主人公の女の子は、春休みに、ママが働いている山の上遊園地に遊びに行きます。
ひょんなことから、けがをしたママの代理で、ウサギの着ぐるみに入って、ヒーローショーに出演することになります。
そこで、相手に気が付かれないうちに、憧れの男の子である「王子」と知り合いになります。
小学校高学年の元気な女の子の様子が素直に描かれていて、好きな男の子に対する気持ちも自然に読み取れました。
主人公の女の子は、春休みに、ママが働いている山の上遊園地に遊びに行きます。
ひょんなことから、けがをしたママの代理で、ウサギの着ぐるみに入って、ヒーローショーに出演することになります。
そこで、相手に気が付かれないうちに、憧れの男の子である「王子」と知り合いになります。
小学校高学年の元気な女の子の様子が素直に描かれていて、好きな男の子に対する気持ちも自然に読み取れました。
雪国の冬景色を背景に、老女と彼女の亡き夫の教え子(知的障害があると思われます)との交流、そして不思議な居酒屋や雪女(外国人の若い女性の姿をしています)などとの関りが描かれています。
著者得意の雪国(山形県と思われます)の風習や雪国の描写がふんだんに用いられ、幻想的な雰囲気を漂わせています。
事実、この作品のもとになるものは、雪の町幻想文学賞で準長編賞に選ばれています。
幼稚園や保育園で購入できる「こどものくに」の一冊です。
ありたちが巣から引っ越すことになり、その大変な様子が、絵に膨大なセリフが書かれていて、詳しく語られます。
特に、ありたちが一番危険な奴としているあっくんという男の子との攻防は、なかなかスリルがあります。
最後は、あっくんが落としたクッキーを手に入れて、めでたしめでたしです。
幼い読者たちが興味を持てるような工夫が、全編になされています。
2021年公開のイタリア映画です。
丘の上の広場にある小さな古書店の初老の店主と、そこを訪れる個性豊かな客(古書の売り手や買い手)や隣人(カフェのウエイターとその恋人)との交流が描かれています。
店主と顧客との会話は、ユーモアとセンスにあふれ、観客を楽しませてくれます。
特に、アフリカ移民の少年との交流(店主が選んだ児童文学の古典(「ピノッキオの冒険」、「イソップ寓話集」、「白鯨」、「白い牙」、「星の王子さま」、「ロビンソン・クルーソー」、「アンクル・トムの小屋」、「ドン・キホーテ」)を少年に無償で貸して読ませています)は、それ自体が優れたブックガイドになっています。
2022年のアメリカ映画です。
スウェーデン映画の「幸せな独りぼっち」(その記事を参照してください)のハリウッドでのリメイクです。
名優トム・ハンクスが企画して、自分で主演しました。
舞台をアメリカに移し替えるための変更(主人公と触れ合い、彼を変えていく隣人家族は、イラン人ではなくメキシコ人など)を除いては、ほぼ元の映画のストーリーを忠実に再現しています。
ただ、主役のトム・ハンクスが頑固な老人というよりは、理知的すぎて理屈っぽい老人という感じはします。
呪うことしかゆるされない魔女と、道に迷った少女のふれあいを描いた絵本です。
へそまがりで素直にやさしくできない魔女と、いっしょに暮らし始めた少女は、しだいに心を寄せ合うようになります。
そして、やっと生まれた国王の世継ぎに、魔女はへそまがりの呪いをかける形で幸いをもたらす贈り物をします。
そのおかげで、それまで乱れていた国には平和が訪れるのでした。
作家の巧妙な文章と、画家の魔女以外を動物で表した卓越したアイデアで、しゃれた絵本に仕上がっています。
2015年公開のスウェーデン映画です。
妻を亡くして職も失った老人は、何度も自殺を試みます。
そのたびに、向かいに越してきたイラン人女性とその家族(夫と二人の娘、もう一人おなかの中にいます)に邪魔されて、生き延びます。
彼らと触れ合ったり、野良猫を飼ったり、近所でかつて自治会で一緒だった男性(障害があって今はほとんど身動きできなくなっています)が強制的に施設に入れられそうになるのを阻止したりする間に、老人は生きる意欲を回復します。
彼の現在と重なるように、少年時代の父の思い出(母は小さい時になくしています)や素晴らしい女性であった妻(事故でおなかの中の子供を失い、自身も車いす生活になったのに、教師になり多くの問題を抱えた生徒たちに慕われていました)の思い出などが描かれます。
ドラマチックではありませんが、しみじみとした味わいがあり、ヨーロッパの賞を受賞したり、その後ハリウッドで、トム・ハンクスの主演でリメイクされたりしました。
怖い物語を集めた百物語の第85話です。
急逝したおじいちゃんの死を受け入れられない主人公は、おじいちゃんの死に顔や様子をなかなか見ることができません。
生前のおじちゃんとの思い出がいろいろと思い出されます。
なかなかさよならを言えない主人公のために、おじいちゃんの幽霊が表れてお別れを告げてくれます。
怖いお話というよりは、しみじみとした趣のある短編です。
人気作家によるリコール隠しを題材にした会社小説です。
といっても、今までの作者の作品と比べると、かなり手抜きな感じです。
連作短編のようにして、各章ごとに主人公や視点を変えて書いて、リコール隠しをした会社のいろいろな人間を描くことによって、その隠ぺい体質を浮かび上がらせようとしているのですが、どれも中途半端で全体としてまとまりのないものになっています。
会社が人間関係の上に成り立っているのは事実ですが、それをこの作品に描かれているような社内政治だったり、不倫だったり、パワハラやモラハラだったり、といった形だけで描くと本質を外してしまいます。
作者はリアルな会社小説を書くことで成功したわけですが、その作品世界はもうかなり古くなっていると言わざるを得ません。
それは作者も十分承知しているようで、この舞台になった会社がバブル時代ごろの古い体質を持っていることを作品の中でしつこいぐらい繰り返して述べています。
そういう言い訳はもういいので、作者には新しい会社像を持った会社小説を、きちんと取材して書いてもらいたいと思いました。
七つの会議 (集英社文庫) | |
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集英社 |
2016年公開のイタリア映画です。
夫同士が幼なじみの親友である、いろいろな境遇の男女七人(三組は夫婦ですが、一人の男だけは離婚していて独身)が、食事会で顔を合わせます。
ふとしたきっかけで、各自のスマホをテーブルの上に出して、かかってきた電話やメールをみんなに公開するゲームを始めます。
そこでは、各自の赤裸々な「大人の事情」が明らかになっていきます。
不倫、浮気、同性愛、偏見、家族の問題(母と娘、嫁と姑など)が暴露される中で、七人のそれぞれの関係は崩壊仕掛かります。
ラストでは、やや唐突にそれらの関係が修復されますが、彼らが「大人の事情」を容認したからでしょうか?
