現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

吉村萬壱「あとがき」虚ろまんてぃっく所収

2019-02-27 09:03:30 | 参考文献
 なぜ自分がこのような売れそうもない純文学を書いているかを、作者一流の自虐的な書き方で述べています。
 そこで書かれているように、作者がいわゆる「売れ線」の作品を書けないというのは、ある意味では事実でしょう。
 作者の資質が、本来そういった小説を書くのに向いていないのでしょう。
 その一方で、これからもこのような作品しか書かないということを、開き直って宣言しています。
 そして、このような小説でもわずかながら読者がいることも述べていますが、それは作者が「ハリガネムシ」という作品で第129回芥川賞を受賞しているおかげかもしれません。
 本来、芥川賞は、ふだん陽の当たらない、他の人とは違う作品を書いているこの作者のような純文学の書き手に、一時的にでも経済的な救済をすることも大事な役目だと思います。
 又吉さんに芥川賞を与えることによって大儲けした関係者が、賞の性格を捻じ曲げないか心配です。

虚ろまんてぃっく
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文藝春秋
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吉村萬壱「ダイアナ」虚ろまんてぃっく所収

2019-02-26 17:21:25 | 参考文献
 この作品もまた、エロとグロの世界の中に、売れない純文学作家の生活が自嘲的に語られています。
 かつては、児童文学の世界でも売れない作家の貧乏譚が語られることがありましたが、今は純文学的な児童文学では食えないことは明らかなので、エンターテインメントの書き手になるか、他に仕事を持っているか、主婦(主夫)作家がほとんどなので、このような話が語られることはあまりなくなりました。

虚ろまんてぃっく
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文藝春秋
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橋本治「枝豆」初夏の色所収

2019-02-25 13:59:32 | 参考文献
 草食系男子に関する社会心理学の調査の被験者になった大学生と、調査している研究室の助手の男と、大学生の同級生の女子学生が、「草食系男子」について会話をするお話です。
 特にストーリーはなくて、「草食系男子」という言葉をめぐってレトリックを弄んでいる感じで、あまり好感を持ちませんでした。
 こういった作品を喜ぶのは、「社会心理学」とか「用語の成り立ち」などにかなりマニアックな興味を持っている人だけでしょう。
 かつては児童文学でもこのような実験的な作品はありましたが、現在の出版状況では本になるのは許されないと思われます。

初夏の色
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新潮社
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中脇初枝「うばすて山」きみはいい子所収

2019-02-24 10:16:38 | 作品論
 子どもの時に母親から虐待を受けていた独身のキャリアウーマン(雑誌の編集長をしています)が、今は認知症にかかって6歳までの記憶しか持たない母親を、いつも面倒を見ている妹から三日間だけ預かる話です。
 この話でも、6歳の時に幼女に出されて虐待を受けていた母親が主人公を虐待するという因果律に、作者は縛られています。
 これでもかこれでもかと、次々に書かれている虐待のエピソードも、認知症の母親の介護の大変さも、どこか絵空事で心に響いてこないのは、肝心な部分でのリアリティがないからでしょう。
 まず、長年母親の面倒を見ていた妹が、三日間とはいえ八年も母親に会っていない主人公に母親を預けるでしょうか?
 今はきちんと探せば、介護保険を利用してリーズナブルな価格で、ショートステイなどのサービスを受けられます。
 ましてや、母親が主人公だけを虐待していて、妹はかわいがられていて実家の団地のそばに家を建て同居までしている設定なのですからなおさらです。
 また、この作者の大きな欠点なのですが、父親像があまりに不鮮明で、なぜ教師をやっていた母親が専業主婦になったかが不明確です。
 このことは、虐待をするようになった一つの理由なのですから重要です。
 その他、様々なご都合主義な設定(なぜ両親は団地暮らしを抜け出せなかったのに、母親は教師の資格を活かして共稼ぎをしなかったか? なぜ、これだけ束縛していた娘を関西の大学に行かせたのか?など)があるのですが、中でも主人公が母親のただ一つの優しかった思い出を心に秘めて生きていこうというラストには苦笑を禁じえません。
 作家の年齢からすると、この短編集で書かれた様々な今日的問題(児童虐待、認知症の親の介護、障害を持った子どもの養育、ネグレクトなど)はおそらく実体験ではないでしょうし、またそれほど切実なテーマですらないのではないでしょうか。
 これらの問題は、ひとつひとつ現代において深刻で重要な事柄なので、このように単なる小説のネタとして扱ってほしくはないと思います。
 おそらく、この作家の主な読者である若い女性たちは、一つ一つ丹念にエピソードを重ねてリアリティを追求するような作品より、情緒的で単純な因果律で割り切れるこの作者のような書き方の方が好まれるのでしょうが。

きみはいい子 (一般書)
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ポプラ社
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皿海達哉「チンドン屋の雨やどり」なかまはずれ 町はずれ所収

2019-02-23 09:23:22 | 作品論
 小学校三年生の男の子と三人のチンドン屋の男たちの交流を描いています。
 チンドン屋たちがその日で商売を辞めるといったので、主人公の少年は彼らのそばを立ち去りがたくなります。
 演奏する曲などは出版年に合わせて新しくしてありますが、舞台は作者の郷里の広島のようです。
 チンドン屋は60年代後半から衰退し、この本が出版された70年代の前半にはほとんど姿を消したようです。
 おそらく作者は、滅びていくチンドン屋という文化への幼いころの郷愁を、この作品に託したのでしょう。
 懐かしい物への惜別、マイナーな物への愛着、繊細な少年の内面描写、新しい世界への恐れやあこがれが混じったような不思議な感情など、作者の世界の特徴がこの作品にもよく表れています。
 作者は「あとがき」で、同人誌「牛」の友人である日比(茂樹)や小倉(明)などへ謝辞を述べていますが、彼らは四十年以上たった今でも同人活動を続け、「プールのジョン」などの共作も出しています。
 「牛」の同人たちの息の長い活動に敬意を表したいと思います。

0点をとった日に読む本 (きょうはこの本読みたいな)
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偕成社

 
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きたやまようこ「いぬうえくんがわすれたこと」

2019-02-23 09:18:57 | 作品論
 人気絵本シリーズの第5作目です。
 大事なことを忘れること、忘れないようにする覚えかたなど、この作品でも作者は幼い読者に大事なことを伝えようとします。
 冒頭で、気のいいお人好しのくまざわくんとしっかり者で少し図々しいいぬうえ君のキャラクタ設定が、いつものようになされますが、この作品ではあまりうまく生かされていません。
 また、お話が観念的で教訓的な部分が多すぎて、このシリーズの良さである物語のおもしろさやユーモアが弱く、読者はあまり楽しめないものになっています。

いぬうえくんがわすれたこと (いぬうえくんとくまざわくん)
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あかね書房
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吉村萬壱「家族ゼリー」虚ろまんてぃっく所収

2019-02-23 09:09:55 | 参考文献
 エロとグロで描く家族愛とでも呼べる作品です。
 ここまでグロテスクに描かれると、読んでいて吐き気を覚えるほどです。
 「ついていけないなあ」というのが、率直な感想です。

虚ろまんてぃっく
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文藝春秋
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黒いオルフェ

2019-02-22 18:03:26 | 映画
1959年のフランス・イタリア・ブラジル合作映画で、カンヌ映画祭のパルムドールやアカデミー賞の外国語映画賞を受賞した作品です。
ギリシャ神話の悲恋の話を、リオのカーニバルを舞台にして描いています。
ストーリーや演技(全員が素人)自体はたいしたことないのですが、全編に流れるサンバのリズムとダンスに圧倒されます。
カーニバル(本物ではなく映画用だそうです)で踊り続ける出演者の黒色や褐色に肉体は、男女を問わず美しく圧倒的な生命力にあふれています。
今はやりのダンス・エクササイズのZUMBAは同じ南米のコロンビア生まれですが、踊っている時の陶酔感はこのカーニバルでのサンバのダンスに通ずるものがあるようです。
また、時々挿入されるアントニオ・カルロス・ジョビンのボサノヴァの曲もかっこよくてしびれます。

