最後のバッターが打った小フライが、内野にフラフラと力なく落ちてきた。ボールはセカンドの章吾のグラブにしっかりとおさまった。
「やったーっ!」
歓声を上げながら、みんながホームベースへかけよっていく。裕次も、遅れないようにライトからけんめいに走っていった。
5対4。一点差で、ぎりぎり逃げ切った。これで準決勝進出だ。
両チームがホームをはさんで整列した。
「ゲーム。5対4でヤングリーブスの勝ち」
審判が、裕次たちのヤングリーブスの勝利を宣言した。
「ありがとうございました」
裕次たちは、相手チームに元気よくあいさつをした。
「うわーっ!」
相手チームの監督にあいさつにいくキャプテンの将太たちを残して、みんなは歓声を上げながらで味方のベンチに戻っていった。
「よくやったぞ」
いつもは怒鳴ってばかりの監督も、今日は満足そうにうなずいている。
「整列!」
ようやく戻ってきた将太が、みんなを観客席に向かって並ばせた。
「ありがとうございました!」
帽子を脱いで、いっせいに頭を下げた。
ベンチ裏に陣取った応援の人たちから、いっせいに大きな拍手が起こった。大接戦の末の勝利に、応援の人たちの方も大騒ぎだ。
「浩介、ナイス、ピッチング!」
「竜平、いいぞーっ!」
興奮して口々に叫んでいる。
無理もない。たとえ16チームしか参加していない小さな大会だとしても、ベスト4進出なんて今年のチーム結成以来の快挙だった。いつもは、一回戦か、二回戦で負けてばかりなのだ。接戦ばかりとはいえ、今日は二試合続けての勝利だった。裕次も、みんなとベンチ前に整列しながら、誇らしい気持ちがわいてきていた。
試合後のミーティングが終わったメンバーは、ようやく遅い昼食にありつけた。裕次はチームメイトとならんで土手の斜面に腰をおろして、コンビニのおにぎりをほおばっていた。
ヤングリーブスでは、お弁当はおにぎりだけときまっている。おかずやおかしのたぐいは、チームでみんなの分を用意するときを除いては禁止されていた。
それは、子どもたちの間で、お弁当に差がつかないようにとの監督の配慮からだった。もちろん、お弁当を用意するおかあさんたちの負担を、軽くしようという考えもあっただろう。
それでも、実際には、子どもたちには差が生じてしまっていた。お弁当は手作りのおにぎりがほとんどだったが、中にはいつもコンビニのおにぎりを持ってくる子たちもいるのだ。
裕次もそんな一人だった。いつもチームの集合の前にコンビニによって、その日の昼食を自分で用意していた。
目の前の河川敷のグランドでは、準々決勝の残り二試合が行われている。少し風が冷たいけれど、河原は広々していて気持ちがよかった。
「ちぇっ、次は、どうせあっちはキャロルが上がってくるんだろ」
「三決(三位決定戦)はあるのか?」
「いや、ないみたいだよ」
「じゃあ、来週はお昼で終わりだな」
大会のプログラムを見ながら、ほかのメンバーたちが話している。どうやら、来週の準決勝の相手は、この大会の主催者のキャロルというチームになりそうだ。今年も県大会で優勝し、全国大会にも出場している強豪だった。
「うわー」
すぐそばで歓声があがった。
裕次が顔を上げると、土手の上では、先にお昼を食べ終えていた五年生たちがふざけあっている。突き飛ばしっこをしたり、ダンボールのそりで草の斜面を滑り降りたりしていた。
彼らが退屈しているのも無理はなかった。今日も十人いる六年生全員が来ていたので、まったく出番がなかったからだ。
裕次たちヤングリーブスでは、試合には六年生たちを優先して出している。
どうしても負けられない試合には、上手な五年生を先発で使うこともあった。そんなときでも、代打や守備の交替などで、六年生全員が必ず試合に出られるように、監督はいつも気を配っていた。
特に、このキャロル杯は、六年生にとって最後の大会だった。だから、五年生たちにはまったくといっていいほど出番がなかったのだ。
実は、この監督の年功序列のやり方の恩恵を一番受けていたのは、裕次だった。打順が八番でポジションはライト、俗にライパチといわれる九番目のレギュラーだった。
裕次は、五年生以下で組んでいるBチームのスコアラー(試合の記録をつける係)もやっている。それで、よくわかるのだけれど、五年生の中に4、5人、さらに四年生の中にさえ、自分よりうまい選手がいた。もしも完全な実力主義でAチームを組んでいたら、代打や守備要員としてさえ出場できなかったかもしれない。
「裕次と正人、来週はいよいよ監督だぞ。ほんとに良かったな。今日で終わりだったら、おまえたちまでまわらないところだった」
うしろから、監督が声をかけてきた。試合や練習中はどなってばかりのこわい監督だけれど、こんな時はけっこうやさしい。
ヤングリーブスでは、町の秋季大会が終わると、六年生が交替で試合の監督をやることになっている。打順や守備のポジションを好きなように決められ、試合中はサインも出せた。自分の打順を四番にしたり、ピッチャーなどのやってみたかったポジションができたりするので、みんな楽しみにしている。ちなみにさっきの試合の監督の亮輔も、自分の打順をいつもの九番ではなく、たくさん打席のまわる一番バッターにしていた。
「どうせ、裕次までで、俺までまわってこないすよ。準決はキャロルすよ。三決もないから、それで、一巻の終わりすよ」
六年でただ一人の補欠の正人は、いつものようにおどけた口調でいった。正人は自分だけが補欠なのもぜんぜん苦にならないようで、いつもマイペースでチームのムードメーカーになっていた。
「そんな弱気でどうするんだ」
監督はそういって、正人の頭を軽くこづいたけれど、目はわらっていた。おそらく監督も、キャロルには勝てるとは思っていないのだろう。もしかすると、「正人監督」のために、すでにどこかのチームと練習試合を組んであるのかもしれない。
裕次は早めにおにぎりを食べ終えると、ひとりで隣のグラウンドへ向かった。そこでは、キャロルが準々決勝を戦っている。
さすがに主催チームらしく、たくさんの人たちが応援に来ていた。
(祝 全国大会出場 キャロル)
応援席の前にはられた横断幕が誇らしげだ。
裕次は応援席のうしろを通って、バックネット裏に腰をおろした。ここからだと、ピッチャーの球筋が良く見えるからだ。
もう十一月もなかばすぎなので、三時近くともなるとすっかり日が傾いている。空気がひんやりして、ウィンドブレーカーをはおっていても、まだ寒いくらいだった。
裕次はいつものようにスコアブックをつけながら、試合を見ていった。たんにスコアをつけるだけでなく、ピッチャーの球速やコントロール、キャッッチャーの肩、守備の弱点、ファールの飛んだ方向など、気づいたことをどんどん余白に書き込んでいく。
今までは、監督と一緒に、次の対戦相手を偵察していた。スコアブックのつけかたや、どんな点に注意するかを、教えてくれたのも監督だった。
でも、この大会では勝ち負けにこだわっていないせいか、監督は偵察にはやってこなかった。いや、監督の関心は、すでに五年生たちのBチームに移っているのかもしれない。Bチームは先月の郡の新人戦で優勝して、来年の活躍がおおいに期待されていた。
試合は、予想どおりに、キャロルが一方的にリードしていた。三回を終わって8対0。もうすぐコールド勝ちだ。
キャロルのピッチャーは、中学生かと思えるほどの長身だった。それをいかして、球威充分の速球を投げ込んでくる。相手チームが高目のボール球に手を出していることもあって、面白いように三振を取っていた。
(高目は絶対に捨てること!)
