大通りから一本入った裏道に、その事務所はありました。「ヤマネコよろず引き受け事務所」なんて、たいそうな名前がついています。
でも、表のくたびれかかった看板には、
(なんでも屋でござーい。どんな仕事でも引き受けます)
って、書いてありました。
事務所の中では、今日もヤマネコ所長がひまをもてあましています。所長といっても、この事務所はヤマネコひとりでやってるんですけどね。
ヤマネコは、じまんの口ひげを左上から順番に数えてみました。
左が五本で、右が四本。ぜんぶで九本です。
今度は、右下から数えてみました。右が四本で、左が五本。やっぱり九本です。
右と左で数が合わないのは、右の上から二番目がぬけているからです。そのかわりに小さな古傷がありました。
(こんなにひまだと、ただでさえ丸い背中が、ますます猫背になっちゃうよ)
ヤマネコは大きくひとつのびをすると、白髪まじりの鼻毛を一本ひきぬきました。
チリリリン。
ドアに取り付けたベルをならして、ようやくお客さんがはいってきました。アナグマのおくさんです。
「いらっしゃいませ。どんなご用で?」
ヤマネコが、もみ手をしながらたずねました。
まだ11月になったばかりだというのに、アナグマのおくさんは、高そうなフカフカの毛皮をまとっています。そういえば、アナグマのだんなは、土建会社の社長です。猫魔山に造成中のアニマニュータウンの仕事で大もうけしていると、もっぱらのうわさでした。
「ご存知のように、タクの主人は大忙しザアマスでしょ」
アナグマのおくさんは、とがった鼻を上に向けて、ツンツンしながら話し出しました。
「はいはい、よく存じ上げています」
ヤマネコは、ニヤニヤしながら聞いています。
「それで、今度の日曜日、アニマ小学校の運動会なのに、出張で来られないんザアマス」
「はあ?」
「アタクシはアタクシでPTAの仕事で忙しいザアマスでしょ。ほら、なにしろ副会長をおしつけられてしまったザアマスから。オホホホ」
「そうでしょうねえ。なにしろ奥様は人気がおありだから」
ヤマネコは、ますますもみ手をしながら調子を合わせました。
「それで、うちのボクちゃんの大活躍を、ビデオにとっていただけないザアマスかしら?」
(ボクちゃん、ボクちゃんと。はて?)
ヤマネコは、ようやくにくたらしいので有名な、アナグマのハナタレ小僧を思い出しました。
でも、もちろん、そんなことはおくびにもだしません。
「ああ、あのかわいらしいお坊ちゃんのことですね。それはお困りのことでしょう」
ヤマネコは、お世辞笑いをうかべています。
「えーと、今度の日曜日でしたね。スケジュール、スケジュールと。何しろ、大忙しなもんですから」
ヤマネコは、スケジュール表を調べるふりをしますが、本当は、見る必要なんかありません。だって、中はまっしろ。何の予定もありませんから。
「奥様、ついてますねえ。その日だけが空いていましたよ」
「まあ、よかった。それで、おいくらかしら?」
アナグマは、ずるがしこそうな目つきでヤマネコもにらみました。
「特別お安くして、1時間ごとに300ドングリ(1ドングリは約10円)でいかがでしょう」
「まあ、ちょっと、お高くありません? ディジタルビデオカメラとディスクはこっちで用意するザアマスから、もっとお安くならないかしら。そうねえ、100ドングリぐらいでどう?」
アナグマのおくさんの目が、ぬけ目なく光りました。
「そ、そんなあ!」
ヤマネコは情けない声を出しました。
でも、お金のことにかけては、アナグマのおくさんの方が、一枚も二枚も上手です。けっきょく、1時間100ドングリにねぎられてしまいました。
「まったく、大金持ちのくせに、ケチンボなんだから」
アナグマのおくさんが帰ってからも、ヤマネコはいつまでもブツブツと文句をいっていました。
「あーあ、ぜんぜん楽で、がっぽりもうかるような仕事がこないかなあ」
どこかの王国のお姫様のボディーガードなんかいいなあ。その王女様が絶世の美女だったりして。そして、二人は恋に落ちて、……。
昔の海賊の宝捜しとかもいいなあ。どこかの宝島の地図をもとに、大航海して。金の延べ棒やダイヤモンドの指輪、真珠のネックレスなんかも、どっちゃり見つかったりして、……。
「あーあ、なんでもいいから、いっぺんに百万ドングリぐらい、ドカンともうかる仕事がこないかなあ」
ヤマネコは、ひげをひっぱりながら、そうつぶやきました。
こう見えても、ヤマネコは、何をやらせても仕事の腕はいいのです。探偵でも、ボディーガードでも、なんでもこなせます。
でも、金もうけとなると、からきしへたくそでした。
最近やった仕事も、ろくなのはありません。
アニマ幼稚園の雑草取り、アニマ祭りでの落し物捜し、アニマ商店街の宣伝ポスター貼り、……。
せいぜい数百ドングリの半端仕事ばかりです。しかも、そんな仕事でさえ、しょっちゅう代金をねぎられたり、取りはぐれたりしています。
ボーン、ボーン、……。
大きな古い柱時計が、正午を知らせました。
ヤマネコは事務所の入り口の鍵をかけると、近くの店まで食事に出かけました。
もっとも、別に鍵なんかかけなくっても、取られるものなんて何にもないんですけどね。
大もうけの空想をしたおかげで、ヤマネコはすっかりいい気分になっていました。 さっきまで、アナグマの奥さんの文句をいっていたことなど、どこふく風です。
「フンフン、フフン、……」
鼻歌まじりで、お店のドアをいきおいよくあけました。
「ママ、いつものやつね」
「あら、ヤマちゃん、ご機嫌ね」
黒ネコのマダムが、カウンターの中からこたえました。
ここ、歌謡スナック「ビロード亭」では、昼間はランチサービスもやっています。独身で一人暮らしのヤマネコは、毎日ランチを食べに来ている常連でした。
本当のことをいうと、ランチだけでなく別のお目当てもありました。それは、もちろん黒ネコのマダム。実は、ヤマネコはマダムに片想いをしていたのです。
でも、変なところで純情な所があるヤマネコは、まだ気持ちを打ち明けていません。
「はい、本日の日替わり定食。カツオブシは、たっぷりサービスしておいたわよ」
黒ネコのマダムは、メザシのネコマンマ定食をヤマネコの前に置きました。
日曜日になりました。いよいよアニマ小学校の大運動会の日です。
アニマタウンの中ほどにあるアニマ小学校に、朝早くから家族たちの場所取り合戦で混み合っていました。
ところが、開始5分前になっても、ヤマネコの姿が見えません。どうやら、寝坊でもしてしまったようです。
「まあ、あのグズヤマネコったら、どうしたんザアマスでしょう」
いつものように毛皮やアクセサリで着飾ったアナグマの奥さんは、PTA席でイライラしています。
そのとき、やっと校門からヤマネコがかけこんできました。
9時ピッタリ、開始時間です。
よっぽど急いできたのか、じまんの口ひげをとかすひまもなかったようです。クシャンクシャンのビロローンになっています。
「あーっ、よかった。なんとか間に合った」
「よかったじゃありませんザアマス。何をグズグズしているんザアマス。はい、ディジタルビデオカメラとディスク。さっさと撮影を始めるんザアマス」
アナグマの奥さんにどやしつけられながら、ヤマネコはあわてて撮影エリアに急ぎました。
ヤギ校長のメエーメエーと長ったらしい挨拶も、全員での準備体操も無事に終わりました。
ヤマネコは大勢の中からアナグマのボクちゃんを見つけだすと、そちらにビデオカメラを向けました。
ボクちゃんは、挨拶にすっかりあきてしまっているらしく、ずっとはなくそをほじくっていました。
運動会のプログラムは、順調に進んでいきます。いよいよボクちゃんの出場する徒競走です。
スタートラインに選手がならびました。
「ヨーイ」
ドン。
ピストルが鳴ると同時に、選手がいっせいにスタート。
と、いいたいところですが、ピストルに驚いたボクちゃんは、スタートラインで腰を抜かしていました。
その後も、ボクちゃんは、まるでいいところがありません。
大玉ころがしでは、ころんで玉の下敷きになってペッタンコ。
フォークダンスでは、ボクちゃんだけ、みんなからワンテンポ遅れて踊っていました。
そんなボクちゃんの失敗の数々を、ヤマネコはバッチリとカメラにおさめました。
でも、撮影しながら、ヤマネコはだんだん不安になってきました。
(こんな失敗ばかりを映したビデオに、ちゃんとお金を払ってくれるかしら?)
