河瀬直美監督「千年後の未来にも残る映画をつくり続けたい」
カンヌ国際映画祭の2020年オフィシャルセレクションに選ばれるなど、世界的に高い評価を受ける河瀬直美監督の最新作「朝が来る」が公開中だ。 直木賞作家・辻村深月さんのヒューマンミステリー小説の映画化に挑んだ河瀬直美監督に話を伺った。
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「この小説はきっと女性監督にしか撮れないのではないかなと映画化をすすめられました」
河瀨直美監督はそう言ったが、テーマにしろ演出にしろ「朝が来る」は女性監督という以上に、河瀬監督だからこそ産声を上げた映画に違いない。
映画は「特別養子縁組」を巡って2人の母を中心に展開するヒューマンミステリー。一度は子どもを持つことを諦めた栗原佐都子(永作博美)と夫の清和(井浦新)が、「特別養子縁組」という制度を知って男の子を自分の子として迎え入れる。
それから6年、夫婦は朝斗と名付けたその子とともに幸せな日々を送っていたがある日、朝斗の産みの母親・片倉ひかり(蒔田彩珠)を名乗る女性から電話が入る……。
河瀬監督は、小説で心引かれた場面がいくつもあった。真っ先に思ったのは、あえて必要がない朝斗の視点だ。
立場の異なる女性2人を描くのに、どちらかの視点で物語を構成しなくてはならないところに彼の視点を入れたことで、2人の母と息子の三角関係を表現した。「極めて映画的だと感じた」と河瀬監督。
「養子縁組をした夫婦は後ろめたい気持ちを持って子育てをしているのではないかと思っていましたが、そんなことはありませんでした。むしろ私たちを選んできてくれた子どもということでその出会いを慈しむようにすごく大切に子育てを楽しまれています。また子どもの斡旋(あっせん)団体に勧められることもあって、(母が2人いるという)『真実告知』も小学校に上がるまでにされています。現状を知るほど今まで抱いていた養子縁組のイメージが払拭(ふっしょく)されていきました」
河瀬監督自身、(祖父の姉夫婦の)養女として育てられたが、「特別養子縁組」という制度は知らなかったと言う。映画は社会を映す鏡。養子縁組にまつわる不妊問題も心に引っ掛かった。
「佐都子を描いた前半は自分ごとのようでした。問題の本質は、女性の社会進出や卵子の老化といったことだけではないのではと感じました。たとえば、日本で不妊治療といえば女性問題になっています。ニュースで聞くのは女性の高齢出産と不妊治療がほとんどです。男性不妊を特集することはめったにありません。そこも日本社会は本質を隠しているのではないかと思ったんです」
冒頭で「河瀬監督だからこそ」と書いたのは、テーマだけのことではない。監督独特の「役積み」という撮影手法にも改めて納得した。俳優は登場人物として「時間を積み重ねること」が求められる。
朝斗のことで逡巡(しゅんじゅん)する佐都子の“母親”としての微妙な表情は一朝一夕では出てこない。不妊の原因が自分にあったと知って悩む清和を演じる井浦さんが脚本にないセリフを口にしたのは、そうした男性たちの思いが自身の血となり肉となったからだ。
「永作さんと井浦さんには事前に養子縁組をした何組かの夫婦との面談もしてもらいました。さらに、井浦さんには夫である男性たちの話を聞いてもらいました。男性不妊の場合、夫のほとんどが離婚を考える。自分でないなら妻は子どもを持てるからです」
「佐都子と清和はもともと建築会社の同僚なので、2人には実際にオフィスで働いてもらいましたし、デートもしてもらい事前に思い出を作ってもらってから本番を撮影しています。朝斗役の佐藤令旺(れお)君は、リアルな感情が出てくるまで待ちました。永作さんのおなかを触り、『ここにいたのー?』という言葉はセリフではなく、本当にそのまま出てきたもの。彼が永作さんの膝(ひざ)に寝そべって耳かきをしてもらっているのは、永作さんをお母さんだと思って安心しているからです」
映画の素晴らしさに河瀬監督が衝撃を受けたのは18歳の時。「今この瞬間をとどめることはできないと思っていたものがよみがえってきた。ものすごいものに出会ってしまった」という、その気持ちは今も変わらない。
1997年に「萌(もえ)の朱雀(すざく)」でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を受賞して以後、国内外で華やかにキャリアを積み重ねてきたが、やはり苦労した時期はあった。
女性は結婚、出産をしたらどうしても時間がとられる。たとえ夫に理解がある夫婦であっても、その両親や周りから「あの嫁、何やっているんだ」と思われることもある。その点では映画監督も会社員も変わらない。河瀬監督にとって励みになったのが、助産師さんの言葉だ。
「『子育ては1人でしなくていいんだよ。地域が支えたっていい』と言ってくれていました。だから、私も息子が小さい時はお話の会などを開いて子どもが遊んでいる間、お母さんたちと茶話会をしながらたわいない話をする時間を作っていたんですよ」
