『映画監督 山中貞雄』 加藤泰(キネマ旬報社 1985年)
山中貞雄は、昭和十二年(一九三七)正月、敬愛する先輩、小津安二郎に、東京に出る決心をこう書き送った。
これからの人間 矢張り東京に出
ないと駄目だと 一人息子(小津
監督の第一回トーキー、昭和十一年
九月十五日封切り、キネマ旬報ベ
ストテン第四位)の先生の気持ち
です。PCL(東宝映画の前身)で
とんかつ作るかもしれませんが、
兎に角江戸へ出たくて たまりません
そして三月、山中貞夫は東京への汽車に乗った。
しかし、ぼくは、山中貞雄の世界は「恋愛」だと思う。「恋愛」における男心と女心の葛藤だと思う。それを描いて土壇場まで行くと、どうしようもなく違う男と女の、相剋にぶつかる。「抱寝の長脇差」の源太は渡世に生きるを取って恋愛を捨てる。お露はどこまでも恋愛一筋の、ど迫力である。「小判しぐれ」の太郎吉は、およねの無事を願うゆえにと、己を捨て、恋愛を捨てる。およねは無事よりも何よりも恋愛である。だから男が怨めしい。ヤケクソにもなる。これも、ど迫力である。そんな相剋を描いて何になる。何になる、彼になるよりも、人間が人間である限り、男と女、二種類の生物である限り、わかっちゃいるけどやめられず、ひっかかってしまうのが恋愛である。そこでジタバタする。そのジタバタが、真剣で、一所懸命のとき、なぜか人間は美しい。その美の表現――。それをチャンバラ専門の寛プロで、勇敢にやってのけたの青年監督、それが山中貞雄だとぼくは思うのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます