カズオ・イシグロは長崎県出身の日系イギリス人で、2017年にノーベル文学賞を受賞したことで知られています。
私は以前よりこの作家が好きで、その中でも『日の名残り』は何度読んだか数え切れません。
古き良きイギリスを描いた小説であり、何よりも土屋政雄氏の翻訳が秀逸なのです。
この小説を原文でも味わいたいと考え、原文と日本語訳を読み比べていました。
洗練されたカズオ・イシグロ氏のイギリス語を品格ある日本語で訳している土屋政雄氏、お二人の言語能力の高さを肌で感じることができます。
主人公はダーリントンホールに執事として勤めるスティーブンスです。
1週間の休暇を得て、過ぎ去りし思い出を回想しながら車で国内を旅する小説です。
カズオ・イシグロ氏の筆致の特色は「静けさ」にあると考えています。
その「静けさ」が土屋氏の見事な翻訳によってさらに格調高く仕上がっています。
スティーブンスというプロとして仕事に徹する、頑固でちょっと不器用な生き方をする男を通して、古き良きイギリスを感じることができます。
古き良きイギリスの伝統は、美徳である「紳士道」に表れています。
スティーブンスがかつて仕えていたダーリントン卿はまさしくイギリスの伝統的な美徳を備えた紳士であり、それはスティーブンスも同様です。
その美徳は、高い職業意識と品格高い言葉遣いに表現されています。
例えばスティーブンスが旅行前に服装について考えている部分にもそれを感じる事が出来ます。
「I hope you do not think me unduly vain with regard to this latter matter ; it is just that one never knows when one might be obliged to give out that one is from Darlington Hall, and it is important that one be attired at such times in a manner worthy of one's position.」
「これほど服装にこだわる私を、鼻持ちならない気障(きざ)とみなす方もございましょうが、そうではありません。旅行中には、身分を明かさねばならない事態がいつ生じるかわかりません。そのようなとき、私がダーリントン・ホールの体面を汚さない服装をしていることは、きわめて重要なことだと存じます。」
イギリス流の「紳士道」は、いついかなる時にも「in a manner worthy of one's position」を考えることであって、それは「きわめて重要なことだ」という形で描かれています。
イギリス人の伝統的な「紳士道」の重みは、現在の主人であるファラディという冗談が好きなちょっと軽い典型的アメリカ人との対比で強調されています。
この小説を読むと、イギリスの古い歴史を刻んだ街並みや田園風景の中をいつか旅してみたいという気持ちになるのです。
時間をかけて静かにじっくりと小説を味わいたい人にお勧めの小説です。
竹村知洋