現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

関川夏央「中年シングル生活」

2020-12-29 15:16:34 | 参考文献

 1993年から1996年にかけて、新聞や雑誌に連載していたエッセイをまとめて、1997年に表題で出版されました。

 当時、作者は43才から47才だったのですが、そのころではまだ四十代の独身者は少数派でした(ただし、作者は、25才ごろに短期間結婚していました)が、今ではありふれた存在になっています。

 それに、作者やその友人達はいわゆる知識層で、そのころの中年独身者の多くはそうだったかも知れませんが、今ではあらゆる階層にまで広がっています。

 そのため、作品に漂う教養主義は、今の読者には鼻につくことでしょう。

 また、作者が好んで取り上げている近代文学者たちは、それぞれ時代を切り取った作品(例えば、永井荷風の「濹東綺譚」など)を残していますが、作者の作品は言ってみれば二次創作のようなもので、九十年代の空気さえ描けていません。

 

 

 

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ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル

2020-12-28 17:05:55 | 映画

 2017年公開のアメリカ映画です。
 1995年公開の「ジュマンジ」(その記事を参照してください)の続編として作られました。
 ゲームの世界に紛れ込んで冒険するという設定は同じですが、前回のジュマンジはボードゲームだったのですが、今回はビデオゲーム版です。
 ただし、それが作られたのが1996年ごろという設定なので、かなりレトロなゲームになっていて、それを使ったギャグ(なめらかに動かなかったり、登場人物が同じセリフを繰り返すなど)が多用されていて、初期のビデオゲームのRPGのような感じです。
 オリジナル映画の主演のロビン・ウィリアムスのような核になる俳優がいないので、かなりB級感が漂います。
 それを補うように、ゲームをした高校生たちが全く違うタイプのゲームキャラクター(オタクの男子高校生がマッチョな男性(元はWWEの人気プロレスラーのザ・ロックだった俳優が好演しています)、いじめっ子のアメフト部の男子高校生がチビのお調子者、イケイケの女子高生はデブのおっさん、堅物の女子高校生はセクシーガール)に変身するという味付けがなされています。
 冒険自体はあまり新味がないのですが、ゲームの中で高校生たちがそれぞれ成長するという児童文学的なハッピーエンドなので、ファミリーで楽しめます。



 

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ジュマンジ/ネクスト・レベル

2020-12-28 17:04:07 | 映画

 2019年公開のアメリカ映画で、「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」(その記事を参照してください)の続編です(オリジナルの「ジュマンジ」(その記事を参照してください)とは直接的には関係ありません)。
 現実世界の登場人物も同じ(高校生だったのが大学生になっていますが)で、ゲーム内のキャラクターも一緒なので、前作を見た人には親しみやすくなっています。
 ただし、題名通りに前作よりゲームの難易度が上がっていて、新しい登場人物も出ますし、途中でキャラクターの入れ替わりなどもあるので、前作を見ていない人には分かりにくいかも知れません。

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大平 健「純愛時代」

2020-12-26 17:20:49 | 参考文献

 精神分析医による、精神病理を描いた人気シリーズの第三弾です。

 1990年の「豊かさの精神病理」(その記事を参照してください)、1995年の「やさしさの精神病理」(その記事を参照してください)に続いて、今回は「愛」をテーマにして、2000年に出版されました。

 しかし、回を追うごとに、精神病理的な内容は薄れ、取り扱っている症例も、第一作の22に対して、第二作は7に激減し、今回はさらに減ってわずかに以下の6例です。

 第三世界の若者と結婚寸前までいったものの、ささいなことで破綻した女性会社員。

 パソコン通信(時代が感じられますね)で知り合った人妻との純愛が、いつしか不倫に置き換わってしまった大学生。

 お客の会社員との純愛が、ささいな行き違いで破綻した女子大生風俗嬢。

 クレイマークレイマーもどきの父子家庭が、別れた妻に親権を奪われることで破綻したが、娘の担任の保育士に救われたゲームデザイナー。

 交際雑誌で知り合った大学生の過去の恋愛にショックを受け、さらに初恋相手に再会したショックも加わって、記憶を失った22歳の女性。

 バツ2で二人の父親の違う子供を持つ女性と結婚し、転職先の会社が倒産したショックで不眠症になった34歳のセールスマン。

 また、これらの症例に対する社会学的な考察も、あとがきでお茶を濁しているだけです。

 しかし、それぞれの症例は、へたな短編小説よりもおもしろく描かれ、ストーリーテラーとしての作者の腕前は上がっているようです。

 

 

 

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大平健「やさしさの精神病理」

2020-12-26 16:46:02 | 参考文献

 1990年に書かれた「豊かさの精神病理」(その記事を参照してください)の5年後の続編かと思ったら、前作がベストセラーになったことに味を占めた(著者だけでなく編集者や出版社も)のか、次々に似たような本を書いていたようで、この本も結構売れたようです。
 しかし、前作がバブル期の人々が人間関係を避けてモノへ逃避している姿を、豊富な事例を紹介して鋭く切り取って見せたのに比べると、かなり物足りない内容になっています。
 その理由としては、「やさしさ」をキーワードにして、従来の「やさしさ」(他者の気持ちを理解して共感する)に対して、新しい「やさしさ」(他者の気持ちに立ち入らない)に着目している点は優れていますが、前作に比べて実例が圧倒的に少なく、しかも対象者が前作と異なって経済的に恵まれている人たちに偏っている(第一例の女子高校生の家は共稼ぎ家庭なようですが、第二例はフェアレディZに乗っていた都庁に勤める公務員、第三例は裕福な家庭のモデルのような容姿の予備校生、第四例は裕福な妻に養ってもらっているハンサムな司法試験浪人、第五例は機械メーカーの専務の息子の元優等生、第六例は博士課程に留学している裕福な家庭のアメリカ女性、第七例は弁護士一族の元優等生です。)ことによって、その時代の雰囲気を十分にとらえられていないからだと思われます。
 作者に商品性があるうちに本にして売ることを急いだたために、十分な実例がたまらないうちに出版したのでしょう。
 さらに決定的なのは、前作が出版された1990年とこの本が出版された1995年の間にバブルの崩壊があって、人々の人生や生活への価値観が大きく変化しているにもかかわらず、そうした社会学的な考察が全くないことです。
 そのために、単なる現象(著者の診療所を訪れる患者の症例)の後追いになっています。
  

