現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

津村記久子「ミュージック・ブレス・ユー」

2024-12-31 09:42:20 | 作品論

 高校三年生のアザミがベースをひいていたバンドが、喧嘩別れで解散するところから話が始まります。
 といっても、アザミはそれほど熱心にバンドをやっていたわけではありません。
 アザミは、勉強も好きじゃないし、帰宅部だし、音楽を聴くこと以外に熱中していることはありません。
 アザミが聴いているのは、アメリカのインディーズ系のパンクバンドです。
 音楽を聴くことに関しては、いつもCDプレイヤーを持ち歩いていて(この作品が書かれたころは携帯ミュージックプレイヤーは一般的ではなかったのでしょう)、授業中などを除くとヘッドフォンを離さず、インターネットでアメリカの関係サイトにも目を通すくらい熱心です。
 170センチ以上の長身で赤い髪をしたアザミを中心に、いつもつるんでいる正義感の塊のようなチユキなど、周辺の女の子や男の子が生き生きと描かれています。
 一般書として出ていますが、いわゆるヤングアダルト物でしょう。
 アザミは全くやる気がなさそうないまどきの女子高生なのに、チユキに対してひどいふりかたをした柔道部の主将のオギウエの追試での不正を暴いたり、文化祭の時に茶道部の女の子に対してセクハラまがいのことをした他校の男子をチユキと一緒に成敗したり、かなり痛快な青春物語になっています。
 そういう意味では、純文学というよりは、エンターテインメントとして書かれているのでしょう。
 高校生の風俗を除いては今日的な感じはしなくて、昔からある学園物の趣もあります。
 インディーズ系の音楽、歯の矯正、食べ物、恋愛などについては、津村の特長である異常なまでの細かい描写があって、なかなか読ませます。
 ただそういう部分を取り除くと、自分の将来に対してなかなか方向性が見いだせない若者という古典的な物語が浮かび上がってきます。
 進路に関してまったく干渉せず簡単に浪人を許してくれる両親や、主人公を一校しか受験させない進路指導の先生など、かなりご都合主義的な設定も目立ちます。
 主人公が音楽を聴くことだけが生きがいという設定も、それほど目新しくないと思います。
 五十年以上も前のことになりますが、私自身も中学から大学の初めごろまでは、アメリカのカントリーロックに対してそんな感じでした。
 その音楽熱は、最近かなりぶり返しています。
 高校生や大学生のころに、今は無きアカイの一番高級だったカセットデッキで録りためたアナログ音源を、ウォークマンのダイレクトエンコーディング機能を使って、すべてディジタルに変換できたからです。
 パソコン上のディジタル音源のユーザーインターフェース(ソニーのMusic Centerを使っています)は快適ですし、それをUSBケーブルでディジタルのまま、本棚に組み込んだスピーカーのそばまで転送して、そこでアナログに変換(ラトックシステムのヘッドフォンアンプを使っています)いるので、五十年まえのサウンドを、ほとんど劣化することなく再現できています。
 これで、レーナード・スキナードやクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルを聴いていると、古希のおじいさんでも、アザミの気持ちを共有できます。


ミュージック・ブレス・ユー!!
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ウルズラ・ヴェルフェル「灰色の畑と緑の畑」

2024-12-30 13:08:46 | 作品論

 この作品は、1970年に西ドイツで出版され、日本語には1974年に翻訳され、発表当時大きな論争を巻き起こしました。
 この作品には、世界中でいろいろな困難に直面している子どもたちが描かれています。
 読んでいて楽しい物語ではありませんし、作品の中で問題も解決されていません。
 この作品は、読者自身にこれらの問題の解決に対して行動を促すものなのです。
 まえがきを以下に引用します。
「ここに書かれているのはほんとうの話である、だからあまり愉快ではない。これらの話は人問がいっしょに生きることのむずかしさについて語っている。南アメリ力のフワニータ、アフリカのシンタエフ、ドイツのマニ、コリナ、カルステンなど、多くの国の子どもたちがそのむずかしさを体験することになる。
 ほんとうの話はめでたく終わるとは限らない。そういう話は人に多くの問いをかける。答えはめいめいが自分で出さなくてはならない。
 これらの話が示している世界は、必ずしもよいとはいえないが、しかし変えることができる。」
 この作品は、別の記事で紹介した「児童文学の魅力 いま読む100冊 海外編」にも選ばれています。
 おそらくこの本を読めば、今の日本で出版されている多くの児童書が、いかに商業主義に毒されているかが実感できると思います。
 また、ここで書かれていることは、海外のことで日本とは無縁であるとはけっして言えません。
 現代の日本こそ、このような本を必要としているのです。

