山田洋次とメディアリテラシー 関川宗英
撮影所システムの監督 山田洋次
山田洋次は、松竹に入社以来、松竹大船撮影所のみで仕事を続けた。同撮影所の閉鎖後は松竹京都撮影所に移る。撮影所を拠点とし、「山田組」とよばれる固定したスタッフや常連の俳優を使って映画を作ってきた。
撮影所システム(スタジオ・システム)はアメリカのハリウッドにおいて確立される。サイレントからトーキーへの流れは、資本の増加を伴った。つまり、映画を作ることは多大な金がかかる事業を意味するようになった。映画は、近代的な企業の資本の投入を受け、巨大な映画産業として発展していくなか、撮影所システムは出来上がっていった。
日本において撮影所システムができあがるのは、1930年代である。日本もアメリカ同様に、監督からスタッフ、俳優もスターから端役に至るまで専属であった。各映画会社には、売れっ子のスターがいて、そのスターを目当てに観客は映画館に足を運んだ。1958年には映画人口が11億人を突破するなど、映画は娯楽の殿堂として不動のものとなる。
山田洋次は1954年に大学を卒業して松竹に補欠入社する。そして、1961年、監督デビュー作、『二階の他人』をつくる。山田洋次は、日本映画の絶頂期に映画界入りした。
しかし、テレビの普及に伴い映画人口は激減、映画館数も1970年には半減する。1970年代になると、映画産業の斜陽によって各社は軒並み自社の撮影所を貸スタジオ化し、独立プロやテレビドラマ、CFの撮影もできるようにした。一方、専属スタッフや俳優も解雇していく。撮影所システムは崩壊していくことになる。
21世紀の今、現存する日本の映画撮影所は、東宝スタジオ、松竹京都撮影所、東映京都撮影所、東映東京撮影所、日活の日活撮影所など数えるほどしかない。その中にあって、山田洋次は撮影所で映画を作り続け、2010年の『京都太秦物語』まで82本の映画を作る。
「山田洋次」という作家性を語るなら、それは撮影所が映画の宝庫であった幸福な時代の延長線上に位置する。山田洋次は、日本映画の黄金期を源泉とする、撮影所システムの、最後の映画作家かも知れない。
映画の文化的価値
山田洋次を企業内監督と批判する向きもある。退屈なメロドラマを作り続ける松竹の中にあって、「庶民をユートピア的に賛美する」映画を作り続けたと明治大学院教授四方田犬彦は切り捨てる(『日本映画史100年』四方田犬彦)。しかし、この冬の新文芸座の「山田洋次監督映画祭」は期間中ほぼ満員であり、場内は連日のように笑いに包まれた。その笑い声は、昭和へのノスタルジーなどという揶揄を払いのける。映画を巡る饒舌はつきない。
20世紀を刻んだ映画は、今も人々を楽しませる。一方、映画を娯楽とは違った視点から見る人もいる。民俗学、歴史学、ある人は比較文化学…、またこれから先、多くの人が映画を娯楽とは違った見方で見ていくだろう。
ところで、映画は20世紀の人々を「戦争」に駆り立ててきた、という事実もある。アメリカ、ドイツ、そして日本…、世界の多くの国々は映画をプロパガンダとして利用してきた。映像の持つ力は、何億という人を一度に、いとも容易く騙す。映画が権力と結びつき、20世紀の悲劇を生んできた。
今私たちは、映画やテレビなどの映像メディアを受け身ではなく、批判的に受け取り、自らの判断で情報を選択する力(メディアリテラシー)が求められている。
高度情報化社会とメディアリテラシー
映画をいかに見るか。映像メディアの氾濫する今、いかに情報を読みとっていくか。高度情報化社会といわれる今を生きる私たちには、メディアリテラシーという新しいスキルが必要不可欠である。
学習指導要領は、明確にメディアリテラシー教育をうたっていない。メディアリテラシーの考えは、「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高める」いった表現に表れていると言えなくもない。また、インターネットの利用や携帯電話の使い方、著作権など情報モラルとしての学習を指摘することも可能だ。
しかし、現代社会に氾濫する情報メディアは、私たちの生活全般への影響にとどまらず、「情報化による生活世界の再編」という新たな現代的な課題を投げかけている。情報メディアは、社会構造、文化的内容をも規定する装置として機能している。
なぜなら、「わたしたちは、情報メディアが作り出す環境(メディア環境)がもたらす情報の網の目の中で、そして、情報メディアによって評価され方向付けられる傾向のある社会文化の中で、否応なくメディアに依存して生活している。」(『変わるメディアと生活』児島和人/橋元良明)からであり、さらに、
「メディアは、世界の出来事をありのままわたしたちに伝えるのではない。さまざまな事象を特定の視座から切り取り、一定の意味を付与してわたしたちに提示する。現在、わたしたちが構成する認知的世界は、こうしたメディアのフレームに基づいて形成され、また話題にのせるテーマ自体が、メディアによってすでに用意された議題リストに上がっているものの中から選ばれる。」(同上)とも言える。新たな情報技術が日進月歩で進化する情報メディアは、実態として社会の各領域に浸透し、社会的にも文化的にも大きな影響をもたらす装置として機能しているのである。
そのような映像メディアに囲まれた、高度情報化社会を生きている私たち。その社会の中でこれからさらに生きていく子どもたち。今、必要なスキルとは何なのか。学習指導要領のどの切り口からメディアリテラシーを実践できるか、考えていきたいと思っている。