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夏の迷路

2020-12-24 15:45:29 | 作品

 隆志は宇宙船を旋回させると、敵の背後に回り込んだ。
 ババババッ。
 すかさずレーザー砲をたたきこむ。
 ズガガアーン。
 敵のロケットは、大爆発を起こした。
「これで、三機撃破したな」
 隆志は爆発に巻き込まれないように、愛機を急降下させながらつぶやいた。
(次のターゲットは?)
 隆志は愛機を加速させながら、あたりに敵がいないか、注意を払った。
(いた)
 前方に、敵の宇宙船を発見した。
 隆志は、全速力で追撃を開始した。
 
 真夏の昼下がり。あたりには誰もいない。今日も雲ひとつないかんかん照りで、気温は軽く三十度を超えている。隆志は、団地の中を一人で自転車を乗りまわしていた。いつの間にか、隆志の頭の中では、SFX映画やビデオゲームの中で、宇宙船を急旋回して敵と戦っている自分の姿が浮かんできていた。
 リリリリン。
 ベルを押すのは、レーザー砲の発射のつもりだ。
 ガチャガチャ
変則ギアを切り換えて、立ちこぎしてスピードアップしていく。
「グイーン」
これを、宇宙船がワープ航法をするのに見立てていた。
 団地内の道路は、ぐねぐねと入りくんでいる。自動車が通り抜けられないように、道路は行き止まりになっていたり、わざと遠回りしたりするように作られているからだ。
『住む人に優しい街』
 それが、この団地の設計コンセプトだった。おかげで、住んでいる人以外の車はめったに道路を通らないので、自転車を走らせるにはもってこいだった。いつか見た新規分譲用パンフレットの航空写真には、団地内の道路はうねうねとまるでパズルか迷路のようになっていた。
 隆志の愛車は、先月の誕生日に買ってもらったばかりの24インチのクロスバイク。五年生としては小柄な隆志には、サドルをいっぱいに下げても、少しつま先立ちにならなければ地面に足が届かない。隆志は、おかあさんが作っておいてくれた一人だけの昼食を食べ終えた後で、いつも自転車に乗りに来ていた。
 今度は、隆志は自転車での反転遊びに熱中しはじめた。幅の広い道路では、スピードをあげて大きな半円を豪快に描いてから、逆方向へそのままのスピードで進んでいく。もっと細い道路ではバランスを崩さないように注意を払って、道幅ぎりぎりに半円を描いていく。
足をつかずにうまく反転できた時には、
(やったあ!)
という達成感がこみ上げてきた。

 グオーン。
敵の巨大宇宙戦艦が迫ってくる。不意を突かれた隆志の宇宙船は、もう少しで宇宙戦艦と激突してしまうところだった。
「転回!」
 隆志は大声で叫ぶと、愛機をすばやく右へすべらせて敵から逃れた。
 ブッブーッ。
 大きくクラクションを鳴らして、隆志の自転車をかすめるようにして、宅配便のトラックが通っていった。
(あぶない、あぶない)
 隆志は、道路の脇に自転車を傾けて止めた。空想に夢中になりすぎて、自動車に気づくのが遅れてしまった。
 トラックは、排気ガスを吐き出しながら、ゆっくりと遠ざかっていく。
(行くぞ)
 隆志は、全速力でトラックを追いかけ始めた。
「ワープ!」
 変速機を操作しながら、大声で叫んだ。頭の中では、あっという間にトラックに追いついているところだ。
 でも、実際には、ますます引き離されていた。

夏休みに入って、早くも十日が過ぎようとしていた。明後日からはもう八月になってしまう。その間、隆志はいつも自転車を乗り回していた。
 隆志のクラスの友だちも、海や山や両親の実家などへ行っている人たちが多くなっている。だから、ここのところ、一人で遊ばなければならないことが増えていた。
 隆志の家は、おかあさんと二人暮しだった。両親は、隆志が幼いころに離婚している。隆志には、父親の記憶はほとんどなかった。
 おかあさんは、中学校の美術の教師をして、二人の暮らしを支えていた。
教師という仕事は、はたから見ているのとは違って、夏休みに入ってからも、やれ研修だ、やれ部活だと、なかなか忙しい。
おかあさんがまとまった休みが取れるのは、八月に入ってからだ。今年は、隆志と二人で、一週間ほど、八ヶ岳のリゾートホテルへ行くことになっている。
 親ゆずりで絵を描くのが好きな隆志は、写生の道具を持っていくつもりだった。
 でも、おかあさんの方は、のんびりと読書をするのを、楽しみにしているようだ。おかあさんが絵筆を握っているところは、もう何年も見たことがない。
 おかあさんがかつては画家を志していたと、祖父母から聞いたことがある。そんな夢は、日々の暮らしの中で、とうに忘れ去られてしまったのかもしれない。

 食卓にひろげた大きな画用紙いっぱいに、隆志はひまわりの絵を描いている。
 庭の花壇に一本だけ植えられたひまわりは、手入れが良かったせいか、とっくに隆志より背が高くなり、大きな花を咲かせていた。
 はじめは水彩絵の具で普通に写生をしてみたが、どうももうひとつ面白くない。外側の黄色い花びらはうまく描けるのだが、内側の蜜蜂の巣のような小さな花のかたまりの部分がうまく感じがでないのだ。
 次に、クレヨンを使って、スーラのような点描で描いてみた。
「ふーっ」
 この絵も気にいらなくて、大きなため息をついた。花のかたまりの部分の感じは少し出てきたが、全体に弱々しく、ひまわりの持つたくましい生命力が感じられない。
 隆志はクーラーを止めると、庭へのガラス戸を大きく開け放った。
 猛烈な暑さが、ドドッと部屋の中へ押し寄せてくる。
 でも、涼しい所でガラス越しに見ていたひまわりが、ぐっと自分に親しいものに感じられるようになってきた。
 隆志はさっき使った水彩絵の具のパレットをきれいに洗うと、その上に赤と黄色の絵の具をたっぷりと絞り出した。
 一番細い絵筆を取り出して、赤と黄色の絵の具を混ぜ合わせて、内側の花のかたまりを描き出した。
 混ぜ具合を変えながら、細く小さな円弧をたくさんたくさん描き込んでいく。
 レモンイエロー、だいだい、朱色、赤、…。
 線が重なって、予想もしなかったような様々な色彩が生まれるのが面白くて、いつの間にか隆志は夢中になっていた。

「似ているわ」
 おかあさんがポツリといった。その日の夕方、隆志が誇らしげに三枚目のひまわりの絵を見せた時だった。細かく描き込んだ様々な色の鋭い円弧が、ひまわりの生命力を表現していて、我ながらいいできだった。
「えっ、何に似てるって?」
 隆志がたずねると、
「…」
 おかあさんは、しばらくの間ためらっていた。
 でも、もう一度ひまわりの絵をじっと見つめた後で答えた。
「あなたのおとうさんの絵によ」
「ふーん」
 そう言われても、父親の絵など一度も見たことのない隆志には、まるでピンとこなかった。たしかに、父親もおかあさんと同じように、絵を描いていたことは知っていた。
 でも、家には、父親の絵は一枚も残っていなかった。
「どんな絵を描いていたの?」
 隆志がたずねても、
「そうねえ、遠い昔のことだから、…」
と、それ以上は話したがらなかった。

