロップアウトすることを決めて、高校で私立大学の付属校に進んでから、自分の専門分野だけを異常に詳しく教える(大学受験がないので)教師たち(全員が修士以上の学歴で、大学の研究者と掛け持ちの人たちもいました)に出会って、本当の勉強のやり方(自分でテーマを決めて、できるだけ詳しく調べて(当時はコンピュータやインターネットがないので、図書館(高校の図書館だけでなく、あちこちの公立図書館も)からできるだけたくさんの関連書籍を借りて読みあさるぐらいしか方法がありませんでした)、自分の考えを文章にまとめる)を学びました。
 三年生の時の日本史の授業では、毎学期一回、担当教師に代わって授業をヒトコマ(五十分)する機会があり、今でもその時のテーマを三つとも覚えています(一学期が「憶良と旅人」(万葉集における山上憶良と大伴旅人の比較研究です)、二学期が「記紀のヤマトタケルノミコト」(古事記と日本書紀におけるヤマトタケルノミコトの比較研究です)、三学期が「江戸の遊郭」(江戸における遊郭の制度と、文化や文学に対する影響についてです))。
 小中学校のころから、普通の教育以外に、こうした自分が興味を持てる分野の自由研究(もちろん理科系のテーマも含めて)をサポートする仕組みが公にあれば、もっと有意義な勉強を早くから受けられる子どもたちが数多くいることと思われます。
 専門家以外が英語やプログラミングを教えるなんてまったく無意味なことに、莫大なお金や時間を使うぐらいなら、比べ物にならないぐらい小さな費用で将来の日本や世界に貢献できる人材を育成できると思うのですが。

 

 









 

