毎日新聞 3月13日 14面
寄稿 「源氏物語」を訳し終えて(一部抜粋)
作家、角田光代さんによる現代語訳『源氏物語』全3巻が完結し、「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」(河出書房新社)全30巻の最後を飾った。角田さんに寄稿してもらった。
あの時、あの場所にいかなければあの人に会わなかった。できごとというのは、大きなものも、小さなものも、そんなふうにして起こる。
私たちが動くからできごとが起き、そのできごとが私たちを巻き込んでいく。
それは千年前も今もまったく変わらない。
あのとき、風さえ吹かなければ。
あのとき、メールさえ送っていれば。
あのとき、帰る人を引き留めなければ。
あの時、一本前のバスに乗っていれば。
あの人に恋をしなければ。
あるいは、あの人に恋をしていれば。
ひとつひとつのできごとは連鎖して、新たな展開を生み続けていく。生まれる新たな局面は、望ましく、晴れがましいときもあれば、残酷なほど不幸なときもある。何かをした、あるいはしなかっただれかの運命が変わるだけではなくて、周囲の人たちも巻き込まれ、運命は波紋のように変化し続ける。
この「あのとき」だって、起きているさなかはだれも気づかないのだ。何かが起きて、変わってしまってはじめて、ああ、「あのとき」だったと思う。
でももう「あのとき」には戻れない。因果だとか、宿世だと納得するしかない。
若く自信に満ちた光君は、そんな偶然も必然に変える力も持っていた。
彼こそが運命の繰り手のようだった。
けれどそんな光君も加齢し、運命を手繰る力も弱くなり、やがて、光が消えるようにいなくなる。残るのは制御できない偶然ばかり。
光なき下界で生きる人間たちは、偶然にも自身の感情にも翻弄される。
何もかもが手に入る人生と、何ひとつ思いどおりにならない人生は対極であり、前者を幸福、後者を不幸と私たちは分類するけれど、この長い物語と大勢の人たちの生を駆け抜けてみると、そんな分類に意味はないと思ってしまう。
背負わされた運命を、連鎖するできごとに翻弄されながら人は生きるしかない。因果も宿世も信じない千年後の私たちも、それは同様だ。
動き続ける物語から振り落とされないよう、必死でついていくと、ふっと、本当にふっと物語は終わる。このラストにぽーんと放り投げられたような気持ちになったのだが、今も私は着地点を見つけられずに中空を彷徨っている気がする。
(かくた・みつよ)