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大統領の陰謀

2024-12-29 15:20:13 | 映画

 ニクソン大統領を1974年に辞任にまで追い込んだ、1972年のウォーターゲート事件のスクープ記事を書い、たワシントン・ポストの二人の若手記者の活躍を描いた1976年の映画です。
 アカデミー賞では、作品賞などの主要な賞は逃しましたが、助演男優賞などの四部門を受賞しました。
 これほどの政治スキャンダルを、わずか数年後に当時のスター俳優であるダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードを主役にして描いた、当時のアメリカ映画界の健全さに驚嘆させられます。
 ウォーターゲート事件に詳しくないアメリカ以外の国の人たち、特に若い世代にはわかりにくい映画かもしれませんが、娯楽一辺倒の今の映画へのアンチテーゼとして観る価値があるのではないでしょうか。
 また、インターネット検索やスマホはもちろん、パソコンすらない当時の新聞記者の取材活動(電話、タイプライター、メモやコピーなどの紙類、電話帳、図書館、インタビューメモなど)がよくわかり、懐かしさと共に直接取材源にあたる大切さを再確認させられました。

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マイケル・ボンド「くまのパディントン」

2024-12-28 11:39:03 | 作品論

 1958年にイギリスで書かれた動物ファンタジーの古典です。
 日本版は1967年に出ていて、私の手元に今あるのは1982年12月5日23刷ですので、かなりのベストセラーです。
 読んだことのない人でも、ペギー・フォートナムの描いたパディントンの絵は、日本でもいろいろなところで使われているのでおなじみのことでしょう。
 南米の「暗黒の地ペルー」(こんなところには、当時のイギリス人の差別意識が残っています。ペルーでは翻訳されていないのでしょうか?)からやってきた小さなクマ、パディントン(ロンドンのパディントン駅で拾われたのでそう名付けられています)が、中流家庭のブラウン家(当時は中流家庭でも、イギリスではお手伝いさんがいたのですね。もっとも庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の1969年の日本の中流家庭にもお手伝いさんは出てきます)の兄妹の下に、末っ子として迎えられ、いろいろな騒動を起こす物語です。
 パディントンは典型的な末っ子キャラで、好奇心旺盛ないたずらっ子をして設定されていて、イギリス伝統の動物ファンタジーの手法を使って楽しく描かれています。
 パディントンの引き起こすいろいろな騒動には、過度にモラリッシュで寛容さに欠ける現在の日本では許されないようなものも多々含まれています。
 こういった育ってきた環境の違いによって引き起こされる「事件」に対して、周囲が寛容さを示すだけでなく彼らに愛情を持てるということは、多様性が求められる今後の日本社会にとっても必要だと思います。
 「ばっかなクマ」というのは、「クマのプーさん」がへまをしたときにクリストファー・ロビンがいつも愛情をこめて思うことですが、パディントンもまさに「ばっかなクマ」として周囲の人たちに愛されているのです。
 ところで、この「くまのパディントン」はシリーズ化されていて、私が学生だった1970年代(今とは比較にならないほどたくさんの内外の児童文学が出版されていました)に、大学の児童文学研究会の仲間たちと三大動物ファンタジー・シリーズ(他はマージェリー・シャープの「ミス・ビアンカ・シリーズ」(その記事を参照してください)とジャン・ド・ブリュノフの「ぞうさんババール・シリーズ」)と呼んで愛読していました。
 それから五十年以上もたってしまいましたが、これらの本が今でもロングセラーとして読み続けられていることをうれしく思っています。

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パーフェクト デイズ

2024-12-27 09:26:21 | 映画

2023年公開の日本・ドイツ合作映画です。

役所広司の一人芝居といっていいほど、彼の表情や仕草による演技が圧倒的で、カンヌ国際映画祭で主演男優賞を獲得したのも納得できます。

渋谷区の公衆トイレ(非常に芸術的でユニークなトイレがたくさん登場します)を舞台にしています。

もともとこの映画は、渋谷区内17か所の公共トイレを刷新する「THE TOKYO TOILET」というプロジェクトをPRするために企画されたものです。

監督のヴィム・ベンダースが、日本滞在時に接した折り目正しいサービスや公共の場所の清潔さに感銘を受け、長篇作品として再構想し、彼が日本の街の特徴と考えた「職人意識」「責任感」を体現する存在として主人公を位置づけ、彼に「平山」という名前を与えました。

