ぐんぐんと夕焼の濃くなりきたり 清崎敏郎
歌人の命のかけら映す 山川冬樹 歩みきたりて(大島)
足元の土をならして書きつける孤独の文字をよぎる蟻(あり)一つ
大島に生きた歌人、政石蒙(まさいしもう、1923~2009)が初めて詠んだ歌だ。
愛媛県松野町生まれ。15歳のころ、ハンセン病になった。「病を気づかれないまま死んでゆける」と陸軍へ。だが、捕虜としてモンゴルに抑留され、病を悟られた。隔離された小屋で、壮絶な孤独をかみしめる日々。魂の叫びが歌になった。
作家の山川冬樹さん(45)はその足跡をたどり、「命のかけらを拾っていった」。松野町、モンゴル、復員後に六十余年を過ごした大島。先々で政石の作品を朗読し、映像に残した。
ハンセン病療養所の旧寮に、3カ所で撮った映像を並べた。大島で一節が読み上げられたと思うと、次はモンゴルへ。別の一節は松野町で。政石が歩んだはるかな道のりを、言葉は自由自在に行き交う。
2019/4/26 朝日新聞
天の職 水田 祐助
2019/5/10
http://terayama2009.blog79.fc2.com/blog-entry-9270.html
お握りとのし烏賊と林檎を包んだ唐草模様の紺風呂敷を
しっかりと首に結んでくれた
親父は拳で涙を拭い低い声で話してくれた
らいは親が望んだ病でもなく
お前が頼んだ病気でもない
らいは天が与えたお前の職だ
長い長い天の職を俺は率直に務めてきた
呪いながら厭いながらの長い職
今朝も雪の坂道を務めのために登りつづける
終わりの日の喜びのために
ふと、この詩を思い出した。感動したり、心に響かないと思い出さない。
らい文学の詩や短歌を知って初めて、繰り返し、暗記できるくらい読まないと、自分の血となり肉となったりしないことに気づかされた。
それまでは、一度読んだら、読んだ気になっていた。
農業を始めてからは、本など読む余裕はなかったし、読む気もおこらなかったが、それ以前は「無職」の期間が何度も繰り返しあったので、その時、暇つぶしに読んだのが読書経験である。
ただ、その頃の読書はあまり記憶に残っていない。
自分の本当の読書と言えるのは、還暦後に初めて知ったハンセン病文学だった。まだ6年ほどだが、読書に年齢は関係なく、読んで感動したり、没頭できたり、心が洗われたり、癒されたりしたら、それが読書である。
そういう意味では、初めての読書と言える。
ただ、読書は単なる趣味の問題だから、それによって人格が向上するわけでもなく、収入につながるわけでもなく、手に職がついたりすることもないので、「自分にはむかない」と思ったら、その他のことに目を向けた方がいいと思う。
ハンセン病文学を知って初めてわかった読書とは「何度も繰り返し読まないと、読んだことにならない(読んでも意味がない)」ということだった。3回や4回くらいでは。
そんなことをしていたら、生涯で読める本は10~20冊ほどではないかと思われるかも知れませんが、それで十分だと、この齢になって思う。
だからぼくは、読書に関しては、ハンセン病文学全集に載っている詩や短歌等の短文を繰り返して読むだけ(ブログにアップするだけ)で人生を終えるだろう。
これが、ぼくが初めて知った「読書術」である。
ごく少数の本を繰り返し読むことは、楽であるし、記憶にとどまるし、その詩や短歌が、今日のように突然に頭にひらめいたら、自分が作者の位置に近づけたと思う。
短歌や詩は、これまでの生涯を通じて全く縁がなかったが、たまたまハンセン病の短歌や詩に出会い、癒され、心が洗われる気がした。
この詩を書かれた栗生楽泉園の桜井哲夫さんのハンセン病文学はぼくにとっても天の職