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J.D.サリンジャー「フラニー」フラニーとズーイ所収

2025-02-18 10:16:18 | 作品論

 サリンジャーの作品全体の大きな転換点になった作品で、グラス家サーガ(年代記)にとっても重要なポジションを占めます。
 東部の名門女子大生のフラニー(グラス家の七人兄妹の末っ子)は、イェール大学との対抗戦(おそらくアメリカンフットボール)が行われる週末に、恋人の大学生(おそらくプリンストン大学)を訪ねます。
 冒頭のプラットフォームでの再会(恋人がフラニーからの手紙を読むシーンも含めて)を除くと、こじゃれたレストランでの二人の会話(恋人は旺盛な食欲を示しますが、フラニーはマティーニを二杯飲んだ以外は何も食べずに、煙草を吸い続けていました)だけで構成されています。
 フラニーは当時のエリート層における完璧な服装をした美人なのですが、ここでは手紙と再会シーンで示した久しぶりに恋人に再会する若い女性らしいかわいらしさはみじんもなく、世俗的な人々に囲まれた大学生活に絶望し、宗教(キリスト教でも、仏教でもかまわないのですが、ただひたすら祈りを捧げる、仏教で言えば念仏宗的な素朴なものに魅かれています)に回帰しようとしています。
 そうしたフラニーを、世俗的人物の典型(決して悪い人間ではないのはところどころに現れる彼の素の部分に現れているのですが、他の大学生や大学の教員たちと同様に、エリート主義あるいは教養主義の鎧でガチガチに身を固めています)として描かれている恋人にはまったく理解不能です。
 こうした作品が1955年に発表されたことは、二重の意味で重要です。
 ひとつは、サリンジャー自身の体験や当時彼が置かれていた状況です。
 1951年に出版した「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)が大ベストセラーになり、サリンジャー自身も超有名人になって、それをめぐる周囲の大騒ぎに巻き込まれたことに嫌気がさしていました(一時ヨーロッパへ避難したり、帰国後もニューヨークから転居したりしていました)。
 また、転居先では周囲(高校生や大学生が中心)と交流していましたが、彼らとの信頼関係を裏切られる事件があって、周囲との関係を断ちました。
 その一方で、周囲と交流中に知り合った女子大生(フラニーのモデルの可能性もあります)と結婚(「フラニー」は彼女への結婚プレゼントとも言われています)して、子どもも生まれました。
 もう一つの意味は、当時のアメリカ、特にエリート層の状況です。
 他の記事にも書きましたが、当時のアメリカは「黄金の五十年代」と呼ばれる空前の好況期にあって、田舎町の高校生でも自分の大きなアメ車(当たり前ですが)を乗り回していました。
 映画「アメリカン・グラフィティ」の世界(ただし、ルーカスは1944年生まれなので、時代は1960年ごろと思われます)ですね。
 ボブ・グリーンの「17歳」という小説の時代はやや後の1964年ですが、もっと詳しく同様の様子が書かれています。
 ましてや、エリート層の子弟たちは、この作品で描かれているような鼻持ちならない暮らしぶりだったのでしょう。
 大学(いわゆるアイビーリーグの有名私立大学)に通うにしても、現代のように、MBAを取ったり、医者や会計士の資格を取ったりするばかりが目的でなく、ここで描かれたような文学論、演劇論、宗教論を戦わす教養主義真っ盛りの時代だったので、大学では将来の社交に必要な教養を学んで、卒業後は家業を継ぐ男性たちが多かったと思われます(サリンジャー自身もその一人です)。
 女子大生が大学に通う目的も、将来の職業のためよりも、同じようなエリート層の男性と知り合って結婚し(サリンジャーの妻も同様の早い結婚を経験しています)、卒業後は彼と一緒に社交をこなすための教養が必要だったのです。
 こうした状況に適応できなかったフラニーが、素朴な宗教(質よりも量を重視して、ひたすら祈ります)に回帰したのも無理のないことです。
 さて、この本が出版されてから70年がたち、日本だけでなくアメリカでも教養主義は見る影もなく衰退してしまいました。
 竹内洋「教養主義の没落」(その記事を参照してください)によると、日本の大学での教養主義の時代は1970年ごろまでだったそうです。
 それはアメリカも同様で、1980年代の初めにアメリカの会社の研究所に行っていた時に知り合ったアメリカ人(WASP(白人(ホワイト)で、アングロサクソンで、プロテスタント))の友人は、理系の博士号を持っていましたが、専門書以外の本はほとんど読んだことがないと言っていました。
 こうした状況の現代の読者がこの作品を読んでも、フラニーや恋人の人物像を正しく理解するのは難しいかもしれません。
 しかし、フラニーが陥った現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていくリアリティの希薄化、社会への不適合など)は、形を変えて現在ではより広い社会層や年代の人たちにも広がっています。
 そうした点では、グラス家サーガでこうした問題を描こうとしたサリンジャーの作品について考えることは、新たな意味を持っていると思っています。




 

 

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ストリート・オブ・ファイヤー

2025-02-15 16:39:02 | 映画

 1984年公開のアメリカ映画です。

 同じウォルター・ヒルが監督した「ウォリアーズ」(その記事を参照してください)と同様に、健全な(?)暴力映画です(銃撃戦や乱闘シーンの連続なのに、誰も死なないし、大怪我もしない)。

 そのころ人気のあったダイアン・レインが演ずる(歌はもちろん口パクです)歌姫が、故郷の六十年代を思わせる下町の劇場で凱旋公演中に、ストリート・ギャングの集団にさらわれます。

 姉からその知らせを聞いた、マイケル・パレ演ずる主人公(歌姫の元カレで、かっこいいスーパーヒーローです)が、二年ぶりに帰郷します。

 彼は、彼女のマネージャー(こうしたアメリカ映画に欠かせない眼鏡チビキャラです)と、酒場で知り合った女兵士と、三人で救出に向かいます。

 ストーリー自体は、白馬に乗った王子様が、さらわれたお姫様を助けに行くお伽話ですが、全編にかっこいいセリフと映像と音楽と衣装(アルマーニです)にあふれていて、魅力たっぷりです。

 特に音楽は、全米ヒットチャートの上位に入った曲が何曲もあって、そのステージシーンは迫力満点です。

 

 

 

 

