明記はされていませんが、ロシアによるウクライナ侵略を想起させる絵本です。
亡くなったパン職人だったおとうさんとの思い出、平和を願う気持ちが、少女によって土で作られた緑の葉っぱのパンに込められています。
その光景を眺めていたのが、平和の象徴であるハトであることによって、世界平和を祈る作者の思いが表れています。
戦地からは遠く離れた日本においても、こうした思いを込めた絵本を出版することは、重要な意味を持っています。
明記はされていませんが、ロシアによるウクライナ侵略を想起させる絵本です。
亡くなったパン職人だったおとうさんとの思い出、平和を願う気持ちが、少女によって土で作られた緑の葉っぱのパンに込められています。
その光景を眺めていたのが、平和の象徴であるハトであることによって、世界平和を祈る作者の思いが表れています。
戦地からは遠く離れた日本においても、こうした思いを込めた絵本を出版することは、重要な意味を持っています。
21歳の私は、子犬の時から飼っていた愛犬のデュークが死んでしまって、悲しくてたまりません。
アルバイトへ行くために泣きながら電車に乗っていると、十九歳ぐらい男の子が席を譲ってくれます。
アルバイトをさぼって、男の子と喫茶店へ行き、その後もプールで泳いだり、散歩をしたり、美術館を見たり、落語を聴いたりして一日を過ごします。
帰り際に少年にキスされて、それがデュークそっくりだったことに気づきます。
実は、少年はデュークの化身で、主人公へ最後の愛を伝えに来たことが暗示されて終わります。
直木賞も受賞した人気作家の処女出版は、「つめたいよるに」という童話集の体裁で1989年8月に出版されました。
当時、24、5歳だった作者の若々しい感性が随所に光ります。
しかし、これが児童文学なのかというと素朴な疑問もあります。
作者と同世代の吉本ばななの「TSUGUMI」もほぼ同時期に出版されていますが、どちらも同じ読者層を対象にしているように思えます。
それでいて、片方は児童文学、もう一方は一般文学の体裁で出版されます。
1990年代後半に児童文学のボーダーレス化がよく議論されましたが、その十年前からすでにボーダーレスは始まっていたのです。
ボーダーレスの原因にはいくつかあります。
ひとつは少子化があげられます。
団塊ジュニアが支えていた児童文学の読者層が、少子化で先細りになり始めていました。
そのため、児童文学の出版社は、新しい読者層として若い女性を狙ったのです。
それには、他の記事でも書いた「現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きているリアリティの希薄さなど)」も関連します。
「現代的不幸」に直面した最初の世代は、1960年代に全共闘世代として学生運動へ突っ込んで行きました。
それが、70年安保の挫折や学生運動のセクトの内ゲバなどで、学生の政治離れが急速に進みました。
それにつれて、若者たちの関心は、政治などの外部のものから、自分の内部に移りました。
いわゆる自分探しです。
ほとんどの男の子の場合には、自分探しは一種の通過儀礼で学生時代などの限定期間に終了し、就職して会社という外部の組織に帰属していきました。
そのころは、まだ終身雇用の神話が生きていましたので、そこに身をゆだねている限りはもう自分探しをする必要はないのです。
それに引き換え、当時でも若い女性は会社に対して定年まで勤めようという意識はなくて(今はかなりの男性もそうですが)、就職してからも自分探しは続いていきます。
従来の女性の場合は、結婚、出産が、男性の就職の代わりに一種の通過儀礼の働きをして、いやでも「大人」にならなくてはなりませんでした。
ところが、非婚化や結婚、出産しても親世代へパラサイトする女性(最近は非婚男性も同様ですが)の増加により、いつまでも大人にならない女性が増えています。
こうして、児童文学は女性(独身者だけでなく既婚者も含めて)を大きなマーケットとして意識するようになります。
つまり、児童文学は、文芸評論家の斉藤美奈子がいうところのL文学(女性の作者が女性を主人公にして女性の読者のために書いた文学)化したのです。
最近は、それに女性編集者、女性評論家、女性研究者、女性司書、女性書店員なども加わり、児童文学の世界は完全に女性だけの閉じた世界になりつつあります。
しかも、L文学は、かつての少女小説や少女漫画よりも広範な世代の読者を抱える大きなマーケットに育っています。
アラサーはもちろん、アラフォーやアラフィフ、さらにはアラカンになっても少女気分の抜けない女性も、今では珍しくなくなってきています。
例えば、この「デューク」という作品では、21歳のアルバイトをしている女性(大学生かフリーターかは不明)が、愛犬の死のために人目をはばからず泣きながら町を歩いたり電車に乗ったりします。