この名前は、監督が敬愛する小津安二郎監督が、「東京物語」で笠智衆が演じた父親役を初めとして繰り返し使ったものです。

映画も、小津作品を思わせるような日本の美しい風景(隅田川や神社の庭の樹木など)が描かれています。

映画は、平山の規則正しい毎日のルーチン(一人暮らしでの身支度、育てているひこばえ(昼食をとる神社の大木から、許可を得て持ってきています)の世話、軽自動車による早朝のドライブ(アパートの外にある自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながら、カセットテープで古い洋楽を聴いています)、几帳面で誠実なトイレ掃除、仕事を終えた後の銭湯、浅草の地下街にある焼きそば屋でのお酒、フィルムを使うカメラでの写真撮影、就寝前の文庫本による読書など)を描きながら、そこにわずかにかかわってくる人たちとの関係も描いていきます。

同僚の調子のいい男、彼が好きなガールズバーの女の子、家出してきた主人公の姪、それを迎えに来た主人公の妹、休日(これもルーチンがあって、掃除をまとめてやり、コインランドリーでの洗濯、写真の現像の依頼と受取り、古本屋で文庫本を買う)に行くスナックのママ(石川さゆりが演じていて主人公とはいい雰囲気なのですが、歌がうますぎるのが難点です)、ママの元夫(三浦正和が演じていてこれもいい感じです)などです。

主人公は、普段は非常に無口ですが、姪やママやその元夫とは、ちゃんと会話ができます。

ラストは、元夫(癌が転移しています)からママを託されて、主人公にとってはある意味ハッピーエンドな感じです。

主人公を初めとして、芸達者ばかりの出演者が、優れた監督の演出で確固たる世界を作り上げています。

アカデミー賞の外国語映画賞の受賞は逃しましたが、一見の価値のある映画だと思います。

 

 

 

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プレイス・イン・ザ・ハート

2024-12-26 14:07:38 | 映画

 1984年公開のアメリカ映画です。
 1930年代のテキサスの田舎町を舞台に、事故(酔った黒人少年の銃で偶発的に撃たれた)で保安官の夫を亡くした専業主婦が、一人で家族(幼い息子と娘)と農場を守って闘っていく姿を描いています。
 姉夫婦の結婚の危機(夫が友人の妻と不倫をしている)、竜巻による町の壊滅的な被害、綿花の摘み取り競争(一番早く出荷すると賞金が出る)、奇妙な仲間たち(綿花栽培に詳しい流れ者の黒人の使用人、第一次大戦で失明した下宿人など)、南部の風俗(カントリーミュージックやダンスなど)、KKKによる黒人差別などを取り混ぜながら、初めはお金を稼ぐことは何もわからなかった女性が、だんだんたくましく成長していく姿が感動的です。
 ラストの教会のミサのシーンで、主人公のまわりには、家族や地域の人たちに交じって、KKKに追われて町を去った使用人の黒人、離婚の危機を乗り越えようとしている姉夫婦、そして、冒頭で死んだ保安官の夫と犯人の黒人少年(直後に白人たちによって虐殺されました)までが参加しているところに、この映画のテーマと作品の題名が意味するところがはっきりと表れています。
 アメリカ南部の風景や風俗も魅力的なのですが、なんといってもこの映画で素晴らしいのは、サリー・フィールドが演じるヒロインの魅力でしょう。
 決して美人でもなければスタイルもいいわけでもありませんが、なんともチャーミングな女性で、周囲の登場人物だけでなく観客までもが彼女を応援したくなってしまいます。
 サリー・フィールドは、この女性役で二度目のアカデミー主演女優賞(一回目は「ノーマ・レイ」)を獲得しています。