たくさんのプログラムもすべて無事に行われ、運動会がめでたく終了しました。
ヤマネコはPTA席のアナグマのおくさんの所へ、ビクビクしながら行きました。
ところが、どうしたことでしょう。アナグマのおくさんは、上機嫌でニコニコしているのです。
「あーら、ヤマネコさん。どうもごくろうさま。うちのボクちゃんの大活躍をきちんととってくれたザアマスか」
(はて、大活躍?)
本当に、親の欲目というのは恐ろしいものでございます。あんなボクちゃんでも、きっと大活躍に見えたのでしょう。
でも、ヤマネコはそんなことはおくびにも出さずに、
「はいはい、それはもうバッチリ」
と、にこやかな笑顔を浮かべながら、約束の6時間分、600ドングリ(約六千円)を受け取りました。
その翌日の朝でした。
チリリリン。
ドアのベルが鳴りました。
どうしたことでしょう。こんなに朝早くからお客さんが来るなんて、めったにないことです。
でも、お客の顔を見て、ヤマネコはギクリとしました。それは、ドアを開けて入ってきたのがタヌキだったからです。
高利貸しのタヌキは、町の顔役です。
(腹黒い)
って、もっぱらの評判でした。
「これは、これは、タヌキさん。どんなごようですか?」
ヤマネコはとっさに出かかった爪を引っ込めると、いつものようにもみ手をしながらいいました。たとえ評判が悪くても、お客はお客です。それに「ヤマネコよろず引き受け事務所」は、そんな選り好みをしていられるような経営状態じゃないのです。
「今日はおまえさんに、もうけ話を持ってきてやった」
タヌキは、いかにもえらそうに太鼓腹を突き出しながらいいました。
「それは、それは、どのようなお話ですか?」
「簡単な仕事だ。明日の夜中の12時に、アニマ港の第三埠頭で、この男からある品物を受け取ってきて欲しいのだ」
タヌキは、一枚の写真を机の上に置きました。写っているのは、外人キツネです。ベージュ色のトレンチコートを着て、黒のサングラスをかけていて、いかにもうさんくさそうです。
「それで、その品物というのはなんですか?」
「いや、それは秘密だから、聞かないでくれ。その代わり」
そういうと、手の切れそうな新品の千ドングリ札を10枚、机の上に並べました。
「前金で、一万ドングリ(約十万円)。無事に品物を届けてくれたら、さらに十万ドングリ(約百万円)でどうだ」
ヤマネコはよだれをたらさんばかりの様子でお金を受け取ると、タヌキの依頼を引き受けてしまいました。
「マダム、いよいよ俺にも運が向いてきたよ」
ヤマネコは、カウンターの中の黒ネコのマダムにいいました。その日も、ヤマネコは歌謡スナック「ビロード亭」に、ランチを食べに来ていました。
「あら、ヤマちゃん、ここのところ、すっかりご機嫌ね」
黒ネコのマダムが、今日の日替わり定食、「豚肉のマタタビソースランチ」をカウンターに置きました。
「今度は、本物のもうけ話さ」
ヤマネコがニヤニヤしながらいいました。
「へー、いったいどんないい話があったの?」
ヤマネコがマタタビのにおいがプンプンする豚肉にかぶりついた時、マダムがたずねました。
「それは、ヒ・ミ・ツ。でも、タヌキさんは前金で1万ドングリもくれたし、成功報酬は10万ドングリももらえるんだ」
前金は、たまっていた家賃の支払いなんかに使わなくてはなりません。
でも、成功報酬のお金が入ったら、黒ネコのマダムに何か素敵なプレゼントを贈るつもりでした。そして、そのとき自分の気持ちを……。
「ヤマちゃん、だいじょうぶ? 危ない仕事ではないでしょうね」
マダムが、心配そうに小首をかしげながらいいました。
翌日の真夜中、アニマ港の第三埠頭。そこにヤマネコの姿がありました。
もうすぐ約束の12時。
コツコツコツ。
埠頭の先端の方から足音が響いてきました。
目を凝らしてみると、ひとりの男が近づいてきます。
目深にかぶったソフト帽。サングラスにベージュのトレンチコート。
間違いありません。写真の外人キツネです。
「ヤマネコか?」
かすかに外国なまりがあります。
「そうだ」
そう答えると、キツネはポケットから小さな箱を取り出しました。
ヤマネコは、受け取った「品物」が意外に小さいのでびっくりしました。マダムが心配していたような麻薬や武器なんかではなさそうです。
(ダイヤモンド? それとも密輸品の隠し場所の鍵とか地図なんかでは?)