ペットロスのショックの大きさは、私も中学生や高校生の時に体験がある(中学生の時には、この主人公と同様に、泣きながら歩いたり電車に乗ったりしました)ので、主人公の悲しみはよく理解できます。
ポイントは、そのために公私の区別がつかなくなるほど、大人である主人公が取り乱してしまうほど未成熟なところにあります。
そこには、それほどペットの死を悲しめる主人公がいとおしいと思っている作者と、それに激しく共感する少なくない人数の読者たちとで作られた閉じられた世界があります。
この閉鎖性が、L文学の魅力であるとともに限界でもあるように思います。
旧来的な見方では、21歳の成人した人間が公の場で涙を流しているのは、「いい年して大人になっていない」と批判を受けるかもしれません。
ところが、この「大人にならない」ということが、この閉じた世界では最大の魅力になっているのです。
こうして、「大人にならない」大人たちが、児童文学の新しいターゲットになりました。
つめたいよるに | |
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理論社 |
賢治の、最初にして最後の作品集の巻頭作です。
ご存じのように、賢治の作品は、時として難解なこともあるのですが、この作品は非常にオーソドックスな童話です。
子ども読者の大好きなくり返しの手法を多用(山猫の行方を尋ねる時やどんぐりたちがそれぞれの主張を繰り返すところ)して読者の興味を引きつけていますし、不思議な世界への通路(ファンタジーを成立させる一つの要件で、この作品では馬車です)もきちんと用意されています。
しかし、今までの童話と大きく違う点は、賢治独特の鋭い自然への観察を軽々と優れた詩の言葉へ変えてしまう表現力や弱者(馬車別当やどんぐりたち)への労わりやサポートの表明などです。
百年以上前(1921年9月19日)の作品ですので、差別的な用語も散見されますが、そんなことはどうでもいいのです。
そういった言葉遣いだけに気を使って、内容が多様な人々への配慮に欠けた作品のなんと多いことか。
常に弱者の側に立つ。
その姿勢こそ、昔も今も児童文学者に一番求められるものなのです。
子どももまた弱者であることは、新聞やテレビやネットを繰り返し賑わせている事件だけでなく、みなさんご自身の体験からも明らかなことだと思います。
世界中の子どもたちは、等しく幸せになる権利を持って生まれてきています。
それを踏みにじる大人たちがいるかぎり、児童文学者は常に子ども側の立場でいるべきです。
賢治のこの作品集も、その立場を繰り返し明確にしています。
ところで、私はこの作品の冒頭の山猫からのはがき(実際は彼の馬車別当が書いています)を読むたびに、受け取った一郎と同様にうれしくてうれしくてたまらなくなります(年を取ってしまったので、一郎のようにうちじゅうとんだりはねたりはできませんが)。
「かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいで
んなさい。とびどぐもたないでください。
山ねこ 拝」
いつか自分にもこんなはがきが来ないかとずっと願っていますが、初めて読んでから五十年以上たちますが、その後の一郎と同様に、残念ながらまだ一度も受け取っていません。
注文の多い料理店 (新潮文庫) | |
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新潮社 |
「愛の学校」という副題でも知られている、1886年に書かれた児童文学の古典です。
私は、子どものころに講談社版少年少女世界文学全集に入っていた抄訳を読んだだけで、全訳は今回初めて読みました。
この作品は、イタリアの小学四年生の一年間の日記の形態をとっていて、そこに両親や姉のコメントを付け加えたり、担任の先生がしてくれる毎月のお話としてイタリア各地の英雄的な行為をした少年たちを紹介する短編(全部で9編あって一番有名なものはあのマルコの「母を訪ねて三千里」です)が挿入されていて、単調になるのを防いでいます。
あとがきで訳者も述べているのですが、かなり軍国主義的だったり、過度に愛国的だったり、教訓的すぎる部分もあって、そういった個所を削除した抄訳の方が60年前の私にとっても読みやすかったと思います。
なにしろ130年以上前に書かれた作品で、この訳者による初訳も100年以上前(改訂版も私が生まれた翌年の1955年です)なので、今の基準に照らすと、差別的だったり、子どもへの虐待(少年労働や少年兵士など)があったりして、現代には適していない描写や表現もありますし、今の子どもたちに理解してもらうのは難しいかもしれませんが、ここで描かれた死や別れなどは、今でも普遍的な価値を持っていると思われます。