裕次はスコアブックに書き込むと、忘れないように丸で囲んだ。
相手チームの選手が、苦しまぎれに三塁前にセーフティバントをした。キャロルの三塁手が、すばやく前にダッシュしてくる。ボールをすくいあげると、軽快なランニングスロー。
「アウト!」
一塁の審判が叫んだ。楽々と、ランナーに間に合った。守備も良くきたえられているようだ。
「ツーアウトよお」
三塁手が、右手の親指と小指を立てて、野手のみんなに合図を送っている。どうやら、この選手がキャプテンのようだ。
「おーっ、ツーアウト、ツーアウト」
他の選手たちも、声をかけあっている。
全国大会に出場するだけあって、キャロルは猛練習で有名だった。裕次が通っている塾の送迎バスは、彼らが練習場所にしている小学校の横を通っている。そんな時、往きはもちろん、時には八時をとっくにすぎた帰りにも、まだ練習をしていることがあった。
「裕ちゃん、いよいよだね」
スコアブックから顔をあげると、声をかけてきたのは五年生の明だった。めがねをかけた小柄な子で、運動能力の高いメンバーがそろっている五年生以下のBチームでは補欠だった。
でも、野球を良く知っているので、裕次のあとがまとしてスコアラーに抜擢されている。
「監督をやるなんて、わくわくしない?」
「うーん。でも、相手がキャロルじゃなあ」
「なーんだ、ずいぶん弱気だなあ。いつも言ってることと、ぜんぜん違うじゃない」
明が少しがっかりしたように言った。
ヤングリーブスでは、「みんなが出られるように」とか、「へたでもまじめにがんばっている子を使う(裕次のことだ!)」とかが、勝負よりも優先されている。そのために、勝てる試合を失ったことさえあった。
「俺が監督だったら、もっと勝てるんだけどなあ」
って、裕次は明だけには話していた。
「集合!」
両チームの選手たちが、ホームベースに集まっていく。四番バッターがランニングホームランを放って、とうとうキャロルのコールド勝ちが決まったのだ。
裕次たちは立ち上がると、ポンポンとおしりについた土をはたきおとした。
(弱気だなあ)
明のことばが、頭の中によみがえってくる。
たしかに、みんなの弱気なムードに影響されて、いつのまにか自分も
(キャロルには勝てっこないんだ)
と、思い始めていたのかもしれない。
(でも、うちのチームがキャロルに勝てる可能性は、本当にあるのだろうか?)
「パンフレットを、忘れずに持って帰れよ」
塾の先生が、さっき配ったピンクのパンフレットを、ヒラヒラさせている。裕次は、送迎バスにむかいながら、もう一度それを開いてみた。
中には、「私立中学は公立よりもこんなに勉強している」、「東大合格ランキングの上位は、中高一貫教育の私立高校ばかりだ」、「中高一貫教育は、受験勉強ばかりでなく個性重視だ」といった、裕次のおかあさんが読んだら、泣いて喜ぶような受験情報が満載だ。塾でもらうこうしたパンフレットや父母会などでもらった資料を、おかあさんはいつも大事にファイルしていた。
中学受験で有名なこの塾に、裕次は四年生の時からはいっている。おかあさんが、裕次にも私立中学受験をさせたがっていたからだ。
でも、五年まではまだよかった。週に二回だけ、塾に行けばすんだのだ。それに、塾の授業も学校よりは面白かった。
もともと裕次は、勉強が嫌いなわけではない。成績も、つねに塾でもトップクラスをキープしている。だから、塾とヤングリーブスを両立させることができていた。
ところが、六年になって塾が週三回に増えたあたりから、それらのバランスが崩れてしまった。さらに、難関私立受験コースへ移った二学期からは、月曜から金曜までの毎日、送迎バスで30分以上もかかる隣の市にある塾まで通わなくてはならなくなっていた。
本当は、おかあさんは裕次が六年になった時に、野球をやめて受験勉強に専念させようと思っていたのだ。
でも、裕次は、どうしても
「うん」
と、いわなかった。
私立中学にいきたいと思っていなかったし、大好きな野球をどうしてもやめたくなかった。
さすがのおかあさんも、とうとう最後にはチームをやめさせることをあきらめた。ただし、いつでも難関私立受験コースへ移れる成績をキープすることが、野球を続けることの条件になった。
おかあさんは、二年前にも同じように裕次の兄を途中でやめさせて、監督たちともめていた。サードで三番バッターだったにいさんがやめたときには、監督はずいぶんくやしがっていた。
今でも、冗談ぽい口調だったけれど、
「斎藤兄弟には、必要な方に逃げられた」
って、時々からかわれる。
にいさんは、「チームの中心メンバー」という裕次がのどから手が出るほど欲しい地位をあっさりとすててしまった。そして、今度は受験勉強に熱中して、おかあさんの望みどおりに、ランクが一番高いといわれている私立中学に受かっていた。
「おにいちゃんを見習って」
それがおかあさんの口癖だ。素直に言うことを聞いたにいさんと違って、おかあさんの目から見ると、裕次はずいぶん頑固に映っていたのだろう。
帰りの送迎バスが、キャロルがホームグラウンドにしている小学校の横を通りかかった。思いがけずに、キャロルのメンバーは、まだ練習をしていた。県大会に優勝し、全国大会でも上位にまで進んだキャロルにとっては、キャロル杯はただの小さな大会にすぎないと思っていた。
でも、主催している大会というのは、彼らにとっても特別なものなのかもしれない。きっと、優勝が義務づけられているのだろう。
ナイター用のライトに照らされて、選手たちの白いユニフォームがキラキラと光っている。
裕次は、送迎バスの小さな窓を少し開けた。冷たい外気が、サーッと車内に流れ込んでくる。
「バッチ(バッターのこと)、来ーい(こっちへ打ってこいの意味)」
「バッチ、来ーい」
守備についている選手たちの、かけ声が聞こえてきた。
カーーン。
見覚えのあるキャロルの監督がノックした打球に、三塁手がダッシュしていく。
ビュッ、……、バシーン。
横のブルペンでは、例のノッポのエースが投球練習をしていた。
バスが校庭を通り過ぎても、裕次は首をいっぱいにひねって、ぎりぎりまでキャロルの練習を見続けていた。
学校が見えなくなって前に向き直ったとき、裕次は、胸の中のもやもやとしていたものが、だんだんはっきりと形作られてくるのを感じていた。
ヤングリーブスでも、キャロルと同じように校庭で平日の練習をやっていた。一応は、子どもたちだけでやることになっているので、「自主トレ」と呼ばれている。
でも、五時すぎからは、監督やコーチたちも交替で顔を出して、ノックやフリーバッティングもやってくれていた。
裕次の学校の校庭には、キャロルのところのようなナイター設備はなかった。暗くなってからは、職員室からもれてくる光だけがたよりだ。明るい校舎よりに集まって、ベースランニングやすぶりを、監督たちにじっくりと見てもらっていた。週末は大会や練習試合が多いので、基本練習をみっちりとやる場はここしかない。裕次はあまり活躍のチャンスのない週末の試合よりも、少しでもうまくなったことが実感できる自主トレの方が好きだった。
その自主トレに、塾へ毎日通うようになってからは、まったく参加できなくなっていた。当初はそれを補うために、塾へ行くまでのわずかな時間に、家の前ですぶりや壁投げをやっていた。
でも、やはり一人でやるのははりあいがなくて、長くは続かなかった。
裕次は、本当に野球が好きだった。小さいころから、にいさんとキャッチボールをしたり、ひとりでも家の横の石垣に向かってボールを投げたりしていた。
にいさんが三年生になってチームに入った時、本当は一年ではまだだめなのに、おまけとして一緒に入れてもらった。チームからもらった、お下がりのダブダブのユニフォームを初めて着た時の、うれしいような恥ずかしいような気持ちは、今でもはっきりと覚えている。
その野球を、受験勉強のために、もう思うようにはやれなくなってしまっていた。かろうじてチームはやめさせられなかったものの、週末に模擬試験がある時は、試合さえも早退したり、途中から参加したりしなくてはならなかった。
次の日、裕次を乗せた塾の送迎バスが、またキャロルの小学校の横を通りかかった。
信号が赤に変わって、バスは校門のまん前にとまった。キャロルの選手たちは、今日も元気に練習をしている。
カキーン。
……。
カキーン。
フリーバッティングをやっているところで、バッターは鋭いライナーを連発していた。キャロルの監督が、バッティングピッチャーをやっている。
次の球。バッターが、大きくからぶりをしてしまった。
「……」
キャロルの監督が投げる手を止めて、バッターに何か注意をしている。
ググッ。
裕次は、送迎バスの窓を開けてみた。今日も、冷たい外気が流れ込んでくる。
「……」
キャロルの監督は話し続けているが、まだ声が聞こえない。
突然、裕次は、監督が何をいっているのかを、どうしても聞きたくてたまらなくなった。バスを降りて、すぐそばまでいってみたい。
でも、信号が変わったのか、バスはまたゆっくりと走り出してしまった。
やがて、バスは塾の駐車場にいつものように到着した。
グ、グーン。
いつものように大きな音を立てて、バスのドアが開いた。みんなが席を立ち上がり始めた。
「ちょっと、用事を思い出したんだ」
裕次は、隣の席の子にいった。
「えっ、塾はどうするんだよ?」
その子は、びっくりしたような声を出していた
でも、裕次はそれには答えずに、さっさとバスを降りていった。
(よし!)