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ベルリン・天使の詩

2024-12-24 06:49:16 | 映画

 1987年のカンヌ映画祭で監督賞を受賞した、ヴィム・ヴェンダース監督の代表作(最高傑作は「パリ、テキサス」(その記事を参照してください)でしょう)の一つです。
 人々の心の声を聞いてそっと励ましていく守護天使の一人(?)が、サーカスの空中ブランコ乗りの女性に恋をして、永遠の生命を捨てて人間になる話です。
 白黒とカラーを効果的に使い分けた映像、人々の心のつぶやきをあらわす詩的で深遠な言葉の数々、戦争の傷跡が残るベルリンの荒廃した風景、そんな所でも確かに存在する人々の暖かなつながり、この映画のヒントを与えたというバンドのロック・ミュージックなどが、互いにうまく響き合っています。
 普通の映画が「散文」ならば、この映画は題名にもあるとおりに「詩」でしょう。
 やや難解ですが、一度は味わう価値があります。
 天使と人間の対比が、生きていくことの意味を考えさせてくれます。

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レオン

2024-12-23 10:59:21 | 映画

 1994年のフランス・アメリカ合作映画です。
 リュック・ベンソン得意の派手な流血シーンに溢れたアクション映画で、主役を演じたジャン・レノを一躍トップスターにしました。
 孤独な殺し屋と家族(警察の麻薬捜査局を牛耳る悪徳警官に皆殺しにされます)に疎外されている12歳の少女の純愛を描いています。
 おませな女の子とまるで子どものような(読み書きができず、いつもミルクを飲んでいます)大人の男性という組み合わせは、「シベールの日曜日」(その記事を参照してください)を思い起こさせます(1962年のフランス映画(アカデミー外国語映画賞を受賞)なので、おそらくリュック・ベンソンは少なからず影響を受けていると思われます)が、派手な銃撃戦が目立つのでこちらの方が一般受けはしましたが、イノセンスな魂の触れ合いを描いた作品としてはかなり劣ります。
 当時はジャン・レノばかりがクローズアップされましたが、少女役のナタリー・ポートマンのややこまっしゃくれているけれど魅力的な美貌と演技(16年後に、「ブラック・スワン」でアカデミー主演女優賞を受賞)、敵役の悪徳警官役のゲイリ―・オールドマンの狂気溢れる風貌と演技(24年後に「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」でアカデミー賞主演男優賞を受賞)も強く印象に残ります。

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ガース・ウィリアムズ「くろいうさぎとしろいうさぎ」

2024-12-22 16:25:16 | 作品論

 1958年に出版された絵本です。
 五十年前ごろは、結婚プレゼント(といっても安価な物ですから、結婚式や二次会に呼ばれない程度の軽い知り合いの場合です)の定番でした。
 日本語版は1965年が初版ですが、私の手元に今あるのは1990年1月20日の第74刷ですので、かなりのベストセラーです。
 結婚(特に若い世代の)というものを、このように象徴的に描いた作品は少ないかもしれません。
 出版から70年近くがたち、その間にジェンダー観や結婚観はずいぶん変わりましたが、好きな男の子や女の子と、「いつも いつも、いつまでも、きみといっしょに いられますように」という願いは、普遍性を持っていると思います。
 ただし、日本語訳では、くろいうさぎは男の子、しろいうさぎは女の子と決め打ちした言葉づかいなので、やや古さを感じさせるかもしれません。
 作者のガース・ウィリアムズは私の好きな画家の一人で、マージェリー・シャープのミスビアンカ・シリーズ(その記事を参照してください)の挿絵でも有名です。
 動物の生態と擬人化のバランスが絶妙で、ディズニーのアニメ絵本のような単純にかわいいだけの絵柄とは一線を画しています。

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内海 健「うつ病新時代 双極Ⅱ型障害という病」

2024-12-21 08:54:47 | 参考文献

 2006年8月に発行された新しい気分障害である双極Ⅱ型障害(軽躁状態とうつ状態が繰り返しあるいは混合して現れる障害です)について、臨床と並行して、気分障害史にも言及して解説した本です。
 ポストモダンに生きる我々がいろいろな生きづらさに直面した時に発症するのは、旧来のうつ病(メランコリー)ではなく、このポストメランコリーの病気なのです。
 まだ臨床医の多くもこの病気を正しく理解していなくて、多くの患者がうつ病と誤診されています(私自身も、2003年に同様の誤診をされた苦い経験を持っています)。
 今の子どもたちや若い世代を取り巻くいろいろな問題(いじめ、セクハラやパワハラなどのハラスメント、ネグレクト、虐待、ひきこもり、登校拒否、拒食、過食、自傷、自殺、薬物依存、犯罪など)の背景の多くに、当事者やその親や教師や上司などの内部にこの双極Ⅱ型障害が潜んでいることが多いと思われます。
 また、この障害は、個人の責任ではなく、社会のひずみが生んだ「公害」なのです。
 そのため、社会全体を改革しない限り、この障害ならびにそれに基づく問題は、マクロ的には解決できないと思っています。
 私は、これからこのような子どもたちや若い世代の問題を取り上げた創作(児童文学ではなく一般文学になると思われます)に力を入れていこうとしていますが、その背景を正しく理解するためにこの本はおおいに役立ちました。
 ただし、この本は内容や文章がやや難しく、筆者もあとがきで弁明していますが、「精神科医からのメッセージ」というシリーズ名にはふさわしくなく、「精神科医へのメッセージ」といった趣です。