現代の日本の子どもたちに手渡すのには、抄訳や翻案ということも考えられますが、適切なまえがきとあとがきと詳しい注釈をつけて、原作のまま紹介する方が望ましいでしょう。
作中の少年たちが、まだ近代的不幸(戦争、貧困、飢餓、病気など)が克服されていない社会でどのように生きてきたかを知ることは、現代の子どもたちにとっても意味のあることだと思います。
クオレ―愛の学校 (上) (岩波少年文庫 (2008)) | |
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岩波書店 |
クオレ―愛の学校 (下) (岩波少年文庫 (2009)) | |
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岩波書店 |
高校三年生のアザミがベースをひいていたバンドが、喧嘩別れで解散するところから話が始まります。
といっても、アザミはそれほど熱心にバンドをやっていたわけではありません。
アザミは、勉強も好きじゃないし、帰宅部だし、音楽を聴くこと以外に熱中していることはありません。
アザミが聴いているのは、アメリカのインディーズ系のパンクバンドです。
音楽を聴くことに関しては、いつもCDプレイヤーを持ち歩いていて(この作品が書かれたころは携帯ミュージックプレイヤーは一般的ではなかったのでしょう)、授業中などを除くとヘッドフォンを離さず、インターネットでアメリカの関係サイトにも目を通すくらい熱心です。
170センチ以上の長身で赤い髪をしたアザミを中心に、いつもつるんでいる正義感の塊のようなチユキなど、周辺の女の子や男の子が生き生きと描かれています。
一般書として出ていますが、いわゆるヤングアダルト物でしょう。
アザミは全くやる気がなさそうないまどきの女子高生なのに、チユキに対してひどいふりかたをした柔道部の主将のオギウエの追試での不正を暴いたり、文化祭の時に茶道部の女の子に対してセクハラまがいのことをした他校の男子をチユキと一緒に成敗したり、かなり痛快な青春物語になっています。
そういう意味では、純文学というよりは、エンターテインメントとして書かれているのでしょう。
高校生の風俗を除いては今日的な感じはしなくて、昔からある学園物の趣もあります。
インディーズ系の音楽、歯の矯正、食べ物、恋愛などについては、津村の特長である異常なまでの細かい描写があって、なかなか読ませます。
ただそういう部分を取り除くと、自分の将来に対してなかなか方向性が見いだせない若者という古典的な物語が浮かび上がってきます。
進路に関してまったく干渉せず簡単に浪人を許してくれる両親や、主人公を一校しか受験させない進路指導の先生など、かなりご都合主義的な設定も目立ちます。
主人公が音楽を聴くことだけが生きがいという設定も、それほど目新しくないと思います。
五十年以上も前のことになりますが、私自身も中学から大学の初めごろまでは、アメリカのカントリーロックに対してそんな感じでした。
その音楽熱は、最近かなりぶり返しています。
高校生や大学生のころに、今は無きアカイの一番高級だったカセットデッキで録りためたアナログ音源を、ウォークマンのダイレクトエンコーディング機能を使って、すべてディジタルに変換できたからです。
パソコン上のディジタル音源のユーザーインターフェース(ソニーのMusic Centerを使っています)は快適ですし、それをUSBケーブルでディジタルのまま、本棚に組み込んだスピーカーのそばまで転送して、そこでアナログに変換(ラトックシステムのヘッドフォンアンプを使っています)いるので、五十年まえのサウンドを、ほとんど劣化することなく再現できています。
これで、レーナード・スキナードやクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルを聴いていると、古希のおじいさんでも、アザミの気持ちを共有できます。
ミュージック・ブレス・ユー!! | |
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角川グループパブリッシング |
この作品は、1970年に西ドイツで出版され、日本語には1974年に翻訳され、発表当時大きな論争を巻き起こしました。
この作品には、世界中でいろいろな困難に直面している子どもたちが描かれています。
読んでいて楽しい物語ではありませんし、作品の中で問題も解決されていません。
この作品は、読者自身にこれらの問題の解決に対して行動を促すものなのです。
まえがきを以下に引用します。