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磯田道史「中根東里」無私の日本人所収

2019-02-22 08:37:01 | 参考文献
 江戸時代に詩文において「稀有絶無の天才」と謳われ、当時としては最高の環境で学問を修めながら、学問をして禄をもらうことを潔しとせずに、ひたすら書を読む生活を選んだ儒者の一生を描いています。
 地味な題材なので、作者の他の作品のようには映画化はされないと思いますが、このような歴史上の陽の当たらない人物を紹介することこそ作者の真骨頂でしょう。
 「天地万物一体」の理をわかり、「水を飲んで愉しむものあり、錦を着て憂うるものあり」の境地に達していたという東理に、計り知れない魅力を感じます。
 また、東里は、「子どもの心をみつめ、それに寄り添う文を残し」、実生活でも弟が困窮したために死にかかっていた姪を引き取って慈しんだそうで、まさに児童文学者があるべき姿を体現していたともいえます。

無私の日本人 (文春文庫)
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文藝春秋
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大江志乃夫「書斎の合理主義」書斎の王様所収

2019-02-21 09:21:00 | 参考文献
 1980年代前半における、蔵書家における理想的な書庫ないし書斎が紹介されています。
 著者は日本近現代史が専門の学者で、膨大な蔵書を持っているので、それらを効率よく検索するための電動式書架と、文章を効率よく量産するための上級ワープロが、いかに原稿執筆の効率アップにつながるかをやや自慢げに語っています。
 それから三十年以上がたち、ご存知のようにこういった書斎ないし書庫はすっかり時代遅れになっています。
 私自身の書斎を振り返ってみると、1987年までは、とにかくたくさんの本棚を用意することと、この著者同様にワープロの導入による原稿のディジタル化に集中していました。
 1988年に新しい家を建てたときには、壁一面の作り付けの書棚のある、パソコンないしワープロ通信用の専用電話回線を備えた書斎を作りました。
 1995年からは、WINDOWS95によるパソコンの導入とインターネット対応(初めはADSLでした)が図られました。
 その一方で、子どもたちの成長に伴って、彼らの個室のために書斎を明け渡しました。
 2012年に下の子の大学卒業に合わせて書斎を復活させてからは、天井までの四基の書棚(発想が古いですね)、光ネットワーク、ノートパソコン、ハンディスキャナ(その記事を参照してください)、携帯テキストエディタ(ポメラ、その記事を参照してください)、アーロンチェア(その記事を参照してください)、タブレット端末などを導入して、作業の合理化を図りました。

書斎の王様 (岩波新書 黄版 324)
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岩波書店
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内田麟太郎 作、降矢なな 絵「ともだち くるかな」

2019-02-21 09:15:16 | 作品論
 オオカミを主人公にした絵本です。
 独りよがりなオオカミが、自分の誕生日をめぐっていろいろと考えすぎて独り相撲します。
 ドタバタストーリーの中で、生きていくうえで大切なことを、さりげなく読者に考えさせてくれます。
 内田麟太郎「文」でなく「作」になっているのは、絵本全体の構成を内田が創造しているからです。
 作者は、優れた絵本のライターであるだけでなく、敏腕な絵本のプロデューサーとして有名です。
 普通は編集者が選ぶことが多い絵描きさんも、作者が自分で指定する場合が多いそうです。
 この作品でも、降矢の迫力のある絵が、作者の物語世界にフィットしていて、楽しい絵本に仕上がっています。
 ところで、内田は2016年から日本児童文学者協会の理事長になりました。
 現在の児童文学における絵本の占めるポジションからいって、絵本作家が日本児童文学者協会の理事長になるのは至極妥当なことでしょう。
 私の所属する同人誌でも、同人の出版する本は絵本が増えており、毎月の合評会に提出される作品も、絵本の原稿がかなりの割合を占めています。
 幼年童話と絵本は、エンターテインメント作品に席巻されている日本の児童文学に残された、最後の聖域なのかもしれません。

