風と友達

山の中が私の故郷。風の良く通り抜けていく場所に生家がある。

年忌祭も終えて

2011-04-18 | 花日記
今日は久しぶりに強い雨が降っている。16日無事父の年忌祭(5年)『(年忌祭(ねんきさい)とは仏教でいう法事のこと』を終えた。トップは父の接ぎ木した枝垂れ桜、あの日も満開だった。門に満開だったギョイコウはあれからすぐに枯れてしまった。子供の頃は冠婚葬祭すべて家でやっていたので、大変だったろうなと思いながら、今は仕出し屋さんから取り寄せた皿鉢料理なので随分楽になったよねと、皆そんなことを話しながらの和やかな年忌祭だった。
母がまだ元気で(86歳)全てを取り仕切ってくれるので、私など出番はなく来て下さった方との昔話などに花が咲いた。


↓帰り道寄った道の駅で、娘が見つけた岩手の熊谷鉄工所さんの『草取りカギ鎌』震災後連絡が取れなかったけど、無事が確認されましたと書かれた紙が貼られていた。検索で調べて見ると、岩手県大船渡市三陸町綾里字大明神13
無事でよかったと思い、一つ買わせていただきました。これで庭がきれいになるかなあ。。用具が立派でも使わなければ綺麗になりませんよね(汗)ナデシコ添えて記念撮影。


16日早朝出発だったので、途中コンビニでおにぎりを買って、海辺の施設に車を止めて食べようと入ってみると、まだどの施設も営業はしてないのに車は結構多く止まっていた。そんな中キャンピングカーから、子犬を連れて下りてきた男性がいた。いわきナンバーだった。こちらまで避難してきた方だったろうか。声をかけて高知にも避難される方に住宅を提供していることを伝えてあげたら良かったのにと、後から気付いた。車を止めた向かいには宮城ナンバーの車が止められていた。


寄せ植えにしている鉢の中に、タニギキョウが芽生えて花咲かせていた。どこでどう種が出来るのかこぼれだねで咲いてくれた。好きな花だけど中々上手く育てられなく、今年はもう見られないかと思っていたけど少しだけでも咲いてくれたことに感激。
昨年植えこんで有ったイワチドリ。今年は苔が厚くなって無理かなと思ったら苔の下から数本出てきたのも嬉しい。


娘に持たせてやろうと日曜市に出かける。今の時期山菜は多く、そのままのからすぐ食べられるようにしたのまで沢山並んでいる。山野草を売っている前では足が止まる。気のよさそうなおじさんと並んでいるユキモチソウを見ながらあれこれ話をしていたが、今日は娘が帰っているので少しはましな料理をしてやらんといかんと思い、そこそこに引き上げたけど、次はメダカの所で覗きこんだら、そこのお兄さん話好きで(お客さんもいなかった)山奥の渓流にしかいないと言うエビだと力説、そう言えば尻尾に青い印?が綺麗なので、子供の頃谷川で掬って遊んだエビとは違う。


ヒメダカと変わりないとしか思えないメダカは『楊貴妃』と書かれていた。ヒメダカみたいやねえと言うと笑っていた。
ダルマというのは楊貴妃から生まれた中のごく少ない子供がダルマになるとの説明。ふ~んそうなんだと思いながら、『ごめんね私はありふれたメダカしかよう飼いませんので、何せ容器はすり鉢ながですき』と断って最後は『芋天』で終わりにした。
↑ブログ友達からのオダマキが今年も咲いてくれて。↓佐藤錦の受粉樹として買ったナポレオン、相棒がいないけど果実らしきものが。。育たないでしょうね。

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12 コメント

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枝垂れ桜 (マスカット)
2011-04-18 13:31:59
丁度年忌祭に満開になったのですね。綺麗な桜です。お母さんがまだ取り仕切って下さるとのこと、お元気で何よりですね。私の母はもう取り仕切るなんて事は無理になって来ました。羨ましいです。近いうちに顔を見に帰ろうと思います。

福島は落ち着くまでに半年以上掛かるとのことですね。衣食住だけでなく仕事も用意できるといいです。すでに自分たちで立ち上がった漁師さん達もいました。すごくかっこ良くて力強かったです。時間は掛かっても日本は再生出来ると確信した映像でした
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マスカットさん ()
2011-04-18 17:05:29
この桜は父が穂木を貰って接いだのですが、接ぎ木には自信のある父が、一度失敗して二度目でやっと成功したと生前言っていました。
マスカットさんのお母様も母とそれほど変わらないですよね。体調を崩されたけど、お元気になられたと聞いて安心していましたが、あちらを見たらまた良くないとか、心配ですね。


避難先はあっても、仕事が無いと困りますよね。高知県は県庁での事務員として50人ぐらい(今はっきり覚えていませんが)雇う用意が有ると発表していました。

他所の県では、農業をしていた方に、住居を提供して仕事をしてもらうと言うのもやっていました。
皆で知恵を出し合い、少しでも被災された方々が元気になってもらえると良いと思いますね。
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もうタニギキョウが (scops)
2011-04-18 17:06:10
咲いたんですね。枝垂れ桜も立派です。
お父様、もう5年も経つんですか・・・。早いなあ。