 隆志の両親は、彼がニ才の時に離婚している。父親は、その直後にアメリカに渡り、ほとんど連絡がないという。
 父方の祖父母はそれ以前に亡くなっていて、地方に住む親戚たちともほとんど付き合いがなかった。そのため、隆志にはほとんど父親の記憶が残っていなかった。
 それに、新生活への再出発のためか、おかあさんは父親の写真はおろか、身の回りの品物はすべて始末してしまったようだ。
 野沢吉雄。
 名前だけが、唯一のはっきりとした情報だった。
 それも、物心ついたころからずっと、おかあさんの旧姓であった「山本」を名乗っている隆志には、まったく親しみの感じられないものにすぎなかった。
 ただ、父親は画家になる夢を忘れられずにアメリカに行ったということだけは、いつか誰かから聞いたことがあった。
 はたして、その夢を果たしたのかどうかも、隆志は知らなかった。
 ただ、隆志の絵を描くことに対する情熱は、もしかすると、おかあさんではなく、父親から受け継いだものだったかもしれないと思うことがあった。美術教師でありながら、絵筆を握ろうとしないおかあさんからは、絵を描くことの情熱はまるで感じられなかった。

 その晩、自分のベッドに入ってから、隆志は父親の顔を思い浮かべようとしていた。
 なかなか思い浮かばない。それでも、心の奥底に沈んでいる父親の記憶を探ってみる。
 わずかに残る父親の記憶。
 それはあまり心地よいものではなかった。
 食卓でどなっている若い男。感情を爆発させて、声を震わせながらわめいている。
 しかし、どんな顔をしているのか、すこしも具体的なイメージが浮かんでこなかった。まるで目鼻のない、のっぺらぼうのようだ。
 テーブルを挟んで泣いている若い女。これははっきりしている。
 おかあさんだ。今よりもずっと若いけれど、顔もはっきり見えた。特徴的な大きな目に、いっぱい涙をためている。
 でも、時々、やはり大声で何かを言い返していた。すると、ますますのっぺらぼうの若い男は、いきり立ってどなり出す。
 奇妙なことに、そのそばで負けじと大声で泣くことによって、なんとか二人の言い争いを止めさせようとしている、幼い日の自分の姿までが見えてくるのだ。
 青いサロペットに、黄色い縁取りの小さなスタイをつけている。まるで現在の隆志が、窓からこっそりと三人の様子をのぞいているようだった。
 隆志は、もう一度父親の顔を想像しようとしてみたけれど、とうとう最後まで思い浮かばなかった。

 数日後、いよいよ明日から、母親が休みになる日の朝だった。
「あああっ」
 洗面所で顔を洗っていた隆志は、大きな泣き声がするのに驚いて、急いでダイニングキッチンへ戻った。
 おかあさんだった。すでに出勤のための着替えをすませていたおかあさんが、テーブルに両手をついて立ったまま泣いていたのだ。
「どうしたの?」
 隆志がのぞきこむと、おかあさんはだまってテーブルの上の新聞を指さした。そこには、小さな死亡記事がのっていた。
『新進画家、無念の早逝。
 三十一日、ニューヨーク在住の新進画家ダン野沢氏(本名・野沢吉雄さん、三十三才)が急死。死因などくわしいことは不明。
 野沢氏は、一昨年のニューヨーク国際美術展でグランプリを受賞し、いちやく注目を集めた新進の画家。その後も、ニューヨークとパリで個展を開くなど、精力的に活動を続けていた。これからの活躍がおおいに期待されていただけに、その早すぎる死を惜しむ声があがっている。…』
 記事の右上には、三十過ぎの見知らぬ男の笑顔が写っていた。
(これが、自分の父親か)
 隆志は食い入るようにその写真を見つめた。
 でも、悲しみも何も、特別な感情はわいてこなかった。

 ようやく泣きやんだおかあさんは、いすに腰をおろすと、父親のことを話し出した。それは、隆志にむかってというよりは、自分自身で思い返すためのものだったかもしれない。
 二人が美術大学で同級生だったこと。学生結婚したこと。卒業後も、父親の方は就職せずに絵に専念していたこと。隆志が生まれて、生活のためにやむなくおかあさんと同じ美術の教師になったこと。仕事に追われて絵をかく時間がなく、いつもいらいらしていたこと。
 隆志にとっては、初めて聞く話ばかりだった。
「普段は優しい人だったのよ。でも、感受性が鋭すぎたのね。どうしても、創作と実生活を両立していけなかったのよ」
「…」
「それに、二人とも若過ぎたのかもしれない。二十二才で結婚して、二十五才で別れたんだから」
 そういいながら、おかあさんは隆志にけんめいに笑顔を見せようとした。
 でも、うまく笑えずに、少しゆがんだ泣き笑いになってしまった。
「あらあら、いけない。完全に遅刻だわ」
 おかあさんは、ようやくいすから立ち上がった。
 洗面所で手早く化粧を直して戻ってくると、
「じゃあ、行ってくるからね」
と、おかあさんはまるで何事もなかったかのようにいった。
 でも、泣いたあとをごまかすためか、口紅もアイメイクも、いつもより濃くくっきりとさせていた。
 おかあさんがガチャリと音をたてて開けたドアの外は、すでに今日も猛烈な暑さだった。

 その日の昼ごはんの時、何気なくテレビをつけたら、思いがけない画面にぶつかってしまった。
『ニューヨーク在住の新進画家、孤独な死。
 死因は麻薬によるものか!?     』
 隆志は、スパゲティを食べていたフォークの動きを止めて、画面に見入った。
 その番組は、主婦向けのワイドショーだった。もちろんこのニュースが、その日のメインの話題なのではない。現地の映像も、「ダン野沢」の作品の紹介もなく、画面の写真も、新聞に載っていたのと同じ物を拡大しただけだった。
 二、三分の短いレポートの後で、司会者は、
「いくら絵の才能があっても、麻薬に溺れるようでは性格に問題があったのだろう」
と、簡単に締めくくって、次の話題に移っていった。
 隆志は、テレビの前に呆然として立ち尽くしていた。
 レポーターの説明の中に、こんな部分があったからだ。
「ダン野沢は、八年前に『妻と幼い息子を捨てて』、単身渡米し、…」
(おかあさんとぼくのことだ)
 その瞬間、隆志は思わずいすから立ちあがった。そして、初めて涙がこぼれてきた。
 でも、これは悲しみの涙ではない、当事者にとっては残酷な言い方を平気でする、軽薄なレポーターに対する悔し涙だった。
 番組では明るい話題に移ったらしく、お笑い芸人のジョークに、スタジオ内に並んですわらせられたおばさんたちが、陽気な笑い声をあげている。
(おかあさんが見なくてよかった)
 隆志は心からそう思っていた。