ともだちくるかな (「おれたち、ともだち!」絵本)
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偕成社
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磯田道史「穀田屋十三郎」無私の日本人所収

2019-02-21 09:03:30 | 参考文献
 映画「殿、利息でござる」の原作です。
 歴史学者の作者ですが、この本では小説(あるいはノンフィクション)風の書き方で、お話としては劇的になっていますすが、恣意的な感じが強くなっていて、評価は分かれるところでしょう。
 主人公たちをあまり美化して書くと、肝心の歴史的な事実によるインパクトが弱まってしまいます。
 作者は自分の強みである歴史学者としてのポジションを、確認しなおす必要があるように思えます。

無私の日本人 (文春文庫)
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文藝春秋
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わが谷は緑なりき

2019-02-20 16:46:11 | 映画
 1941年のアカデミー賞を5部門で受賞した作品です。
 ウェールズの谷間の炭鉱町で暮らす一家(父と五人の兄は炭鉱で働き、母と美しい姉と一緒に暮らしています)を、年の離れた末の息子(学校へ上がる前から物語は始まります)の視点で描いた作品です。
 そういった意味では、広義の児童文学作品と言ってもいいかもしれません。
 幸せだった一家(家族仲良く暮らして、一番上の兄には美しいお嫁さんも来ました)と炭鉱町(歌と信仰に生き、働けばきちんと生活できました)が、次第に崩壊していく(不況により労働力があまり、賃金が切り下げられたり、腕のいい高い給料の炭鉱労働者(主人公の兄たちも含まれます)から首になったりします。組合などをめぐる争いで、仲間割れもおきます。一番上の兄は落盤で死にます。姉は炭鉱主の息子に見初められて、不幸せな結婚(本当は地区の教会の牧師が好きでした)をします。他の兄たちも仕事を失って、世界各地へ移民に行きます。最後には、一家の柱だった父も落盤で死にます)姿を描いています。
 主人公が遠い過去を回想する形で描かれていて、おそらく百年以上前の社会が舞台なので、現在の視点で見ると、宗教観、労働観、ジェンダー観、恋愛観、結婚観、家族観などに理解しにくい点がかなりあり、女性蔑視や少年労働や炭鉱労働者への差別などに対する批判が不十分な点はありますが、実直に生きている一家が踏みにじられていく社会の不条理は、今でも十分に感じ取れます。
 それにしても、緑(幸せの象徴でしょう)と銘打つ映画を白黒映画で描いて、観客の想像力に訴えかけていく映像の力(アカデミー賞の白黒部門の美術賞と撮影賞を受賞しています)は、一見の価値があります。

わが谷は緑なりき [Blu-ray]
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
 
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後藤竜二「風にのる海賊たち」

2019-02-20 09:00:05 | 作品論
 炭鉱の閉山闘争に敗れて荒廃した北海道の町で、それぞれに苦しい状況を抱えた子どもたちが一年後に再会した二日間を、四人の子どもたちのそれぞれの視点で描いた作品です。
 1973年3月に出版された作品なので、70年安保の挫折を、作者がどう総括したかに興味があったのですが、かなり混乱している印象です。
 しいて言えば、学園民主化闘争や組合闘争とは距離を置いて、歌声運動や市民運動に活路を見出そうとしていることが読み取れます(巻末の解説によると、作者自身も、この作品を執筆している時には、それらの運動にのめりこんでいたようです)。
 明確な方向性は打ち出せずに問題点を投げ出しただけですが、それが作者の置かれていた正直な状況だったのでしょう。
 私はその年の四月に作者と同じ早稲田大学(彼は1966年卒業です)に入学したのですが、新左翼セクト間の内ゲバが過激化したきっかけの一つである川口くんリンチ殺人事件の後の、革マル対反革マルの闘争中の荒廃したキャンパス(入学式も中止になりました)で、同様に呆然とした気分だったことを思い出します。

