現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

井田真木子「プロレス少女伝説」

2018-07-30 08:30:37 | 参考文献
 クラッシュギャルズを中心とした、1980年代の第三次女子プロレスブームを描いたドキュメンタリーです。
 女子プロレスが、外国から輸入された男子プロレスと違って、女相撲をルーツに持つ特殊な芸能であることを指摘している点は、1970年代のビューティペアを中心とした第二次女子プロレスブーム(ちなみに第一次はマッハ文朱の頃です)においてもプロレスと歌を混合した興行をしていたこともふまえると、うなずけるものでした。
 しかし、男子プロレスも、力道山らによってアメリカから輸入されたもの以外に、木村政彦たちのプロ柔道や、ボクシングと柔道や空手による異種格闘技戦などのルーツもあって、井田が言うような単純なものではなかったと思われます。
 また、クラッシュギャルズの出現が、従来の男性中心の観客からレスラーたちに過剰に感情移入する少女ファンに変わったという主張も、第二次ブームの時にビューティペアにあこがれる少女ファンが多数いたことを思い起こすと、女子プロレスのベースのファンはやはり男性で、スターが現れたブームの時に一過性の少女ファンが急増すると言った方が妥当なのではないでしょうか。
 また、このドキュメンタリーは、クラッシュギャルズで特に人気がありブームの中心にいた長与千種、女子柔道から転向した今で言うと総合格闘技を志向していたと思われる神取しのぶ、ゲストとしてではなく長期に巡業に帯同するアメリカ人女子プロレスラー、中国未帰還者三世の女子プロレスラーの合計四人に対する取材から構成されているのですが、それぞれが女子プロレスに対して大きな問題意識を抱えながら関わっていただけに、それぞれの問題が中途半端に描かれて全体としては未消化に終わった感が強いです。
 また、作者がフリーランスとはいえ女子プロレス雑誌に記事を書いていた人間なので、体制内ジャーナリズムの匂いもして、興行サイドに対する批判も具体性に乏しくて物足りませんでした。

プロレス少女伝説 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋
 
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辻原登「寂しい丘で狩りをする」

2018-07-29 09:51:20 | 参考文献
 かつて強姦をして逮捕された男が七年後に出所し、その男から執拗に命を狙われている被害者女性と、彼女に調査を依頼されたこれも別れた男にストーカー行為を受けている女性探偵との奇妙な関係を、ミステリータッチで描いています。
 偶然の多用、荒唐無稽なストーリー展開、デフォルメされた登場人物など、典型的なエンターテインメントの手法で書かれた作品です。
 作品の面白さはまあまあと言ったところなのですが、ここで注目したいのは作品にちりばめらた非常にマニアックな情報の扱いについてです。
 この作品でも、辻原が得意とする、犯罪、裁判、映画、カメラ、文学、風俗などの分野において、博覧強記ぶりをいかんなく発揮しています。
 しかし、これらのマニアックな知識の披瀝が、時として物語の本質から外れたところで長々とおこなわれてしまいます。
 これは、プロットを追って読んでいるコモンリーダーの読みを阻害していることもあったように感じられました。
 たしかに「神は細部に宿る」ともいいます。
 児童文学の世界でも作者ならではの知識がちりばめられた作品を読むことは、読書の喜びのひとつなのですが、いき過ぎると失敗することが多いようです。

寂しい丘で狩りをする
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講談社
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千早茜「アカイツタ」眠りの庭所収

2018-07-28 16:21:25 | 作品論
 画家くずれの女子校の美術教師と、かつての恩師の娘との屈折した恋愛小説です。
 文章も描写も題材も比喩も、すべてがひどく古典的な少女小説です。
 秘められた過去、近親相姦、同性愛、私立のお嬢様学校、肉親への憎悪、芸術至上主義、女性好みの官能シーン(この作品のような描写では男性読者にはうけません)など、非常に時代がかった感じがします。
 でも、これらは女性好みのモチーフなので、こういった古くさい書き方の小説でも、一定の女性読者がいるのでしょう。
 この作品は、吉屋信子以来、綿々と書き続けられてきた、少女小説、少女マンガ、レディースコミックの伝統を正しく受け継いでいるのかもしれません。
 現代の児童文学では大半が女性読者(子どもだけでなく大人も含めて)なので、こういった(さすがに性愛シーンはタブーですが)少女小説は、今でも人気があります。

眠りの庭 (単行本)
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角川書店
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殺したい女

