chuo1976

心のたねを言の葉として

「夕焼け」     谷川俊太郎

2021-03-13 03:14:52 | 文学

「夕焼け」     谷川俊太郎

 

 

家に年寄りがいるのはいいことだ

あかんぼがいるのと同じくらいいいことだ

 

ふたつは似ても似つかないことのようでいて

実は一本のあざなえる縄の両端のようにそっくり

 

始まりがあって終わりがあるから

始まりもなく終わりもないものが見えてくる

 

その縄を輪っかにつなげて

そこからさかしらに人生をのぞくのはやめておこう

 

 

百年の長さもつ縄の

よじれねじれささくれくされ

 

神様ではないのだから

ぼくらはロバのように縄を噛む

 

 

甘い恋

しょっぱい子育て

苦い戦争

酸っぱい革命

 

 

人生をたらふく食ったあなたの顔は

優しさと厳しさとあきらめとしたたかさがまじり合い

 

 

しわの間にあかんぼの輝く無垢も

透けてみえる

 

 

もういいかい

もういいよ

 

 

けれどあなたは目をつむったまま

木のうしろに隠れて月日を数えていたわけじゃない

 

百年のその一日一日をいろどったのは

青空と米と野菜といさかいと歌のとりどりの色

 

 

怒るがいい泣くがいい

叫ぶがいい黙り込むがいい

 

ひとりのあなたの魂の底にひそむものは

世界中のどんな大事件よりも巨大だ

 

 

だが今あなたの顔に浮かぶのは

残り少ない未来にむかう静かな微笑み

 

それはあなたの今日をぼくらの明日に生かすための

ただひとつの贈り物

 

限りのない宇宙の闇へと燃えあがる

美しい夕焼け

 

 

 

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時刻きゝて帰りゆく子や春の風

2021-03-12 05:37:18 | 俳句

時刻きゝて帰りゆく子や春の風
                           星野立子

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抜くは長井兵助の太刀春の風

2021-03-11 05:32:52 | 俳句

抜くは長井兵助の太刀春の風
                           夏目漱石

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相模原事件とノルウェーのテロ事件       関川宗英

2021-03-10 16:04:00 | 新自由主義

相模原事件とノルウェーのテロ事件       関川宗英

 

ノルウェーの寛容化した社会

 森達也の長いタイトルの本『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい 正義という共同幻想がもたらす本当の危機』(2013年 ダイヤモンド社)の中に、ノルウェーの寛容化した社会が紹介されている(第4章「刑事罰を寛容化したノルウェー 治安が向上した理由は何か」)。

 

 9.11以降、世界は過剰なセキュリティ、厳罰化の傾向にあるという。アメリカでは、40年間に刑務所に拘禁される囚人が6倍に増大した。国民100人に1人が囚人ということになるそうだ。

 日本でもオウム以降の20年間に、受刑者は約2倍になったという。死刑判決や執行数も増えている。

 

 ところがノルウェーは、厳罰化ではなく、社会は寛容化している。森達也は、テレビ取材で赴いたノルウェーの様子や現地の声をレポートしている。

 

 

「犯罪者のほとんどは、教育や愛情の不足、貧しい環境などが原因で犯罪を起こしている。ならば彼らに与えるべきは罰ではない。良好な環境と愛情、そして正しい教育だ」

 

「もちろんとても少数ではあるが、いわゆるサイコパス的な人はいる。でもそうであるならばなおのこと、彼らに苦痛を与えても意味はない。この場合はできるかぎりの治療をしなければならない」

 

 これはノルウェー法務省の高級官僚(愛称パイク)の言葉だ。

 

 ノルウェーには死刑がない。終身刑も無期懲役もない。刑罰の最高刑は禁固21年。どんな犯罪者も刑期を終え、住まいと仕事の条件が整えば、出所できる。

 街中に警察官の数は少なく、拳銃も携行していないそうだ。監視カメラも少ない。しかし、治安はよい。殺人事件の発生率は、日本と同じくらい少ない。(日本は世界でも有数の治安のいい国だ)