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仁義なき戦い

2025-02-14 09:13:25 | 映画

 1973年に封切られた実録やくざ映画の元祖です。
 映画雑誌のキネマ旬報が2009年に実施した日本映画ベストテンのオールタイムベストで第5位にランクインしています。
 もちろんバイオレンスを前面に出した娯楽作なのですが、菅原文太、松方弘樹、梅宮辰夫たちが若々しい演技を見せて、青春群像劇と捉えることもできます。
 ハンディカメラも多用したライヴ感、大胆な筋立て、実録映画ならではのリアリティ、スピーディな場面展開など、現在見ても少しも色あせていません。
 戦後の風俗の描写は最低限に抑えて、登場人物の行動と会話だけで、テンポよくストーリーが進みます。
 他の記事で書いた「現代児童文学」の特徴である「アクションとダイアローグ」がいかに物語を描くのに適しているかが、ここでも証明されています。
 児童文学の世界でも、かつては、柴田道子が疎開生活を描いた「谷間の底から」や鈴木実たちが基地問題を描いた「山が泣いている」などの実録物の作品がありましたが、社会主義リアリズムが退潮になるにつれて姿を消しました。
 現代の子どもたちの生活に肉薄した実録物の作品があってもいいと思われますが、現在の出版状況では本にするのは難しいでしょう。

 

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アメリカン・グラフィティ

2025-02-13 08:33:25 | 映画

 1973年公開のアメリカ映画です。
 スター・ウォーズを作る前の、まだ二十代のジョージ・ルーカスが監督した青春映画の傑作です。
 オールナイトで、町を車で流すアメリカの高校生や短大生たちの、若いエネルギーに満ち溢れた一晩を、伝説のDJ、ウルフマン・ジャック(実際に出演しています)が流すオールディーズのヒット・ナンバーにのせて、鮮やかに描いています。
 西部の田舎町に住む優等生の男の子が、ハイ・スクールを卒業して、奨学金を得て東部の大学へ行く前夜で、彼は本当に出発するかどうか、一晩中悩みます。
 背景を説明すると、当時(今でもそうかもしれませんが)、アメリカの田舎町の高校生が地元の奨学金を得て、東部のアイビーリーグに代表されるエリート大学に進むことは、郷土の期待を一身に背負うことであり、全国から集まってきた秀才たちがしのぎを削る戦いの場へ参加することも意味します(実際に、半年で挫折して郷里へ戻ったハイ・スクールの教師が登場します)。
 「期待に応えられるか?」「競争に耐えられるか?」と、主役の少年が思い悩むのも当然ですし、一緒に行くはずだった生徒会長の少年は、大学よりガールフレンド(主役の少年の妹で来年のチアリーダー(美人で成績優秀を意味します)に選ばれています)を選んで、取り敢えず一年間は地元に残ることを選択します。
 主人公は、その晩町で見かけた絶世の美女(白いサンダーバードに乗っています)に別れを告げて、東部へ飛行機で旅立ちます。
 この美女は、主人公にとっては青春の象徴と思われますので、それに別れを告げたのは彼が大人になることを決意したことを意味します。
 さて、この作品では、多くの高校生や短大生が自分のアメ車(当たり前ですが)を持っていますが、これはファンタジーの世界ではなく現実の世界なのです。
 この映画の時代設定がいつなのかは明示されていませんが、ケネディ大統領の名前が出てくるので1962年前後と思われます。
 当時のアメリカは黄金の50年代と言われた好景気をうけて、なおかつベトナム戦争の泥沼に引き込まれる前(エンドロールで、主要な役の少年の一人が1965年にベトナムで戦死したことが示されます)なので、日本で言えばバブル期のようなもので、高校生が自分の車を持っていることは当たり前なのです(他の記事にも書きましたが、ボブ・グリーン「17歳」には、1964年の誕生プレゼントに車をもらうシーンが出てきます)。
 言ってみれば、この映画は、高校生たちの青春を描いただけでなく、古き佳きアメリカの「青春時代」を描いたことになります(題名は、それを意味しているのでしょう)
 主役の少年を演じたリチャード・ドレイファスは、当時25、6歳だったのでさすがの演技を見せていますが、他の少年たちも、後に監督として大成するロン・ハワードや「アンタッチャブル」で活躍したチャールズ・マーティン・スミスなどが演じています。
 また、無名時代のハリソン・フォードもチョイ役で出演しています。


















