最後の読書案内は、世界最古の長編小説『源氏物語』です。
日本文学の最高傑作という評価を受けており、世界の奇跡として海外にも知られています。
若い時からいつか原文で読み通そうと考えていて、ついに数年前に読了致しました。
原文だけで読むのは大変難しいため、角川文庫のビギナーズ・クラシックスで大枠をつかみ、谷崎潤一郎訳と与謝野晶子訳を読み比べながら全54帖の原文にあたっていました。
物語に流れる日本の美は「雅(みやび)」な宮廷生活であり、その心は「もののあはれ」です。
「もののあはれ」は本居宣長が源氏物語の研究を通して物語の主題として主張したもので、日本人独特の感性であると言えます。
「もの」に接したときに感じる「あゝはれ」という心の動きを表した言葉です。
源氏は多くの女性たちと恋に落ちますが、人間の心の動きで最も激しく揺さぶられるものは恋の感情であり、それは平安時代の貴族も同様でした。
「もののあはれ」という心の動きを示す言葉を英語に訳すことは難しいでしょう。
それは日本語の特徴である感性を示した言葉だからです。
恋の感情というのは合理的に説明できるものではありません。
平安時代は通い婚という形式で、結婚していても夫婦がいつも一緒にいるわけではありませんでした。
「あはれ」という言葉で、源氏と源氏に関わる多くの女性たちの苦悩を表現しているのです。
善や悪といった道徳で判断するのではなく、どちらかというと共感を示す言葉であると考えています。
『源氏物語』の読み難さは主語がないことで、登場人物の氏名も出てきませんので、誰が誰に言っているのかがわかりづらいです。
その人の地位や住んでいる場所で人物を表しますから、その時々で呼び方も変わります。
それも直接的な言い方を避ける日本人独特の感性であると言えます。
訳し方も谷崎潤一郎と与謝野晶子ではそれぞれの雰囲気が異なっており、谷崎訳では原文同様に主語を用いずに物語の味わいを感じることができ、与謝野訳からは女性の心でとらえた感情の動きを感じる事が出来ます。
読み終わって感じたことは、平安時代の人物の書いた小説を読めるという幸せです。
日本は植民地支配を受けていませんので、日本史は日本の歴史そのものです。
それは大変幸せなことであって、多くのアジア・アフリカ諸国は自分の国の歴史を持っていないことからも感じることができます。
例えば以前に東京都の合宿が行われたメキシコの街並みはスペイン人のつくった街並みであり、言語はスペイン語、宗教はキリスト教、メキシコ史といっても植民地支配を受けてきた歴史なのです。
日本人が日本語を話し、日本の宗教を持ち、日本の歴史を語れるということは大変素晴らしいことです。
それも私たちの祖先が日本の国を守り抜いてきたおかげです。
特に日本人らしさを味わうことができるのは、古典に触れるときです。
古典に触れるとき、日本そのものを感じる事が出来ます。
学校で古典の学習をしますが、それは大変に幸せなことであるということです。
竹村知洋