孫文そしてウクライナ 関川宗英
台湾の高校では、「軍事訓練」がカリキュラムに組み込まれているそうだ。芥川賞作家の李琴峰が朝日新聞(「国家に領有される個人」2022/3/29)に書いていた。
毎朝の朝礼では、国歌を斉唱し、国旗掲揚式を行う。そして、国旗と孫文の肖像画が掲げられている「司令台」から、教師の長い話がある。
また、高校では「三民主義」という授業があって、孫文の思想を学ぶのだという。
中国の革命家、孫文。中国建国の父として、台湾でも中国でも崇められている。中国国民党が台湾を建国してから、有事に備え、ナショナリズム発揚のために孫文は称えられてきたのだろう。
かつて孫文は日本にも亡命し、アジア主義を唱える多くの日本人革命右翼とともに行動して資金を集め、中国の革命を成し遂げようとしていた。
孫文は中国の革命を実現する前に病没してしまうが、その死の前年、神戸で行われた「大アジア主義」の講演は、今の日本の混迷を予言するような言葉があり、今なお考えさせられるものだ。
孫文の「大アジア主義」
講演は、1925年12月28日、県立神戸高等女学校で行なわれた。
当時、孫文は西洋のアジア支配に対抗するために、中国、朝鮮、日本が連帯して新しい国づくりを進めるアジア主義を掲げていた。アジア主義に賛同する宮崎滔天や頭山満など日本の思想家も、亡命中の孫文を助け、資金集めに協力していた。しかし日本は、1910年の「日韓併合」、1915年の「対華二十一か条要求」など、覇権主義的な動きを見せるようになっていた。資源のない日本が、近代国家を実現するために、中国などの資源に活路を見出そうとしたためだ。
一方、中国国内では1919年の「五=四運動」など反日ナショナリズムが渦巻くようになる。
そんな情勢下の講演だったが、孫文はまず日本を礼賛することから始める。
然し乍ら、それより十年を過ぎて日露戦争が起り、其の結果日本が露国に勝ち、日本人が露西亜人に勝ちました。これは最近数百年問に於けるアジア民族の欧州人に対する最初の勝利であったのであります。此の日本の勝利は全アジアで影響を及ぼし、アジア全体の諸民族は皆有頂天になり、そして極めて大きな希望を抱くに至ったのであります。
「日露戦争は西洋の進出にブレーキをかけたという点で、世界史的な大事件であった。第2次世界大戦後、新たに独立した国々の指導者の中には、若いころに日露戦争における日本の勝利を知り、発奮した人が多かった。」と北岡新一も書いていた(『日本政治史』)。
「アジアで初めてロシアに対する圧力をかけ始めたのが日本です。引き続きその継続をお願いします」とゼレンスキー大統領も3月23日の国会演説で訴えている。
当時、日本はアジアの希望だった。孫文も中国の革命を目指す中、日本に期待するものは大きかっただろう。
しかし、日本は、西洋の帝国主義に対抗するアジアの一国ではなく、欧米列強に比肩しうる新たな帝国として覇権主義的振舞いを露骨にするようになっていた。
孫文は、次のような言葉で講演を締めくくった。
貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります。(「孫文選集」1966)
日本が「西洋覇道の鷹犬」となるか、「東洋王道の干城」となるか。孫文の願いは叶わず、日本は帝国主義的な支配をアジアで実現していく。太平洋戦争下、2000万人以上ものアジアの人々の命を奪った。その末路は、1945年の敗戦だったが、それは日本の「西洋覇道の鷹犬」となった成れの果てだった。
それから80年、日本は奇跡的といわれる経済復興を成し遂げたが、本質的に「西洋覇道の鷹犬」のままだ。
竹内好はそんな日本を、西洋近代を何の抵抗もなく受け入れた「優等生文化」、「主体性の欠如」と切り捨てた。
一方、封建的な清国を倒し、貧困に苦しむ人のいない平等な社会を目指していた孫文だが、今中国の共産主義と中華思想による覇権主義が国際秩序を脅かしている。習近平の中国は、100年以上前の「屈辱の清算」を国家戦略の基本とし、政治、経済ばかりでなく、国際社会が築き上げてきた自由や民主主義への脅威となっている。
火炎瓶で抵抗するウクライナの人々
ロシア軍によるウクライナ侵攻が2月24日に始まってから1カ月余りが過ぎている。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の発表によれば、ウクライナから近隣国への避難民は3月29日時点で400万人を超える。そのほとんどは女性と子供だ。
ウクライナは「国民総動員令」を発令し、18~60歳男性の出国を禁止している。多くのウクライナの人々が、国を守るために戦っている。ウクライナの国防省は火炎瓶の作り方を紹介し、敵を無力化して欲しいと市民に訴えているという。
冒頭の朝日新聞の記事で李琴峰は、現在のロシアによるウクライナ侵攻について、次のように書いている。
安全なところにいながら「ウクライナは徹底抗戦しろ!」と煽(あお)るのも、「これ以上犠牲を出さないためにウクライナは降伏すべきだ」とすまし顔で論じてみるのも、無責任極まりないだろう。
そのうえで、「国家とは一種の信仰だ」「国家は共同幻想」と述べている。
「ウクライナとロシアは歴史的に一体だ」というロシアの主張も、「台湾は中国の神聖にして不可分の一部だ」という中国の主張も、その類の物語だ。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、連日の戦況を伝えるニュースは、中国と台湾のような国の緊張を否応なく高める。もし台湾有事となれば、「西洋覇道の鷹犬」日本はどのような立ち位置をとるのか。安倍政権時、集団的自衛権行使を可能とした日本は、自衛隊を出動させるのか。
李琴峰は朝日の記事で、「私が信仰しているのは自由だ」と書いている。国を信仰することより、個人の尊厳を大切にしたいということだろう。
そしてさらに書く。
自由を信仰するのは、国家を信仰するより遥かに難しい。
李琴峰の言葉は今回のロシアの暴挙に対して、戦略的な解を提示しているわけではない。しかし、彼女の言葉は、勇気を与えてくれる。そして、市民社会は、自由を求める多くの人々の意志と行動に支えられていることを思い起こさせる。
アルジェの戦いは、多くの犠牲者が独立を勝ち取ったことを教えてくれる。八紘一宇、皇国史観のもと、最後は竹槍、本土決戦を叫んでいた国があったことも私たちは知ってる。
誰にとっても大切なものは、平穏な毎日だろう。大切な人とすごすことや美しい音楽に心ときめく時間など、そんな平穏な毎日は、自由と平等を求める多くの人の願いと努力によって実現される。
国を守ること、民族を守ることの大切さ。一方、ナショナリズムに翻弄されることの愚かさ。私たちは、歴史を鏡にして、考え続けなければならない。
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