思い切ったように勢いをつけて、キャロルが練習していた小学校を目指してかけだした。背中のデイバッグの中で、塾のテキストがゴトゴトと音をたてている。
塾から小学校までは、走れば五分ぐらいでつけるだろう。
祐次が塾をさぼるのは、初めてのことだった。
それでも、裕次は走りながら、気持ちがだんだんすっきりとしてくるのを感じていた。
(キャロルの練習を、思いっきり見てやるぞ)
そう思うと、だんだん気持ちがわくわくしてきていた。
「おらおら、声が出てないぞお」
キャロルの監督の声が、すっかり暗くなったので照明が点灯された校庭に響いている。練習はさっきまでのフリーバッティングから、シートノック(各自が自分の守備位置について受けるノック)に変わっていた。
「バッチ、こーい」
「バッチ、こーい」
守備についている選手たちが、いっせいに声を出し始めた。
裕次は、校庭のフェンス沿いに外野のうしろまでまわっていった。そちら側は金網になっていて、ずっと練習が見やすかった。
裕次は金網によりかかるようにして、練習をながめはじめた。
初めは、偵察するつもりなんかはぜんぜんなかった。ただ一所懸命に練習しているキャロルの選手たちを、見ていたかっただけだったのだ。そうすると、なんだか自分も野球をやっているような気分になれる。
キャロルの選手たちは、今日もいきいきとプレーをしていた。裕次には、それがうらやましくてたまらなかった。
(えっ!?)
驚いたことに、いつのまにかキャロルの要注意点や弱点を塾のノートに書き込み始めていた。
(癖になっているのかな)
裕次は、思わず苦笑いした。
カーーン。
大きなフライがフェンスの近くまで飛んできた。背走してきたセンターの選手が、グローブを差し出すようにして捕球した。
「ナイスキャッチ」
ノックをした監督が、バットを上げながら声をかけた。センターは、グローブの手を上げながら、誇らしげな顔をして守備位置に戻っていく。
裕次は、それをうらやましそうに見送った。
実は、この大会を最後に、裕次は正式にチームをやめることになっていた。遅ればせながら受験勉強に専念することを、おかあさんに約束させられていたのだ。
次の日曜日の試合は、裕次にとってまさにラストゲームになる。
日がすっかり沈んで、空気が冷え冷えとしてきた。
目の前には、ナイター照明に照らされて、声を掛け合いながらきびきびと練習を続けるキャロルの選手たちがいる。
裕次はジャンパーのえりをかきあわせながら、
(最後の試合にどうしても勝ちたい)
という気持ちが、ふつふつとわいてくるのを感じていた。
「行ってきまーす」
裕次はそういいながら、玄関でスニーカーをはいた。
「もう、バスの時間? まだ早いんじゃないの?」
おかあさんが、居間の時計を見ながらいった。たしかにいつもより三十分近くも早かった。
「バスが来るのが早くなったんだ」
早口にそういうと、デイバックの中にグローブを忍ばせて家を出た。
裕次は、送迎バスの乗り場には向かわずに、学校へ向かった。
校庭には、ヤングリーブスのメンバーがすでに十人以上来ていた。おもいおもいにランニングやストレッチなどの、ウォームアップを始めている。
自主トレに来ているのは、最近は五年生以下ばかりになっていた。六年の姿はひとりも見当たらない。キャプテンの将太やエースの浩介などの中心メンバーは、すでに硬式のシニアリーグのチームとかけもちなので、そちらの練習へ行っている。他のメンバーたちは、もう前のようには練習に熱心ではなくなっていた。
それにひきかえ、五年生のメンバーは、来シーズンに備えて、ほとんど全員が毎日来ているようだった。
「あれ、裕ちゃん。塾じゃないんですか?」
アップを終えた明が声をかけてきた。
「うん、いいんだ。それより、今度の試合のことで、みんなに話があるんだけど」
裕次は、明にそう答えた。
「おーい、みんな集まれーっ。裕次・か・ん・と・くから、話があるってさ」
明が両手をメガホンにして、みんなに声をかけた。
「ちぇっ、からかうなよ」
裕次は、明のしりに軽くまわしげりを入れた。
「ちわーす」
みんなが、裕次のまわりに集まってきた。
「こんちわー」
後から来たメンバーも加わって、全部で十五人もいる。五年生は、全員顔をそろえていた。
(どうしたら、みんなにわかってもらえるだろうか?)
裕次は、みんなをぐるりと眺めながら考えていた。
「来週のキャロル戦のことなんだけど、…」
裕次が話し出しても、みんなは興味なさそうな顔をしている。出場しない自分たちには関係ないと、思っているのだろう。
裕次は、昨日から考えてきたことを、みんなに話し出した。
キャロルにも弱点があること。それにつけこむための作戦。そのための練習方法。そして、これが一番肝心な点であるが、ヤングリーブスにも勝つチャンスがあること。
それでも、五年生たちは、はじめはあまり関心がなさそうだった。肝心な六年生たちがいないのでは、練習しても無駄だと思っているのかもしれない。
「キャロルとの試合だけど、六年だけでなく、五年も出すつもりだ」
とうとう裕次は、切り札を出した。
「おおっ」
思わず、みんなから声が上がった。
(自分たちも出られる)
そう思ったせいか、五年生たちは裕次の説明に急に興味をもってくれたようだった。
「こんちわーっ」
「ちわーっ」
みんなが、急に帽子をぬいであいさつをした。振りむくと、監督がそばまでやってきていた。いつのまにか、五時をすぎていたらしい。
「おやっ、どういう風の吹きまわしだ」
監督は、裕次を見つけると、わらいながらいった。
「はい、……」
裕次は、今、五年生たちに話していたことを、もっと具体的な作戦や技術的なことを含めて、監督に説明した。
監督も、はじめは少しめんくらったようだった。
でも、裕次の熱心な説明を聞いて、最後にはこういってくれた。
「さすがあ。いかにも裕次らしいなあ。だてに、二年間も、チームのスコアラーをやってたんじゃないよなあ」
「じゃあ、やってもいいんですか?」
「いいも悪いも、今度の試合は、いや今日から、おまえがチームの監督だよ。裕次の思うようになんでもやってみな」
こうして、この日から、裕次と五年生たち、それに監督たちも協力してくれて、打倒キャロルの練習が始まることになった。
いつもより熱が入ったせいか、その日の練習が終わったのは七時半を過ぎていた。
それでも、裕次はまだ家には帰れない。塾からの帰宅時間には、まだ一時間近くもあったからだ。
あたりは真っ暗で、すっかり冷え込んできている。
(これから、どうやって時間をつぶそう)
裕次は、校庭の隅にある、チームの用具入れの物置あたりでうろうろしていた。まわりでは、五年生たちが中心になって、野球用具の後片付けをしている。
(コンビニへでも行こうか?)