うつ病新時代―双極2型障害という病 (精神科医からのメッセージ)
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勉誠出版
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吉川英治「新・水滸伝」

2024-12-20 08:36:40 | 参考文献

 水滸伝といえば、言わずと知れた中国四大奇書(他は三国志(その記事を参照してください)、西遊記、金瓶梅)の一つですが、それを大衆小説の第一人者の吉川英治が日本人向け(残酷すぎる部分(黒旋風の李逵に関する部分など)や色っぽすぎたりする部分(金瓶梅のもとになる所など)や日本人には分かりにくい部分(人肉食など))に書き直した作品で、作者の死による未完(いわゆる100回本のうちの74回あたりまで)ながら日本では一番読まれている水滸伝の本です(最近の読者は、横山光輝の漫画やコーエーのゲームや北方謙三の水滸伝の方がなじみがあるかもしれません)。
 お馴染みの求時雨の宋江(いわゆる「男の中の男」の原型ですね。背が低く色黒で女にはまったく持てません(役人時代にやり手婆に無理やり押し付けられた愛人に裏切られて、はずみで彼女を殺して囚人になります)が、庶民(特に男たち)には神様のように崇め奉られています(何しろ字名が、「求める時にふる雨」ですからね。しびれます)を初めとした百八人の豪傑たちが大暴れする大河娯楽小説です。
 子どものころに初めて読んでからずっと未完だったのが不満だったのですが、その後岩波文庫の「完訳 水滸伝」(100回本です。水滸伝には後日談も含めた120回本もあるそうです)を読んでも、108人が勢ぞろいする71回までは面白いのですが、それ以降は付けたしの感が否めません。
 実際、中国では71回を最終回に書き直し、初回を前置きにして回数をひとつずつずらしたいわゆる70回本(回数をずらさない71回本もあるそうです)が、水滸伝としては一般的だそうです。
 そういった意味では、吉川英治の「新・水滸伝」は70回本の完訳とは言えるので、この本を読めば完訳を読まなくても十分でしょう。

新・水滸伝 全6巻合本版
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MUK production
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庄野潤三「絵合わせ」絵合わせ所収

2024-12-19 08:36:15 | 参考文献

 「群像」昭和45年11月号に掲載されて、この作品を表題作とする中短編集に収められた中編です。

 また、昭和52年にこの作品を表題作とする文庫本の中短編集に再構成されました。

 この作品においては、両親と長姉と二人の弟で構成されていた作者の家族が、姉の和子の結婚を間近に控えて、大きな変化を予兆させるいろいろな事件が描かれています。

 長女の結婚の準備、長男の受験失敗、次男のお手柄(長女が結婚してから住む貸家を見つけてきた)、この家に引っ越してからずっと一緒だったセキセイインコの老衰などが描かれていますが、作者はそれをシリアスには描きません。

 いつのまにか家族全員でやることが夜の日課になった「絵合わせ」というカードゲームのやり取りを接着剤として、静かにやがて訪れる家族の変化(五人家族が四人家族になる)への、心の準備のようなものを紡いでいきます。

 その暖かく精緻な描写は、さすがに野間文芸賞を受賞した名作と思わせるものがあります。

 そして、この作品集では、「丘の明り」、「小えびの群れ」、「絵合わせ」の三つの作品集から、家族の成長がわかる短編が選ばれているので、読者はいつのまにか、この家族が親戚よりも身近で、かぎりなく自分自身の家族であるかのように感じられます。

 そのため、長女の結婚を喜ぶとともに、家族の黄金時代が過ぎ去ってしまったことの寂しさも感じます。

 どの家族にも、黄金時代というものはあります。

 私事になりますが、私の家族の黄金時代は、次男が誕生してから、長男が大学一年で次男が高校二年の時に、二人で都内のアパートへ移った時まででしょう。

 こうしたどの家にもある家族の黄金時代を、ここまで緻密に描き出した作品集を、私は他に知りません。

 

