ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

10/28 東三河の雨生山(うぶさん)に秋の花を訪ねる その3:雨生山の名前の由来など

2013-11-02 06:54:52 | 草花
今まで雨生山には何度も足を運んでいますが、その名前の由来は知りませんでした。
漠然と、「どうしてこういう名前が付いたのか?」とは思っていましたが、知ろうとはしないでここまで来てしまいました。
ところが、今回このシリーズを始めた最初の記事に、そのことについてコメント欄で知らせて下さいましたので、改めてここに引用して二つの説を紹介いたします。

<引用開始
その一:
むかし光格天皇の頃、日照りが続いて困ったことがあった。いろいろ雨乞いをしたが雨が降らないので、最後の手段として宇利の雨引き天神の宝物の二つの面を洗って、村中総出で当時の白山(今の雨生山)の頂上に運び、浜名湖に向けて海神に祈ると、一天俄かに搔き曇り大あらしになった。
この時、吹いてきた大風に面のひとつが舞い上がって見失われてしまった。
それ以来、村人は残された面を二度と持ち出すことはしなかった。
一方舞い上がった面は浜名湖宇志海岸に流れ着き、土地の人が拾い上げて祀ったのが宇志八幡神社だという。
このことがあってから、それまで白山と呼んでいたこの山を、「雨生山」と言うようになったという。
(光格天皇は1779-1817の在位で、そのころは徳川10代家治将軍-11代家斉将軍の時代。)

その二:
むかし、お殿様に子がないので、吉祥山に祈ったところ願いが通じて女の子を授かったそうです。
その子の産湯にこの山の麓の泉の水を使ったから「うぶ山→雨生山」というようになったという説であります。
>引用終了    

記述の根拠は新城市教育委員会出版の「新城 文化財案内」という書籍だそうです。
なお
夏に雨乞いをするほどの日照り続きのあとに大嵐の襲来・・・・・何だか今年の天気に似ていますね。

雨生山のレポートを続けます。
マンリョウ ↓

三河では低山の林床でマンリョウを良く見かけます。



サクラ ↓

山の中腹辺りに桜の木を沢山植えていて、その辺り一帯を「桜の園」と呼んでいます。
こんな時季に咲く種類も植えられています。



愛の鐘 ↓

二人の愛が成就するように・・・・・鐘を鳴らすことによってそうなるのなら、お安い御用ではないでしょうか。



ヒヨドリバナ ↓

斜面の下のほうで咲いていました。始めはオトコエシかと思い、近付いたところこれでした。
それならばこの花に吸蜜に来るアサギマダラはいないかと探します。



ホウチャクソウ?の実 ↓

この黒ずんだ実はホウチャクソウでは無いでしょうか。



オミナエシ ↓

花には大分遅かったのですが、花もちの良いこの花ならではの姿を撮らせてもらいます。



ナガコガネグモ ↓

笹の葉で蜘蛛の身体をちょいと突くと、蜘蛛の巣ごと身体を揺すって威嚇してきます。



ツリガネニンジン ↓

この花も遅くまで残っていて呉れました。



ノイバラ ↓

笹薮を掻き分けて進むときにはこれの棘は大変煩わしいものですが、こうして眺める赤い実はなかなか見事な景色になっています。



ヤマハッカ ↓

この時季の定番植物ですね。
コメント (8)
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