いやしのつえより”「献体を申し出る人が増えている」理由”
私の祖父の一番下の弟にあたる叔父が亡くなって献体をした時に、初めてそういう仕組みがあるのを知りました。(確か私は小学生だったから・・・30年位前の話です)
祖父の兄弟のほとんどが、宮城から離れる事なく就職し、居を構えていたのに対して、その叔父は(祖父曰く)全国をふらふらしていたそうで、生涯独身でお子さんもおられず、大きな病気もされた事が無かったそうで、亡くなる前にご自身で献体したいと言い残されたそうです。当時、祖父はお葬式が遅れる事や、初めて経験する手続きに対して、不満があったようで「最期まで面倒をかけるやつだ」なんて言っていましたから、やはり一昔前はそうそうある事では無かったのかもしれません。
じっぽ様は献体が増えている理由を、
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「死んでしまったら『モノ』なのだから、医学生たちの役に立ててもらったほうがいい」というのって、逆に「そうでもしないと、『死』というものに何も見出すことができない」という怖さの裏返しなのではないか、という気もするんですよ。
まあ、僕はどちらかというと、献体の増加は「死生観の変化」というよりは、ドラマ『白い巨塔』のラストの財前五郎の「遺書」の影響のほうが強いんじゃないかな、とか考えているんですけどね。
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と書かれていらっしゃいますが、うん、それはあるかもしれないです(苦笑)
私は、脳死になったら臓器移植を希望していますし(カードを常に携帯しています)病理解剖でもアイバンクでも献体でもしたい方です。私の死を惜しんで(くれるかどうかは判りませんが)周囲の気持ちはともかく、死んで火葬されて灰になるだけなら、ちょっとでも他の人の役に立つのなら使って欲しいと思うんです。生きていた証が欲しいというよりも、もったいないという気持ちですね(笑)まぁ、歳をとったらまた考えが変わるかもしれませんが、子供たちに話してあるので、何かあったら使って貰えると良いな。