そこなら、まんが雑誌を立ち読みしたりして、時間がつぶせる。何より、明るくてあたたかいのがよかった。もしおなかがすいたり、のどがかわいたりしても、すぐに何か買って食べたり飲んだりできる。ただ、誰か知っている人に会わないかどうかが、少し不安だった。
(もし、サボったことが、おかあさんにばれたら、……)
と、思うと、気がすすまなかった。
「これで最後だな」
用具の片付けが終わった。
「さよならあ」
「また明日」
他のメンバーは一人で、あるいは二、三人で連れ立って家に帰っていく。祐次も、いつまでもここにいるわけにはいかなかった。
「さよなら」
裕次はみんなに声をかけると、校門の方へ歩き出した。やはり他に行くところがないので、コンビニへ行くつもりだった。
と、その時、
「裕ちゃん、ちょっと家へ来ない? いい物があるんだ」
と、明が声をかけてくれた。
「なんだい、いい物って?」
裕次がたずねても、
「それは、見てからのお楽しみ」
明はわらって、すぐには答えなかった。
でも、渡りに船なので、裕次は明の誘いにしたがうことにした。明の家は裕次とは、反対方向なのでおかあさんに会う心配はなかった。
二人は、ユニフォーム姿のまま、肩をならべて歩いていった。あたりはもう真っ暗で、所々にある街灯がぼんやりと歩道を照らしていた。
「裕ちゃん、キャロル戦が楽しみだね。きっと作戦はうまくいくよ」
「うん。でも、これからだよ。練習でどこまで準備できるかが大事だから」
裕次は、そう慎重に答えた。
明の勉強部屋は、ゆったりとした大きな部屋だった。おまけに専用のテレビやゲーム機、ブルーレイレコーダーまでがそろっている。
「これ、裕ちゃんが監督をやるのに、役立たないかなと思って」
明は、すぐに一枚のディスクをレコーダーに差しこんだ。
「あっ、これ、Kテレビ杯のじゃない?」
映し出された画面を見て、裕次がいった。
「うん、キャロルが優勝したやつ。録画しておいたんだ」
キャロルが出場した県大会のスポンサーは、Kというローカルテレビ局だ。大会後には、出場チームの紹介と全試合のダイジェストが放送される。自分の姿をテレビで見られるので、六つある県レベルの大会でも、もっとも人気があった。
優勝したキャロルは、決勝戦までぜんぶで五、六試合は戦っているはずだ。もしかすると、全選手のバッティングやピッチング、守備などが見られるかもしれない。
「ちょっと待って」
裕次は、デイバックから、いつも持ち歩いているスコアブックを取り出した。
「じゃあ、一回戦から頼むよ」
裕次は、明が再生してくれたキャロルの試合を、熱心に見つめはじめた。
録画されていた各試合を見ていると、キャロルは予想通りにすばらしいチームだった。
おそらくレギュラー全員が六年生なのだろう。相手チームに比べて、一回り大きいがっちりとした体つきをしていた。
打線は、一番から九番まで切れ目がない。どこからでも点が取れる感じだ。
特に、先日の試合でランニングホームランを打った四番打者を中心に、クリーンアップは長打力もあるようだ。放送でも、何回もホームランのシーンが出てきた。
投手は全部で三人。エースはあの長身の速球派のピッチャーだ。中学生並みの体格を生かした豪快なホームで、ビシビシ速球を投げ込んでくる。特に、高めの伸びのあるボールまるで手が出ないようで、三振の山を築いていた。二番手の投手は、普段は一塁を守っている選手だ。サウスポーで、エースよりは球速はないけれど、コントロールがいい。投手は、この二人で交代につとめていた。それ以外に、大量リードしたときなどに、二人を休ませるために出てくる三番手のピッチャーがいる。
守備も、よく鍛えられている。キャッチャーは強肩で、キャッチングもうまい。パスボールをするようなことは、まったくなさそうだった。内野は、例の三塁手を中心に良くまとまっていて、キャッチングもスローイングもあぶなげない。外野も、俊足ぞろいで守備範囲が広そうだった。
(どこかに欠点があるのだろうか?)
裕次は、不安な思いで画面に目を凝らした。
その晩、裕次は、スコアブックをひろげて対キャロルの作戦を立てていた。
ドンドン。
急に、ドアが強くノックされた。
「はい」
裕次が返事をすると、
「裕ちゃん」
と、いいながら、おかあさんが入ってきた。そのひきつったような笑顔を見たとき、サボリがばれたことがわかった。
「どうしたの? 二日も休んだりして。塾の石川先生からお電話があったわよ」
(やっぱり、塾から連絡が入ったか)
たった二日休んだだけで電話を入れるなんて、さすがは「良く指導の行き届いた」塾だ。
「塾を休んで、どこへ行ってたの?」
おかあさんは、なんとか感情的にならないように努めているようだった。もしかすると、これも塾が作った「受験生を持った母親用マニュアル」か何かに、従っているのかもしれない。
怒っているのではないこと、もう何度も聞かされた受験の大切さなどを、くどくどと繰り返している。けっして、頭ごなしに叱ろうとはしなかった。
どうやらおかあさんは、塾をさぼってどこへ行っていたかが、特に知りたいらしい。
「自主トレに行ってたんだよ」
裕次は素直にそう答えた。別に恥じることなど何もない。それならば、自分のやりたいことをおかあさんにはっきりと告げたほうがいい。
それを聞いて、おかあさんは少しホッとしたようすだった。もしかすると、ゲーセンとか、駅ビルのショッピングセンターにでも行っていたのではと、思っていたのかもしれない。
「でも、どうして? もう他の六年生たちも来てないんでしょ」
心配が少なくなったせいか、作り笑顔はやめている。
「今度の日曜、ラストゲームの監督をやるんだ」
裕次は、落ち着いた声で答えた。不思議なくらい、気分はすっきりしている。塾をサボッたことなんかに、ぜんぜんうしろめたい気持ちはなかった。
「えっ?」
おかあさんは、しばらくポカンとした顔をしていた。おそらく、裕次がいった「ラストゲーム」の意味など、まったく理解できなかったのだろう。おかあさんは、六年になってからは、一度も試合や練習を見にきたことがない。
しばらくの間、おかあさんはまだ何かいいたそうにしていた。
でも、やがてそのまま部屋から出ていってくれた。
その後も、裕次は「自主トレ」への参加を続けた。帰りに明の家によるのも、習慣になっていた。録画された試合を何度も見て、明とキャロルの分析を根気よく続けている。
不思議なもので、繰り返し試合を見ていると、付け入る余地がないように思えたキャロルにも、いくつかの弱点が見えてきた。それらは、先週の試合のときと、塾をさぼって偵察に行ったときに気づいたことと、かなり一致していた。
個々のバッターの苦手にしているコース。投手陣の癖や欠点。鉄壁に思われた守備陣にも弱い部分があるようだ。
裕次は、こういった弱点をつくための作戦を、明と練り上げていった。そして、それを自主トレのときに、繰り返し練習していった。
土曜日は正式練習なので、硬式に入っていない六年生たちも参加していた。
裕次の説明を聞くと、彼らもすすんで打倒キャロルに協力してくれることになった。祐次の説明する打倒キャロルの作戦が、それだけ実現性を帯びてきていたのかもしれない。
その日、裕次たちは、夜遅くまで、みっちりと最後の仕上げを行うことができた。
本当は、同じ土曜日に塾で模擬試験があったのだ。いつもならば、祐次は練習の途中で帰らなければならないところだ。
でも、裕次はとうとう最後まで残ることにした。そして、みんながきちんと作戦通りのプレーができるまで、繰り返し指示を続けていた。