 

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色川武大「離婚」離婚所収

2025-02-12 09:15:26 | 参考文献

 昭和53年に直木賞を受賞した短編です。
 フリーライターとその妻の、不思議な結婚及び離婚の様子を描いています。
 自由気ままな暮らしをしている主人公と、それに輪をかけてフリーな妻は、六年間の結婚生活を解消して離婚しますが、その後もつかず離れずの関係で、半同棲のような暮らしをしています。
 結婚制度というある意味自由を縛り合う関係で暮らしている一般人(現代では生涯未婚の人も多いですが)から見ると、自由で無責任でうらやましいと思う面もあります。
 特に、主人公の妻は、傷ついた小動物のようなところとフラッパーな面を兼ね備えていて、なかなか魅力的に描けています。
 作者は、ペンネームの阿佐田哲也(「朝だ、徹夜」のシャレ)でたくさんの麻雀小説(代表作は「麻雀放浪記」)を書き、ギャンブラーとしても非常に有名で、当時は若い世代に人気がありました。
 この作品に、どこまで作者の実体験が生かされているかは分かりませんが、フリーランスの生活の魅力と危険性がよく表れています。
 作者は、ギャンブル小説のような好奇な風俗ものだけではなく、この作品のような一般的な小説の書き手としても一級です。

離婚 (文春文庫)
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文藝春秋
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成長物語と遍歴物語

2025-02-11 08:55:49 | 評論

「現代児童文学」(註1)、特に、「少年文学宣言」(註2)の影響化にある作品におけるひとつの特徴に、「変革の意志」があります。
これは、当初(1950年代および1960年代)は社会変革を目指すことを意味していました。つまり「現代児童文学」という文学運動は、社会運動ないしは政治運動という側面も持っていたのです。
そのころの代表的な作品には、山中恒「赤毛のポチ」や古田足日「宿題ひきうけ株式会社」などがあります。
当時の彼らの(そして読者である子どもたちの)目指すべき社会は、ソ連型社会主義で実現されるはずのものでした。
しかし、その方向性は、60年安保及び70年安保における革新勢力の敗北とその後の活動の退潮を受けて、しだいに行き詰りました。
そうした影響を受けて、60年代ごろから、変革の意味を自己変革に拡大解釈した成長物語が、数多く書かれるようになりました。
その一方で、従来型の社会変革を目指すような作品は、80年代から90年代にかけてのソ連およびその周辺の共産主義国家の崩壊と共に姿を消しました。
しかし、成長物語の方は、その後も書き続けられることになります。
それは、成長物語が、より普遍的な性格を持っていたからだと思われます。
成長物語では、物語における経験を通して、主人公がその経験を内部に蓄積していって、それによって自己形成つまり成長が行われます。こうした主人公の成長をモデルとした作品は、一般文学の世界では近代小説ないしは教養小説と呼ばれています。
それに加えて、児童文学の世界における成長物語では、物語において主人公が成長して自らのアイデンティティを確立するとともに、読んでいる子ども読者たちもそれを追体験することによって成長することが期待されています。
そういった意味では、児童文学と成長物語の親和性はもともと高かったと言えます。
成長物語では、主人公は一つの人格という立体的な奥行きを持った特定の個人であり、「現代児童文学」においては、「真の子ども」ないしは「現実の子ども」と主張されていました。
このことは、それ以前の近代童話(例えば小川未明の作品など)に描かれている作家の内面の反映である抽象的な子ども像を批判するところから生まれました。
しかし、この主張は、1980年ごろに、柄谷行人「児童の発見」(この論文には、アリエス「子どもの誕生」の影響があったと思われます)において、「「子ども」ないし「児童」は近代(フランス革命以降、日本では明治維新以降です)になって発見された一つの概念にすぎないのだから、児童文学者が主張する「真の子ども」ないしは「現実の子ども」というのもさらにその後に見出された概念である」と批判されて、児童文学の研究者や評論家においてはかなりゆらぎました。
そのため、このことは1980年代に児童文学の多様化(「エンターテインメントの復権」(註3)、「タブーの崩壊」(註4)、「越境」(註5)など)が起こったことの理由の一つにあげられています。
しかし、この議論は実作者にはほとんど影響を与えず、成長物語は、今でも日本の児童文学において一定の基調をなしていると言えます。
一方、遍歴物語においては、キリスト教における遍歴物語に見られるように、主人公はその物語の狂言回しにすぎなくて、重要なのは物語を通じて繰り返し示される観念なのです。
そのため、遍歴物語では、主人公はある抽象的な存在であって、それを人物として形象化したもの(例えば、いたずらですばしっこい、太っていておっとりしている、おとなしくてさびしげ、といった平面的で典型的なキャラクター)としての人物であるにすぎません。
こうした主人公には、物語における経験はほとんど蓄積されません。つまり、成長しないのです。
「現代児童文学」以前の近代童話においては、こうした遍歴物語が一般的でした(千葉省三「とらちゃんの日記」などの例外はあります)。
 こうした遍歴物語である近代童話を否定して、結果的に成長物語を描こうとしたのが「現代児童文学」だったのです。
それが、80年代に入って、ある行き詰まり(読者である子どもたちからの遊離など)を見せた時に、那須正幹「ズッコケ三人組」シリーズを初めとしたエンターテインメント作品において、平面的な人物を主人公とした遍歴物語が復権したのでしょう。
 しかし、エンターテインメント系の作品がすべて成長物語ではないとは言えません。例えば、戦前、戦中に「少年倶楽部」などで書かれていたエンターテインメント作品群は成長物語でした(ただし、そこで描かれていた子どもたちの成長する姿は、軍国少年などの国家にとって都合のいいものでした)。また、ハリー・ポッター・シリーズも、魔法学校における主人公たちの成長物語です。
 ただ、現在の日本の児童文学で多く書かれているシリーズ物のエンターテインメントは、主人公を成長させずに長く続けるのに適した、遍歴物語の形態をとっていると考えられるのです。

