今日高校はようやく、よ~やく終業式みたい。レースから10日以上過ぎ、息子はもうノンキなもん。息子の話だと、決勝ヒートでは前を走るYI君とカウルがコツコツ当たる周回が続いたらしい。でもYI君は巧みにラインをふさぎ、付け入る隙をなかなか与えてくれなかったと言う。そこはさすがにYI君、息子とは経験の差が歴然。でも強いドライバーはそんな状況でも展開を打破して、前へ出るんだろうなー。
第2戦の後俺、なんか怖さを感じるようになった。レースで勝ちにこだわるにはどれだけ厳しさを求められるか、垣間見えたと言うか…。うちはまだ勝ってもいないし、少しだけトップの背中が見えただけだけど、去年チャンピオン争いをしてたさぎさんちはどれだけの重圧の中で戦っていたか…。いか~ん俺、顔が恐くなってるかも。いや俺がここでびびってどーする。
震災があって、うちがカート活動を再開したのは5月末だっけか?実は息子、一度も44秒を切ることなく第2戦を迎えた。な~んかずっとエンジンが回らなくて、インフィールドの動きもタイムも悪くはないんだけど、外周部分がやたら遅い。なんでイントレ乗ってた時の方がタイムいいんだよ(-o-;)やっぱへたくそなのか…。何が良くて何が悪いのか分からない。もがく息子。レース前日の午後になって、エンジンに決定的な不具合があることが判明してIさんがエンジン載せ換えを決断。でもそのエンジン、半年火を入れてない…。様々な不安を抱えたままレース当日を迎えた。朝のフリー走行、エンジン換えてフレッシュタイヤ履いたマシンで息子、Iさんから、半年回してないエンジンだから始めはいたわるように指示されてコースイン。久々のフレッシュタイヤで走りがぎこちない。3周もするとIさんがストップウォッチ持って走ってきた。「もう入れちゃって。42秒台入る!」……俺はこの後体調不良でダウン。ピットにいたんじゃ迷惑になると思い退場(^_^;)……今回のSSクラスには全日本ジュニアの遠征組が何人か参戦し
てたし、SUGOのタレントであるYI君やHI君、N君もいて、その中にうちのバカボンが割って入ったのは全くの予想外だった。エンジンが当たりだったのかもしれない。シャーシのバランスがたまたまドンピシャだったのかもしれない。ただ、これからの息子の走りを支えるには俺じゃ完全に力不足だよな…なんかすごく不安になってる自分がいた。
てたし、SUGOのタレントであるYI君やHI君、N君もいて、その中にうちのバカボンが割って入ったのは全くの予想外だった。エンジンが当たりだったのかもしれない。シャーシのバランスがたまたまドンピシャだったのかもしれない。ただ、これからの息子の走りを支えるには俺じゃ完全に力不足だよな…なんかすごく不安になってる自分がいた。
SUGOカートレースシリーズ第2戦、息子の戦績はタイトラ5位、予選ヒート5位(ファステストタイム、ゲット)、決勝ヒート4位で初表彰台でした~。でも俺、熱中症気味でダウン(T_T) タイトラ以降、な~んも見てない。情けね~(^_^;) もうメカニック失格。息子が無事最後まで走り切ることが出来たのは、チームのみなさんのおかげです。さぎさ~ん、ホントありがとね!ぜひ息子の専属メカになって(笑) いや~でも息子、タイトラは42秒台に入れられたはず。決勝だってもっと前に行けた。とにかくレース経験が少ないから、抜く技術がまだまだ足りない。まあその辺は本人がよ~く思い知ったはず。課題いっぱいだぞ(`o´)
SUGOカートレースシリーズ第2戦、SSクラスに息子出るよ~。311の地獄絵のような状況にいた時は、もうカートは出来ないかも…と思った。でもこうして我が家はサーキットに戻って来れて感無量。這い上がって来たぞぉ。ただ息子、調子がいいのか悪いのかよくわからん(^_^;)
10日、SUGOに行ってきた。もうスッゴい暑さ!テントの温度計は39.6度だったし(∋_∈) なんかチームの人たちみんな意識もうろう(笑) そんな中、Iさんがステアリングの所をせっせと加工してくれた。息子、腕が長いのか何なのか、ステアリングを目一杯起こしてもやたら窮屈な感じだったんだけど、Iさんが機転を利かせてステアリングが若干遠くなるよう加工。いい感じのポジションになったと思うけど、まだヒジあたる…と息子。オマエ、どんだけ腕長いんだよ。
くじらくんがコメント欄に書き込んでくれたメッセージをあらためてこちらに紹介します。なんかね、震災を経験して思い知ったことがある…。ずっと利害だとか損得だとか、そういうのが世の中を動かす大きな要素になってたけど、お互いに助け合って分かち合って生きて行くのが、人間の本来のあるべき姿だよなって…。
「妹 家に着くまでに見ず知らずの人達からの助けがありました
名前を尋ねる余裕なんてなかったでしょう
寒さに凍える妹に毛布をありがとう
靴をなくした妹にサンダルをありがとう
泥だらけの体なのに車に乗せてくれてありがとう
想像を絶する大惨事の中で一瞬でも妹の支えになってくれてありがとう
みなさんのお陰で大切な家族の命が助かりました
ほんと感謝です
この震災の不安と恐怖を経験しながらも周りの人を気づかってくれる人達がみんな復興大臣だと思います」
「妹 家に着くまでに見ず知らずの人達からの助けがありました
名前を尋ねる余裕なんてなかったでしょう
寒さに凍える妹に毛布をありがとう
靴をなくした妹にサンダルをありがとう
泥だらけの体なのに車に乗せてくれてありがとう
想像を絶する大惨事の中で一瞬でも妹の支えになってくれてありがとう
みなさんのお陰で大切な家族の命が助かりました
ほんと感謝です
この震災の不安と恐怖を経験しながらも周りの人を気づかってくれる人達がみんな復興大臣だと思います」
7月2日と3日、娘たち吹部のみなさんは避難所を回って演奏会。そもそも吹部は7月3日に市内のホールで毎年恒例の定期演奏会を行うはずだった。あの311がなければ…。3月11日、吹部のみなさんはそれぞれ、定期演奏会のパンフレットに載せる広告の勧誘に市内の店舗を回り歩いてた。そこへあの地震。その時娘も津波が押し寄せた地区にいたらしいけど、必死で高校まで駆け上がって逃げたそうだ。部員の中にも大変な状況に置かれたコがいっぱいいたらしい。でもいろんな人たちに助けられて幸い全員が無事だった。定期演奏会開催は断念せざるを得なくなったけど、恩返しという意味で感謝の気持ちを込めて避難所を巡り演奏会を催すことにしたそうだ。多くの人たちの支えがあったから今の自分がいる…ホント、そうだよな。
きのう何気にテレビつけたら目がテンになった。復興大臣の県庁での姿を伝えるニュース…。ああいう言動する人が一国の大臣なの?ひでぇ。つーか、お客か?何しにきたの?凄みにきたの?みんな歯を食いしばって這い上がろうとしてんのにさ、スッゴい温度差。