子どもの頃から馴染みの或る、お弓祭りの手伝いに駆り出され、7日から泊まり込みで出かけ、8日は未明からの雨も止まず、暗い早朝から(6時前)星神社に出かける。裏方の仕事は初めてでわからないこともあり、丁度相席の(射手二人で向かい合わせに座を構える)人が親類だったので、いろいろ聞きながらなんとかやったが、手抜かりばかりで、せっかく来てくださった方にも、炭火の所でお寿司焼いて、食べていただければ良かったと思っても後の祭り。この鯛は、射手の人の分だが、なかなか焼けず苦労した。焼いている途中、何人もの方が立派なカメラで撮影に来るので、『どこからおい出ました?』と聞くと『大阪からダイドードリンコのツアーできました』とのこと『まあそれは遠くからおい出て雨でいきませんねえ。鯛でも写してください』と場所を開けてやる。
4,5人が撮影、それも結構時間をかけて撮影するので、まあ皆さんがそんなに撮影するのならと、私も一枚撮影。
そんなこんなで、お弓祭りの様子など撮影もできず。お弓祭りの題名で記事を書きたかったけどそれには写真がないのでやめました。
これは、残った巻きずしを持ち帰ってきたのを、トースターで焼いて食べると美味しいが、2日も食べたら飽きる。
これは村の仕出し屋さんに、頼んで作ってもらったもの。
私が子どもの頃は(昭和30年ごろ)冠婚葬祭すべて家でやり、巻きずしや刺身はすべて家で作っていた。前の日から親戚のおばさん達が手伝いに来て、巻きずしの芯にする、ニンジンや牛蒡、かんぴょうなど煮付け
昆布や、油揚げなども煮付け準備しておいて、当日の早朝から巻きずしを作り、皿鉢に盛っておきゃくに(宴会)に間に合わせても、女性は休む暇もなく、お酒を沸かしたり、皿鉢が空いて来るとそこにまたお寿司など次足したりお皿やコップを洗い、忙しくしていたのを思い出す。それから比べれば、今はずいぶん楽にはなったけど、それでも酔っ払いの相手は何となく苦手というか上手にできない私です。
昨日、食べていただいていた方が、子どもの頃は、この芯が嫌いで芯のない昆布巻きが好きだったという話を聞いて、誰も一緒だったのかなと思いながら、今はこの芯が美味しいと思うようになっている。
私は芯をお箸で抜いて、お皿に残しておくと、よそに呼ばれたときは、母が来て全部食べてくれた(汗)
8日は4時ごろ行事は終わり、後片づけをして実家に下りていき、そこでも弓引きさんが帰りに寄ってくれたりして賑やかにしていたが、2日も泊まれないと帰ってきた。
お正月は、のんびり一人で気ままに暮らしたので、今回はそういうわけにはいかないし真面目に働いてきました。
二年に一回のお弓祭り、神事は7時から始まるが、弓を引くのは9時から、昼休みを挟み4時ごろまで引いて終わる。
交通の便が悪いので、マイクロバスとか、タクシーとかを無料送迎にしているとの話も聞いたけど、詳しくは承知していないので2年後2019年の時、私が元気でブログを続けていたら、前もってお知らせしますので一度あの山の上まで上がってみませんか。
1月も10日になってやっと2度目の更新、これから先どうなりますことやら、こんな私のブログですがよろしくお願いします。
4,5人が撮影、それも結構時間をかけて撮影するので、まあ皆さんがそんなに撮影するのならと、私も一枚撮影。
そんなこんなで、お弓祭りの様子など撮影もできず。お弓祭りの題名で記事を書きたかったけどそれには写真がないのでやめました。
これは、残った巻きずしを持ち帰ってきたのを、トースターで焼いて食べると美味しいが、2日も食べたら飽きる。
これは村の仕出し屋さんに、頼んで作ってもらったもの。
私が子どもの頃は(昭和30年ごろ)冠婚葬祭すべて家でやり、巻きずしや刺身はすべて家で作っていた。前の日から親戚のおばさん達が手伝いに来て、巻きずしの芯にする、ニンジンや牛蒡、かんぴょうなど煮付け
昆布や、油揚げなども煮付け準備しておいて、当日の早朝から巻きずしを作り、皿鉢に盛っておきゃくに(宴会)に間に合わせても、女性は休む暇もなく、お酒を沸かしたり、皿鉢が空いて来るとそこにまたお寿司など次足したりお皿やコップを洗い、忙しくしていたのを思い出す。それから比べれば、今はずいぶん楽にはなったけど、それでも酔っ払いの相手は何となく苦手というか上手にできない私です。