註1.
この言葉は、広義にはもちろん現在の児童文学という意味ですが、狭義にはそれまでの児童文学(というよりは童話)を批判して新しい日本の児童文学を創造しようとした文学運動を指します(ここでは区別するために、カギかっこ付きにしています))
註2.
当時早大童話会に属していた学生たち(古田足日、鳥越信、神宮輝夫、山中恒など)が1953年に発表した「少年文学の旗の下に」という檄文で、それまでの児童文学の主流であった「メルヘン」、「生活童話」、「無国籍童話」、「少年少女読物」のそれぞれの利点を認めつつもその限界を述べて、「少年文学」(ほぼ「現代児童文学」と言っていいでしょう)の誕生の必然性を高らかに宣言しています。
註3.
「誕生」ではなく「復権」なのは、戦前、戦中において、「少年倶楽部」とその姉妹雑誌や模倣雑誌による、巨大な(「少年倶楽部」だけで月刊で百万部と言われています。当時の日本の人口は約7000万人でしたし、その大半は貧しい農民で本などを買う余裕はありませんでした)エンターテインメント・ビジネスが成立していたからです。
註4.
それまで日本の児童文学でタブーとされてきた「死」、「離婚」、「性」、「家出」などの人生の負の部分を扱う作品が登場したことを指します。代表的な作品には、国松俊英「おかしな金曜日」や那須正幹「ぼくらは海へ」などがあります。
註5.
心理描写などの小説的な技法が取り入れられた作品が登場して、児童文学と大人の文学の境目がはっきりしなくなったことを言います。代表的な作品には、江國香織「つめたいよるに」、森絵都「カラフル」などがあります。この現象は、児童文学の読者対象(特に女性)の年齢の上限を大幅に引き上げました。

     

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