ヤマネコは、いろいろと想像してしまいました。
と、そのときです。
「おっと、そいつはこっちでいただこう」
いきなりうしろから声がかかりました。
振り返ると、いつのまにかウルフ団の一味が、十人近く忍び寄っていました。タヌキと対抗するもう一人の顔役、オオカミの手下たちです。みんな、手に、手に、ナイフやこん棒を持っています。
先頭のジャッカルが、二人にピストルを突きつけました。
「だましたな」
外人キツネが怒鳴りました。
「いや、俺じゃない。でも、どうやら勝ち目はなさそうだな」
ヤマネコはそういうと、ジャッカルにむかって小箱を差し出しました。
「ちくしょう、そうはさせるか」
いきなり外人キツネが、ヤマネコの影にまわりこみながら銃を抜きました。
ガガーン。
でも、一瞬早く、ジャッカルの銃が火を吹きました。外人キツネは、パッタリと倒れました。
ジャッカルの銃は、今度はヤマネコに向けられました。その瞬間、ヤマネコの目が、キラリキラーリと光りました。
ヤマネコは持っていた箱を、すばやくジャッカルに投げつけました。
ガガーン。
手元を狂わせたジャッカルの弾丸は、ヤマネコのほほをかすめただけでした。
でも、左の上から二番目のひげが吹き飛ばされました。これで、左右四本ずつ、きれいにそろったことになります。
ヤマネコはすばやく体をしずめると、ジャッカルに体当たり。ジャッカルの手からふっとんだ拳銃は、埠頭をすべっていって、そのまま海にドボン。
しかし、ナイフやこん棒を手にしたウルフ団の手下たちに、取り囲まれてしまいました。
それをグルリと見まわしたヤマネコの口からのぞくキバは、ギラリギラーリ。両手の爪もズラリズラーリと飛び出して、すっかり臨戦体制です
「いくぞお」
まわりから襲い掛かるウルフ団に、ヤマネコは一人で立ち向かいます。
右からくるナイフはさっとかわして、鋭いパンチ。左からくるこん棒は逆に奪い取って、激しい一撃。
後はもう、ちぎってはなげ、ちぎってはなげ。すっかりヤマネコの独り舞台です。
でも、相手は大勢です。なかなか勝負はつきません。
ピリピリピリー。
あたりに、ホイッスルが鳴り響きました。
「警察だ。おまえたちはもう取り囲まれている」
ブルドック署長を先頭に、アニマ警察が到着しました。大きなイヌの形をしたパトカーが何台もとまって、第三埠頭を封鎖しています。
「やばい、逃げろ」
ジャッカルをはじめとして、ウルフ団の連中があわてて逃げようとします。
でも、埠頭は行き止まりです。次々と逮捕されてしまいました。中には、海に飛び込んだ者もいましたが、それらもかけつけた警備艇に捕まえられました。
「くそっ、おぼえてろよ」
ヤマネコにむかって捨てゼリフをはきながら、手錠をかけられたジャッカルはイヌ型パトカーにのせられました。
「ヤマネコ、おまえもちょっときてもらおうか」
ブルドック署長が、ヤマネコにいいました。
「えっ、おれもですか。完全に正当防衛ですよ」
ヤマネコはブツブツ文句をいいましたが、
「まあ、なにしろ一人殺されているんだからな。おまえさんにも事情を聞かせてもらわなきゃな」
署長に背中を押されながら、ヤマネコもイヌ型パトカーにのりこみました。
ウーウー、ワンワン。
へんてこなサイレンを響かせながら、イヌ型パトカーは夜更けの町を走り出しました。
「だから、タヌキから受け取りを頼まれたっていってるでしょ」
ヤマネコは、大きな声でどなりました。
ここはアニマ警察の取り調べ室。ヤマネコはイヌ型パトカーで、警察署に連れてこられていました。
「そんなデタラメをいったって、すぐにばれるんだぞ」
ブルドッグ署長が、じきじきに取り調べています。
「じゃあ、タヌキに聞いてみてくださいよ」
「よーし、わかった。嘘をついてもすぐにわかるんだからな」
ブルドッグ署長は、電話をかけるために取調室を出て行きました。
でも、すぐに戻ってきてしまいました。
「やっぱりタヌキ氏は、お前の所なんか行っていないし、頼んだ覚えもないって、おっしゃってるぞ」
「そんなあ。タヌキが嘘をいってるんだ」
「何が嘘だ。だいたいおまえはふだんからうさんくさいと思っていたんだ。でも、外人キツネとの密輸にまで手を出しているとは思わなかった」