2018-07-28 08:30:19 | 映画
 1986年公開のアメリカ映画です。
 妻を殺したい夫と殺されても仕方ないと思えるような猛烈な個性の妻(誘拐中にダイエットしてスリムに美しく、性格もいい人間に変身)を中心に、心優しく気弱な誘拐犯の若いカップル、夫の愛人とその間抜けな情夫、変態の警察署長とその無能な部下たちといった面々が、ドタバタコメディを展開します。
 ストーリー自体は、勘違いの連続を生かした他愛のないものですが、なんといっても主役を演じたダニー・デヴィートとベット・ミドラーの怪演ぶりが、この映画の最大の魅力でしょう。
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土山優「海のむこう」

2018-07-25 09:03:46 | 作品論
 北海道の冬や、海のむこうの世界への憧れを描いた絵本です。
 こういったテーマの作品は多く書かれているので、特に新味はありません。
 文章も、会話などでこなれていない部分が散見されて、特に感心しませんでした。
 ただし、小泉るみ子の叙事的でありながら抒情性もたたえた絵は、非常に魅力的でした。
 しかし、このような作者たちの少女時代の風物や心情が、子どもの読者たちにどのように受け取られたかは疑問が残りました。
 特に「海のむこう」へのあこがれは、ネット時代を生きる現代の子どもたちには理解不能だったのではないでしょうか?
 ただ、今の絵本のターゲットの読者は、子どもたちから幅広い年代の女性たちへと移っているので、作者たちと同世代の女性たち(特に地方出身者)のノスタルジーを掻き立てることには成功したのではないかと思われます。

海のむこう
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新日本出版社
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庄野潤三「二人の友」庄野潤三全集第四巻所収

2018-07-23 10:16:53 | 作品論
 タイヤメーカーの営業やサポートの人と一緒に、ダムの工事現場へ行く話です。
 何かの企画による取材旅行なのでしょう。
 当時(1960年代)は、こういった仕事の依頼が作家にきていたようです。
 テレビやノンフィクション文学が、まだあまり確立されていなかったからでしょう。
 タイトルは「二人の友」とありますが、彼らとの付き合いはしごく表面的で、たんにダムの工事現場の様子や彼らが利用する旅館を描写しただけのものにすぎません。

庄野潤三全集〈第4巻〉 (1973年)
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講談社
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庄野潤三「マッキー農園」庄野潤三全集第四巻所収

2018-07-22 21:02:58 | 作品論
 これも、作者が妻と一緒にアメリカの田舎町のガンビアに一年間滞在した時の話です。
 作者が、義父の農園を借りて牛を飼っているマッキー氏の家族と知り合うようになったのは、帰国の数か月前ですが、そこから急速に親しくなって作者たちが帰国するときに最寄りの飛行場へ車で送ってくれたのも彼らでした。
 収益の半分を義父に払わなければならないので、重労働の割にはぎりぎりの生活(現に、帰国のために捨てようとしていた作者たちが使っていた靴や食器や調理器具などを喜んでもらっています)だとマッキー氏は語っていますが、作中に登場する彼らの食生活(盛りだくさんのローストビーフやチキンやケーキや果物など)は、当時(1958年と思われます)の日本の基準で考えれば随分豊かです。
 敬虔で親切で誠実な働き者のアメリカ人が、まだ質素だが堅実な暮らしができたころの古き佳きアメリカがそこには描かれています。
 もちろん、公民権運動が勝利をする前なので、そこに登場しているのは白人ばかりですが。
 私が初めてアメリカに行ったのは1980年代ですが、そのころでもアメリカの田舎(私が行ったのは主にコロラド州やテキサス州です)では、私が普段行っていたカリフォルニア州のシリコンバレーあたりに住んでいる人々(白人以外はアジア系の人たちが多く、東部と違って黒人は相対的に少なかったです)とはかなり違った、堅実で親切な懐かしい感じのするアメリカ人(白人)たちと出会いました。
 私が懐かしいと感じたのは、子どものころにテレビで人気のあったアメリカドラマ(「名犬ラッシー」「ララミー牧場」「ローハイド」「パパは何でも知っている」「うちのママは世界一」「ビーバーちゃん」など)の影響でしょう。
 そうした、白人の田舎の庶民の多くは、その後生活的に困難な状況に陥いって「プワー・ホワイト」と呼ばれ、彼らの転落の原因をエスタブリッシュメント層(これは正しいと思います)と移民(かつては彼らもまたヨーロッパ各地からの移民だったのですが)に求め、トランプ大統領登場の原動力になったのはご存じのとおりです。

庄野潤三全集〈第4巻〉 (1973年)
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講談社
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安藤美紀夫「夢をみる町」でんでんむしの競馬所収

