「秋」 藤本トシ
今年もコスモスの季節になった。空はどんなに美しいであろう。深々と澄んだ蒼さを思い浮かべていると、そのなかで・・・あの可憐な花が揺らぐ。コスモスは洒落た洋館の庭にあってもいい。炊煙のなびく藁屋の背戸でも調和する。山村の駅のほとりに、ひっそりと寄りそって咲いていた一叢の薄くれないの花を私は今でも忘れない。
コスモス。私はこの花がもとから好きではあったが、とりわけ二、三年まえから心をひかれるようになってきた。これには理由がある。
私の眼が明らかだった時のことである。ある夜四、五人の友と雑談を交していると、そのうちに玉枝というまだ新患の娘が自分の過去を話し始めた。
彼女は中流の家庭に育ったらしい。しかし病気になると物置が少し改造されて、そこが彼女の住居になった。そのうえ戸外に出ることを一切禁じられてしまったのである。若いみそらで、明けても暮れてもがらくたと同居である。窓さえめったに開けられない薄暗い小屋での生活は、気が狂うほど侘しかったという。
この辛さに耐えかねたある日、彼女は世間がまだ寝しずまっている夜明け前に、窓からそっと抜け出した。むろん跣(はだし)である。さいわい町はずれだったので、草原でも土手でも歩くところは広々としていたらしい。そこで思いきり外気を吸って、東天がやや白みそめると、幽霊のように慌てて墓所へ帰った。
墓所、彼女は自分の住居をそういうのである。この秘密は誰にも漏れなかった。味をしめた彼女は、それから毎日お天気でさえあればこの冒険をやったのである。
「ほんまに、あのときの星空の美しかったこと。残り月の清らかだったこと。野川の音や穂草のそよぎまでが全く絵のようでな、この世のものとは思われんほどやった」。彼女はこう術懐した。
ある朝、例のごとく暁光に追われて急いで野路を帰っていく途中、土橋の上まで来ると、一茎のコスモスがしっとりと露にぬれて落ちていた。誰が落としたのであろう・・・などと考えているひまはない。彼女はそれを奪うように拾うと駈けだした。
がらくたの中から小瓶を探し出すと、彼女は洗面の水を節約してそこへ入れた。それにコスモスを挿したのである。墓所の中のたった一つの彩り。彼女はそれを、とみこうみして飽くことを知らなかった。が、油断はできないのである。家人に見られたら外出したことがばれてしまう。それこそ一大事である。彼女は恟々として、かすかな跫音でもすばやくそれを押入れに隠した。
はかない楽しみである。それも長く続く筈はないのである。数日後、花はとうとう彼女の膝で散ってしまった。
「家の人に内証やから、その花屑を捨てるのに困ったやろう」
誰かが聞いた。彼女の答はこうであった。
「いいや、花はなんにも捨てやせん」
「じゃーどうしたんや・・・」
「わて・・・何もかも食べてしもうたもん」
「まあー」
友だちはどっと笑った。実は私も奇異に感じたのである。発病後のくらしが、私のほうがやや幸福だったのか、それとも、更に深い苦悩の日々であったのか、ともかく少しずれがあってその気持が呑み込めなかったのである。
・・・・・・
その後私には失明という打撃があった。手足の感覚がないので、口で物を確かめるより仕方がなくなったのである。初めのうちは唇が大方その役を引受けてくれていたのだが、しだいにおぼつかなくなってきて、近年では舌がそれに代わるようになった。来る日も来る日も、生活する為の物に、舌はまず体当たりして、それを私に教えてくれるのである。あるとき私はマーガレットの花を貰った。へやの飾りとしてのものには、遠慮なのであまり触れないが、自分のものとなると、専用の花筒に入れて心おどらす私なのである。このときも、一日にいくど探りにいったことか。二、三日たっての朝、私は顔を洗うとすぐ、マーガレットにキスの挨拶にでかけた。終えてから静かに筒を置こうとすると、舌先に花びらが残っていた。散る時が来たのであろう。私はそう思いながら、しごく自然にその花びらを食べてしまった。そしてやっと思い当たったのである。あのときの、若い友の言葉が━━。
病苦と、孤独に苛まれていた乙女の心は、拾った瞬間から、コスモスと一体になってしまったのである。芯を食べようと花びらを食べようと、それはあたりまえだったのだ。一体なのを具象化しただけなのだからである。私は晴ればれとした。
私の肩をそって撫でて、朝闌の風が過ぎた。甘藷が焼けているのであろう。隣室から秋の匂いがもれてくる。
1963年(昭和38年)