 隆志は、さっきの朝刊を、マガジンラックからテーブルの上に持ってきた。そして、「ダン野沢」の死亡記事の部分を、はさみでていねいに切り抜いた。
 「ダン野沢」は、隆志のてのひらの中でぼんやりと笑っている。その気弱そうな笑顔は、どうしても隆志の頭の中にある声を震わせて怒っている若い男のイメージと、結びつかなかった。
(どんな人だったんだろう?)
 隆志には、ますますわからなくなってしまっていた。
 このおとなしそうな人が、あの怒鳴ってばかりいた若い男だとは、どうしても思えない。
 おかあさんが言っていたように、いつもは優しい人だったのだろうか。
 もう一度、死亡記事を読み返してみた。
『…。なお、ダン野沢氏の作品は、その多くは海外の美術館にあるが、国内ではM区立美術館などに所蔵されている』
(美術館へ行ってみよう)
と、隆志は思った。
 「ダン野沢」の絵を見れば、何かがわかるかもしれない。

 ネットで調べたM区立美術館は、山の手線M駅から歩いて十分ほどの区民センターの中にある。
 あれからすぐに家を出た隆志は、電車を乗り継いでやってきていた。
 M駅からの長い坂道をのぼっていくと、前の方に黒い服を着た人たちが集まっているのが見えてきた。
(お葬式でもあるのかな)
 そう思いながら近づいてみると、そこは「曼陀羅(まんだら)」という名のライブハウスだった。
 黒いのは喪服なんかではなく、ただの黒い衣装だった。女の子たちが、出演するバンドを待っているようなのだった。
(「追っかけ」っていうやつなのかな?)
と、隆志は思った。
 この炎天下に、どういうわけかみんな黒ずくめの服を着ている。
 地下のライブハウスからは、エレキギターとドラムの音が響いてひびいていた。
 二十人近くのカラスのような女の子たちのそばを通ったとき、洋服のそでがレースでできているのに気がついた。
 黒く透き通る袖をとおして見えた女の子たちの腕は、ドキッとするほど青白かった。
 川の向こうに、区民センターの巨大な建物が見えてきた。
 水の少ない泥色に濁った川にかかった橋を渡ったとき、生ごみの腐ったような嫌な臭いが、隆志の鼻を強くうった。

区民センターは、思っていたよりもずっと大きな施設で、美術館だけでなく図書館や公民館、体育館や温水プールも同じ建物に入っていた。そのまわりも、広い公園になっている。
 白い大きな帽子をかぶったおばさんたちがドタドタと走りまわっているテニスコートを抜けると、目の前に大きな屋外プールが広がった。
 水の中もプールサイドも、驚くほど混み合っていた。
 プールの中は、まるで満員のお風呂のようで、とても泳ぐことなどできそうもない。そのまわりも、足の踏み場もないほどシートやタオルが広げられ、カラフルな水着をつけた人たちが日光浴をしている。
 隆志は圧倒されたような気分で、足早にプールのそばを通り抜けた。

 美術館の入り口は、たくさんの人々で混み合うプールや図書館とは対照的に、ひっそりとしていた。特別展がない常設展示だけのときは、あまり入場者がいないのかもしれない。
「ダン野沢の絵はどこですか?」
 隆志は、受け付けにいた眼鏡をかけた若い女の人にたずねた。
「えっ。ああ、ダン野沢なら、つきあたりを左に行った部屋の奥よ。ミニコーナーになっていて、天井から名前を書いたプレートが下がっているから、すぐわかるわ」
 女の人は、まだ「ダン野沢」が死んだことを知らないらしく、特に驚いた様子もなく答えてくれた。どうやら、テレビなども取材に来ていないようだ。

 隆志は、他の展示には目もくれずに、まっすぐ「ダン野沢」のミニコーナーに向かった。
 夏休みにもかかわらす、館内も観客はまばらだった。ミニコーナーにも誰もいないので、隆志はゆっくりと絵を見ることができた。
 思いがけずに、「ダン野沢」の絵は、花や風景を描いた写実的なものではなく、純粋にイメージだけを伝える抽象画だった。
 「イマージュⅢ」と名づけられた一枚目の大きな絵は、たてよこななめの鋭い直線で構成されていた。
 製作年が、横に書いてある。
(ぼくが小学校へ入学した年だな)
と、隆志は思った。
 二枚目の絵は、丸でも四角でもない奇妙にゆがんださまざまな色のかたまりを、大きなカンバスいっぱいに散らした作品だった。
 でも、それぞれのかたまりは、ホアン・ミロのようなにじんだものではなく、くっきりとした黒い線で縁取られている。
 この製作年は、
(ぼくが三年生のときだな)
そのころ隆志は、小さいころ罹っていた自家中毒が再発し、学校を二ヶ月も休んで入院していた。仕事と看病に追われて、おかあさんもげっそりやつれてしまっていた。

 三枚目の絵を見たとき、隆志のひまわりの絵を見て「おとうさんの絵に似ている」といったおかあさんの言葉が、頭の中に蘇った。
 そこには、ひまわりの絵で隆志が表現した世界が、より拡大され、より純粋に高められた形で存在していた。
 赤や黄色系統の色だけでなく、金や銀、青や紫といったさまざまな色彩が、鋭くとぎすまされた無数の円弧で描き込まれている。
 そしてひとつひとつの円弧が複雑に絡み合い、さらにさまざまな色彩を生み出していた。
 こうして見つめていると、色の渦の中に吸い込まれていきそうな気にさえなってくる。
 隆志は、作品とそれを生み出した「ダン野沢」の才能に圧倒されて、しばらくの間、絵の前から動けなくなってしまった。
「ダン野沢」の絵は、もう三枚あった。
 全部で六枚。ミニコーナーという名にふさわしい、本当にささやかなコレクションだった。
 その全部を見終えると、隆志は休憩コーナーにあった押しボタン式のウォータークーラーで、よく冷えた水を飲んだ。
 そして、かばんからあの新聞の切り抜きを取り出してみた。
 「ダン野沢」は、不鮮明な写真の中で、あいかわらず頼りなげに笑っている。
 隆志は切り抜きを手にしたまま、もう一度あの色の渦のような絵の前に立った。
 奔放に渦巻く色彩の迷路の前に、切り抜きの「ダン野沢」の写真を重ね合わせたとき、隆志は初めて「おとうさん」に出会えたような気がしていた。