 

 だが、1970年代前半までのノルウェーは、今より治安が悪く、犯罪者には厳罰を課していたという。そんなノルウェーが寛容的な社会へと変わっていく転機となったのは、オスロ大学の犯罪学者であるニルス・クリスティーの提唱する「修復的司法」(刑罰の本質は報復や苦痛を与えることではない)だったそうだ。刑事罰を寛容化したら、治安が実際に良くなったという。

 税金と物価は極めて高いし、ホテルの宿泊費も高いノルウェーだが、万全の社会保障が有り、教育・医療費は無料で老後の心配はほとんど無い。福祉国家ノルウェーの、寛容化した社会の実態を森達也は伝えている。

 

 森達也のこのレポートは、2009年8月のものだ。




ノルウェーのテロ事件

 ノルウェーの寛容化した社会のレポートから2年後の、2011年7月22日、77人の命が奪われるというテロ事件がノルウェーで発生する。

 移民やイスラムを否定するキリスト教原理主義者アンネシュ・ベーリング・ブレイビクは、オスロの行政機関の庁舎を爆破、続いてウトヤ島で銃を乱射し、77人の命を奪った。

 このノルウェーのテロ事件についても、森達也は『「自分の子どもが殺されても~』に書いている。以下は、この本の第4章「テロが起きても厳罰化や死刑制度の復活を望まない国」からの引用だ。

 

 テロ事件から2日後、森達也のもとに、現地の日本人からメールが届く。

 ご無沙汰しております。森さんにとって、今回のテロ事件は大きなショックだったのでは、と推察しています。もちろんノルウェー人にとっても、自国で起こった事件とはとても思えないという反応がほとんです。あまりにも大きな事件で、今はノルウェー全体が麻痺しているような状態ですが、暴力・テロ反対の運動は強化されています。オスロで森さんがお会いした(法務省の)パイクのパートナー(ノルウェーでシェア一位のタブロイド紙VGの編集長)も、紙面で暴力反対キャンペーンを展開しています。つまり『テロに対しては暴力では立ち向かわない』という姿勢です。すでにおおぜいの人たちが賛同しつつあります。

 

 凄惨なテロ事件が起きた直後というのに、信じられないような報告だ。日本なら事件の経緯や犯人のプライバシー、専門家の分析、被害者家族の声、などなどメディアは喧騒を極めるだろう。

 

 事件から3日後、VG紙に掲載された、事件で娘を失いかけたという父親の手紙は静かな感動をもたらす。

「憎しみをばらまき混乱を力で世界に広めようとする人間が、勝利してはならない。亡くなった人々のためにできることは、ノルウェーの民主主義は暴力に屈さないことを示すことだ。不安や悲しみ、怒りに盲目になってはならない。それこそが彼らの望むことだからだ」

 

 事件当時、大阪にいたというノルウェーの女子大学生のメールも勇気づけられるものだ。

 ノルウェーには死刑がない。人間は苦しみを与えられてはならず、その命が他の目的に利用される存在であってはならないと考えるからです。今も死刑を行っている国は、(幼い子どもたちを含めて)すべての国民に、「殺人で問題は解決する」というメッセージを与え続けていることになります。これは間違っています。犯罪者の命を奪っても犯罪は撲滅できません。残された憎しみと悲しみが増えるばかりです。ノルウェーに死刑がないことを、私はノルウェー人として誇りに思っています。

 事件後にストルテンベルグ首相が、ノルウェー在住のイスラム系の人々と共にモスクで「多様性は花開く」と語ったとき、そして「この民主主義の核心への攻撃がかえって民主主義を強くするのだ」と語ったとき、私は本当に誇らしく思いました。これこそがノルウェーだ、これは忘れてはならないこと、そして変えてはいけないこと、そう思ったのです。