イタリア人との国民性の違いなのか、もう一つその結末に納得がいきませんでした。
この映画は、イタリアのアカデミー賞にあたる賞を受賞し、日本も含めて各国でリメイクされましたが、オリジナルを超える作品はないようです。
児童文学関連のいろいろな組織では、長期的な衰退期が続いています。
それは、それらの組織の持つ後進性や閉鎖性に、大きな原因があるように思えます
児童文学について組織の外部へ積極的に発信していくよりも、自分たちの小さな世界に閉じこもってわずかな既得権益を守ることに汲々としているようにさえ思えることもあります。
いずれの組織も、会員の減少や財政的な破綻などの大きな問題を抱えていてますが、会費の値上げや活動の縮小などの後ろ向きの対策しか打ち出せていません。
会の運営は多くの場合旧態依然で、あたかも同業者たちの互助会のようになっていて、社会に押し寄せているディジタル化(インターネット、通信技術、電子化など)の波に対応する組織もなければ、対応できる人材も払底しています。
このままでは、どんどん負のスパイラルに陥って、やがては完全な破綻を迎える心配があります。
電子書籍やネットでのサービスにいまだ対応できていない出版界も含めて、「児童文学」はすでに死に瀕しているのかもしれません。
このままでは、「児童文学」はその芸術性、文学性、社会性を完全に失い、広範なエンターテインメントの世界の一隅をしめるにすぎない「児童(あるいは女性)読み物」としてしか生き残れないでしょう。
しかも、その世界でも、例えば「物語消費」の点において、ゲームやアニメやマンガなどにマーケットシェアの点で大きく引き離されていて、ごくニッチな存在です。
それは、現代社会から背を向けた場合にたどる必然の行く末なのかもしれません。
こういった状況において、わずかに残された「児童文学」の生き延びる方法は、児童文学活動(創作、評論、研究、翻訳など)をどんどんディジタル化して、積極的に(場合によっては無料で)外部へ発信していくことだと思われます。
Kindle Paperwhite(ニューモデル) | |
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今は亡きジャーナリストの千葉敦子は、「ニューヨークの24時間」という本(彼女はこの本でパソコンもインターネットもない時代の先進的な仕事の進め方を紹介してくれて、当時大いに刺激を受けました)の中で、SFの大家であるアイザック・アシモフのことをDedicated Writer(打ち込んでいる作家)と評していましたが、今現在、私がなりたい者は、まさにこのDedicated Writerです。
残念ながら、今までの人生では非常に片手間(それも1984年から1989年までの五年間にすぎません)にしか創作はできませんでした。
創作を始めたのは30歳と遅かったですし、そのころにはすでに会社で管理職になっていて多忙でしたし、すぐに子どもたちも生まれてきて、ますます自分の時間がなくなりました。
今は亡き作家の柏原兵三が書いていたように「幸福な家庭は創作の敵」で、家族の幸福(私の家庭生活の黄金期は、第一子が誕生した1988年から下の子が中学を卒業した2005年までの17年間でした)や、それを支えるための経済活動の方が、たんなる自己実現である創作活動よりも優先されるべきなのは自明の理でしょう。
しかし、会社から離れ子どもたちも巣立った今は、ぜひDedicated Writerになりたいのです。
私のDedicated Writerの具体的なイメージは、宮沢賢治が上京していたころ(わずか7か月です)のことです。
賢治はその時に、現存するほとんどすべての彼の童話の原型を書いたと言われています。
「一か月に3000枚の原稿を書いた」という有名な伝説もこの時期です。
400字詰め原稿用紙で3000枚というと、120万字にもなります。
これを達成するためには、毎日100枚(4万字)の原稿を書かなければなりません。
とても人間業とは思えないのですが、それだけ寝食忘れて創作に打ち込んでいたのでしょう。
月に3000枚とは言いませんが、自分も何もかも忘れて創作に打ち込むDedicated Writerになってみたいものだと思っています。
ニューヨークの24時間 (文春文庫) | |
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