被災地の皆さんも、いつの日かこの震災から復興されて、もうそんなに経つんだね、と振り返る余裕が出来る日がくるといいですね。
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scopsさん ()
2011-04-18 18:58:54
タニギキョウ、scopsさん達が調査のために言っている原生林にも沢山咲くんですよね。もうそろそろ今年の調査が始まるんじゃないでしょうか。
この枝垂れ桜が満開の時、あっけなく逝って5年になりました。

被災地の皆さんは、大切な方を亡くしても、思うだけの見送りもできなかったり、悲しみに泣いていることもできないのではないかと思いますね。復興も簡単ではないともいますが、みんなで応援して、まずは避難所暮らしから早く出られるようにと思いますね。
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こんばんわ~♪ (karina)
2011-04-18 20:43:51
風さん こんばんわ~♪

風さんところは5年祭やったがやねえ。
私も今年は父の10年祭をせないかん。
我が家でも父の植えた枝垂れ桜が大きくなって咲いちゅうけんど、早くも散りだした。

イワチドリはまだ咲かんき困っちゅう。
この調子やと新宮の展示会には間に合わん。
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ナポレオン (ohisama)
2011-04-18 21:46:17
先日のブログでナポレオンの名を目にして懐かしくなりました。
実家で大木になっていたナポレオン。
なんでも母が5歳の時(婿とりです)杏とともに植えたものだそうで、花の季節には2mほど離れたところにあった杏と咲き競っていて、ミツバチもブンブン飛んでいた情景が今でも思い出します。
サクランボの木は1本だけだったので、相棒がいるのかなと思いました。
実家ではオウトウと言って、ふんだんに食べていたので、実家を離れてから今まで、お金を出して買うということができません(笑)
雨にあたると実が割れてしまうので、雨が来る前に父がかごいっぱいに採っていました。
その庭も今では様変わりしました。子孫の住宅になっています。
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こんばんは ()
2011-04-18 22:27:03
karinaさん、この頃雨が少ないき降って良かったかもしれんねえ。karinaさん所は私より5年も前にお父さん見送ったがやねえ。今は昔のように家でご馳走構えんでもえい気その点は楽になったね。
イワチドリ、展示会などが決まちょったら、その日にえい状態にしたいき、やきもきするねえ。

ohisamaさん、ご実家の方はサクランボはこっちのミカンのように、どの家庭にも普通に有ったろうと想像します。
皆さんが植えちょったら、お互いの花粉が飛んでくるろうき、1本でも大丈夫やったがやねえ。
完熟サクランボ美味しいろねえ。こちらでは暖地サクランボなら良く育つけんど。山形などの様に美味しいサクランボは、出来んろうねえ。高知産サクランボや言うて売ってないもん。

育ったお家も建てなおしたり、ご両親も居なくなると段々遠くなりますね。実際の距離も遠いけんど(笑)
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おはよう! (箱庭)
2011-04-19 07:10:56
地方局で個人の家にギョイコウが咲いて近所で有名になっていると写っていました。
みどりの色が珍しいので話題になるのやろうけど、私は風さんところでもう何回も耳にしているので「ふぅ~ん、こっちではテレビに出るほど希少なんだぁ・・」と思いつつ見ました。
木は確かに立派で植えたおじいちゃんの自慢げな顔もアップで。笑

タニギキョウは日の射さない湿気の多い山道で見るねぇ。小さい花やけど、近付いて見るとそれは清楚で好きな花です。家で見られるやなんてええねぇ。
それより咲かせられた風さんはすごい!!
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箱庭さん ()
2011-04-19 08:13:17
おはようギョイコウ、それほどきれいな花ではないけんど、少ないので話題になるよね。子供の頃は緑の桜は校区内にはなく、花が咲いたら友達に持って行ってあげていました。ちょっと自慢げにね(笑)

タニギキョウ、木漏れ日の差すような谷間に群れて咲いていると感激するぜねえ。この寄せ植えは何時も湿ちゅう状態やったき良かったろうかねえ。この青い容器の底には何時も水を入れてある。(鉢は浸かってないけんどね)
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もう5年 (ジョルジュ)
2011-04-19 15:13:58
「年忌祭」という言葉そのものに 馴染みがありません。 
私たちは 亡くなって丸1年で1周期、丸2年で3回忌。
その次の年回忌は 丸6年の7回忌までありません。
この間が長くて、すごく寂しいのです。
そして 7回忌の頃までには 遅くとも 心が、いえ、生活も 落ち着いていて
7年忌の法要を済ませると ホッとするものです。

お父さまの枝垂れ桜、美しいですね。
大勢の人に親しまれる名所にしたいです。
いつか この桜の下で ご一緒にお酒をいただきたいです(笑)。
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