昨日、食べていただいていた方が、子どもの頃は、この芯が嫌いで芯のない昆布巻きが好きだったという話を聞いて、誰も一緒だったのかなと思いながら、今はこの芯が美味しいと思うようになっている。
私は芯をお箸で抜いて、お皿に残しておくと、よそに呼ばれたときは、母が来て全部食べてくれた(汗)
8日は4時ごろ行事は終わり、後片づけをして実家に下りていき、そこでも弓引きさんが帰りに寄ってくれたりして賑やかにしていたが、2日も泊まれないと帰ってきた。
お正月は、のんびり一人で気ままに暮らしたので、今回はそういうわけにはいかないし真面目に働いてきました。
二年に一回のお弓祭り、神事は7時から始まるが、弓を引くのは9時から、昼休みを挟み4時ごろまで引いて終わる。
交通の便が悪いので、マイクロバスとか、タクシーとかを無料送迎にしているとの話も聞いたけど、詳しくは承知していないので2年後2019年の時、私が元気でブログを続けていたら、前もってお知らせしますので一度あの山の上まで上がってみませんか。
1月も10日になってやっと2度目の更新、これから先どうなりますことやら、こんな私のブログですがよろしくお願いします。
鯛の塩焼きは美味しいね~。
お弓祭りは雨にもかかわらず沢山の人で盛大に行われたようですね。
早速にありがとう。
モチモチさん&ぼちぼちさん、Sさんご夫妻雨の中来てくれたんですが、愛想もしないで申し訳なかったと思います。
鯛がなかなか焼けず、ずいぶん時間を取られました。
今年は桟敷席も設けて見やすくはしていましたが、何分桟敷の上はテント張ってなく、写真撮影は大変だったと思います。
またお天気の良いときに撮影に行きませんか。
もう、なかなかできませんね。
昔祖母の実家での何かのお祝いに行ったときは、
おこわ(もち米の赤飯)やにしめ、尾頭付きのめでたいタイの塩焼き、など表現に困る、今と比べればそうでもないのですが、自分たちで料理したごちそうでした。
そんなお祭りが残っているのは、、いいものですね。
鯛を網で沢山焼いているのに驚きましたが、ご馳走をしっかり食べないとできないと思いました。
お手伝いは大変ですね、お疲れさまです。
野菜の煮物を巻いたお寿司は子どものころから大好きです。私は
中の具の方がいいです(笑)
1/29にテレビ高知で放映があるようですが、見れないのが残念です。
今頃みんなで集まって、ご馳走手作りなんてしませんねえ。
昔の農村などは、今のように派手(豪華)なものは無く、羊羹も手作り、お芋の茶巾絞り、時期の果物など、それでも考えて皿鉢に盛っていました。
今は、エビだのカニだの見た目派手ですよね。昔はたまのご馳走で美味しかったように思いましたが、今食べてどうでしょうね。
お弓祭りは、平安時代に始まったと言われ、年数だけは経っています。(1100年らしい)
田舎で育った人間ですが、故郷を出て50年近く、再々帰っていても、村のことはほんの一部しか知らず、その間に、他所からお嫁に来た方たちが、すっかり村の人になっているのを見て、時の流れを感じました。
手伝う人がいて、支えてやらないと大変だなあと思いました。
ひとときさんは、芯(具)の方が好きだったんですか、私は今は好きですが、子どもの頃は、ゴボウやニンジンが苦手でした。人参も今のような西洋ニンジンでなく、金時ニンジンの真っ赤なニンジンでした。
テレビ高知での放映って、ローカル番組のことが、そちらでもわかるんですか。
1/29 15時からとなっていました。
ちなみに弓祭りで検索すると、他にもいろんなところで五穀豊穣などを願うお祭りがありました。
いろんなお祭りがあることを知りました。
わざわざ見てくださったんですね。
ありがとう。ダイドードリンコは日本の祭りを応援するというのをやっているようですね。
今年は北川村のお弓祭りだったとか、私は全然知りませんでした。
お弓祭り沢山あるでしょうね。
北川村も、3か所で交互にやっていたのが、みんなやめて終い、結局実家の近くの神社だけになってしまったようです。
この話はまた書きたいと思いますが、1100年変わらず続いているとはいいがたく、かなり省いていることもあるようです。
でも、そうしないと昔通り厳しくは出来ないと思います。