 

 

 

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沢木耕太郎「深夜特急1」

2024-12-18 08:53:55 | 参考文献

 作者の代表作のひとつで、一人旅物の決定版とも言える作品です。

 この文庫本版は、単行本の「深夜特急第一便」の前半部分で、以下の三章から構成されています。

第一章 朝の光 インドのデリーの安宿で、出発してから半年になるのに、まだ本来の目的であるデリーからロンドンまでのバス旅行が始まっていないことに愕然とするところから始まり、なぜこの一人旅に出たかの発端が語られます。

第二章 黄金宮殿 手に入れたチケットが途中滞在可能だったので、何気なしに寄った香港での話です。黄金宮殿という名のラブホテル(というよりは、昔ながらの連れ込み旅館といった方がしっくりきます)を根城にして、露店街やフェリーや港などのあちこちを歩き回る熱狂の日々です。

第三章 賽の踊り 黄金宮殿に荷物を残したまま、何気なく立ち寄ったマカオ(香港からは水中翼船で1時間ちょっとで行かれます)での、大小という博打にはまった別の意味(一時は大きく負けて、本来のバス旅行がスタートする前に断念しなければならない窮地に陥ります)で熱狂の日々です。

 「深夜特急」は、出版当時、多くの若者の一人旅への憧れを刺激して、ベストセラーになりました。

 実際に、この本の通りに、一人旅をした人たちもたくさんいたことでしょう。

 私も、初めて読んだ時には、一人旅への強い憧れを抱きました。

 特に、香港のどこまでも続く露店街での放浪やマカオでの博打への耽溺には、いつかはやってみたいとさえ思いました。

 幸か不幸か、この本を読んだ時には、結婚して子どももいましたので、作者のように何もかも放擲して一人旅に出ることはできませんでした。

 後日、リノのカジノに泊まった時や、台北の夜市に行った時には、この作品で描かれたものに近い風景に出くわしましたが、その時はすでにそれらに耽溺することはできませんでした。

 その時、もう自分は一人旅をするには年を取りすぎてしまったんだなあと、寂しさにも似た気分を味わったことを覚えています。

 

 

 

 

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小熊英二「1968」

2024-12-17 08:15:10 | 参考文献

 上下巻で2000ページもある大著なので、読みきるには集中力を持続する必要がありますが、現代日本児童文学の舞台(とくに初期)やそのころの作者たちの創作の背景を理解するためには必須の本ではないでしょうか。
1.叛乱の背景と始まり
 上巻では、当時の若者たちの叛乱とその背景について書かれています。
 時代的・世代的背景、各セクトについて、全共闘の個々の闘争(慶大闘争、早大闘争、横浜国大闘争、中大闘争、羽田闘争、佐世保闘争、三里塚闘争、王子野戦病院闘争、日大闘争)、特に東大闘争については発端から結末までを、詳述しています。
 全共闘世代はいわゆる団塊の世代で、義務教育のころは戦後民主主義教育を受け、その後激烈な受験戦争に巻き込まれ、大学の大衆化に直面し、アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄化などの現代的不幸に直面した最初の世代でした。
 セクトの変遷とそれぞれの特徴がまとめられていて、初めて知ったことも多かったです。
 慶大闘争が、一連の若者たちの闘争の端緒だというのは、初めて知ったことでした。
 早大闘争は、私が知っていた1972年の川口君リンチ殺人事件を発端にした革マル対他セクトプラス一般学生の争いではなく、当初は学費値上げ反対闘争だったとのことなので、初めて知ったことも多かったです。
 横浜国大闘争は、学芸学部から教育学部への変更反対闘争で、伝統的な学問を究める大学から、産業の要請する労働力(この場合は教員)養成の大学への変換への抵抗の典型的な例として興味深かったです。
 中大闘争も学費値上げ反対の闘争でしたが、学生側の勝利した数少ない闘争として貴重なものでした。
 このパターンが後続の大学紛争のモデルになっていれば、結果はだいぶ違うものになったでしょう。