2018-07-21 17:39:06 | 作品論
 いつもは薄汚れている路地裏も、雪が降るときれいにお化粧されます。
 そんな中、路地裏の子どもたちは、盗み飲みをしたお酒に酔っぱらって、いろいろないたずらをしながら、雪の町を彷徨います。
 最後には、お屠蘇気分の守衛の目を盗んで、映画撮影所(太秦でしょう)の中に迷い込んで、撮影用のセットの大名屋敷の奥座敷で、すやすやと眠ってしまいます。
 貧しい子どもたちに訪れた奇妙なお正月を、幻想的な風景の中に描き出しています。

でんでんむしの競馬 (少年少女創作文学)
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偕成社
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安藤美紀夫「路地裏の虹」でんでんむしの競馬所収

2018-07-20 09:11:11 | 作品論
 学校でトイレに行くことを先生に言えずに何度も漏らしてしまい、担任の女の先生が怖くてとうとう学校へ行けなくなってしまった一年生の女の子の話です。
 みんなが三年生になった時に担任の先生が代わったと聞き、思いきってまた学校へ行きますが、新しい一年生の教室へ行けずに、つい奉安殿(天皇の写真が収められていて、誰も立ち入りしてはならず塀の中にも入ってはいけないことになっています)の塀の中でおしっこをしてしまいます。
 校長を初めとして学校中が大騒ぎになり、女の子は二度と学校へ行けなくなってしまいました。
 そんな主人公が、千人針(ほそながい白のさらしの布に、千人の女の人が赤い小さな糸玉ひとつづつ縫ってあげる物で、これをおなかに巻いていると敵の弾に当たらないという信仰があって、出征する兵士に贈ります)を知って、自分自身は汚らわしいと縫わせてもらえなかったのに、兵隊さんが弾に当たって死んだらかわいそうと、自分で作ることにします。
 彼女にとっては恐ろしい場所である露地の外へも勇気をふるって出かけて、千人針を頼んで歩くのですが、誰も相手にしてくれません。
 千人針を頼んで歩くうちに、雨にぬれたり水たまりに突き飛ばされたりして、すっかり濡れてしまった女の子は、肺炎に罹って死んでしまいます。
 彼女が死んだ朝、露地には美しい冬の虹がかかりました。
 「露地裏の虹」というタイトルが何を指しているのかは、もうお分かりのことでしょう。

 
でんでんむしの競馬 (少年少女創作文学)
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偕成社
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児童文学における部活動について

2018-07-19 08:49:17 | 考察
 児童文学の作品において、部活動が題材にされていることがあります。
 そこにおいて、「おや?」と思わせられることが、しばしばです。
 そうした場合には、往々にして、作者が子どもだったころの部活動のイメージのままに書いているのではないかと疑われるケースが多いです。
 現在の部活動は、少子化と学校の管理主義化の影響で、かつての部活動からは大きく変化しています。
 運動系の部活動で、特に強豪校の場合は、昔の雰囲気を残している場合もありますが、文化系、特に新聞部などは、学校側の規制によってがんじがらめになっていて、昔のような自由に意見を発表する機会は失われているケースが多いようです。
 

運動部活動の戦後と現在: なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか
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青弓社
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安藤美紀夫「かいことり」でんでんむしの競馬所収

2018-07-18 09:27:07 | 作品論
 小学校低学年のハゲとチョコが、まだ見ぬカイコを求めて、京都中を彷徨います。
 彼らの目的は、とんぼつりに最適なしけ糸(一番悪い絹糸のくずで、糸屋にコネのある子しか手に入りません)をはき出すというかいこを手に入れて、もめん糸で作った道具では絶対に捕まえられないオニヤンマやギンヤンマをゲットすることです。
 しかし、かいこという虫がどんなものかさえ知らない彼らは、あちこちでトラブルを起こした末に迷子として警察に保護されてしまいます。
 他の記事にも書きましたが、この連作短編集は作者の生まれ故郷である戦前の京都の路地裏を舞台にしています。
 いろいろな児童文学にも書かれてきましたが、とんぼつりはかつての子どもたちにとってはかなり重要な遊びだったようです。
 私は1960年代に子ども時代を過ごしましたが、自分自身ではとんぼつりの経験も目撃体験もありません。
 育ったのが東京の下町だったので、あるいはもっと自然に恵まれた地域に育った同年輩の人たちなら経験があるかもしれません。
 それでも、シオカラトンボや赤とんぼはたくさん見かけましたし、時にはオニヤンマやギンヤンマを見かけることもありました。
 現在はもっと山の近い自然の豊かなところで暮らしているのですが、シオカラトンボや赤とんぼはときどき見かけますが、オニヤンマやギンヤンマは一度も見たことがありません。
 今の子どもたちは、こうしたトンボを見るためには、かなり遠くまで出かけなければならないでしょう。
 現代では、様々な人工的が玩具(その中には非常に優れた知育玩具もあります)があふれていますが、この作品の子どもたちとどちらが豊かな遊戯体験をしたかは意見の分かれるところでしょう。

でんでんむしの競馬 (少年少女創作文学)
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偕成社
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生活体験を伝える絵本

2018-07-18 08:42:36 | 考察
 従来主流であった物語絵本に加えて、現在ではいろいろな種類の知識絵本などがたくさん出版されています。
 もちろん、スマホやタブレット端末などがこの領域で占める役割はどんどん増大するでしょう。
 しかし、実際に手に取れる絵本は、素材や構成を工夫をすれが、それらの電子機器では実現できない体験を子どもたちに与える余地をまだまだ持っていると思います。
 ただし、将来的にウェアラブル端末が普及して、仮想現実などがもっと身近になれば、これらの領域も浸食されてしまう可能性はあります。

手づくり絵本を作ろう (手づくり遊びと体験シリーズ―自然・生活・科学体験アイデア集)
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明治図書出版
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児童文学における昔話のパターン

2018-07-17 14:16:43 | 考察
 現在でも、児童文学、特に絵本において、昔話や民話風の作品はたくさん書かれています。
 しかし、その多くは、地域に伝わる昔話や民話の掘り起こしではなく、すでに発表されている昔話や民話の二次創作であったり、あるいはその世界観だけを借りた安直な作品です。
 大塚英志が命名した「漫画的リアリズム(すでに発表されている漫画やアニメの世界観に立脚しています)」ならぬ、「民話的リアリズム」で書かれた作品群です。
 そういった作品群の中によくあるパターンとして、「悪しき者」(例えば貧乏神)がラストで「善き者」(例えば福の神)に変わるお話があります。
 その作品群は、大きく分けて「悪しき者」が善行を積んで「善き者」に変身する場合と、「悪しき者」は特に善行を積まないのに偶然や状況の変化で「善き者」に変身する場合があります。
 どちらかというと、後者はオリジナルの昔話や民話(「三年寝太郎」など)に多いのですが、最近の創作民話では前者の方が多く、そういった作品では近代や現代の教育の影響(教訓臭さ)が強く感じられます。

日本昔話百選
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三省堂
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安藤美紀夫「訳者のことば」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-16 10:02:20 | 作品論
 訳者によると、イタリアの児童文学は、19世紀の独立戦争を経て、1861年の独立達成を機に再スタートしたとのことです。
 30%以下の識字率の克服ための義務教育制度の発足や、外国の支配によりバラバラになっていた国家の統一といったことと、児童文学は無縁では居られなかったと思われます。
 そうした状況において、現代でも読み継がれている「ピノッキオ」や「クオレ」といった優れた児童文学作品が登場しました。
 寓話的ファンタジーとリアリズムといった表現形式の違いはありますが、どちらも教育的な側面(「よき市民をつくる」、「愛国心の育成」など)が色濃く表れていて、その後のイタリアの児童文学に大きな影響を与えたようです。
 そうした中で、国家の意向とは無縁に、民衆の感情に根差した「マルコヴァルドさんの四季」が誕生したのは、著者も指摘しているように、イタロ・カルヴィーノがこの作品に先行して、200篇以上の民話を再話してその広がりを解説した1000ページに達する大作の「イタリア民話集」を出版したこととは無縁ではないでしょう。
 日本でも、松谷みよ子が民話の再話(「龍の子太郎」など」)からスタートして、それを土台にして「ふたりのイーダ」や「ちいさいももちゃん」などの新しい児童文学世界を切り拓いていったのと、共通性があると思われます。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
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岩波書店
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後藤正治「楕円球の夢」咬ませ犬所収

2018-07-16 08:43:26 | 参考文献
 ラグビーを題材にしたスポーツドキュメンタリーです。
 ますますこの本のテーマである「陽のあたらない存在にスポットライトをあてる」から遠く離れてしまいました。
 なにしろ、今回の対象は、日本ラグビー史上最高のウィングと言われている坂田好弘なのですから。
 2015年のワールドカップで日本が南アフリカに劇的勝利を収めて空前のラグビーブームを迎えましたが、坂田はその五十年近くも前に2015年ワールドカップでも優勝した本場ニュージーランドで大活躍した伝説のプレーヤーです。
 作品のねらいとしては、無名の大阪体育大学を監督として率いて、伝統校の早慶明や同志社大学に挑戦する姿を描きたかったのでしょうが、作者自身が坂田のファンを自称しているせいか、前半の坂田の現役選手としての栄光の日々に紙数を割きすぎていて、肝心のねらいの部分がぼやけてしまいました。
 ただ、個人的には、現役時代の坂田をかすかにしか知らないラグビーファンなので、坂田の評伝として十分に楽しめました。

スポーツノンフィクション 咬ませ犬 (同時代ライブラリー (296))
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岩波書店
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