       

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選手コース

2020-12-22 15:02:57 | 作品

 ドルフィンスイミングクラブの進級記録会も、最後の一級のテストになっていた。
「ラスト50」
 プールサイドから、杉沢コーチの声が飛ぶ。
 雄太は、個人メドレー四種目目のクロールを、全力で泳ぎだした。
 25メートルを勢いよく泳いで、クイックターン。
 数回力強いドルフィンキックをしてから、さらにラストスパートをかける。
 両腕を思い切りかくたびに、大きく水しぶきがとぶ。疲れてフォームが乱れてきた証拠だ。
 それでも、ゴールを目指して懸命に泳いだ。

 プールの上の階にある更衣室は、進級記録会を終えたスクール生たちで混み合っていた。
 下のプールでは、引き続き選手コースの人たちの月例記録会が行われている。
「一級よ」
 張り紙を持って入ってきた女性コーチが、みんなに声をかけた。
 雄太たちは、着替えを途中でやめて掲示板にかけよった。
「よっしゃっ!」
 雄太は小さくガッツポーズをした。
 張り出された合格者の一番上に、雄太の名前と二百メートル個人メドレーのタイムが印字されていた。
 今回もトップ合格だった。
 これで次のレッスンからは、スクールで一番上の一級になる。
 ドルフィンスイミングクラブにはこれより上の級はないので、次のレッスンからは、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールのそれぞれのタイムを縮めたり、フォームを矯正したりするしかない。
 今まで上のクラスへ進級することだけを目標にしてがんばってきたので、雄太はなんだか少し拍子抜けがする思いだった。
 「山下」
 更衣室を出ると、杉沢コーチに声をかけられた。いかにも水泳選手って感じの逆三角形の身体をした、大学の水泳部の現役選手だ。
「はい」
「ここのところ、タイムが上がっているな」
 杉沢コーチは、雄太の記録票を見ながら言った。
 雄太が立ち止って黙っていると、
「どうだろ。選手コースのこと考えてみてくれないか。おまえなら、小学生のうちに全国レベルになるのも夢じゃないんだけどな」
 雄太が無言でうなずくと、
「一度、ご両親と相談してみてくれ」
 杉沢コーチは、選手コースのパンフレットを雄太に押し付けた。
「一級です」
 受け付けのおばさんに声をかけると、
「おめでとう」
と、金色のイルカのバッジを渡してくれた。
 雄太のバッグには、色とりどりのイルカのバッジがもう13個もついている。これが最後の14個目のバッジだった。

「おとうさん、これ」
 夕食の時に、雄太は選手コースのパンフレットを差し出した。いつもは会社からの帰りが遅いのでいないけれど、今日は日曜日なので夕食はみんなと一緒だった。
「なんだい?」
 とうさんはビールのグラスをテーブルに置いて、パンフレットをひろげた。
 そこには、選手コースのスケジュールや費用、そして、一流選手になった先輩たちの体験談も紹介されていた。
 選手コースは一般のスクールと違って格段に練習時間が多いけれど、月謝は普通のスクールと比べてもそれほど高くなかった。かあさんによると、好成績を上げればスクール全体の宣伝になるからじゃないかとのことだった。
「今日一級に合格したんで、選手コースに移らないかっていうんだ」
「ふーん」
 おとうさんは、パンフレットをじっくり読んでいる。
「今回もトップ合格だったので、コーチたちも期待しているのよ」
 進級記録会を見に来ていたかあさんが、横から口を挟んだ。今日の雄太のレースも、いつものようにガラス張りの二階席から見ていた。
 とうさんは、日曜日は平日の仕事の疲れを取るためにいつも昼近くまで寝ているので、一緒には来ていなかった。
「うーん、ゆうちゃんがやりたいんならいいと思うけど、ヤングリーブスの方はどうするんだい?」
 とうさんはパンフレットから目を離すと、雄太に言った。
 ヤングリーブスといわれて、雄太はドキンとした。
 雄太は、スイミングだけでなく、少年野球チームにも入っていたのだ。
 まだ五年生ながら、打順は三番で守備はサード。チームの中心選手だった。
 選手コースになると、週に三回も正式な練習がある。さらに、将来一流選手を目指すなら、それ以外の日も自主練をしなければならない。
 ドルフィンスイミングクラブのプールには、一番端に選手専用レーンがあって、選手コースの人たちはいつでも自由に練習できるようになっている。
 そして、スイミングクラブがメインテナンスのために休みの木曜日も、ほとんどの選手が市営プールで練習しているそうだ。
 週末も記録会や大会があって、一年中休みがないといってもいいくらいだった。とても、少年野球との掛け持ちはできそうにない。
 雄太には記憶がないけれど、スイミングにはおかあさんと一緒のベビークラスからずっと通っている。
 おかあさんによると、雄太は初めからぜんぜん水を怖がらなかったのだそうだ。もしかすると、生まれつき水泳に適性があったのかもしれない。
 そのあとの 幼稚園前のリトルのクラスは楽しかったことだけ覚えている。
 リトルでは、水を怖がってプールの中ではいつもコーチにおぶさっている子もいたし、おかあさんを捜してずっとプールサイドで泣いている子もいた。
 そんな中で、雄太はいつも大はしゃぎだった。
 両腕に小さな浮き輪を、腰にはウレタンのヘルパーをつけているから、泳げなくても水に沈む心配はぜんぜんない。いつも水の中で大暴れして、コーチに怒られてばかりだった。
 そして、幼稚園からは正式にスクールに入って水泳を習い始めた。
「どうしようかなあ」
 雄太は、自分のベッドに寝転がりながら、選手コースのパンフレットをながめていた。
 選手コースに入って、まずは地域の小学生の大会にでる。それから、全国大会だ。中学生になれば、学校別の大会もある。優秀な選手は、中学生の頃から大人の大会にもでる人たちもいる。
 やがては日本選手権だ。そして、オリンピックへ。
 雄太の夢はどんどん広がっていった。

 一週間後、雄太はとうとう選手コースに入ることを決意した。
 みんなでやる少年野球も魅力だったけれど、水泳でどこまで上へ行けるか挑戦したい気持ちの方が強かった。
 次の練習の時に、雄太はおかあさんについてきてもらって、選手コースへの変更手続きをした。
 ドルフィンスイミングクラブの所長の渡辺さんも、受け付けまでわざわざ出てきて、雄太を激励してくれた。
「山下くんは有望ですよ。特に平泳ぎがいい。ブッとすると、北島康介みたいになれるかもしれない」
 スイミングスクールのみんなは、雄太の選手コース入りにはびっくりしていたけれど、
「じゃあ、ぼくも」
と、一緒に選手コースに移ろうとする者はいなかった。