2.闘争の高まり
 羽田闘争での犠牲者山崎君の死が、その後の全共闘への参加のきっかけになっている例が多かったことを知りました。
 三里塚闘争では、農民の闘争に学生が参加して、互いに刺激し合って闘争が過激化し、機動隊側にも死者を出しました。
 佐世保闘争と王子野戦病院闘争では、一般市民も巻き込んだ闘争の例として、初期の全共闘の運動が社会からも支持されていたことを示しています。
 日大闘争では、大学側の対応や状況があまりに前近代的(最近のアメフトを初めとした日大の事件を知ると、体質が少しも変わっていないことに驚かされます)なので、読んでいて学生側に同情しました。
 特に、いったん決まりかかった改革案を、時の佐藤首相が介入して反故にしたという事実を初めて知って驚きました。
 もし、これがなければ、学生側の勝利で終結していたでしょう。
 その後のセクトの介入により、闘争への一般学生たちの共感が失われてしまったのが残念でした。
 東大闘争も、初めは医学部の封建的な体制の改革に乗り出し、大学側がほとんどの要求に合意した時点で学生側の勝利で終結できたでしょう。
 ところが、闘争にセクトが介入し、しだいに自己否定などによる学生の自分の表現としての闘争に変化して、泥沼化してしまいました。
 この闘争を重要視し、七十年に向けての拠点にしようとするセクトの思惑が原因でした。
 この闘争が、その後の大学での闘争のモデルになったため、学生側の敗北によって終結するようになってしまったようです。
 大学ごとに結成されてノンセクト・ラディカルが重要な役割を果たした全共闘(終末期にはセクトあるいはセクト連合にイニシアティブを握られてしまいましたが)と、セクトによって細分化されていく全学連の違いが初めて理解できました。
 大学闘争については、その発端から終末まで詳しく書かれていますが、それ以外の闘争についてはあっさり書かれているので、それぞれの闘争の実態まではよくわかりませんでした。
 これらについては、個別に適切な本を読んで補う必要があると思われます。

3.叛乱の終焉
 下巻では、叛乱の終焉とその遺産について書かれています。
 高校闘争、68年から69年への反乱の推移、1970年に起こったパラダイム変換、関連する個別の闘争(ベ平連、連合赤軍、リブ)に関して記述して、最後に結論を述べています。
 高校闘争は自分自身の高校時代の直前に行われたので、もし一、二年違っていたら、私も巻きこまれていたかもしれません。
 自治が認められていた大学と違って、激しい弾圧にさらされていて、短期間に集結してしまったことは初めて知りました。
 しかし、私の通っていた早稲田大学高等学院では、高校闘争の遺産として、中間試験の廃止、制服、制帽の自由化など、民主化運動の成果がたくさんありました。
 そのへんについての記述がまったくないのには、不満を感じました。
 それとも、高等学院の場合は、早稲田大学の付属という特殊性が原因していたのでしょうか。
 東大闘争で確立された全共闘の闘争パターンが他の大学、地方の大学、高校へと波及し、細く長く反乱の時代が続いていたことが理解できました。
 70年代のパラダイム変換は高度資本主義を推し進めているに対しては有効だが、そこがピークを過ぎて再び格差社会になった現代では限界が出ています。
 現在のワーキングプアの問題やそれによる子どもたちの阻害に対しては有効ではないのじゃないでしょうか。
 そのあたりの記述が不足している感じがしました。
 ベ平連に関しては、その発足から解散まで、時系列に詳しく書かれています。
 全共闘とは違って、当時の自分のすぐ隣(中学の同じクラスの女の子がベ平連の活動に参加していました)にあったこの運動の全貌が分かって興味深かったです。
 一時期のベ平連は、中学生まで巻き込むほどの運動体としての魅力があったのでしょう。
 もし、もう少し年齢が高くもっと社会に目覚めていたら、私自身も関わっていたかもしれないと思わせるものがありました。
 他の闘争と違って、小田、吉川、鶴見俊輔などの中心人物が大人だったのが、全共闘とは一味違う運動にしたのでしょう。
 組織の存続を目的とするのではなく、柔軟な運動体としての存在というのはユニークでした。
 ただ、他の章と違って、筆者がべ平連に好意的すぎるように感じられるのが気になりました。
 連合赤軍に関しては、革命左派と赤軍派という路線の違う二つの党派の野合にすぎなかったこと、総括という名のリンチの凄惨な詳細を初めて知りびっくりしました。
 リンチ事件とあさま山荘事件との関係が、初めて理解できました。
 ただし、あさま山荘事件の記述は、あっさりしすぎているような気がしました。
 リブに関しては、著者自身が認めているように全体像を書きあらわそうとしていないので、よくわかりませんでした。
 特に、その後のフェミニズムへの流れはきちんと理解したかったと思いました。
 なぜ、田中美津にフォーカスしたかも理由が不明です。
 彼女の武装論は、あまりに場当たり的で理解不能でした。
 ただ、赤軍派や革命左派と接点があったのには、びっくりしました。
 一歩間違えれば、まさに彼女は永田洋子になった可能性があったのです。

