アリアドネの糸~正しい道への道しるべ
アリアドネはギリシャ神話の女神。英雄テセウスのミノタウロス退治を助けた。
壮大な迷宮ラビュリントスに入り、怪物ミノタウロスを退治した英雄テセウスは、アリアドネが渡した糸を使って迷宮を脱出することができた。
「壁の中の沈黙 『アルジェの戦い』について」(『薔薇と無名者』1970年 芳賀書店)
松田政男
白壁の高層アパートが起伏に富んだ首都近郊の台地にハモニカのように連なれば天下泰平のシンボルとしての私たちの団地群となるけれども、背後にすぐ山岳地帯が迫るアフリカ北部アルジェの町で天まで届くかのような石段の両側に煉瓦造りのアパートがひしめきあってスラムを形成すると、そこは、破壊と叛逆の拠点カスバと呼ばれる。ジロ・ポンテコルボが『ゼロ地帯』以後五年の歳月を費やしてつくった映画『アルジェの戦い』の主人公は、いわばこのカスバの町そのものと言ってよいが、むろん全篇を貫くアリアドネの糸は、さながらカスバの申し子のごとくに登場し、成長し、惨殺され、そして転生する青年革命家アリ・ラ・ポアントの短い生涯である。したがって、製作もまたイタリアとアルジェリアの合作ということになる。
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街頭でのデンスケ賭博とフランス人コロンの青年たちとの喧嘩によって何度目かの刑務所行き経験したアリは、そこで、初めて、FLN(民族解放戦線)のメンバーと接触するが、しかし、アリの生涯のなかに最初に介入してきたその革命家は、次の瞬間、ギロチンの一閃によって処刑されてしまうのであって、いわば常に「死」を媒介とせざるをえないところの連帯が以後のアリの運命となることをこの源初の政治体験が暗示しているといえる。数ヵ月後、アリは脱獄し、獄内組織からのレポによって最初の任務――警官殺しを与えられる。これは、実は、アリがスパイであるかどうかを試すテストであるけれども、下層階級出身のひとりの非行青年アリは一挺のピストルを手にすることによって戦士の道を、一歩、踏み出すのであって、ヨリ正確に言うならば、武器を媒介することによってアリは革命組織の一員となるのである。このことは決定的に重要である。エンゲレスのパロディで言うならば、人間から戦闘者への進化するにあたっての武器の役割、が持つ意味を、私たちは徹底的に探らなければならないのだ。
たとえば、斎藤竜鳳いうところの代々木士官学校へ私が入ったのは一九五〇年十一月、朝鮮戦争開始後半年のことであったが、当時高校二年生であった私に、わが日本の革命組織は一挺のピストルを与えたか? もちろん否。せめて一本の棍棒は? これも否である。私に渡されたのは、おそらくは斎藤竜鳳をはじめとするもろもろの同窓生諸公と同じように、数冊のパンフレット、であった。読むために? 否。売るために、である。来る日も来る日も、私たちは、戸別訪問をやり、平和署名を集め、パンフを売り、ビラを貼った。何処に? のちに五・三〇事件の交番襲撃で有名になった旧中仙道が環状7号線と交差する手前の岩之坂(東京都板橋区)一帯にである。
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一九五四年十一月一日に始まるテロルのクロニクルの、まさにドキュメンタルな描写が、アリの回想シーンの前半の圧巻である。ヨーロッパ人街の小綺麗なレストラン。圧政と搾取の上に笑いさんざめくフランス人のコロンたち。中央のテーブルでは幸福そうな一家の食事が続く。無心にアイスクリームをなめる赤ん坊。ベールをはずし、髪を切り、口紅までひいた女戦士がバッグに時限爆弾を忍ばせて入ってくる。隣のフランスの女の子の椅子の下にバッグを押し入れる。赤ん坊のクローズアップ、アイスクリームはまだ残っている。戦士はさりげなく店を離れる。アイスクリームはほとんどもうない。赤ん坊の口許はべとべと。轟音、閃光。全員即死、レストラン崩壊。このテロルには一かけらの感傷もない。その意味で、アルジェリアの戦士たちは、サヴィンコフやカリヤーエフらロシア・テロリストの面々よりも、むしろフランス・プロレタリア―トの父オーギュスト・ブランキとその徒党に似ている。長い抑圧のもとで、本国フランスのプロレタリアートが忘れ去ってしまったブランキズムの精髄が、植民地アルジェリアに不均等によみがえったのである。
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「アリ、どうして黙っているのだ。返事をしないのか」とマチュウは問い、壁は無言でその問いをはね返す。壁の中のアリは同志たちに呟く。「あいつらと語るコトバなんか持っていない!」ダイナマイトが仕掛けられ、秒読みが始まり、壁は依然として応答なく、アリは死ぬ。サナダ虫の最後の頭部はつぶされ、カスバの叛徒は以後なりをひそめるにいたる。そして三年後、一九六〇年十二月、カスバの階段は、突如、全民衆の蜂起によってみちあふれる。アルジェリアの独立と自由を叫ぶ大デモンストレーションはヨーロッパ人街にまで流れ出し、暴動は一週間にわたってつづく。それはもはやサナダ虫ではなく、さながら怪獣サナラである。ナレーションは言う。「このデモがなぜ起こったのか誰もわからなかった。アルジェリア臨時政府(革命政権)でさえもわからなかった。」――さらに二年後、一九六二年七月五日、アルジェリアは独立する。(一千万の人口のうち百万人が殺され、その結果、人口分布は三十歳前後が極端に凹んでいると言われる。)『アルジェの戦い』は終わるのだ。