 首相の姿勢は、大多数、いえ、ほとんどのノルウェー人の思いの反映です。ノルウェー国民は今、なによりも共に手をとり、互いの肩にすがって泣き、こんな攻撃に連帯を弱めさせまいとしているのです。当日は島にいて生き残った女の子が事件後にインタビューで、『一人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。ならば私たちみんなが一緒になれば、どれだけの愛を見せることができるでしょう』と語っています。私の友人たちも知り合いも、みな同じ態度で臨むと言っています。この事件によって、ノルウェー社会を変えてはいけないのです。犯人が望んだのは、まさに私たちの社会を変えることなのだから。彼の望みを叶えさせてはいけない。これが重要なのです。だから死刑復活などあってはならない。これはノルウェー人の一般的な見解です。

 2011年8月、森達也は静かに立ち上がりつつあるノルウェーの人々の姿を伝えている。

 

 

 2016年、相模原市の障害者施設やまゆり園で、19人が殺害されるという悲惨な事件が起きた。

 「障害者は他人のお金と時間を奪っています」、「世界平和のために殺した」と犯人の植松聖は言った。公判でも優生思想を公然と披瀝し、遺族の被害者感情をかきむしった。

 厳罰化の声は例に漏れず高まる中、2020年3月、植松聖の死刑は確定する。



 相模原事件の犯人は、19人の障害者を殺した後、コンビニで買ったエクレアを食べている。そんな犯人を、サイコパス、異常者として切り捨てても何も解決したことにはならない。

 それは役にたたない人を「人間ではない」と殺してしまうことと同じだ。暴力に対して、暴力で答えることだ。

 ウトヤ島のテロ事件を乗り越えようとしていた、ノルウェーの人々のことが思い起こされる。

 

 相模原事件のような悲惨なことが、なぜ起きたのか。すぐにその答えは出せないが、考え続けていかなければならない。

 

 

 

 

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ゆく雲の遠きはひかり卒業歌

2021-03-10 05:40:34 | 俳句

ゆく雲の遠きはひかり卒業歌
                           古賀まり子

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泥棒や強盗に日の永くなり

2021-03-09 04:56:08 | 俳句

泥棒や強盗に日の永くなり
                           鈴木六林男

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ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅧ「どこでもないところで羽ばたいて」を見る聴く  『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2021/3/8

2021-03-08 06:09:06 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅧ「どこでもないところで羽ばたいて」を見る聴く  『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2021/3/8

  電柱、高所作業車、電球カバーの中に水が,雨が入り込んだか、電球工事の仕事、取り外した器具を闇で売る少年、ガールフレンド、身ごもってしまっている、産むか降ろすか判断出来ないままに,困惑する主人公の娘、娘のことを心配する女装の金髪青年、だらしない主人公のボーイフレンドを詰る、帰ってきた少年、語らう二人、優しい少年、だが,妊娠した今、降ろすにも金がない、生むにも,生活力が無い,少年にはその力が無い,そんな少年は,一攫千金、闘鶏博打、廃墟の屋上で,若者たちが集まり,闘鶏に、少年は負けてしまった、主人公は医者に、順調だと医師、降ろしたいと主人公、ならば,考えて,早く決めなくてはと、決めかねるままに、大学生の主人公、トイレで吐いて,友人は,金ならば教授がと、あなたならば,何とでも出来ると,教授を訪ねて媚びを売る,口紅の美しい主人公、見とれるが,連絡しても返事か無いと拗ねる教授、やはり,金は手に入らないか、何とかしなくてはと少年は電球を闇で売って金にして主人公に差しだす,これで処理しろと,受け取る主人公、日を決める,医者に出かけて,少年は一緒に行けないと,駄目少年、訪れた医師はなんと,既に遅いと拒んでしまった、女医師は,いいところを紹介すると,医者も怪しい,こうして闇で金にしているのでは、高所作業車の二人、住宅の横に二人で乗って高見に,相棒の運転手は出かけてしまった,二人は高見で抱き合うのだ、果たして,今度は,決意通りに降ろせるか,いや,主人公は,産みたいのでは,判らない,曖昧な二人、彷徨う二人、夜の闇の中を走る作業台の中の二人、可愛い二人、揺れ揺られる二人、少年は,友人から新しい闘鶏を買い入れて,勝負に,主人公に渡していた金を手にして賭場に、結局負けてしまって,さんざんな目に逢わされて,顔は痣だらけ、こうしてまた,解決の手立てを失ってしまって、金髪女装青年に相談、可愛い二人、いつもお粥を食べて、金髪娘は,商売の時には黒い鬘姿で、男には知らせずに仕事をしているのだ,少年故に,身ごもることもない少年、貧しい長屋の住人達、皆から好かれて元気な少年、しかし,男と知られても抱く客、時には怒りの客もまた,酷い目に逢うことも、困り果てた主人公を連れて少年は,女衒の女将の元に、美しい女、身ごもっている主人公を知って,いい人があると紹介、ホテルに、優しい顔立ちのブルジョア男か、抱くでもなく、優しく語らい,擦り、笑みを作るばかり、そして,大金が、彼の狙いは,欲望は、どうだったと金髪少年、惹かれて仕舞った、ブルジョア、金持ち、ボーイフレンドとは大違い、危うさの中に、男の見詰める視点は,何処に,主人公にか、お腹の子どもにか、車、郊外の邸宅、優雅な暮らし、男が見えない、寝てしまった,優しく肩掛けを、恋してしまった、だが,何に恋した、生活にか、男にか、心配な金髪娘、5度目までは、女衒の女将に金が、それが終われば,捨てられると、邸宅で抱かれてしまった、弄ばれているのか、恋か、求めて居るのは,肉体、恋、赤ん坊、支配欲、誰の為の赤ん坊、知らず,男に,采配されて,支配されて、金は手にしたが,降ろせない,ままに,ボーイフレンドは、あの邸宅の外のプールでの,大きな風船上の透明な小舟の中の二人、男は、一人、去って行く、抱かれてしまったのだ,弄ばれてしまったのだから,もはや,戻る事はないのでは無いか、そもそもに於いて,この男は本当に居たのだろうか、女将に唆されて,招かれて、夢を見たのではないのか、バルコニーで、花々に水をやる主人公、背景のベトナムの街、そこには、下町の人々が、貧しい人々の喧噪が、お粥の屋台が、一つはネギ抜き、ボーイフレンドは何処に,仕事か,闘鶏か、友人の金髪少年は,仕事か、彼もまた,何処へやら,連れ出されて仕舞ったかも知れない、主人公の観て居る夢の中、こうして,何処までも,得体の知れない男らに,弄ばれていくのではないか、子供が生まれれば,その生活の為に,また,身を売らなくては、主人公の衣装が可愛いです、白い衣装、赤い衣装、花柄の衣装、ボーイフレンドと飛び出すのでもない,男を血まみれで追い掛けるのでもない、現実の苦悩を忘れて,夢の中、幻の中に羽ばたかされて、

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ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅦ「狩り場の掟」を見る聴く       『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2021/3/7

2021-03-07 06:10:40 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅦ「狩り場の掟」を見る聴く       『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2021/3/7