 翌日、雄太は今度もおかあさんと一緒に、ヤングリーブスへ退部届を出しに行った。
 チームの松井監督は残念そうだったけれど、
「じゃあ、スイミングで頑張って、いつか金メダルを取ってくれよな」
と、最後には励ましてくれた。
 もしかすると、野球の方は水泳よりは才能がないと思われていたのかもしれない。
 監督はあっさりとあきらめてくれたけれど、チームの仲間、特に同じ五年生たちは将来の主力メンバーを失ってがっかりしたようだった。
「ゆうちゃん、やめちゃうの。来年の県大会出場は絶望だあ」
 雄太と一緒に五年からレギュラーをやっている慶介は、そういって残念がっていた。

 選手コースの練習は、予想通りにきつかった。
 一応四種目とも練習は続けていたが、特に期待されている平泳ぎには特訓が待ち受けていた。
 普通に何本も泳ぐだけでなく、足にヘルパーを挟んで手だけで泳ぐ練習がきつかった。疲れてくると、上体が十分に浮き上がらずにたくさん水を飲んでしまった。
 コーチによると、野球やサッカーで鍛えていた下半身に比べて雄太は上半身が弱いので、平泳ぎのカキやクロールのプルを集中的に泳いで上半身を強化するとのことだった。まだ、小学生なので、マシンを使っての筋トレなどはできないので、水中で強化しようというのだった。
 毎日、毎日、黙々とプールで泳いでいると、雄太は少年野球チームのことが次第に懐かしく思い出されるようになった。
 選手コースにも小学生の仲間はいたけれど、水泳は基本的には個人競技なので、チームメイトというよりはライバルという感じの方が強かった。
 それほど強くなかったけれど、和気あいあいと練習していたヤングリーブスの仲間たちが恋しかった。
 そして、途中でチームを辞めてしまったことが後悔された。
 小学生の間は、いやせめて六年生の夏の県大会が終わるまでは、野球と両立させたままでもよかったのかもしれない。

月末の進級記録会の時に、選手コースの月例記録会も行われていた。
 雄太は、今回は二百メートル個人メドレーでなく、百メートル平泳ぎに出場した。
 二階席には、いつものかあさんだけでなく、今日はとうさんもやってきていた。ガラス越しに、ビデオカメラをこちらに向けている。選手コースになって初めての記録会なので、とうさんも期待しているのかもしれない。
  雄太は最下位でゴールした。タイムも練習の時のベストから5秒以上も遅かった。50メートルを過ぎてから、手のカキと足のキックがバラバラになってしまったようだ。スクールの進級記録会のレースの時にはもっとのびのびと泳げたのに、今日はすっかり緊張してしまっていた。
(よし、明日からもっと練習しよう)
 雄太はそう思っていた。
記録会での失敗が、かえって雄太の負けず嫌いな気持ちをむくむくと起させたようだ。
 もう少年野球には未練はなかった。自分が水泳でどこまでいけるかがんばってみようと思っていた。

    

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マーウ゛ェリック

2020-12-21 15:03:53 | 映画

 1994年公開の豪華キャスト共演の西部劇です。

 主役が「マッドマックス」(その記事を参照してください)などのメル・ギブソンで、相手役が「羊たちの沈黙」などのジョディ・フォスターで、さらに、大御所のジェームス・ガードナーやジェームス・コバーンまで出演しています。

 特に、ジェームス・ガードナーは、60年代の同名の人気テレビシリーズで、主役のマーウ゛ェリックを勤めているので、そのファンには堪らないでしょう。

 クライマックスは船上を貸しきった大掛かりなポーカー大会なのですが、それに至るまでの過程がユーモアたっぷりに描かれている、いわゆる珍道中物です。

 ガンファイトや殴り合いもたっぷりあるのですが、少しも血が流れない健全な娯楽映画です。

 

 

 

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木村義雄「ある勝負師の生涯」

2020-12-20 13:48:39 | テレビドラマ

 昭和二十七年に出版された将棋の十四世名人である著者の自伝「将棋一代」を、将棋観戦記者の天狗太郎が、遺族の了解のもと、将棋関係者以外には難しいないしは興味が持てないと思われる部分は梗概にして読みやすくし、巻末に著者の息子で将棋八段の木村義徳の「父の思い出」という小文を付け加えて、著者の家庭人の様子を補足して、平成2年に出版したものです。
 一読して、著者の文章の酒脱さと抜群の記憶力に驚かされます。
 高峰秀子「わたしの渡世日記」の記事にも書きましたが、どんな分野でも一芸に秀でた人は、例えいわゆる高等教育は受けていなくても、文章力と記憶力に優れているので、ゴーストライターを使っていない自伝ならば、面白い読み物であることが保証されているようです。
 特に、著者の場合は、将棋界初の実力名人(それまでは世襲だったり、実力者が推挙されたりして決まっていました)なのですから、記憶力が抜群なのも当たり前かもしれませんが。
 後半の将棋史に関わる重大事件も将棋ファンである私には興味深いのですが、前半は大正から昭和初期にかけての庶民の暮らしが、子どもの視点で克明に描かれていて興味深いです。
 貧困、子沢山の職人一家の暮らし、長屋の様子、母や兄弟との死別、父子の愛情、口べらしで養子や奉公でいなくなる幼い弟妹、貴族の館での奉公などが、将棋修行と共に、淡々とそしてそれゆえに痛切に描かれています。
 それは、同時期の代表的な児童文学である「赤い鳥」にはもちろん、その裏舞台で書かれていた「プロレタリア児童文学」にも描かれなかった、本当の庶民の子どもたちが描かれている、優れた児童文学作品といってもいいと思われます。

ある勝負師の生涯―将棋一代 (文春文庫)
木村 義雄
文藝春秋
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山口瞳「続血涙十番勝負」

2020-12-20 13:14:35 | 参考文献

 小説現代に連載されて、昭和四十九年に単行本化された、好評だった作者によるプロの将棋棋士との対戦記(その記事を参照してください)の続編です。

 飛車落ち戦を前回で卒業した作者の、今回の手合いは、角落ちです。

 ここまでくると、アマチュア名人クラスでしか指せないものなので、さすがの作者も苦戦します。

 対戦相手は以下の通りです(肩書は対戦当時のものです)。

第一番 白面紅顔、有吉道夫八段

第二番 神武以来の天才、加藤一二三九段(ヒフミンですね)