模擬試験を休んだのは、塾に入ってから初めてのことだった。
裕次は、その日はまっすぐ家に戻った。もうキャロルの試合を研究する必要はなかった。それよりも、早く家に戻って、明日のオーダーや作戦を考えたかった。
その日の模擬試験をサボッたことは、当然塾からおかあさんには連絡が行ったはずだ。怒られることは、覚悟のうえだった。
「ただいま」
祐次が、さすがに少し心配しながら、玄関のドアを開けると、
「おかえり」
すぐに、おかあさんの声が聞こえた。
裕次がそのまま自分の部屋へ行こうとすると、
「ごはんにする。お風呂もわいているわよ」
と、おかあさんが声をかけてきた。
妙にやさしい。今まで、練習帰りにこんなことばをかけてもらったことはない。「汚い靴下で部屋の中を歩かないで」とか、「洗濯物はすぐに出して」などと、言われるだけだった。
おかあさんは、とうとう模擬試験をサボッたことについては、何も文句をいわなかった。
もしかすると、「良く指導の行き届いた」塾の先生と相談して、しばらく様子を見ることになっていたのかもしれない。
その晩、夕食を食べてから、裕次は、明日の先発メンバーを検討していた。勉強机には、スコアブックやメンバーの成績表を開いておいてある。
ここまできたら、もうかまっていられない。ラストゲームへの準備を、おおっぴらにしていた。もっとも、おかあさんのほうでも、最近はほっといてくれるので問題はなかった。
成績表を見ながら、メンバー票に一番バッターから順番に書き込んでいく。
(一番は、……)
今まで考えていた対キャロルの作戦が、具体的なイメージとして浮かび上がってくる。それにあわせて、トップバッターを決めなければならない。
裕次の頭の中には、明日の試合開始の場面が描かれていた。
ついつい想像するのに夢中になって、メンバー表を書き込む手が進まなかった。
(うーん)
裕次はとうとう書くのをいったんあきらめて、下へ降りていった。
「おかあさん、お風呂に入っていい?」
台所にいるおかあさんに声をかけて、風呂場に向かった。
裕次は服を脱いで風呂場に入ると、湯船に体を沈めた。
「ふーう」
手足を伸ばすと気持ちがいい。
でも、頭の中には、またメンバー表のことが浮かんできた。
風呂から上がって、またメンバー表に向かった。
(一番は、……)
ようやく一番バッターを書き込んだ。風呂の中でやっと決めたのだ。
(えーっと、二番は、……)
ここで、また空想にふけってしまった。
一番バッターが出塁した場合は、……。アウトになった場合は、……。
ケースバイケースで、試合の展開は変わってしまう。その状況ごとに、適したメンバーの顔が浮かんでくる。
こんなふうに、打順の一人一人を、展開を想像しながら決めていった。だから、なかなかメンバー表がうまらなかった。打順が後ろにいけばいくほど、空想が広がってしまうのだ。
(うーん)
裕次は、またみんなの成績表を広げてながめはじめた。
ようやく途中まで書き込んだ時、机の前に貼ってある打撃成績表のグラフにふと目がいった。
それは、新チーム結成以来の裕次の打率グラフだった。
一年前には、裕次の打率は一割にも満たなかった。
でも、その後は上がったり下がったりしながらも、徐々に右肩上がりになっている。
八月にはとうとう二割を超えた。
そして、八月十四日、A市による招待大会の二回戦の日に、最高の二割一分七厘に到達している。
その日のことを、裕次は一生忘れないだろう。裕次にとって、初めて(そしてたぶん最後)のホームランを、ライト線に放ったのだ。
台風によるスケジュール変更で、お盆休み中の試合だったため、相手チームはメンバーがギリギリだった。だから、ライトは二年生の子が守っていた。
でも、ホームランはホームランだ。
他の六年生たちからは、
「中継プレーがちゃんとしてたら、せいぜい三塁打だった」
って、今でもいわれるけれど、それはやっかみというものだ。六年生でホームランを打ったことのないメンバーは、まだ三人もいた。成績表の本塁打欄に記入された「1」の数字は、裕次にとって、小さな、でも、とても大切な勲章だった。
裕次の打率は、自主トレに出られなくなった九月を境に、逆に徐々に下がりはじめていた。そして、先週は二試合ともノーヒットだったので、とうとう三ヶ月の間なんとか守り続けていた二割台を切ってしまっていた。
現在の打率は、一割九分八厘。打率が二割に達していない六年生は、裕次以外にはいなかった。
(明日の試合でヒットを一本打てれば、また二割に復帰できる)
裕次は、書きかけのメンバー表を、しばらくの間見つめていた。
日曜日、キャロル戦の朝が来た。
朝から晴れ上がって、絶好の野球日和だ。十一月になって毎朝めっきり寒くなっていたが、これなら試合開始の十時までには、十分に気温が上がるだろう。
今日のキャロル杯では、午前中に準決勝が、お昼を挟んで、午後に決勝戦が行われる。
祐次の打倒キャロルの作戦が当たって、もしキャロルに勝てればもう一試合、決勝戦を行えるわけだ。
でも、祐次の頭の中には、準決勝のキャロル戦に勝つことしかなかった。だいいち、その試合の監督は祐次ではない。順番でいけば、正人が監督をやることになる。もっとも、正人に、どこまでその自覚があるかは怪しかったが。
「行ってきます」
そういって、玄関を出た祐次はもう一度中に戻った。
「あら、どうしたの?」
おかあさんが不思議そうな顔をしている。
「今日の試合、見に来ないかなと思って」
祐次は、思いきっておかあさんを試合に誘ってみた。
でも、おかあさんは、黙って首を振るばかりだった。
祐次は、それ以上誘うのをあきらめて、一人で家を出た。
集合場所の学校に行く前に、いつものコンビニで、しゃけとタラコのおにぎりを買った。おかあさんは、今日もお弁当のおにぎりを作ってくれなかった。
「それでは、先発メンバーを発表します。名前を呼ばれた人は、その場にしゃがんでください」
まわりを取り囲んだメンバーを見まわしながら、裕次は発表を始めた。今日も六年生全員、それに五年生も休まずに来ているので、裕次を入れて二十一人もいる。
「一番センター、啓太」
「はい」
啓太が元気に返事をして腰を下ろした時、六年生の何人かはオヤッという顔をした。啓太はヤングリーブスきっての俊足の持ち主で、バッティングもよかったが、五年生だったからだ。
「二番サード、功」
「はい」
功も五年生だった。
「三番ファースト、……」
裕次は、昨日考えた先発メンバーをどんどん発表していった。
「九番ライト、拓郎」
メンバー発表が終わった時、エースの浩介も、いつもは四番バッターの竜平も、そしてキャプテンの将太までもが、まだまわりに立ったままだった。
裕次の発表した先発メンバーには、六年生は四人だけで、五年生が五人も含まれていた。
「じゃあ、キャッチボールを始めてて」
裕次は、他のみんなに声をかけた。
みんなはキャッチボールのためにすぐにグラウンドに散っていったのに、レギュラーに選ばれなかった六年生たちはまだそこに立ち止まっていた。
「裕次、キャロル杯は六年中心でやるはずだろ」
とうとうキャプテンの将太が、口をはさんだ。浩介や竜平も、不満そうな顔をしている。この三人は硬式のチームとかけもちなので、打倒キャロルの練習には一度も来ていなかった。
「作戦があるんだ」
裕次はおちついて答えた。
「作戦って?」
三人はけげんそうな顔をしている。彼らも、キャロルには勝てっこないと思っているのだろう。
「後で三人にも説明するけど、今週はずっとその練習をしてたんだ」