 内モンゴル、狩り場の掟、集まった狩人達、村人達、掟が語られて、コンビが決められて、疾走する、ライフルを構え、猟犬が走り、獲物達が遁れ走る、銃弾、銃声、疾走、素晴らしい、動きです、走りです、倒れる獲物達、血まみれ、カメラもまた、この疾走の中に、主人公の獲物が掟破りと、獲物の首が斬られ、木に撃ち付けられる、掟破りと称されて、聞き入れるしかない主人公、長の若者、そこに兄が戻る、何が在ったと、掟破りと、羊の毛が剥かれ、女たち、赤ん坊、袋詰めされて、売られる、村人の生活、男、女、家族、草刈り、大きな鎌、緑の平原、何処までも、売られる獣の革、商人、主人公は探す、己の捕らえた革、だが、何処にも、そんなに良い物で在れば、気付かないはずがないと、掟て破り故の事だろうか、何が起こったかは判らない、とにかくに、主人公の困惑、狼、娘が死した、誰の、怒り、追い掛ける男、疾走、山間の穴蔵、外の狼、一頭、一頭、撃つ、倒す、誰かに狙われたか、己のしくじりか、判らない、放られる狼、家畜の中に、草原の狩りだし、己の土地だと、言い張る者たち、草原は誰のものでも無いと、一方の者たち、法、掟、縄張り、権力、闇の中の映像、暗がりで、何処かはっきりしない世界、薄暗く、誰が何をしてるのか、誰が捕らえられているのか、誰の仕業か、主人公か、他の者か、それぞれに思惑が、祭り、酒、祝い、総べては、祭りの中に、溶け込んで、諍いは何処に、消えたのか、忘れたのか、果たして、季節が移り、冬、そして、また春、男と女、子供、屋敷から煙が、一人の女が、煙の中、入り込み、助けに、誰を助けたのだろうか、はっきりしない、煙の屋敷にドアを開けて呼びかけ、入り込むばかり、また狩りの時期が、長は主人公をコンビに選ぶ、だが、一人納得しない主人公、一人、前に出向かないままに、そして、猟犬の走り、主人公の猟犬は他の猟犬に遅れ、負けてしまう、最初に噛み込んだ犬の主人の物になるのだ獲物は、主人公は負けたことを知りながら、獲物を担いで運ぶ、長の兄は、弟の語らう、狼の事も、己の仕業と、兄は、主人公に謝りに、母を助けて貰った、主人公も理解したか、己の掟破りの獲物の首を斬り、木に打ち付ける、掟破りを知らしめるべく、跪き、祈り、そこに長と兄らも、主人公と同様に、跪き祈るのだ、諍い、争っていては、駄目だ、血を流すことに、娘が死した、誰の娘だ、嫉妬、権力、争い、商売、おろかしい、争いを癒やすべく、祈り、謝り、和解、決めごととは、祈りのことなのだ、村人の、過去の、未来の、神、人、馬、羊、獲物たち、緑、空、雲、緑、小屋、美しい自然の中、石の家々の美しさ、色彩、ロング、美しい自然の中の、苦悩、痛み、欲望、怒り、悲しみ、全てを背負って、今、共に在る、和解、果たして、この和解とは何であるのだろうか、希望、夢、幻想、錯覚、含めて、祈り、弔い、癒やし、叫び、静かなる、叫び、疾走、風、匂い、色彩、光、影、走り、倒れる、ものたち、馬も、獲物も、そして、ラストには人も膝を屈する、走り、噛みつき、撃ち、倒れ、項垂れ、血が流れ、ラストの木からも、赤い血が流れた、何処までも、何時までも、この血の中から、共産党の掟とは、あくまで、傲慢では無いか、己の愚かしさ、人間の生きることの滑稽を、間違いを、忘れてしまっている、正義もまた、一つの権力なのだから、此処に在る掟とは、党の彼方に、生活の中に、中から、現れた、権力には違いないのだから、それぞれがその血まみれの自覚の中に、

始まる、何度でも、

 

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貧困の反対は富ではない、正義である    関川宗英

2021-03-06 15:07:09 | 新自由主義

貧困の反対は富ではない、正義である    関川宗英

植松聖と新自由主義②



働きたくないけどお金は欲しい

 

 一年ほど前、『働きたくないけどお金は欲しい』(遠藤洋 マネジメント社 2018年)という投資の本を図書館で見つけた。

 