第三番 東海の若旦那、板谷進八段

第四番 疾風迅雷、内藤国雄棋聖(九段)(演歌歌手としても有名ですね)

第五番 江戸で振るのは大内延介八段

第六番 泣くなおっ母さん、真部一男四段(段位は低いですが、奨励会を卒業直後の指し盛りです)

第七番 屈伸する名匠、塚田正夫九段

第八番 岡崎の豆戦車(タンク)、石田和雄六段

第九番 振飛車日本一、大野源一八段

第十番 天下無敵、木村義雄十四世名人

 結論を言うと、これは手合い違いで、作者の一勝九敗(それも九連敗後の最後の一勝はお情け臭いです)に終わります。

 また、対戦相手も、前作と重複を避けたため、現役のタイトルホルダーは内藤棋聖だけで小粒な感じは否めません。

 個人的には、最終戦で引用されていた木村名人の文章を読んで、その著書「ある勝負師の生涯」(その記事を参照してください)に出会うきっかけになった事が、望外の収穫でした。

 

 

 

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山口 瞳「血族」

2020-12-20 13:06:20 | 参考文献

 母方の血族を執拗なまでに調べ上げていって、菊池寛賞を受賞した著者の代表作です。
 かつてはたくさんの私小説作家がいましたが、ここまで自分の親族をあからさまに、しかし恬淡として描いた作品はなかったのではないでしょうか。
 特に、母親の長所も欠点もこんなにあっけらかんと書けるのはすごいと思いました。
 一般的な小説の書き方としては、あまりうまくないでしょう(野坂昭如も書評で同様なことを述べています)。
 繰り返しや重複が多くて、読んでいてイライラする読者も多いと思われます。
 私は、作者の「血涙十番勝負」(アマチュアとしてはかなりの腕前の作者が、将棋のプロ棋士に駒落ちで挑戦します。続編もあります)や草競馬流浪記(衰退してあちこちで閉鎖されて十七か所しか残っていない現在とは違ってまだ二十七か所もあったころ、全国のすべて地方競馬場(山口の言葉を借りると草競馬)を巡るという競馬ファン垂涎のルポ)などのノンフィクションの愛読者なので、こういった作者の書き方には慣れています。
 全体の筋としては、出生の秘密(実際に生まれた日が兄(母が違う)と近すぎるので、別の日を誕生日として出生届された)、両親の結婚の秘密(妻子ある父が母と駆け落ち、今の言葉でいえば不倫の末のできちゃった婚)、母の生家(横須賀で遊郭(遊女たちに人には言えないようなひどい仕打ちをしていて、その呪いで子孫が絶えていると言われています)、母の謎の縁者たち(親戚ではなく、遊郭での仲間で、そろって生活力のない美男美女)などの謎を、親類や横須賀の遊郭の跡地などを訪ねて綿密に調べ上げていく話です。
 しかし、作品の魅力は、謎解きそのものではなく、その過程で繰り返し述べられる魅力的であった(美人で性格も実務能力も優れていた)母への強い思慕と、作者及び母があこがれていた安気で安穏な暮らしへの強い憧れです。
 最後から二番目の章で、作者は、それまで脇役でしかなかった父方の故郷を初めて訪れ、血族たちに会って号泣します。
 それは、もうほとんど絶えてしまっている母方の血族ではなく、確固たる「安気で安穏な暮らし」を維持している父方の血族をその目で確認できたからでしょう。
 それをふまえて、作者は、最後の章を簡潔に以下の文章だけで締めくくっています。
「私は、大正十五年一月十九日に、東京府荏原郡入新井町大字不入斗八百三十六番地で生まれた。しかし、私の誕生日は同年十一月三日である。母が私にそう言ったのである。」
 この作品は、私小説としては不出来かもしれませんが、この本が出たころにはその言葉はなかったであろう私ノンフィクション(この本の直後に、沢木耕太郎などによって確立されたと言われています)としては、傑作だと思います。
 児童文学でも、かつては自分のルーツを探る作品(後藤竜二の「九月の口伝」(その記事を参照してください)など)がありましたが、絶えて久しいです。

血族 (文春文庫 や 3-4)
クリエーター情報なし
文藝春秋

 

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マトリックス

2020-12-19 14:29:48 | 映画

 1999年公開のアメリカ映画です。

 コンピュータが支配した世界を描いた近未来SF映画で、その世界観には特に目新しいものはありません。

 しかし、CGとワイヤーアクションなどの従来の特撮技術を融合させた映像や音楽は斬新で、関連するアカデミー賞をそうなめにしました。

 主演のキアヌ・リーブスの若々しい魅力にあふれた演技もあいまって、世界中でヒットしました。

 特に、超高速で反応できるために、弾丸が止まって見えて、イナバウアーのようなスタイルでかわすシーンは、多くのパロディを生み出しました。

 子どもたちの間では、それを真似たマトリックスごっこがはやりました。

 インターネットが普及する前なので、サイバー空間に入る通路が電話回線というのには、時代を感じさせます。

 また、携帯電話はあるものの、まだ通信できるのは音声だけです。

 他の記事にも書きましたが、インターネットとスマホがいかにすごい発明であるかと、それを実現している半導体技術の進歩のものすごさが、この映画からも実感できます。

 

 

 

 

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三大怪獣 地球最大の決戦

2020-12-18 13:53:36 | 映画

 「モスラ対ゴジラ」(その記事を参照してください)と同じく、1964年に作られたゴジラシリーズ5作目です。
 三大怪獣というのは、モスラ、ゴジラと、もうひとつ東宝の誇る怪獣スター、ラドンのことで、人気スターのそろい踏みです。
 実は、もうひとつキングギドラも登場するのですが、それは途中まで伏せられています。
 初めはけんかをしていたゴジラとラドンを、正義の怪獣モスラ(国会の要請により、平和の島インファント島からやって来ました)が説得して、金星の文明を滅ぼしたというふれこみの宇宙怪獣キングギドラを、地球の三大怪獣が力を合わせてやっつけるという怪獣ストーリーに、命を狙われている外国の王女(なぜか金星人になったり、日本語をしゃべれたりします)とボディーガード役の日本の警察官の恋と冒険のストーリー(「ローマの休日」の完全なパクリです)をからめた娯楽作です。
 この作品で、怪獣たちの擬人化度が格段に上がったこと、「人類の敵」であったゴジラが「人類の味方」へ変身したこと、怪獣だけではスト―リーが持たないので人間たちのドラマを付け加えたことなどで、ゴジラシリーズはこの後急速に堕落していきます。
 人間社会の個々の問題(当時であれば、東西冷戦、核実験、安保、公害など)を批判するのではなく、人類のためとか地球のためといった大きな(それゆえあいまいな)正義を持ち出して、悪(この映画の場合は金星を滅ぼした宇宙怪獣)をやっつけるといった構図は、児童文学でもファンタジー作品でよく用いられますが、たんなる娯楽作品以上の価値は持ちえません。