「ここに書かれているのはほんとうの話である、だからあまり愉快ではない。これらの話は人問がいっしょに生きることのむずかしさについて語っている。南アメリ力のフワニータ、アフリカのシンタエフ、ドイツのマニ、コリナ、カルステンなど、多くの国の子どもたちがそのむずかしさを体験することになる。
ほんとうの話はめでたく終わるとは限らない。そういう話は人に多くの問いをかける。答えはめいめいが自分で出さなくてはならない。
これらの話が示している世界は、必ずしもよいとはいえないが、しかし変えることができる。」
この作品は、別の記事で紹介した「児童文学の魅力 いま読む100冊 海外編」にも選ばれています。
おそらくこの本を読めば、今の日本で出版されている多くの児童書が、いかに商業主義に毒されているかが実感できると思います。
また、ここで書かれていることは、海外のことで日本とは無縁であるとはけっして言えません。
現代の日本こそ、このような本を必要としているのです。
灰色の畑と緑の畑 (岩波少年文庫 (565)) | |
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岩波書店 |
1958年にイギリスで書かれた動物ファンタジーの古典です。
日本版は1967年に出ていて、私の手元に今あるのは1982年12月5日23刷ですので、かなりのベストセラーです。
読んだことのない人でも、ペギー・フォートナムの描いたパディントンの絵は、日本でもいろいろなところで使われているのでおなじみのことでしょう。
南米の「暗黒の地ペルー」(こんなところには、当時のイギリス人の差別意識が残っています。ペルーでは翻訳されていないのでしょうか?)からやってきた小さなクマ、パディントン(ロンドンのパディントン駅で拾われたのでそう名付けられています)が、中流家庭のブラウン家(当時は中流家庭でも、イギリスではお手伝いさんがいたのですね。もっとも庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の1969年の日本の中流家庭にもお手伝いさんは出てきます)の兄妹の下に、末っ子として迎えられ、いろいろな騒動を起こす物語です。
パディントンは典型的な末っ子キャラで、好奇心旺盛ないたずらっ子をして設定されていて、イギリス伝統の動物ファンタジーの手法を使って楽しく描かれています。
パディントンの引き起こすいろいろな騒動には、過度にモラリッシュで寛容さに欠ける現在の日本では許されないようなものも多々含まれています。
こういった育ってきた環境の違いによって引き起こされる「事件」に対して、周囲が寛容さを示すだけでなく彼らに愛情を持てるということは、多様性が求められる今後の日本社会にとっても必要だと思います。
「ばっかなクマ」というのは、「クマのプーさん」がへまをしたときにクリストファー・ロビンがいつも愛情をこめて思うことですが、パディントンもまさに「ばっかなクマ」として周囲の人たちに愛されているのです。
ところで、この「くまのパディントン」はシリーズ化されていて、私が学生だった1970年代(今とは比較にならないほどたくさんの内外の児童文学が出版されていました)に、大学の児童文学研究会の仲間たちと三大動物ファンタジー・シリーズ(他はマージェリー・シャープの「ミス・ビアンカ・シリーズ」(その記事を参照してください)とジャン・ド・ブリュノフの「ぞうさんババール・シリーズ」)と呼んで愛読していました。
それから五十年以上もたってしまいましたが、これらの本が今でもロングセラーとして読み続けられていることをうれしく思っています。
くまのパディントン | |
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福音館書店 |
1958年に出版された絵本です。
五十年前ごろは、結婚プレゼント(といっても安価な物ですから、結婚式や二次会に呼ばれない程度の軽い知り合いの場合です)の定番でした。
日本語版は1965年が初版ですが、私の手元に今あるのは1990年1月20日の第74刷ですので、かなりのベストセラーです。
結婚(特に若い世代の)というものを、このように象徴的に描いた作品は少ないかもしれません。
出版から70年近くがたち、その間にジェンダー観や結婚観はずいぶん変わりましたが、好きな男の子や女の子と、「いつも いつも、いつまでも、きみといっしょに いられますように」という願いは、普遍性を持っていると思います。
ただし、日本語訳では、くろいうさぎは男の子、しろいうさぎは女の子と決め打ちした言葉づかいなので、やや古さを感じさせるかもしれません。
作者のガース・ウィリアムズは私の好きな画家の一人で、マージェリー・シャープのミスビアンカ・シリーズ(その記事を参照してください)の挿絵でも有名です。