撮影所システムの監督 山田洋次
山田洋次は、松竹に入社以来、松竹大船撮影所のみで仕事を続けた。同撮影所の閉鎖後は松竹京都撮影所に移る。撮影所を拠点とし、「山田組」とよばれる固定したスタッフや常連の俳優を使って映画を作ってきた。
撮影所システム(スタジオ・システム)はアメリカのハリウッドにおいて確立される。サイレントからトーキーへの流れは、資本の増加を伴った。つまり、映画を作ることは多大な金がかかる事業を意味するようになった。映画は、近代的な企業の資本の投入を受け、巨大な映画産業として発展していくなか、撮影所システムは出来上がっていった。
日本において撮影所システムができあがるのは、1930年代である。日本もアメリカ同様に、監督からスタッフ、俳優もスターから端役に至るまで専属であった。各映画会社には、売れっ子のスターがいて、そのスターを目当てに観客は映画館に足を運んだ。1958年には映画人口が11億人を突破するなど、映画は娯楽の殿堂として不動のものとなる。
山田洋次は1954年に大学を卒業して松竹に補欠入社する。そして、1961年、監督デビュー作、『二階の他人』をつくる。山田洋次は、日本映画の絶頂期に映画界入りした。
しかし、テレビの普及に伴い映画人口は激減、映画館数も1970年には半減する。1970年代になると、映画産業の斜陽によって各社は軒並み自社の撮影所を貸スタジオ化し、独立プロやテレビドラマ、CFの撮影もできるようにした。一方、専属スタッフや俳優も解雇していく。撮影所システムは崩壊していくことになる。
21世紀の今、現存する日本の映画撮影所は、東宝スタジオ、松竹京都撮影所、東映京都撮影所、東映東京撮影所、日活の日活撮影所など数えるほどしかない。その中にあって、山田洋次は撮影所で映画を作り続け、2010年の『京都太秦物語』まで82本の映画を作る。
「山田洋次」という作家性を語るなら、それは撮影所が映画の宝庫であった幸福な時代の延長線上に位置する。山田洋次は、日本映画の黄金期を源泉とする、撮影所システムの、最後の映画作家かも知れない。
映画の文化的価値
山田洋次を企業内監督と批判する向きもある。退屈なメロドラマを作り続ける松竹の中にあって、「庶民をユートピア的に賛美する」映画を作り続けたと明治大学院教授四方田犬彦は切り捨てる(『日本映画史100年』四方田犬彦)。しかし、この冬の新文芸座の「山田洋次監督映画祭」は期間中ほぼ満員であり、場内は連日のように笑いに包まれた。その笑い声は、昭和へのノスタルジーなどという揶揄を払いのける。映画を巡る饒舌はつきない。
20世紀を刻んだ映画は、今も人々を楽しませる。一方、映画を娯楽とは違った視点から見る人もいる。民俗学、歴史学、ある人は比較文化学…、またこれから先、多くの人が映画を娯楽とは違った見方で見ていくだろう。
ところで、映画は20世紀の人々を「戦争」に駆り立ててきた、という事実もある。アメリカ、ドイツ、そして日本…、世界の多くの国々は映画をプロパガンダとして利用してきた。映像の持つ力は、何億という人を一度に、いとも容易く騙す。映画が権力と結びつき、20世紀の悲劇を生んできた。
今私たちは、映画やテレビなどの映像メディアを受け身ではなく、批判的に受け取り、自らの判断で情報を選択する力(メディアリテラシー)が求められている。
高度情報化社会とメディアリテラシー
映画をいかに見るか。映像メディアの氾濫する今、いかに情報を読みとっていくか。高度情報化社会といわれる今を生きる私たちには、メディアリテラシーという新しいスキルが必要不可欠である。
学習指導要領は、明確にメディアリテラシー教育をうたっていない。メディアリテラシーの考えは、「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高める」いった表現に表れていると言えなくもない。また、インターネットの利用や携帯電話の使い方、著作権など情報モラルとしての学習を指摘することも可能だ。
しかし、現代社会に氾濫する情報メディアは、私たちの生活全般への影響にとどまらず、「情報化による生活世界の再編」という新たな現代的な課題を投げかけている。情報メディアは、社会構造、文化的内容をも規定する装置として機能している。
なぜなら、「わたしたちは、情報メディアが作り出す環境(メディア環境)がもたらす情報の網の目の中で、そして、情報メディアによって評価され方向付けられる傾向のある社会文化の中で、否応なくメディアに依存して生活している。」(『変わるメディアと生活』児島和人/橋元良明)からであり、さらに、
「メディアは、世界の出来事をありのままわたしたちに伝えるのではない。さまざまな事象を特定の視座から切り取り、一定の意味を付与してわたしたちに提示する。現在、わたしたちが構成する認知的世界は、こうしたメディアのフレームに基づいて形成され、また話題にのせるテーマ自体が、メディアによってすでに用意された議題リストに上がっているものの中から選ばれる。」(同上)とも言える。新たな情報技術が日進月歩で進化する情報メディアは、実態として社会の各領域に浸透し、社会的にも文化的にも大きな影響をもたらす装置として機能しているのである。
そのような映像メディアに囲まれた、高度情報化社会を生きている私たち。その社会の中でこれからさらに生きていく子どもたち。今、必要なスキルとは何なのか。学習指導要領のどの切り口からメディアリテラシーを実践できるか、考えていきたいと思っている。