( 写真は昔のものです )
検査の予約は監督さんから電話かメールで来ます。
打ち合わせてこちらは会社のサイトで予定表に入力、監督さんは検査申込書をファックスで送ってくれるのですけどたまに打ち合わせと違った日時を書いていることがあります。
今回もまた30日で打ち合わせたのに1日になっている、どっちで行けばいいの? 今日は平日なので確かめねば。
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今日は大きな木造住宅の構造検査。
木造も我々世代が学校で習った時とはまるで違ってきました。
一番違うのは部材が集成材になったことです。
一定の寸法の材料を張り合わせている、したがって寸法が均一ですし、梁だと大きな梁が出来る→おおきな空間を作ることが出来る。
我々の頃は無垢材で小屋組みでは丸太を使っていましたが今は皆無。
安定して一定のものが作れるので加工も現場ではなくプレカットと言って現場には組み立てキットで搬入されます。
したがって現場から鋸やカンナや墨壺が消えました。
住宅は組み立てキットになりました。
熟練した職人さんも消えると言うことですね。
(寺社建築など特殊な分野で生き残るでしょうけど)
建築だけでなく 熟練した職人 や 伝統技術の職人 は絶滅危惧種。
伝統を継承する生き方と言うのもあって良いのかなと思います。
最近金曜日来るのが早い、気が付けば金曜日です。
人生のスピードが加速しています。
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( 追記 )
今朝は良く晴れているのですけど洗濯物は少ないのでお湯溜めシャワーと給水作業。
ニャンさんはプランターに水をあげようと思ったら外から帰ってきました。
今は母の部屋の猫ベッド。
お向かいは解体のために周囲に足場を組んでシートが張ってあります。
最近、自然死を扱った本を読んでいます。
この年齢でこの種の本に出合えた、と言うか前から思っていることを扱っている本なので読みながら そうそう と思うのですけど、核家族になり色んな世代の家族に触れ合わなくなった、それ以前はおじいさんやおばあさん、ひいおじいさんやひいおばあさんと言った世代が身近にいたので、そうですね、「老い学」とでも言いましょうかだんだん老化していって亡くなると言う事が自分の延長として解った。
今はそれがない、老いに接してあれ?こんなん?と思って戸惑う。
そういう世代に対する思いやりもないし、自然に幸せな死に方など解るはずもありません。
病院は病気やけがを何とか治そうとするところなのでもう寿命がつきようとしていて食べられなくなっても無理に栄養を入れようとする。
拷問です。
結局生き物は100パーセント死んでしまうのですから、ただ心臓が動いているというだけの状態でいろいろいじられるのは嫌です。
延命処置はしたくないと思っていても親族や家族、たまには遠い親戚のおじさんやおばさんが何で最後までやれることをやらないんだとかもめる話はよく聞きます。
聴診器で自分の心臓の音を聞いていると、よくこれだけ長く一瞬でも止まることなく動いている不思議を感じます。
生き方 と言いますけど 死に方 に関して考えておくことは必要だと思います。