「さらに、『いい妊娠期間を過ごすといい出産ができるし、いい出産ができればいい子育てにつながる。それがイコール人間力、人間としての強さにつながるので、仕事にも生かされるから焦らなくていいのよ』と。女性の生き方を支えていきたいという助産師さんの言葉に助けられました」
言葉には人を生かす力がある――。
カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した「殯(もがり)の森」の撮影は、キャリアの中でも子育てと介護でかなりつらい時期だった。
息子と一緒に朝ごはんを食べて、保育園へ送って、ロケ地の奈良の山へ養母と共に行き、出演者としてそこに居てもらう。夕食は撮影スタッフのごはん係に余分に作ってもらっておいて、それを持ち帰り息子と養母で食べる。夜間撮影があれば、子どもを寝かしつけてから現場へ戻る。育児だけでなく軽い認知症の症状が表れていた義母の介護にも直面した。そんないちばんしんどい時に救いになったのも息子の言葉だった。
「『しんどかったらやめたら?』って言ったんです。その時、『あ、やめていいんだ、頑張ってなくていいんだ』と荷が軽くなりました」
その息子も16歳。母の背中をずっと見てきたからだろう。昨年初めて「将来は映画の道へ進みたい」と言った。実は彼、「朝が来る」ではひかりの従兄弟(いとこ)役で出演したほか、スタッフの1人として「照明部の一番下っ端で働いてもらった」と監督。そう話す彼女の笑顔はまさに子どもの成長を喜ぶ母としてのそれだった。
今後の作品の予定を尋ねると、東京五輪の公式映画監督でもあるだけに五輪が終わるまで映画制作の仕事はいれていないという。もっとも先行きが不透明な今、自身の気持ちも日々揺れている。何を表現したいのかもはっきりわからないという。そんな中で、現在喜びを感じているのが人をつないだり人を育てたりというプロデュース的な仕事だ。
「今年で10年目を迎えた『なら国際映画祭』では、新しい世代のためのユース(Youth)ワークショップを開催。三つの部門「映画制作」「審査員」「宣伝配給」がある、つくる、観(み)る、魅(み)せるの3本柱は、それらが存在して初めてお客様に映画が届く。10代のYouthが達成感をもって一つの場をやり遂げている姿を見ると未来を感じます。学校では成績だけで判断されたりするので、彼らに自由な場がない。芸術の世界はある種、正解も不正解もなく、自分がこうだと思うことを表現していく。そういう場は絶対必要だと思っています」
「ただ、そのためにはコミュニケーションが必要。それを奈良という長い歴史を誇る土地でやっていきたいという想(おも)いがあります。大仏様はすごいですよ。1300年近くも前からずっと私たちの近くにいらっしゃる。私も千年後の未来にも残り続け見てもらえるような映画を創りたいです」
生きることは競争することではないから、だれかと比べることはしない。一歩ずつ着実に歩んでこそ、1千年先に続く未来が開けるのかもしれない。
(文・坂口さゆり 写真・馬場磨貴)
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河瀬直美(かわせ・なおみ)
奈良県出身。映画作家。1997年、「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭カメラドールを受賞、2007年「殯の森」でグランプリを受賞。13年、同映画祭コンペティション部門の審査委員に就任。15年、「あん」が国内外で大ヒット。17年、「光」がカンヌ国際映画祭エキュメニカル賞を受賞。故郷の奈良において「なら国際映画祭」をオーガナイズしながら次世代の育成にも力を入れている。東京2020オリンピック公式映画監督、2025年大阪・関西万博プロデューサーに就任。現在公開の「朝が来る」が米アカデミー賞国際長編映画賞候補として、日本代表選出が決定。
※河瀬直美監督の「瀬」は旧字体が正式表記
映画「朝が来る」
一度は子どもを持つことを諦めた栗原清和(井浦新)と佐都子(永作博美)夫婦だが、「特別養子縁組」という制度を知り、男の子を迎え入れる。それから6年、夫婦は朝斗と名付けたその子とともに幸せな日々を送っていた。ところが、ある日、朝斗の産みの母親片倉ひかりを名乗る女性から「子どもを返してほしいんです。それがダメならお金をください」という電話がかかってくる。夫婦はそのひかりと会うことにするのだが、目の前に現れた女性はかつて2人が一度だけ合った少女の姿はみじんもなくて……。
監督・脚本・撮影:河瀬直美 原作:辻村深月『朝が来る』(文春文庫))出演:永作博美 井浦新 蒔田彩珠 浅田美代子 佐藤令旺 田中偉登/中島ひろ子 平原テツ 駒井蓮/利重剛ほか。当初6月公開予定だったがコロナ禍で延期になった本作。現在公開中
(c)2020「朝が来る」Film Partners