動物の生態と擬人化のバランスが絶妙で、ディズニーのアニメ絵本のような単純にかわいいだけの絵柄とは一線を画しています。
しろいうさぎとくろいうさぎ (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本) | |
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福音館書店 |
1969年6月に出版された幼年童話の古典です。
私が読んだ本は1989年5月の87刷ですから、今ではゆうに100刷を超えていることでしょう。
また、「ウーフ」はシリーズ化されていて、いろいろと形を変えて多数出版されています。
他の記事で紹介したように、日本児童文学者協会では、1979年と1998年の二回、現代日本児童文学史上の重要な作品を100冊選んでいますが、その両方に選ばれている作品は35冊しかありません。
この「くまの子ウーフ」はその中の一冊ですから、児童文学の世界では評価が定まっている作品といってもいいと思います。
さらに2010年に出た「少年少女の名作案内 日本の文学 ファンタジー編」(その記事を参照してください)の50冊の中にも選ばれていますから、時代を超えた日本のファンタジーの定番と言ってもいいと思います。
動物ファンタジーとしては擬人化度が高く、ウーフは両親と一緒にまるで人間のように暮らしています。
しかし、毛皮とか、ハチミツ好きとか、クマならではの特性もうまく生かされています。
対象読者と同じかやや幼く設定されているウーフが、9編(「さかなには なぜ したがない」、「ウーフは おしっこでできているか?」、「いざというときって、どんなとき?」、「キツツキの見つけた たから」、「ちょうちょだけに なぜ なくの」、「たからが ふえると いそがしい」、「おっことさないもの なんだ?」、「? ? ?」、「くま一ぴきぶんは ねずみ百ぴきぶんか」)からなるオムニバス風の作品に中で、いろいろな発見をする様子には、読者は感情移入して読んでいけるでしょう。
でも、この本は単なるかわいいお話ではありません。
それぞれの話の肝の所には、「生きるとは?」、「自分とは?」、「他者とは?」、「死とは?」といった、作者の深遠な人生哲学の問いかけがあって、大人の読者も思わずうならせられてしまう奥深い内容になっています。
1998年発行の「児童文学の魅力 いま読む100冊―日本編」で、この本の作品論を書いている詩人の坂田寛夫によると、「北海道や樺太で育った神沢にとって、クマはいのちそのもの」とのことですから、それも当然のことかもしれません。
児童文学研究者で作家の村中季衣は、「あいまい化される「成長」と「私」の問題」(日本児童文学1997年11-12月号所収、その記事を参照してください)という論文の中で、擬人化された物語の中に「私」が消えずにいる例として、「くまの子ウーフ」の中から「ちょうちょだけに なぜ なくの」をあげて説明しています。
少し長いですが、この本の本質をよくとらえているので以下に引用します。
「青い羽から光が零れるような蝶にひかれて夢中で追いかけるウーフはあやまって蝶を潰してしまう。泣きながら蝶のお墓をつくったウーフに共感した友だちの(うさぎの)ミミがドロップをお供えする。
そこへきつねのツネタが(註:作品中でリアリストとしてキャラクター設定されています)やってきて「へんなウーフ、さかなも肉もぱくぱくたべるくせして、は、ちょうちょだけどうしてかわいそうなの。おかしいや。」という。
ウーフは答えることができずに「うー、うーっ。」という。
作者は、何も語らない。手を出さない。ウーフたちの論理とその葛藤を、じっと見つめている。
<中略>
神沢利子は大人である。そしてもちろんウーフではない。だからウーフにじっと寄り添ってみる。ウーフがどんな行動に出るのか、どこで悩むのか、じっと待つことができる。目を凝らすことができる。
<中略>
「私」がいる物語とは、つまるところ、他者の生命の連続性を見守ることのできる物語なのかもしれない。そこには必ず発見があり、喜びがあり、ひとりずつの、これまで大人たちが啓蒙的に使ってきたのとは違う意味の「成長」があると私は信じる。」
私もこの村中の意見に全く同感です。
くまの子ウーフ (くまの子ウーフの童話集) | |
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ポプラ社 |
現代児童文学のタブー(子どもの死、離婚、家出、性など)とされていたものを描いた先駆的な作品といわれています。
1969年に出版されたのですが、その前に坪田譲治が主宰した同人誌の「びわの実学校」に連載されていたので、60年代半ばの子どもたちを描いた物と思われます。