「でも、俺たちだって、さぼってたんじゃないぜ。硬式があったから、行かれなかっただけなんだから」
浩介が、少し得意そうにいった。
「うん、わかってる。三人にも、重要な役割があるから」
裕次は、三人の顔を見ながらいった。
「なんだよ。役割って」
三人は、まだ不服そうだった。
「おいっ、今日は誰がカントクなんだ」
いつのまにか、監督がそばに来ていた。
今日は口を出さないように頼んであったのだが、三人に文句を言われているのを見かねて来てくれたのかもしれない。
「裕次です」
将太がしぶしぶ答えた。
「じゃあ、指示に従えよ。嫌なら、ベンチに入らなくてもいいぞ」
監督が、いつもの大声でどなりはじめた。
「それは困ります。三人がいなくては、打倒キャロルの作戦が全部はできません」
裕次がキッパリと言うと、
「おっ、すまん、すまん。いつもの癖が出て」
監督がそう言って裕次にあやまったので、将太たち三人はびっくりしていた。いつも監督は、選手にあやまったりしたことはなかったのだ
「そうだ、もうひとつだけ。お前たち、自分が出ないことばかり文句いってるけど、もういちど先発メンバーを見てみな。裕次だって、入っていないんだぜ」
監督はそう言うと、むこうへ行ってしまった。
「えっ?」
三人は、あわてて裕次の手にあるメンバー表を覗き込んだ。
たしかに、監督が言ったように、裕次自身も先発メンバーには含まれていない。
監督役の六年生が、自分を先発メンバーに入れないなんて、前代未聞のことだった。
「なんでだよ?」
将太が、不思議そうにたずねた。
「うん、打倒キャロルの作戦に、ぼくは向いていないんだ」
裕次は、苦笑しながら答えた。
「えっ、打倒キャロルの作戦?」
浩介が聞き返すと、
「うん。それに、今日はそれの指揮をとるのに専念したいんだ」
裕次は、まだピンとこない顔をしている三人を、ベンチの横につれていった。
「それで、先発メンバーは、……」
祐次は、今日の作戦と三人の役割を説明した。
「ほんとにうまくいくかなあ?」
最後には、まだしぶしぶながら、三人とも協力してくれることになった。
「キャプテン」
審判が、ホームのうしろで呼んでいる。裕次は、急いで走りよっていった。
「おねがいしまーす」
帽子をぬいで、キャロルのキャプテンとメンバー票を交換した。例の守備のうまい三塁手だ。まっ黒に日焼けしていて、裕次よりも頭ひとつ背が高い。
「最初はグー、ジャンケンポン」
裕次がパーで、相手はグーだった。
(よっしゃー!)
思わず、ガッツポーズがでる。まずは、幸先よく相手に気合勝ちだ。
「先攻をお願いします」
これで、作戦はグッとやりやすくなる。
「それじゃ、ヤングリーブスの先攻ですぐに始めます」
審判が、二人に言った。二人は握手をして別れた。
「先攻!」
ベンチに戻りながら、裕次は大声でメンバーに伝えた。
「おおおーっ」
と、いっせいにどよめきがおこった。みんなも気合十分だ。
「ベンチ前!」
裕次は、ウォーミングアップしていたメンバーに、声をかけた。みんなは、いっせいにファールグラウンドからかけてくる。
「整列!」
裕次は一番ホームよりにならんで、みんなとそろえるようにして左足を前に突き出した。
「集合!」
審判の声がかかった。
「いくぞーっ!」
「おーっ!」
裕次の掛け声を合図に、みんながホーム前へかけていく。むこうからは、キャロルの選手たちもいきおいよくやってくる。両チームはホームベースを境にして、向かい合わせに整列した。
「じゃあ、キャプテン、握手して」
「お願いします」
審判にうながされて、キャロルのキャプテンと握手をした。
「礼!」
「お願いしまーす!」
帽子をぬいで、両チームの選手たちがあいさつした。
いよいよ、裕次のラストゲームが始まった。
裕次はベンチの前列におりたたみのいすを二つ並べて、スコアラーの明とならんですわった。いつもなら、監督がすわる席だ。
他の六年生が監督をやるときは、隣にスコアラー役の本当の監督にすわってもらってサインを出していた。
でも、今日は、監督は裕次にまかせっきりだ。ベンチの端の方で、のんびりと誰かとおしゃべりしている。
ベースコーチには、普通はバッター順の八番(裕次だ!)と九番がたつ。
でも、今日はキャプテンの将太とエースの浩介という豪華版だった。
長身のキャロルのエースが、投球練習を始めている。
シュッ、……、バシン。
速球が、ミットにいい音を響かせていた。
いつものヤングリーブスなら、これだけでビビッてしまうところだ。
ところが、ベース横に立った先頭打者の啓太と、ネクストバッターサークルの功は、平気な顔をしてすぶりを繰り返していた。むしろ、ヤングリーブスをなめて、二番手ピッチャーを先発させるんじゃないかと心配していたので、ホッとしたぐらいだ。
「ラスト!」
最後に、キャッチャーが二塁に矢のような送球をしてみせた。あいかわらずすごい強肩だ。
キャッチャーは、得意そうな視線をチラリとこちらに送ってきた。いつもなら、対戦相手はこのデモンストレーションにびっくりして、シーンとしてしまうところだ。
ところが、
「走れる(盗塁ができるという意味)、走れる!」
と、裕次が大声で叫んだ。
「ワーッ!」
ヤングリーブスベンチから、歓声があがった。
相手のキャッチャーは、キョトンとした顔をしてこちらを見ていた。
「お願いしまーす」
トップバッターの啓太が、左のバッターボックスに入った。
「啓太、ピッチャーより」
すかさず裕次が声をかけた。
「いけねえ」
啓太はペロリと舌を出して、首をすくめた。そして、バッターボックスのピッチャーよりぎりぎりに立ちなおした。
これは、キャロルのピッチャーのような速球派に対しては、意外なポジションだ。普通は、スピードボールに振り遅れないように、キャッチャーよりに立つ。それが、逆にピッチャーよりに立ったのだ。
(ピッチャーよりぎりぎりに立つ)
これが、打倒キャロルの作戦の一番目だ。相手のエースがとまどっているのが、裕次のところからもわかった。
「いくぞーっ!」
啓太は、大声で気合をかけた。そして、小柄な体をいっそうかがめて、ベースにかぶさるようにかまえた。ピッチャーから見ると、ストライクゾーンが極端に狭く感じられるはずだ。
ピッチャーが大きく振りかぶった。
思いっきり投げ込んできた第一球は、高目に大きく外れた。
「リー、リー、リー」
一塁で啓太がわざと大声を出して、ピッチャーを挑発している。
プレートをはずすとすばやく啓太がベースに戻ったので、ピッチャーは投げるかっこうをしただけで牽制球はほうらなかった。
けっきょく、啓太は一度もバットを振ることもなく、ワンスリーからボールを選んで四球で出塁していた。
「ランナー、ほんとは走る気ないよ。バッター勝負よ」
キャッチャーは自信まんまんだ。げんに県大会では、ビデオで見る限り一度も盗塁を成功させていない。たいてい一回目の盗塁をピシャリと刺して、相手にそれ以上走る気を起こさせなくしているようだ。
これは、少年野球の世界ではまったくすごいことだ。弱いチームでは、二塁まで送球が届かないキャッチャーがいるくらいなのだから。
次の投球。
バッターの功はバントの構えをした。でもボールが来ると、すばやくバットをひいた。あいかわらず小技のうまいやつだ。これだから、二番バッターに抜擢したのだ。
「ボール」
ボールは、わずかに高めにはずれた。
「やらせろ、やらせろ」
バントの構えを見てすばやくダッシュしてきた三塁手が、ピッチャーに声をかけている。こちらも、自信まんまんだ。
「啓太っ!」
裕次が大声でどなった.