ブルドッグ署長は、太鼓腹を突き出していばっていいました。
「そうだ、タヌキをよんでくれ。二人で対決させてくれれば、おれの濡れ衣をはらしてみせる」
でも、もう明け方近くです。けっきょく、ヤマネコはその晩は留置場に留め置かれることになりました。
翌朝、
「取り調べだ。出ろ」
と、看守にいわれて、ヤマネコは留置場から出てきました。まだ顔も洗っていないので、ご自慢の口ひげもクシャンクシャンのビロローンです。留置場の硬いベッドで一晩を過ごしたので、身体の節々がいたくてしかたありません。
「ううーん」
ヤマネコは、大きくひとつ伸びをしました。
取り調べ室へ行くと、そこにはタヌキの姿は見えませんでした。ブルドック署長だけです。
「タヌキは?」
ヤマネコがたずねると、
「タヌキ氏はお忙しくていらっしゃれない。オホホーン」
と、ブルドック署長は、わざとらしいせきばらいをしました。
これで、タヌキと直接対決することはできなくなりました。なにしろ、アニマ市では顔役のタヌキのことです。どうやら、抜かりなく裏で手をまわしたにちがいありません。もしかすると、ブルドッグ署長もワイロか何かをつかまされたのかもしれません。
「他に証人はいるのかね? 誰もいないんだったら、おまえの話は信じるわけにはいかないね」
ブルドッグ署長は、冷たく言い放ちました。
「そうだ、ビロード亭のマダム。彼女だったら、俺がタヌキに頼まれたことを知っている」
ヤマネコは、最後の望みをたくすようにいいました。
その日の遅くになって、やっとヤマネコは釈放されました。ブルドッグ署長が、ようやく黒ネコのマダムに連絡をつけてくれたようです。
黒ネコのマダムは、ヤマネコのために、この間の話を証言してくれました。
ブルドッグ署長は、あっさりと黒ネコのマダムの言うことを信用してくれました。
(なぜかですって?)
実はブルドック署長も、黒ネコのマダムのファンだったのです。そのことが、ヤマネコにはさいわいしたようです。
「ヤマちゃん、だいじょうぶ」
黒ネコのマダムは、警察署の外でヤマネコを待っていてくれました。
「どうも、すっかり迷惑かけちゃって」
ヤマネコは、黒ネコのマダムに頭を下げました。
「なんだかあやしいと思ったのよ。どうも、話がうますぎるもの」
実はこんなこともあろうかと、マダムはヤマネコがアニマ埠頭にでかけるのをひそかにかぎつけていたのです。そして、あの夜、アニマ署へ匿名で連絡してくれていたのでした。
「それにしても、タヌキの奴め」
ヤマネコは、どこか安全なところでふんぞりかえっているだろうタヌキにむけて、うなり声をあげました。
例の小箱は、ドサクサまぎれに行方不明になっていました。もしかすると、ちゃんとタヌキの手元に届いているかもしれません。なにしろ、警察の中にも、タヌキの息のかかったものがいるのですから。
もちろん、ヤマネコがもらうはずだった報酬の十万ドングリはパーです。それに、手付け金の一万ドングリまで、そっくり証拠として没収されてしまいました。今度も、ヤマネコはただのくたびれもうけになったわけです。
「あーあ、オレって、何をやってもだめ。けっきょく、いつも骨折り損のくたびれもうけなんだよなあ」
ビロード亭のカウンターで、ヤマネコはマタタビ酒をすすりながらためいきをつきました。
「でも、それが、ヤマちゃんのいいところなんだから。これ、あたしの気もち」
黒ネコのマダムは、一夜干しのスルメを、サービスで出してくれました。
「サンキュー」
ヤマネコは、スルメを手にとって、大きくかじりました。
「マダム、デュエット、デュエット」
うしろのボックス席のよっぱらったイタチの四人連れから、声がかかりました。
「はい、はい、お待たせ」
黒ネコのマダムは、ボックス席へ行ってしまいました。
リクエストの、「ギンナン山の恋の物語」がかかります。よっぱらいイタチが、黒ネコのマダムの肩に手をまわして、デュエットで歌いだしました。
ヤマネコは、一瞬、イタチにキラリキラーリの視線をおくりました。
でも、すぐにまた、もとのねむたそうな目つきにもどってしまいました。
「あーあ、オレって、…」
窓の外では、猫魔山に青白い三日月がかかっています。