登場する子どもの死や家出以外にも、障害者、貧困、受験競争など、子どもたちを取り巻く様々な問題点を取り上げています。
シリアスな題材なのに少しも暗くならずに力強く描いている点が、特に優れた点です。
私の読んだ本は1992年で33刷ですから、読者にも長く支持されていたのだと思います。
しかし、売れ筋作品最優先の現在の出版状況では、このような作品を出版することは困難でしょう。
教室二〇五号 (少年少女小説傑作選) | |
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実業之日本社 |
この短編集の表題作です。
中編といってもいいぐらいの長さがあり、他の短編と違ってかなり風刺性が強く、幼い読者にはやや難しいかもしれません。
トラゴロウ(実はサーカスのトラであるトラノスケ)を眠らせて、薬に使えるというトラの胆をとろうとする医者や猟師夫婦、さらにはサーカスの団長たちを相手に、トラゴロウをはじめとした森の動物たちとサーカスの動物たちが団結して戦います。
悪い人間(大人)たちによって、檻(学校?)に入れられたり、搾取されたりしている動物(子ども)たちに、目をさまして戦おうと呼びかけ、最期は動物(子ども)たちの勝利に終わります。
作者があとがきに述べているとおりに、作者の「ものの見かた・考えかた」が、この作品では特に色濃く表れています。
その背景については、他の幾つかの記事に詳しく述べているのでここでは触れませんが、作中の「トラゴロウの目をさますうた」や「まちが かわる日のうた(他の記事に全文を引用しています)」の覚醒と連帯を求める痛切な響きは、現在の困難な状況(格差社会、貧困、差別、いじめ、ネグレクト、学校や親の過剰な管理、孤独など)にある子どもたちにとっても力になるものだと思います。
作者があとがきに述べている「人間の成長とは、その人間のいまだ歳いたらぬ心の中に生れ出た、ものの見かた・考えかたの成長と発展にほかならない」という主張は、児童文学に携わるすべての人間が自覚していなければならないことですが、現在の商業主義に偏った出版状況の中では、「歳いたらぬ心の中に生れ出た、ものの見かた・考えかたの成長と発展」に資する作品のどんなに少ないかを嘆かなければなりません。
目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版) | |
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理論社 |
ぼくのおばあちゃんは、ガンで病院に入院しています。
おばあちゃんが入院する前、家を建て直すために物置小屋を片づけていたおとうさんが、古いスケッチブックを発見します。
今から三十年以上前のぼくと同じ小学校五、六年生だったころのおとうさんが、クレヨンで描いた数々の絵が画集に載っています。
そこには、若いころのおばあちゃんがざぶとんで作ったサンドバッグの前で、ボクシングのポーズをとるおとうさんを描いた絵もありました。
おばあちゃんがなくなり、おばあちゃんの遺体は、そこで暮らすはずだったできたてほやほやの隠居部屋に安置されます。
おばあちゃんがお骨になって帰ってきた後の親戚だけの会で、おとうさんは十三歳も年上の義理のおにいさんをめちゃくちゃになぐりつけます。
おじさんが、死んだおばあちゃんが臭かったと、不用意に言ったからです。
ざぶとんのサンドバッグを前に美しいファイティングポーズをとっていた少年が、おとなになってからは弱い者に馬のりになってでたらめなパンチをあびせています。
その姿を見て以来、ぼくはおとうさんのにこやかな顔や優しい言葉が信じられなくなります。
自由画の時間に、ぼくはおばあちゃんの死に顔を描きます。
しかし、図工の先生に、「おばあちゃんの昼寝顔にのどぼとけがあるのはおかしい」と、指摘されてしまいます。
実際には、おばあちゃんののどには、死ぬ直前に男の人ののどぼとけのようなとんがりが出てきたのです。
「先生の大事な人が遠くのどこかへ旅立つ日、先生はぼくの絵がうそではないことに気づいてくれるのだろう」と、ぼくは思いました。
1985年12月12日に発行された「少年時代の画集」の表題作です。
「少年時代の画集」は、多感な子どもの目に映る世界を様々なタッチで描いた短編集です。
この表題作は、この本以外にもいろいろなアンソロジーにも収められている、森忠明の短編の代表作です。
他の作品と同様に、作者の実体験に基づいた独特の視点で、病的までに鋭い少年の感受性と、それに伴う大人たちへの不信感が鮮やかに描かれています。
ただ、この作品では、おとうさんや先生に対する批判の描き方が、主人公の少年そのものの見方というよりは、大人になった作者の視点も一緒に表れてしまっているようで気になりました。
おそらく、子どもの時にそのようなことを感じたことは事実なのでしょう。
でも、この作品では、描き方が少し大人目線が含まれてしまっているような感じがします。
それは、「きみはサヨナラ族か」(その記事を参照してください)や「花をくわえてどこへゆく」(その記事を参照してください)の主人公たちが、実際に行動として大人世界への拒否感を表したのに対して、この作品ではたんに批判的な視線をおくるだけなので、どこかシニカルな印象を読者に与えてしまうためだと思います。
森忠明の一連の作品は、このあたりから質的な変化を遂げていきます。
少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ) | |
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小学校の卒業アルバムに、森少年は六年三組のみんなとはべつの丸の中に写っています。
しかも、お岩さんのように左のほっぺたにあざができています。
顔面にデッドボールを受けて、学校を休んでいる間に記念撮影があり、森少年だけが自宅で撮影されたからです。
しかし、デッドボール事件にもいいこともありました。
保健室で、貧血で隣のベッド休んでいた同じクラスの水町玲子さんと知り合うことができたのです。
もともと二人は、同じ「つくし」というあだ名がある関係でした。
二人が休んでいる保健室には、バッハの美しい旋律が流れていました。
男の子と女の子の淡い恋の想い出を、バッハの旋律、俳句、手紙といった、今の読者からすると本当に古風な小道具を使って描いています。
森の大きな特長である子どものころの記憶の恐ろしく精密なディテールが、この作品でもいきています。
「少年時代の画集」の記事で指摘したように、この短編集あたりから森作品はかなり変質してきています。
現在を生きる子どもたちを描くよりも、過去の自分の少年時代を懐かしむ大人の森の視線がチラチラと現れ始めてきました。
このノスタルジックな雰囲気は、その後の作品ではさらに顕著になっていきます。
それにつれて、森作品は、現実に今を生きる子どもたちから離れていってしまったようです。
少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ) | |
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講談社 |
1967年発行の創作絵本の古典です。
農民のために海を静かにさせた伝説の山男の姿を通して、民衆のエネルギーや人のために成長する姿を描いたとして、「現代児童文学」の代表作のひとつとされています。
方言をいかした斎藤の文章と力強い滝平の切り絵が作品の持つエネルギーを巧みに表現しています。
1925年(大正14年)9月に、自ら編集する「童話」に掲載した大正童心主義童話の代表作です。
1929年(昭和4年)6月5日に古今書院から出版された作者の童話集「トテ馬車」に、巻頭作として収録されています。
大正時代の農村(作者の故郷の栃木県だと思われます)を舞台に、夏休み中(八月の一ヶ月間のようです)のとらちゃん(小学六年生)の日記の形を借りて、当時の子どもたちの様子を生き生きと描いています。
中編(単行本では62ページ)の限られた紙数の中で、村の子どもたちの楽しい遊びだけでなく、豊かな自然、農村の暮らし、子どもたちも担っている村の仕事、東京から病気疎開(肺病との噂がありましたが、その後とらちゃんたちと遊んでいるので、違うようです)してきたお金持ちの子どもとの交流、いじめや弱い者を守る正義感、プチ家出(トム・ソーヤーを想起させます)、さらには、貧困や死などの重いテーマまで、たくみに書き込んでいる筆力は、当時としては傑出しています。
写生をベースにした豊かな散文、主人公を中心にした子どもたちの正確な心理描写、物語の中での主人公たち(それを追体験する子ども読者たちも)の成長。社会の変革の意志(ささやかですが)など、この作品の持つ多くの特長は、現代児童文学(定義などは関連する記事を参照してください)に引き継がれました。
児童文学研究者の宮川健郎がまとめた現代児童文学の目指した「豊かな散文性」、「子どもへの関心」、「変革の意志」の三要点(関連する記事を参照してください)を兼ね備えた児童文学が大正期に書かれていたことは特筆すべきでしょう。
いわゆる近代童話の「三種の神器」、小川未明、浜田廣介、坪田譲治を否定した石井桃子たちによる「子どもと文学」が、宮沢賢治、新見南吉と並んで、作者を肯定的に評価したのも当然のことだったでしょう(関連する記事を参照してください)。