『わがフランス映画史』 山田宏一 1990年 平凡社
それともう一つ、これはジャン・ルノワールの持論だったが、芸術的発見というのはつねに技術的発見に結びついているということ。つまり、チューブ入りの絵具が発明されて、若い画家たちが絵具を自由に持ち歩いて自然のなかで絵を描けるようになったからこそ印象派の絵画が生まれたように、映画の技術革新がヌーヴェル・ヴァーグの誕生を可能にしたことも見逃してはならない。その技術革新が高感度フィルムだった。ある日、わたしの甥のフランソワ・レシャンバックが、そのころはまだ画商をやっていたのだが、モロッコへ行ったときに、タンジェの男娼館についての映画を撮ってきた。彼はホモセクシュアルなので、男娼館に入って、そのなかの情景を取ってきたのです。完全なアマチュア映画です。わたしの眼をひからせたのは、もちろん、わたしにはホモセクシュアルの趣味はありませんから(笑)、そこにとらえられた男娼たちの姿などではなく、暗い男娼館のなかを見事に鮮明にとらえたその撮影でした。夜の室内のシーンを、たぶんフラッド・ライト一本で撮ったものでしょう。「照明もセットせずに、あんな暗いところをどうやって撮れたんだ?」ときくと、「アメリカの新しい高感度フィルムを使った」とのこと。これこそ、印象派を生みだしたチューブ入りの絵具に匹敵するものでした。ライティングなしに、自然光で、つまりは素人でも、いつでもどこでも撮れる高感度フィルムの存在をジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーに知らせました。当時、このすばらしい発明をフランスの撮影所の技術者たちが知らなかったわけではない。知っていたけれども、知らぬふりをして黙っていたのです。アマチュアでも映画が撮れるようになっては彼らの仕事がおびやかされることを察知していたからでしょう。その意味では、遅かれ早かれ、ヌーヴェル・ヴァーグは来るべくして来るものだったのです。(ピエール・ブロンベルジジェ ルノワール、ヌーヴェル・ヴァーグを育てたといわれるフランス映画のプロデューサー)