 

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長谷川 潮「子ども読者は何を受容するか(上)」日本児童文学2016年1-2月号所収

2020-12-18 13:42:59 | 参考文献

 子ども読者は、日本の児童文学だけでなく以下のような多様な文学を受容しているので、何を受容しているかについてはその総体として論じる必要があることを述べています。
1.日本の児童文学(絵本も含む)
2.外国の児童文学(絵本も含む)
3.日本の古典や一般文学の児童版
4.外国の古典や一般文学の児童版
5.日本の古典や一般文学(児童版化されていない)
6.外国の古典や一般文学(児童版化されていない)
 ただし、5と6は一般論として論じるのは不可能として除外しています。
 私自身の読書体験でも中学生の時は5や6の本をかなり読んでいましたが、具体的にどんな本が子どもたちに読まれていたかを調べるのは困難なので、筆者の意見に同意します。
 まず、2002年に出版された「子どもの本・翻訳の歩み辞典」を、日本の子ども読者が何を受容してきたかを知るために有益であることを紹介しています。
 この本には、翻訳書だけでなく、全962項目中72項目も日本の本が含まれているそうです。
 筆者は、大石真の「教室205号」(その記事を参照してください)とカニグズバーグの「クローディアの秘密」の翻訳が、同じ1969年に出版されていることに、「なるほどと思わせられた」と述べていますが、まったく同感です。
 「教室205号」の学校で疎外された子どもたちの悲劇的な結末に心を痛めた子ども読者たちが、「クローディアの秘密」も読んだら、家庭で疎外されていたクローディアのその後の生き方にどんなに励まされたことでしょう。
 同様に、「子どもの本・翻訳の歩み辞典」には、古典や一般文学も190(ただし同じ作品の翻訳が複数含まれています。例えば、「ロビンソン・クルーソー」は8回、「ガリヴァ―旅行記」は4回など)も入っています。
 次に、いわゆる「童話伝統批判」について、筆者の体験的な評価が述べられています。
 まず、佐藤忠雄の「少年の理想主義について - 「少年倶楽部」の再評価」(その記事を参照してください)については、読者の立場からの意見として紹介するにとどめています(児童文学史的には、他の研究者たちも同様の立場です)。
 石井桃子たちの「子どもと文学」(その記事を参照してください)の「おもしろく、はっきりわかりやすく」という主張に対しては、「読んだ時のおもしろさだけで歴史的評価を無視している。最大公約数的な読者像で、個性的な読者は見落とされている。主に幼児、幼年向きの者にしかあてはまらない。機能面、形式面に傾きがちである」と批判しています。
 早大童話会の「少年文学宣言」派の鳥越信の「子どもの論理、子どもの価値観にのっとったもの」「内包するエネルギーがアクティブなものが望ましい」という主張に対しては、「現実の子どもと作品の中の子どもを単純に結び付けている。現実の子どもはもっと複雑多様だと思う」と、やや控えめに批判しています(「少年文学宣言」派について論じるときには、理論の中心的な役割を果たした古田足日の主張(例えば「現代児童文学論」(その記事を参照してください)を紹介するのが一般的ですが、筆者は古田の論は難解すぎるとして、より分かりやすい鳥越信の主張を紹介しています)。
 日本の児童文学界においては、日本児童文学だけを個別に取り上げて議論することが多かったのですが、筆者が述べているように外国の児童文学や内外の古典や一般文学の影響を含めて総体的に検討する必要があるでしょう。
 例えば、他の記事にも書きましたが、ピアスの「トムは真夜中の庭で」が翻訳された後に日本でもタイムスリップ物がたくさん書かれるようになったり、トールキンの「ホビットの冒険」や「指輪物語」が斎藤敦夫の「冒険者たち」などに影響したり、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の若者の話し言葉を使った文体が日本の児童文学に影響を与えたりなど、興味深いテーマがたくさん見つかりそうです。

戦争児童文学は真実をつたえてきたか―長谷川潮・評論集 (教科書に書かれなかった戦争)
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梨の木舎
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村中李衣「『商品』としての幼年童話は……」日本児童文学1999年1-2月号

2020-12-18 13:31:02 | 参考文献

 児童文学者(作家、評論家、研究者など多面に活動しています)の著者が、幼年童話の古典的な作品と1990年代の商品化された幼年文学を比較して論じています。
 幼年童話で名作と言われている「くまの子ウーフ」、「いやいやえん」、「ながいながいペンギンの話」、「モモちゃんシリーズ」などにおいては、手渡し役としての大人の存在が必要だったとしています。
 読み聞かせにしろ、子どもと一緒に読む形にしろ、大人たちのリアクションが、物語に対する子どもたちの理解を助けるのに有効だったのです。
 子どもたちだけでは、物語の個々の場面には敏感に反応できても、物語全体を理解することは困難であったろうと推定しています。
 これらの物語が書かれてから三十年以上が経過して、親子関係や子どもたち自身の変化(働く女性の増加、子どもたちの識字能力の向上など)から、この論文が書かれた時点では、子どもが単独で本を読むことが増えてきたとしています。
 そして、この傾向に適応している作品として、「かいけつゾロリシリーズ」や「まじょ子ちゃんシリーズ」などをあげています。
 これらの本では、ストーリーで読ませるよりは、擬音語や擬態語を多用して、個々の場面の面白さで読ませているとしています。
 著者自身は、「かいけつゾロリシリーズ」や「まじょ子ちゃんシリーズ」に否定的なようですが、文中では明言していません(この論文のあいまいな表題にもそれが表れています)。
 その理由は、最後に述べられているように、これらに代わるものを彼女自身が提案できないからです。
 この論文を読んで、商品性を前面に出した幼年文学に対する著者の批判の歯切れの悪さが不満でした。
 たしかに、著者は研究者や評論家であるとともに幼年童話の実作者でもあるので、自分自身でこれらに代わるものを書けていない負い目はあるでしょう。
 しかし、それよりも彼女が児童文学業界の体制内の人間であることが、批判の刃を鈍らせているような疑いもあります。
 こうした児童文学界の業界内部への批判精神の欠如が、現在の児童文学の退廃(この論文が書かれてから20年以上がたった現在では、児童文学の商品化は幼年だけでなく全体を覆い尽くしています)を生み出したのかもしれません。

日本児童文学 2014年 12月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店
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