 「毎日1食300円の牛丼を食べ、月の家賃3万円のところに住んでいる人」と、そのすぐ隣に「1食3万円以上のレストランで食事をし、1泊10万円の高級ホテルに泊まっている人」がいる。いったいなぜ、このような経済格差が生まれているのでしょうか。

 

 筆者はこのように読者を引き込むのだが、その経済格差を解消するために福祉国家のあり方を考えるといった展開にはならない。格差の上に立つ金持ちになるにはどうしたらいいのかが書かれている。

 

 「働いてもらえる給料の伸び率よりも、投資で得られる利益の伸び率の方が高く、この差はどんどん広がって逆転することはない」というトマ・ピケティの言葉を引用して、いかに楽して金を稼ぐかを指南する。

 

 この本の作者によれば、多くの労働者は、「毎日満員電車に乗って通勤し、夜遅くまで働き、帰ったらシャワーを浴びて寝る。そんな日々の繰り返し」であり、その一方、「世の中にはサンダルにTシャツ・短パン姿で平日の昼からビールを飲み、気が向いた時にふらっと海外に行く、そんな悠々自適な人生を送っている人達もいます」 とある。

 

 そこで、どうすれば仕事やお金から解放されて「本当の自由」を手にできるのか。彼は次のようなマクドナルドの例え話をあげる。

 

 マクドナルドの経営者とアルバイトの給料が違うのは、仕事内容が違うからではなく、喜ばせているお客さんの数が違うからです。

 アルバイトが喜ばせられるお客さんの数が「その日に担当した100人」だとすれば、経営者が喜ばせるお客さんの数は、世界の3万店舗を超えるマクドナルドに来店するすべての人達なのです。

 

 そして、世の中には、「労働者」と「資本家(投資家)」の2つのタイプの人間がいるとする。「労働者」は「自分の時間を提供することでお金を得ている人」、「資本家」は「お金で労働者の時間を買うことで利益を追求している人」。続けて彼は次のように書く。

 

 一般的な労働者は「会社に就職してお金を得る」という発想で働きます。就職するということは就職先の会社と労働契約を結ぶことですが、労働契約とは自分の時間を差し出して、その対価としてお金を得る契約にほかなりません。

 もちろんその人の能力や経験によって給料は異なります。

 

 労働契約とは、自分の命を差し出してお金を得るという「悪魔の契約」と言えるかもしれません。

 

 一方資本家は「労働者を雇って利益を追求する」という発想でお金を稼ぎます。労働者の時間を買って働かせることで、新しい価値を生み出し利益を得ているのです。




 この本の作者にとって、資本家として括られる「仕事やお金から解放」された人たちの真の自由とは、悪魔の契約で雇った労働者たちを働かせることで得られるというモノらしい。

 

 この本で引用されるピケティだが、そもそも彼の言葉は、貧富の格差の拡大が再び世界的な戦争を招くという警告から発せられたものだ。それを金儲けの根拠に使われるのだから、呆れてしまう。






勝ち組と負け組

 

 今地球上のほとんどの人は、「労働者」だろう。アメリカの1%といわれる超富裕層は、世界の資産全体の3割を握っていると、2021年2月21日の日本経済新聞は伝えている。99%のほとんどの者は搾取される側だ。

 

 労働者の賃金がその労働に見合うだけのものであればいいが、非常に安い賃金しかもらえなかったり、長時間労働や劣悪な労働環境など問題は深刻だ。さらには子供まで働かせているなどという話もある。

 

 このような世界の現実に直面した時、差別や格差の問題を是正しよう、社会を少しでも変えていこうするのか、それとも他を蹴落としてでも1%の勝ち組の側になろうとするのか。

 残念ながら格差の是正どころか、貧富の差はますます広がっている。1980年ごろのレーガン、サッチャーの時代から顕著になってきた新自由主義は、その勢力を拡大し続けている



