2016年の本屋大賞を受賞した作品です。
同じ本屋大賞を受賞した「蜜蜂と遠雷」(その記事を参照してください)を読んだときにも感じたのですが、本屋大賞のL文学(女性作家が女性読者のために女性を主人公にした文学の事で、最近ではそれに女性研究者、女性編集者、女性司書、女性書店員なども加わって完全に閉じた世界になっています)の優位性がますます加速されているようです。
この作品では、主人公は若い男性なのですが、恐ろしいほど性的には脱色されていて、女性読者が大好きな中性的男子です。
一応、主人公がほのかな好意を持っていると思われる、双子の美少女ピアニストも登場するのですが、恋愛とも呼べない淡い関係です。
主人公は北海道の森の中で育ったという設定なのですが、それ以前にまったく若い男性らしさがない(食欲、性欲、自意識などがほとんど排除されているので、この世代の生きた男性には思えません)ので、ファンタジーか少女マンガの中の登場人物のようです。
ストーリーは、ほとんど調律師になるための修業、資質、会社の同僚たちとの関係、双子姉妹との関係(彼女たちは恋愛や友情の対象ではなく、同じ道(一人はピアニストを、一人は調律師を目指すことになります)を目指す同志のようです)だけに集約されているので、文庫本の解説を書いている佐藤多佳子(彼女も「一瞬の風になれ」(その記事を参照してください)で本屋大賞を受賞しています)によると一種の職業小説なのだそうですが、彼女たちの作品に共通しているのはある職業についてはよく調べて(この作品でも、調律師やピアニストに取材していますし、彼女自身が長くピアノを弾いていて調律師のお世話になっているようです)書いているのですが、肝心の「働くこと」(特に企業に勤めている会社員として)の経験や取材が希薄なので、その職業特有の部分は詳しくても、より本質的な生きていくために必要な糧を得るための「働く」という行為は、ほとんど描けていません。
もちろん、この作品はエンターテインメントなのですから、大多数の読者の日常である「働く」毎日を忘れさせるためにあえて書かないという選択もあるでしょうが、どこかほとんどのテレビドラマに感じるような嘘っぽさを感じさせられてしまいます。
嘘ならば嘘で、「蜜蜂と遠雷」のような圧倒的な表現力で楽しませてくれるならばいいのですが、この作品では描写(風景、状況、心理など)がどれも紋切り調(一見美しい感じに書いているのですが、パターン化されていてつまらない)なので、読んでいて物足りません(あるいは、このあたりも彼女のマジョリティの読者である、若い女性たちの読解力に合わせているのかもしれませんが)。
特に、ピアノを演奏するシーンが何度も出てくるのですが、表現が単調なのでどれも曲想がぜんぜん浮かんできません。
その点でも、「蜜蜂と遠雷」には遠く及びません。
佐藤(児童文学作家でもあります)によると、この作品は一種の成長物語(他の記事で繰り返し述べていますが、現代児童文学の特徴の一つです)だそうですが、調律師としての成長は描けていますが、一人の人間としての成長はまるで描けていません。