風にのる海賊たち (児童文学創作シリーズ)
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講談社
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井上乃武「「批評性」と「文学性」」

2019-02-20 08:57:54 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 ナンセンスファンタジー作家の小沢正が、1966年に書いた「ファンタジーの死滅」(その記事を参照してください)という論文と、彼の代表作『目をさませトラゴロウ』におけるファンタジー観の問題について考察しています。
 発表者は、ファンタジーを現実の対応物と考えることに、違和感があるそうです。
 また、この発表では、テーマと異なるキャラクターの動きについても考えてみたいと思っているそうです。
 発表者が、小沢正の「ファンタジーの死滅」という評論に興味を持ったのは、その中に出てくる未完成という言葉からです。
 「ファンタジーの死滅」では、「子どもを発見したからこそ、ファンタジーが発生した」と主張していると、発表者は述べています。
 そして、「子ども」も「ファンタジー」も、近代あるいは近代が生み出した諸制度によって規定されているとしています。
 レジュメで引用した岡田淳のファンタジーは、小沢のファンタジー論の影響を受けていると、発表者は言っています。
 発表者の発表に対する熱意は伝わってくるのですが、時間配分ができてなくてすごく早口にレジュメを全部話そうとして、けっきょく尻切れトンボに終わってしまいました。
 質疑のときに発表出来なかった部分も触れられるように助け舟を出したのですが、その意図も理解できなかったようで答えもまとまっていませんでした。
 レジュメも、先行論文をよく調べてあって力作なのですが、小沢の論文や作品およびいろいろな先行論文からの引用が多く、発表時間に対してあまりにも長すぎてまとまりがありません。
 レジュメとは別に、発表用に要点をパワーポイントでまとめて説明するなどの工夫が必要だったと思います。
 以下は、レジュメの内容です。
1.はじめに
 岡田淳の「扉のむこうの物語」を引用して、「未完成」というタームを強調しています。
2.「ファンタジーの死滅」の概要
A.ファンタジーの由来(その背景)もしくは「子どもと文学」批判
B.「一つが二つ」論・<一つの物を二つにする機械>について
C.ファンタジー小説の限界(と可能性)について
3.「ファンタジーの死滅」の問題
A.「ファンタジーの死滅」についての言及
B.「子どもと文学」をめぐる問題
C.時代状況の影響
D.「まちが かわる日のうた」(注:「小沢の代表作「目をさませトラゴロウ」の巻末に掲げられた歌です)の解釈
E.テクスト内在的なファンタジー児童文学の可能性
4.「目をさませトラゴロウ」の問題
A.初出時の収録作品
B.前提としての「自己同一性」「子どもの自立性」というテーマが存在
C.「はじめに」の問題
D.「一つが二つ」
E.「食う」ことによる自己同一性イデオロギーの破壊
F.「目をさませトラゴロウ」の問題
5.ファンタジー児童文学の可能性について
6.おわりに――いぬいとみこ「木かげの家の小人たち」をめぐる二通りの空想
A.「小人たちの物語」へ:天沢退二郎「二つの掟――いぬいとみこ作『木かげの家の小人たち』論――」
B.「人間たちの物語」へ:長谷川潮「小人像は中途転換した」
「まちが かわる日のうた」
 発表者があげてくれた先行論文は、それぞれ重要なものばかりですので、非常に参考になりました。

目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版)
クリエーター情報なし
理論社




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