chuo1976

心のたねを言の葉として

生まれてはじめてはいた靴下

2016-04-07 05:53:21 | 文学

生まれてはじめてはいた靴下

「私は、お父さんとお兄ちゃんの3人暮らしだった。
お父さんは、トンネルやダムの工事をする仕事で、仕事が入ると1か月、家に帰ってこない日もあった。
 お父さんがいないとき、家のことや私の世話はお兄ちゃんがしてた。
 小学校には行っていたよ。
 だって、給食が食べられるから……。
 お父さんが仕事でいなくなると、家でごはんは食べられなくなるから、給食のために学校へ行ったの。
 小学校のときの友だちには、会いたくないな。
 だって私、汚くて臭かったから……。
 毎日同じ体操服を着ていて、裸足で靴をはいてたの。
 自分では、自分が臭いのってわからないの、不思議だね。

 私は小さいときからずっと、お兄ちゃんの使いっぱしりだった。
 お兄ちゃんの命令は、絶対だった。
 命令をきかないと、お兄ちゃんは私をいっぱい叩いた。
 お兄ちゃんが中学生になると、命令をきいてもきかなくても、お兄ちゃんは私を叩くようになった。
 家に遊びにきたお兄ちゃんの友だちも、私を叩いたり蹴ったりして笑っていた。
 私を叩いたり蹴ったりして、私が鼻血を出したり、立てなくなったりすると、ほんとうにおかしそうに大声で笑っていた。

 私が5年生の冬のある日、私の家におとながたくさん来て、『これからは安全な場所で生活するよ。お兄ちゃんとは少し離れて生活するよ』って言われて、突然、施設で暮らすようになった。
 はじめて施設に行った日に、施設の人が、私の足の裏を見て、『カサカサだね。ずっと痛かったでしょう』って言いながら、クリームを塗って靴下をそっとはかせてくれた。
 生まれてはじめてはいた靴下。
 うれしくて、胸がドキドキした。
 施設の人に、お兄ちゃんが別の施設に行ったと聞いたけど、お兄ちゃんも靴下はかせてもらっていますか? って聞きたくて、でも、聞けなかった」

――「はじめてはいた靴下」(石川結貴・高橋亜美編著『愛されなかった私たちが愛を知るまで/傷ついた子ども時代を乗り越え生きる若者たち』所収、かもがわ出版、2013年)

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