 2008年、リーマンショック。グローバリズムの歪みは、世界を震撼させた。

 リーマンブラザーズの破綻後、2年間でアメリカの投資銀行や地方銀行は300行以上がつぶれた。

 日本の株価も40%も下落、平均株価は8000円を割り込んだ。

 行き過ぎた市場原理主義、金融資本経済が世界で猛威を振るうなか、リーマンショックは起きた。

 

 リーマンショック後、世界各国は大胆な金融緩和、量的緩和政策をとる。しかし市場に出回る金は、富裕層の懐に入っていく、その流れは変わらない。なぜなら、新自由主義陣営は、自分たちに都合よく市場のルールをゆがめ、その経済力で政治と政策に介入してきたからだ。

 ジョセフ・E・スティグリッツは新自由主義を、「世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠」だと断言している。

 スティグリッツのこの本が日本で出版されたのは2015年だった。

 2020年、新型コロナウィルスが世界を襲い、2021年1月末、世界の感染者の累計は一億人を超え、死者も200万人を超えた。

 ところがその中でも、貧富の格差は広がっている。日本の株価も上がり続け、2021年2月には日経平均は3万円を超えた。

 

 富裕層は、コロナ禍の今も、金と権力を肥大化させている。

 

 自分の時間を差し出して、働いたその対価としてお金を得る労働者。「勝ち組」「負け組」の仕分けの論理に従うなら、、世界のほとんどの労働者は「負け組」だ。たくさんの労働者を働かせ、新たな価値を生み出すことで利益を得る人が「勝ち組」になれる。いつかはフリーターの生活から抜け出して、勝ち組になろう、『働きたくないけどお金は欲しい』のような投資の本が出回っている日本。

 金が第一と言って憚らない、欲望むき出しの浅ましい姿を見るようだ。

 

 ネットで「飢えた子供を救うには、どうしたらいいのか」という質問に対し、「静かに死んでいってください」などと回答している言葉を見る。

 このような言葉を吐き捨てる人にとって、「命の大切さ」を訴える言葉などはキレイごとで、今を生きることとは、そんな建て前を乗り越えて、シビアな現実を生きていくしかないということなのだろうか。

 

 相模原事件で19人の障害者を殺した植松聖は公判で、生活保護を受けている人たちを非難した。勝ち組を礼賛するような人にとって、障害者も生活保護受給者も「税金の無駄」なのだろう。

 

 労働の対価のわずかな収入で300円の牛丼を食べる負け組より、一食3万円のレストランで食事する勝ち組になりたい。

 生産性の価値のない、ただ生きているだけのような人には安楽死を、と言ってしまう人たち。

 その心の背景を思う時、果てしなく広がる殺伐とした荒れ地が見えてくる。

 荒れ地の向こうの、ずっと奥の地平線と思われる辺りは、真っ黒だ。

 正視を避けたくなるような、恐ろしく黒い闇。

 その真っ黒な闇に何か見えるだろうか。

 目を凝らしてみるが、今は何も見えない。



 


 しかし、あらためて問いたい。

 貧困にあえぐ子供がいるとき、その格差の上に立ってグローバリズムの富に縋り付こうとするのか、その子供を救いたいと格差を是正しようとするのか。

 

 困っている人がいるとき、その人を助けたいと思うのが、人のあるべき姿だ。

 それが、正義である。

 

 ブラジルの神学者、レオナルド・ボフは言った。

「貧困の反対は富ではなく、正義である」

 

 だから、2020年、映画『パラサイト』でアカデミー賞を受賞した、監督ポン・ジュノの言葉は勇気を与えてくれる。

「水は上から下に流れ、決してその逆には行きません。そして貧しい人々は洪水で沈むんです。」(https://bunshun.jp/articles/-/25011)

 

相模原事件の「闇」        関川宗英 - chuo1976 (goo.ne.jp)

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春の夢気の違はぬがうらめしい

2021-03-06 03:59:29 | 俳句

春の夢気の違はぬがうらめしい
                           小西来山

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf