現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

礒田道史「武士の家計簿」

2018-10-29 16:32:32 | 参考文献
 ベストセラーになり映画化もされた歴史啓蒙書です。
 この作者の優れた点は、単なる歴史の紹介ではなく、現代の様々な問題点をふまえた上で、新しい歴史上の発見を紹介していることです。
 また、古文書を平易な現代語に訳しているので、一般読者にもすごく読みやすくなっています。
 ただし、読者に分かりやすく興味も持てるように書いているので、多数の読者を獲得した反面、論文としての厳密さや現代の問題点を批判する力には限界があるように思われます。
 この葛藤は、児童文学を創作する上で、多くの読者に受けるように書くことと、創作者としてのオリジナリティを獲得することとのジレンマに共通しています。

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)
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新潮社
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コロナ神父「ねずみとおうさま」

2018-10-16 16:29:47 | 作品論
 石井桃子訳の、1953年発行の「岩波子どもの本」シリーズの一冊です。
 乳歯が初めて抜けた幼い王様と、ペレスねずみの冒険を描いています。
 お話自体は単純な構成のメルヘンなのですが、子どもの乳歯が初めて抜けた時(成長の象徴でしょう)に、その子の幸せを願う風習(ペレスねずみに手紙を書いて、抜けた歯と一緒に枕の下に置いておくと、プレゼントと交換してくれます。日本では、上の歯は屋根の上に、下の歯は縁の下へ投げて、いい歯が生えますようにと願いますね。私も息子たちの時にやりました)は、洋の東西を問わないのだなあと感慨深いものがありました。
 かなり昔にスペインの王様のために牧師さんが書いたお話ですので、宗教くさい所や古臭い所もありますが、王様だけでなく貧しい子どもたちまで、等しく幸せを願う気持ちは、児童文学の本質を十分に備えています。
 この本は、大平健「やさしさの精神病理」(その記事を参照してください)で知って、初めて読みました。
 精神科医である彼は、ペルーの貧困地域での活動を若い時にしていますが、もしかするとこの本もその活動のきっかけになっていたのかもしれません。

ねずみとおうさま (岩波の子どもの本)
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岩波書店
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現代における少女小説の位置づけ

2018-10-15 08:45:39 | 考察
 他の記事でも書いたように、現在の児童文学の読者の大半は女性です。
 女性といっても、従来の読者だった子どもたちだけでなく、若い女性たちや最近では年配の女性たちも読者対象に含まれます。
 そのため、現在の児童文学の主流になっているエンターテインメント(女性向けとしては、ラブコメ、お手軽ファンタジー、ユーモア小説などがあげられます)だけでなく、50年代から90年代ぐらいまでは児童文学の主流であった「現代児童文学」(定義は他の記事を参照してください)のような純文学的作品も今でも商品として成立しています。
 そういった作品では、昔も今も、女の子たちの繊細な感覚をビビッドに描いたものが商品になりやすいようです。

少女小説事典
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東京堂出版
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雑誌連載における注意事項

2018-10-13 07:22:39 | 考察
 児童文学においても、作品が雑誌に連載されることがあります。
 現在は、児童文学の商業誌は「飛ぶ教室」などのわずかな雑誌になってしまっていますが、児童文学団体の機関紙や育児雑誌などに連載される機会は、まだまだあります。
 そして、連載終了後には一冊の本として出版される機会もあるようです。
 そうした場合における注意事項として、連載時の読まれ方と一冊にまとまった場合の読まれ方の両方を意識する必要があります。
 連載時には、必ずしも作品の初めから読まれるとは限られないので、どの号でもそれなりの小さな起承転結を持っていて、読者の興味(さかのぼってバックナンバーも読んでもらえるように)を満足させるものでなくてはなりません。
 紙面が許せば、前号までの簡単なあらすじが載せられれば、さらに読者に親切でしょう。
 その一方で、将来、一冊の本にまとめることを考えれば、その時に加筆訂正をするとしても、連載開始時に作品全体のシノプシスをまとめておくべきでしょう。
 理想を言えば、連載前に作品全体の第一稿を完成させて、それを各号の紙数に合わせて分割するとともに、各号に小さな山場を設けたいものです。
 
飛ぶ教室 44号 2016年冬 (金原瑞人編集号 えっ、詩? いや、短歌! それとも俳句?)
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光村図書出版
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旅情

2018-10-12 17:38:18 | 映画
 1955年のアメリカ映画で、メロドラマの古典(特に、ラストの駅のホームでの別れのシーン(女性を乗せて走り去っていく列車を、男性がホームを走って追いますが、わずかに届きません)が有名です)です。
 アメリカ人の中年独身女性(当時はハイミスと呼んでいました。彼女は38歳という設定なのですが、当時としては十分に中年でした)が、ヨーロッパ旅行の終わりのヴェネツィア(当時は、日本ではベニスと呼ばれていました)でイタリア人の中年男性(大きな子供が二人いますが、妻とは別居中)と恋に落ちます。
 物語としてはとっくに賞味期限が過ぎているのですが、監督のデヴィッド・リーンが鮮やかに切り取った60年以上のヴェネツィアの風景は、今でもとても魅力的(きっと実際のヴェネツィアも、当時の方が美しかったのでしょう)で、海外旅行なんか想像もできなかった当時の日本人には夢の中の世界ですし、アメリカ人を除くほとんど世界中のすべての人も同様で、アメリカ人にしても海外旅行できるのはごく一部の人だけだったので、甘いテーマ曲とともに世界中で大ヒットしました。
 
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宮下奈都「羊と鋼の森」

2018-10-10 09:12:41 | 参考文献
 2016年の本屋大賞を受賞した作品です。
 同じ本屋大賞を受賞した「蜜蜂と遠雷」(その記事を参照してください)を読んだときにも感じたのですが、本屋大賞のL文学(女性作家が女性読者のために女性を主人公にした文学の事で、最近ではそれに女性研究者、女性編集者、女性司書、女性書店員なども加わって完全に閉じた世界になっています)の優位性がますます加速されているようです。
 この作品では、主人公は若い男性なのですが、恐ろしいほど性的には脱色されていて、女性読者が大好きな中性的男子です。
 一応、主人公がほのかな好意を持っていると思われる、双子の美少女ピアニストも登場するのですが、恋愛とも呼べない淡い関係です。
 主人公は北海道の森の中で育ったという設定なのですが、それ以前にまったく若い男性らしさがない(食欲、性欲、自意識などがほとんど排除されているので、この世代の生きた男性には思えません)ので、ファンタジーか少女マンガの中の登場人物のようです。
 ストーリーは、ほとんど調律師になるための修業、資質、会社の同僚たちとの関係、双子姉妹との関係(彼女たちは恋愛や友情の対象ではなく、同じ道(一人はピアニストを、一人は調律師を目指すことになります)を目指す同志のようです)だけに集約されているので、文庫本の解説を書いている佐藤多佳子(彼女も「一瞬の風になれ」(その記事を参照してください)で本屋大賞を受賞しています)によると一種の職業小説なのだそうですが、彼女たちの作品に共通しているのはある職業についてはよく調べて(この作品でも、調律師やピアニストに取材していますし、彼女自身が長くピアノを弾いていて調律師のお世話になっているようです)書いているのですが、肝心の「働くこと」(特に企業に勤めている会社員として)の経験や取材が希薄なので、その職業特有の部分は詳しくても、より本質的な生きていくために必要な糧を得るための「働く」という行為は、ほとんど描けていません。
 もちろん、この作品はエンターテインメントなのですから、大多数の読者の日常である「働く」毎日を忘れさせるためにあえて書かないという選択もあるでしょうが、どこかほとんどのテレビドラマに感じるような嘘っぽさを感じさせられてしまいます。
 嘘ならば嘘で、「蜜蜂と遠雷」のような圧倒的な表現力で楽しませてくれるならばいいのですが、この作品では描写(風景、状況、心理など)がどれも紋切り調(一見美しい感じに書いているのですが、パターン化されていてつまらない)なので、読んでいて物足りません(あるいは、このあたりも彼女のマジョリティの読者である、若い女性たちの読解力に合わせているのかもしれませんが)。
 特に、ピアノを演奏するシーンが何度も出てくるのですが、表現が単調なのでどれも曲想がぜんぜん浮かんできません。
 その点でも、「蜜蜂と遠雷」には遠く及びません。
 佐藤(児童文学作家でもあります)によると、この作品は一種の成長物語(他の記事で繰り返し述べていますが、現代児童文学の特徴の一つです)だそうですが、調律師としての成長は描けていますが、一人の人間としての成長はまるで描けていません。


羊と鋼の森 (文春文庫)
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文藝春秋

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児童文学における時間の概念

2018-10-10 08:21:47 | 考察
 一般文学の世界では、時間の経過を意図的にジャンプさせたり、遡行させたりする作品があります。
 特に、SFやファンタジーで、はこれらを巧みに使った魅力的な作品(例えば、ハインラインの「夏への扉」など)も多いと思います。
 しかし、児童文学では一般文学に比べて、その手法を使うことには注意が必要です。
 一般的に、子どもは大人に比べて時間の概念が不分明なので、児童文学(特に幼年童話や絵本)では過去の回想や時間を遡行した記述などは、不必要に読者を混乱させる場合もあります。
 もちろん、児童文学においても時間の概念をうまく使った優れた作品(例えば、フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」など)はありますが、作者には読者の受容力に対する配慮が求められます。

時間SFの文法: 決定論/時間線の分岐/因果ループ
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青弓社



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老年児童文学

2018-10-09 14:25:19 | 考察
 最近の児童文学では、高齢者社会を反映してか、老人たちと子どもたちとの交流を描いた作品が増えています。
 これらの作品の中には、子どもたちだけでなくお年寄りが読んでも楽しいと思われる作品もあります。
 それを一歩進めて、最初から対象読者を老人にして児童文学を書いたらどうでしょうか。
 現状では、流通をどうするかなどの課題もありますが、そういった老年児童文学や絵本を、老人ホームなどで介護士さんやボランティアなどに読み聞かせをしてもらえたら、結構需要はあるのではないでしょうか。
 少子高齢化と本離れによって経営が苦しくなっている児童書の出版社にとっては、新しい有望なマーケットだと思います。

熟年のための童話セラピー―「末永く幸せに」暮らすヒント (ハヤカワ文庫NF)
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早川書房
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少女小説とキャラクター小説の関係

2018-10-06 08:49:11 | 考察
 吉屋信子の「花物語」以来、いつの時代も少女小説は児童文学において商業的には大きな位置を占めてきました。
 その存在は、児童文学の読者の大半が女性(本来の少女だけではなく、二十代の若い女性も、アラサーも、アラフォーも、アラフィフも、アラカンも含まれます)になった現在では、少女小説はますます大きくなっています。
 しかし、21世紀になったころから、この分野にも大きな変化が生まれています。
 従来の繊細な思春期の少女の感性をビビッドに描く作品やもっと手軽に読めるラブコメなどがかつてほどど売れなくなり、キャラクター小説(ストーリーや内容よりも、登場人物の個性が優先される小説です)の進出が目立ちます。
 これは、女性たちの世界でも、セーラームーンやプリキュアのようなコミックス、アニメ、ゲームなどの他のメディアが大きな影響力を持つようになり、従来型の少女小説ではなく、他のメディアと親和性の高いキャラクター小説のほうが売れるようになったのです。
 現に、メディアミックスで、他のメディアの作品が児童文学に移植されるケースもあります。
 こういった現象は、男の子たちの世界の方が先行していて、彼らがビデオゲーム、携帯ゲーム、アニメ、コミックスなどだけで物語消費をして、本を読まなくなってから久しいです。
 大人の世界でも女性のほうが男性よりも本を読むので、短期的には女の子たちが少女小説をまったく読まなくなるとは思えませんし、先ほど述べたように上には分厚い少女小説を読む習慣のある女性の年代層が健在なので、すぐに少女小説というジャンルはなくなりませんが、長期的には質的な変容と先細りは避けられないでしょう。

キャラクター小説の作り方 (星海社新書)
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講談社
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最上一平・文 国松エリカ・絵「からかさにざえもん」

2018-10-05 09:35:31 | 作品論
 山でけがをしたおばあさんを、おじいさんが家にリヤカーを取りにいって助けようとします。
 そんなおじいさんを、からかさにざえもんをはじめとした、二人がいとおしんで使った「もの」たちが助太刀する絵本です。
 作家は、少し前の時代の田舎を舞台にしたユートピア童話や絵本が得意なのですが、この作品でも、画家のシンプルな描線の挿絵とあいまって、楽しい作品に仕上がっています。
 ただ、表紙に貼られたシール「だいじに つかうと たましいが やどります」はネタバレなので、ないほうがよかったと思いました。

からかさにざえもん (えほんのもり)
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文研出版
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辻原登「チパシリ」父、断章所収

2018-10-04 09:01:35 | 参考文献
 チパシリとは、アイヌ語で「われらが見つけた土地」という意味で、網走の語源になっています。
 この小説は、戦前、戦中の北日本を舞台に、盛岡刑務所、青森刑務所、そして厳重な網走刑務所、最後には札幌刑務所を次々と脱獄した、脱獄王椿早苗が絞首刑になるまでを描いています。
 椿は体中の関節を外せて、どんな狭い所からも脱出してしまいます。
 そんな椿が、最後には民家の便所から脱出できず雪隠詰めにあって捕まり、絞首刑になったのは皮肉なラストです。
 辻原の関心のある犯罪や刑務所に関する知識が、作品のリアリティを支えています。
 こういった博覧強記なおじさん(辻原のこと)からお話を聞くような物語は、児童文学の世界でももっとあってもいいかもしれません。

父、断章
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新潮社
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男と女

2018-10-03 18:32:47 | 映画
 1966年のフランス映画で、カンヌ国際映画祭のパルム・ドールと、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞しているメロドラマの傑作です。
 それぞれ幼い息子と娘を預けている寄宿学校で週末に出会った、おしゃれでかっこいい男(なにしろ人気カーレーサーです)とすごい美人の女(映画会社の重要な現場スタッフ(進行担当か?)が、それぞれの過去の傷(男の妻は、彼のレース中の事故をきっかけに精神を病んで自殺しています。女の夫はスタントマンで、撮影中の事故で死んでいます)を乗り越えて結ばれるまでを、監督のクロ-ド・ルルーシュ好みのスタイリッシュな映像(モノクロとカラー映像をうまく使い分けながら、寄宿学校のある有名な海辺のリゾート地のドーヴィルの美しい風景、二人がそれぞれ暮らしているパリのおしゃれな雰囲気、カーレース(有名なル・マン24時間耐久レースやモンテカルロ・ラリー(男が優勝して、それをきっかけに二人が結ばれます)などの実際の映像、彼女が働く映画の撮影現場などが、短いカットの連続で綴られています)とおしゃれなセリフ、そしてフランシス・レイの美しい音楽(有名なスキャットによる主題歌だけでなく、常にムーディな曲がバックに流れています。女の夫がブラジル人という設定なので、サンバやボサノバの有名な曲も効果的に使われています)で描いています。
 設定やストーリーは笑いたくなるような極端さとご都合主義なのですが、かわいい子役たちも含めてすべてがおしゃれで美しいので、まあこんなのも映画としてはありなのかと思わせる力があります。

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Happinet
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よしもとばなな「癒しのスープ」さきちゃんたちの夜所収

2018-10-03 17:04:40 | 参考文献
 亡くなった祖父母がやっていた、土日に大量の豆スープを立ち寄った近隣の人に無料であげるという作業(無料というので仕事ではありませんが、ボランティアというのも違うような気がします)を復活させようという母(祖父母から見れば嫁)を手助けするさきちゃんを描いています。
 一言でいうと、善人大行進(作者自身が作品の中でそう書いているのですから間違いありません)という感じのあざとい作品です。
 祖父母はもちろん、離婚した両親もいつの間にかいい人になっていますし、父の不倫相手も善人(おまけにおなかの中の子までいい子になるとさきちゃんに予言されています)、祖父母の善行を眺めていた謎の少女(神様か?)やさきちゃんの恋人、そしてもちろんさきちゃん自身も善人なのです。
 しかし、ここまで自分の読者である若い女の子に媚びなくてもいいんじゃないかという気がします。
 さきちゃんは、週四日のアルバイトしかしていないで、神様のような祖父母や意外にいい人の離婚した両親、それに恋人にまで恵まれています。
 これは、この作者の読者である若い女性たちにとっては、ある意味で理想形でしょう。
 そんな読者たちに、作者からは「頑張らなくてもいいんだよ」というありがたい癒しのメッセージが、これでもかと降り注がれます。
 しかし、ここに書かれていさきちゃんは、自立しない他人に依存した女性像(ジェンダー観の揺り戻しにより、最近の若い女性たちがあこがれています)でしかありません。
 新就職氷河期の手荒い洗礼を受けた若い女性たちがこのようなジェンダー観に陥っているので、最近の児童文学(現在の児童文学の大きなマーケットは若い女性です)でもこういった作品は人気があります。

さきちゃんたちの夜
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