古市の修士論文を、読みやすいように加筆して本にまとめたものです。
東大の大学院生(古市のこと)が実際にピースボートに乗り込んで、そこの乗客たちにフィールドワークをしたというキャッチフレーズを、巧みに利用して出版しています。
多くの人たちが広告などでその存在を知りつつも、内実はよく知らないピースボートの実態と、現代の若者気質をユーモアたっぷりの達者な文章でつづっています。
著書は、現代の若者を、希望を持ちながらそれがたやすくはかなわない現実の中で、終わりなき自分探しを続ける希望難民だと定義しています。
その原因として、「いい学校」に入れば「いい会社」に入れて「いい人生」をおくれるという、かつての日本のメリトクラシー(業績主義)が機能不全になっていることを指摘しています。
著者は、ピースボートを若者が求める承認の共同体と定義し、それが幻想にすぎないと主張しています。
この本を読んで一番良かった点は、ピースボートの成り立ちや運営しているスタッフはいまだに政治的なものの、現在の乗客はほとんど政治的ではなく、自分が今まで思っていたことと実態がだいぶ違うことがよくわかった点です。
著者は、ピ-スボートの乗客を、以下の四タイプに分類しています。
「自分探し型」は、自分探しのためにピースボートに乗船しましたが、それは発見できずに降りてからも自分探しを続けていきます。
「セカイ型」は、ピースボートのもともとの理念である世界平和に賛同していましたが、ピースボートでそれをあきらめて、船を降りればもう政治には関わらなくなります。
「文化祭型」は、みんなで楽しくすごすためにピースボートに乗船し、降りてからもお金がなくても友だちがいれば幸せを感じています。
「観光型」は、安い世界一周旅行ができるので乗船して、ピースボートを降りればモラトリアムの期間を終えて日常生活に戻っていきます。
そして、ごく少数の政治的にアクティブな者だけが、スタッフとしてピースボートの活動に残ります。
結論として、ピースボートが若者たちに自分の夢をあきらめさせるための装置としての働きをしていると、著者は主張しています。
一読して、学生の修士論文としては良くまとまっていますが、データの集め方や処理の仕方などに稚拙なところが目立ち、結論もかなり恣意的な感じを受けました。
なにより、あとがきで自分でも弁明していますが、作者自身も一人の若者としてピースボートに乗船したのに、その自分自身がこの本にはどこにも現れず、単なる傍観者として高みの見物をしている感じがぬぐいきれません。
おそらく、古市は非常に頭のいい優秀な学生だったのでしょう。
先行する文献や社会学者についても良く勉強しています。
そして、左翼にも右翼にも激しい攻撃を受けない安全な立場に、自分をうまく置いています。
そう言った意味では、かなり「こずるい」奴という印象を受けてしまいます。
ただ、軽妙な文章と機知に富んだユーモア(特に解説の本田由紀が指摘しているように、引用されている学者たちの名前にいちいち的を得た枕詞をつけたのは、楽屋落ちながらなかなかおもしろかったと思います)は相当なもので、それからも一定の読者を獲得しつづけています。
著者の分類に従って、ピースボートの若者たちを児童文学の読者として考えてみます。
「自分探し型」は、いつまでも「大人」にならないという意味で、広範な児童文学(特にファンタジー)の読者になるでしょう。
「セカイ型」は、かためのテーマ(戦争、平和、原発、災害など)を描いた児童文学のターゲットとするべき読者でしょう。
「文化祭型」は、ずばりエンターテインメントのメインターゲットです。
「観光型」はもともと大人なので児童文学の読者にはなりませんが、生活力は一番あるので親世代になった時に子どもに買い与えるという意味で、児童文学の有力な媒介者(子どもたちに本を手渡す役割を果たす大人のことで、両親、学校の教師、図書館の司書、読み聞かせのボランティア、子ども文庫活動家、書店員など)になるかもしれません。
これらの分類は、ピースボートに乗らない一般の若者にも当てはまるでしょう。