(すまん、すまん)
って感じで、一塁ランナーの啓太が顔の前で手を合わせている。本当は、盗塁のサインを送ってあったのだ。
裕次は、もう一度、二人にブロックサイン(いくつかの動きを組み合わせて相手チームに見破られないようにしたサイン)を送りなおした。
(わかった)
という合図に、啓太と功がコツンとヘルメットをたたいた。
「リー、リー、リー」
啓太が思いきったリードを取る。
ピッチャーが牽制球を投げた。
啓太はヘッドスライディングで戻って、セーフ。
次にピッチャーが投球動作に移った瞬間、啓太がすばやくスタートを切った。
功がバントの構えから、絶妙のタイミングでまたバットをひいて走者を援護した。
「ストライクッ」
キャッチャーがすばやく二塁へ送球。
啓太が滑り込む。
ショートがタッチする。
「セーフ」
塁審の両手が、大きく左右にひろげられた。
でも、きわどいタイミングだった。
ベースの上に立ちあがった啓太が、ガッツポーズをしてみせた。
「啓太、いいぞーっ」
「ナイスラン」
ベンチや応援席から、声援が飛んでいる。
啓太とそれを助けた功に拍手を送りながら、裕次は満足そうにうなずいていた。
ふつうの場合、一塁ランナーは、ピッチャーが足を上げる角度で、牽制球なのか、投球なのかを区別する。キャロルのような右ピッチャーの場合は、判断するのは左足の上げ方だ。
しかし、それを見てからスタートしたのでは、遅すぎるのだ。
並のチーム相手ならば、それでもいい。
でも、キャロルのような速球派のピッチャーと強肩のキャッチャーでは、それではアウトになってしまう。
啓太は、投球動作に移る瞬間のわずかな癖を盗んで、スタートを切ったのだった。
キャロルのピッチャーは、牽制球を投げるときだけ左肩がかすかに動く癖がある。あの初めて塾をサボってキャロルの練習を見た日に、裕次はすでにこの癖に気がついていた。その後、明の家で何度もビデオを見ているうちに、それは確信に変わっていた。
裕次は、この一週間、徹底的に盗塁のスタートの練習をさせていた。特に、啓太や功を初めとした足の速い選手を、そのために選んであった。器用な明にキャロルのピッチャーの癖を真似させて、なんども繰り返して練習した。
いつも立ちあがりにコントロールの悪いピッチャーを、四球と盗塁でかきまわす。地力にまさるキャロルの先手を取るには、これしか方法がなかったのだ。
キャロルのエースは、県大会の五試合全部に先発してわずかに六失点。
でも、六点のうちじつに五点までが、初回の制球の乱れによるものだった。
カツンッ。
次のボールを、いきなり功がセカンド前にプッシュバントした。少し深めに守っていたセカンドは、けんめいにダッシュしてきてボールを拾い上げる。
でも、送球よりも一瞬早く、功の足がベースをふんでいた。
「セーフ!」
一塁手が、両手を大きくひろげた審判の方を思わず振り返る。そのすきに、三塁をまわっていた啓太が、一気にホームへ。
ようやく気がついたファーストが、あわててバックホーム。
送球が少し高めにそれる。
啓太がヘッドスライディング。けんめいにブロックするキャッチャーのタッチをかいくぐって、啓太が左手でホームをタッチしていた。
(ホームイン!)
ねらいどおりに先取点が入ったのだ。
「やったーっ!」
裕次は、思わずメガホンで隣の明の頭をひっぱたいてしまった。
「いてーえ」
といいながら、明もわらっている。
ヤングリーブスの、鮮やかな速攻による先制攻撃だった。
ベンチでは、帰ってきた啓太を迎えて、ハイタッチしたりヘルメットをひっぱたいたりして大騒ぎだ。ねらいどおりの先制点におおいに盛り上がっている。
この場面、定石どおりならば、三塁側にバントするだろう。二塁ランナーを着実に三塁に進めるためには、三塁ベースを空けさせなければならないからだ。
その裏をかいて、セカンドへのセーフティバント。キャロルの守備陣は、まったく予想していなかっただろう。それが、ファーストのミスまで誘ったようだ。
キャロルのエースの投球は、少年野球としてはそうとう球が速かった。だから、振り遅れながらけっこう強い打球が、セカンド方向へ飛ぶことが多かった。そのために、セカンドの守備位置が、普通よりも深くなっているのだ。
それに、サードには例のダッシュのよいキャプテンがいた。ねらい目はここしかなかった。
あっという間の一得点。それに、一塁では功がさっきの啓太のように、大きくリードを取って次の塁を狙っている。裕次のねらいどおりの先制攻撃だった。
さすがのキャロルのエースも、かなり動揺したようだ。マウンド上で、大きく深呼吸をしている。
「タイム」
見かねたキャッチャーが、マウンドへ駆け寄っていった。
次のバッターの博もバントの構えだ。三塁手が、バントを警戒してじりじり前進してくる。
「リーリーリー」
一塁ベースでは、功が大声でピッチャーをけん制している。
ピッチャーは、セットポジションで功の方に視線を送っている。
第一球。
ボールは高めにはずれた。博がすばやくバットをひいた。
「ボール」
盗塁を警戒していたキャッチャーが送球の構えをした。
でも、一塁ランナーの功はベースに戻っている。
その後も、裕次のサインのもと、ヤングリーブスは盗塁やバントの構えを見せ続けていった。
動揺したピッチャーは、ますます制球を乱してしまった。おかげで、ヤングリーブスは、着々と得点を重ねていった。
でも、実際には、一度も本当には盗塁もバントもしていなかったのだ。
「やるぞ、やるぞ」
と、見せかけて、実際は徹底した待球作戦(打たずにフォアボールを狙う)をしていた。相手のピッチャーはそれにまんまと引っかかって、四球やデッドボールで点を失っていった。
最初の啓太と功の攻撃は、あまりにも鮮やかに決まった。そのおかげで、後はピッチャーが勝手に一人相撲を取ってくれたのだ。
三点を奪って、まだノーアウト満塁。まだまだ、ヤングリーブスのチャンスが続いていた。
「タイム、ピッチャーとファーストが交代します」
とうとう見かねたキャロルの監督が、ピッチャーの交代を告げた。県大会優勝のあのエースピッチャーをノックアウトしたのだ。
一塁を守っていた選手が、小走りにマウンドに近づいていく。エースからボールを受け取ると、ピッチング練習を始めた。サウスポーのこのピッチャーは、スピードはあまりないけれどコントロールがいい。県大会でも、このようなピンチにリリーフしたことがあった。
このピッチャーには、エースに対するような待球作戦は通用しない。それに左投げで牽制球もうまいので、盗塁も無理だろう。
「監督、代打をお願いします」
裕次が、相変わらずベンチの隅にいた監督に頼んだ。ルールでは、正式な監督しか交代を告げられない。
「おっと、今日は、俺は裕次のパシリだったけな。誰を出す?」
「竜平をお願いします」
「ふーん、OK」
監督はゆっくりと主審に近づくと、代打をつげた。