4.結論
 これらの若者たちの叛乱が、政治運動でなく表現行為だったというまとめが正しいとすれば、自分自身の叛乱も文章による表現行為として成立するかもしれません。
 特に、現代的不幸を描くという点においては、それが言えるでしょう。
 また、この反乱が、高度資本主義社会に組み込まれていく前のモラトリアムの状態だという指摘はうなずけます。
 全共闘の闘争を維持し、しかし、最後に敗北させたのは、一般学生のエゴイズム(ストライキが起きれば、休講になったり、試験が延期やレポートへの切り替えになったりするから、年度の初めには全共闘の運動を支持する。かといって、単位を取って進級や卒業はしたいから、年度の最後にはストライキを終結させる)だという指摘は、自分自身の体験と照らし合わせても、妥当だと思えました。
 そして、この一般学生の無関心、そして就職して高度資本主義社会に組み込まれた後の政治への無関心が、長期にわたる自民党政権を維持してきたのです。
 これが、民主党政権に変わって、変化が起きるかどうかは興味深かったのですが、民主党も体制内野党だったためかまったく変わり映えがしなくて失望感が広がり、あっさりと自民党政権が復活しました。
 現代的不幸に対処するためにどんなパラダイムが必要なのかについて、著者の結論が述べられなかったのは、なんだか肩すかしを食ったような気分でした。
 しかし、これだけ膨大な文献を読みこなし、この長大な論文にまとめあげた著者の力量は、今までの著作と同様にすごいものがあります。
 例えば、セクト(上下)、日大闘争、東大闘争(上下)、べ平連、連合赤軍などの各章は、それだけで単行本にしてもいいぐらいの読みごたえがありました。
 ただ、今回はこの反乱の時代に若者だった当事者の多くがまだ存命なので、いつもの徹底した文献の渉猟だけでなく、実地にインタビューなどの取材で文献の裏を取る必要があったのではないでしょうか。
 このあたりは、ネットなどで当事者たちから痛烈な批判を受けています。
 公平に見ても、今回の著者のとった方法論には、少なからず誤りがあったと言わざるを得ません。
 それにしても、1968年に14才で中学二年生だった私は、この若者の叛乱の時代に遅れてきた世代だったということははっきりといえます。

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景
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新曜社



1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産
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新曜社
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パリ、テキサス

2024-12-16 08:46:51 | 映画

 1984年にカンヌ映画祭でパルム・ドール(最優秀賞)を受賞した、ヴィム・ヴェンダース監督のロード・ムービーの傑作です。
 四年間行方不明だった男が、弟夫婦の献身的な愛情で、人間性を取り戻していきます。
 しかし、彼は、弟夫婦が育ててくれていた七歳の息子を連れて、テキサス州ヒューストンにいると思われる若い妻(25歳ぐらい。子どもを産んだときは17か18)を探しに、車でテキサスに向かいます。
 兄弟とは? 夫婦とは? 男女とは? 父子とは? 母子とは?
 いろいろなことを考えさせてくれる映画です。
 そういった意味では、児童文学のテーマとも重なります。
 実は、NHKのBS放送を録画して四十年ぶりに見たのですが、あいにく緊急地震放送のために放映の途中で打ち切りになっていました(大災害だったのですから当然のことです)。
 しかし、続きを見るのはなかなか難しかったです。
 NHKは地震のために放送中止になった番組が多いために再放送のめどは立っていませんし(これまた当然です)、近隣のレンタルショップや図書館はどこもこの映画のDVDやビデオを持っていなくて、かなり遠くの大型のレンタルショップでようやく発見しました(ただし、ディジタルリマスター版のブルーレイだったので、放送よりもいい画質で見られました)。
 他の記事でも書きましたが、古い名画を見るのは年々難しくなっているようなので、うまい方法を考えなくてはと思い知らされました。
 
 

パリ,テキサス コレクターズ・エディション(初回生産限定) [Blu-ray]
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ジェネオン・ユニバーサル

 
 

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