本来の四番バッターの竜平は、
(まかせておけ)
と、ばかりに、バットを振り回しながら、打席にむかっていく。
「よっちゃん、ごめん」
裕次は、入れ替わりに戻ってきた佳之にあやまった。一回の表に代打を出されてしまったので、けっきょく一度も出番がなかったからだ。
「ドンマイ、ドンマイ、そういう作戦だったじゃない」
佳之が、逆に励ましてくれた。
「次、二人もいくぞ」
裕次が、コーチスボックスにいた将太と浩介に声をかけた。
「おお、忙しくなってきたぜ」
二人があわててベンチに戻ってくる。
「ランナーコーチに行って」
裕次が指示すると、代わりの二人がヘルメットをかぶりながら、ベンチから飛び出していった。
「素振りしておいて」
裕次が声をかけると、将太と浩介はバットケースからバットを抜いて、ベンチ裏へいって素振りを始めた。
裕次は、この回に一気に勝負をつけるつもりだった。
リリーフピッチャーの練習が終わった。
代打の竜平が、バッターボックスに入る。
裕次は、竜平に「待て」のサインを送った。いきなり打たせて、竜平が力んでしまうのが怖かった。
セットポジションから、ピッチャーが三塁に牽制球を送った。ランナーの亮輔がすばやくベースに戻る。
さすがにキャロルのリリーフピッッチャー。ノーアウト満塁のピンチにも、落ち着いたプレートさばきをみせている。
第一球目。外角高めのボールで、はずしてきた。スクイズを警戒しているみたいだ。相手は、竜平が、本来の四番バッターだとは知らないのだろう。
もちろん、裕次は竜平にスクイズをさせるつもりはなかった。ここは、一発長打を期待していたのだ。
裕次は、今度は「打て」のサインを送った。押し出しがこわいから、二球目ははずさないだろうとの読みだった。
セットポジションから、ピッチャーが投げ込んできた。予想通りの、ストライクコースだ。
カキーン。
竜平のバットが、力強いスウィングでボールをとらえた。
打球は、ぐんぐんと左中間に飛んでいく。
(やったあ!)
と、裕次が喜んだのもつかの間、キャロルのセンターが快足を飛ばして、打球に追いついてしまった。残念ながら、これでワンアウトだ。
でも、三塁ランナーは、タッチアップからゆうゆうとホームインした。ヤングリーブスのリードは、四点になった。
「監督、次は将太を代打にお願いします」
祐次は、ベンチの監督の方に振り返って頼んだ。祐次は、手を緩めずに一気に勝負をかけるつもりだった。そのために、持ち駒の中で、最も打撃の良い三人を残してあったのだ。
その後のヤングリーブスの攻撃は、けっきょく将太のタイムリーによる一点をあげただけだった。それでも、いきなり合計五点のリードを奪うことに成功した。
その裏、裕次は予定通りに五年生の直樹を先発させた。直樹は、ピッチャーにしては小柄で、エースの浩介よりもスピードはなかった。
でも、なかなかコントロールのよいピッチャーだ。
マウンド上で、直樹はペロリとくちびるをなめた。緊張しているときの癖だ。
「直樹、リラックス、リラックス」
すかさず、裕次が声をかけた。直樹は大きくうなずくと、後ろを振りかえって叫んだ。
「打たせるぞお」
「おーっ!」
守備についたみんなから威勢のいい声が返ってくる。五点のリードは、みんなを元気づけたようだ。
「プレイ」
主審が試合再開をつげた。
一球目。
「ストライーック」
直樹の直球が、外角低めに決まった。
「いいぞお」
裕次が声援を送る。ベンチからも歓声があがった。
直樹がすばやく二球目を投げた。軽快なテンポだ。
「ストライク、ツー」
またも低めに決まった。
「よーし」
裕次が満足そうにうなずいた。直樹に徹底的に低めにボールを集めさせて、長打を防ぐ作戦だったのだ。さいわい今日の審判は、低めの球をストライクに取ってくれるので助かった。
直樹は、もう三球目のモーションにはいっている。
ガッ。
低めのボール気味の球に引っかかって、平凡な三塁ゴロだ。本来の三塁のポジションに入った竜平が、軽快なフットワークでさばく。
「アウト」
幸先良く先頭打者を打ち取った。
その後も、試合はヤングリーブスのペースですすんだ。
直樹のようにピッチャーのコントロールがいいと、バックにもリズムが出て守りやすい。みんなは再三好守備をみせて、ピッチャーを盛り立てていた。
それでも、直樹は強打のキャロルに打ち込まれて、何回もピンチを迎えた。
しかし、バックが良く守って、最小失点に押さえていた。
上位打線のときには外野を思いっきり深く守らせて、大量失点を防ぐ作戦もきいている。大きなあたりを打たれても、足の速い選手をそろえておいた外野がなんとかまわりこんで抜かれないようにしていた。
おかげで、長打になるところを、シングルヒットにおさえられていた。
「くそーっ」
キャロルのバッターたちは、ヘルメットをたたきつけたりしてくやしがっていた。
試合は、すでに最終回を迎えていた。7対4で、ヤングリーブスはまだ三点をリードしている。
初回のリードで自信がついたのか、ヤングリーブスの選手たちは、のびのびプレーできていた。強豪のキャロルを相手にしても、ぜんぜん臆することはなかった。
「いけるぞ!」
「この調子でいこう」
ベンチにも、活気があふれていた。
逆に、キャロルの方では、思いがけずに大量リードをゆるしたために、あせりが出ているようだった。一発長打をねらって、大ぶりになっている。
それを、直樹のていねいなピッチングでかわされてしまっていた。
ヤングリーブスは、その後も三回と五回に一点ずつ、合計二点も追加点が取れていた。
守っても、四球やエラー長打を許さなかったので、キャロルの反撃を最少失点でかわしていた。
あと一回、なんとか守りきれば、念願の打倒キャロルを達成できるのだ。いや、それどころか、今シーズン初の決勝進出をはたせる。夢にまで見た優勝に手が届くところまでやってきていた。
最後の守りにみんなが散っていったとき、キャプテンの将太がそばによってきた。
「裕次、なんとかこの回もうまくいったら、次の試合もやってくれないか?」
「えっ、何を?」
裕次が聞き返すと、
「決まってんだろ。か・ん・と・くさん」
将太はニヤッとわらいながら後ろの方を指さすと、守備位置へダッシュしていった。
裕次が振りむくと、隣のグランドでは準決勝のもう一試合をやっている。レッドベアーズとジャガーズだ。
たしかにこのまま逃げ切れれば、むこうで勝った方と決勝戦をやることになる。そして、それが裕次にとって本当の、いや今年のヤングリーブスにとっても、ラストゲームになるのだ。
(うーん、……)
一瞬、裕次はレッドベアーズとジャガーズが、どんなチームだったかを思い出そうとした。
(たしか、ジャガーズとは、前に練習試合を、……)
いやいや、それはこの試合が終わってからのことだ。
裕次は首を大きくブルンとふると、守りについたメンバーに大声で叫んだ。
「ヤンリー、しまっていこうーぜ!」