本の帯に「児玉清氏激賞!”押し寄せる清々しい感動の大波に、滂沱の涙を流した」とあるんですが、そうかやっぱり男性はこう受け取るんだと、ある意味ショックに思いました。読んで頂くしかないんですが、私は猛烈に気分が悪くなりました。最近ちょっとないくらい、胸が悪くなったというか凹みました。
是非、この「スワンソング」と有川浩さんの「阪急電車」を読み比べて下さい。同じ題材を男性作家と女性作家が書くと、こんなにも違う展開と見方になるんだという事を、まざまざとみせつけられます。
『四年付き合った結婚間近な男女が居て、そこに別の女性が登場します。男性はその女性を放っておけなくなって、彼女と別れます。』
有川さんは、別の女性に悪意(男性を奪う意志)がある書き方をしています。大崎さんはまったく悪意がない書き方をしています。主人公(男性)視点なので、本当に彼女に悪意があるかは、主人公の男性がそう信じているので、読者はそう思うしかありません。有川さんの方は、男性がそう信じているのだから、読者には悪意がある事が判っていても、彼にはそれが真実だと受け入れるしかありません。
大崎さんの作品では、男性を奪われた女性は自分の存在価値や男性と築いた絆や愛情の全てを否定された様に思い、悩んだ挙句自殺します。有川さんの作品では、相手を呪うという形で自分の痛みを相殺しようとしますが、行きずりの人々との出会いに勇気を貰って、新しい毎日に踏み出します。
大崎さんの書く男性も有川さんの書く男性も「自分を頼りにする女性」を選び、その事に最後まで酔いしれます。別れた女性を「一人でも生きていける女性だから」と思い込む訳ですが、男も女もそんな人間なんて居ないんですよ。まったくもって救われないのが、「別れる理由が判らない」と言われてしまった大崎さんの彼女でしょう。なんであれ理由があれば、それにすがる事も出来たんです。その点有川さんの方は、明確な「恨む理由」がありましたから、救われる部分がありました。
大崎さんの作品では、延々とその彼女に振り回され続ける日々とその後の別れを、「美しいモノ」として書いていきます。でもね、私は最近流行りの「ヤンデレ」がまったくダメなんですよ。なので、精神的に不安定な彼女を男性が必死に支える姿の描写に、たぶん世の男性なら「これが愛情だ」と共感するんだろうなぁと思いながらも、「うわ~んこわ~い、もう関わりたくな~い」というのが普通の人の感覚だろうなという思いが押し寄せて来てました。だって最後に明かされる彼女の残した娘の名前(勿論、彼女が名づけました)が、別れて自殺した彼女の名前なんですよ!これはもうホラーでしょう!!
愛情や同情とまで、はっきり名前の付けられない感情に揺れる、男性の心情を丁寧に正直に書いている部分が、清々しさを生むのかと思います。男性を奪ってしまった事に対する心の呵責に精神を蝕まれる彼女を、不器用で心の優しい人と受け入れる男性の気持ちも判る、判るんですが・・・やっぱり綺麗な別れなどなくて、もがいてあえぐ女性の方に気持ちが行ってしまいました。
私は大崎さんの「アジアンタム・ブルー」の生きていく上での欲とか汚れとか情熱とかが入り混じった、血の通った人間たちの生き様が好きでした。「聖の青春」のあそこまでギリギリに生と死が背中合わせの、実在した天才棋士の生き様に、読んでいて体が震えました。まさかですが・・・ここにきて大崎さんが変調してしまうんでしょうか?結婚されてお子さんが生まれて、作風に変化があるのは当然だと思うんですが、既存の作品を描くような作家さんになってしまうんでしょうか?
今回は「スワンソング」の読後感想をネットで探して読む事をしませんでした(あんまり気分が悪くなったので、もう読み返しもしないです)なので、いわゆる一般世間の評価がどんなものか判りません。私だけが、こういう感想なのかもしれませんので、皆さん、機会があったら「スワンソング」と「阪急電車」を読んで見て下さい。そしてどう感じられたか、お教え下さい。
是非、この「スワンソング」と有川浩さんの「阪急電車」を読み比べて下さい。同じ題材を男性作家と女性作家が書くと、こんなにも違う展開と見方になるんだという事を、まざまざとみせつけられます。
『四年付き合った結婚間近な男女が居て、そこに別の女性が登場します。男性はその女性を放っておけなくなって、彼女と別れます。』
有川さんは、別の女性に悪意(男性を奪う意志)がある書き方をしています。大崎さんはまったく悪意がない書き方をしています。主人公(男性)視点なので、本当に彼女に悪意があるかは、主人公の男性がそう信じているので、読者はそう思うしかありません。有川さんの方は、男性がそう信じているのだから、読者には悪意がある事が判っていても、彼にはそれが真実だと受け入れるしかありません。
大崎さんの作品では、男性を奪われた女性は自分の存在価値や男性と築いた絆や愛情の全てを否定された様に思い、悩んだ挙句自殺します。有川さんの作品では、相手を呪うという形で自分の痛みを相殺しようとしますが、行きずりの人々との出会いに勇気を貰って、新しい毎日に踏み出します。
大崎さんの書く男性も有川さんの書く男性も「自分を頼りにする女性」を選び、その事に最後まで酔いしれます。別れた女性を「一人でも生きていける女性だから」と思い込む訳ですが、男も女もそんな人間なんて居ないんですよ。まったくもって救われないのが、「別れる理由が判らない」と言われてしまった大崎さんの彼女でしょう。なんであれ理由があれば、それにすがる事も出来たんです。その点有川さんの方は、明確な「恨む理由」がありましたから、救われる部分がありました。
大崎さんの作品では、延々とその彼女に振り回され続ける日々とその後の別れを、「美しいモノ」として書いていきます。でもね、私は最近流行りの「ヤンデレ」がまったくダメなんですよ。なので、精神的に不安定な彼女を男性が必死に支える姿の描写に、たぶん世の男性なら「これが愛情だ」と共感するんだろうなぁと思いながらも、「うわ~んこわ~い、もう関わりたくな~い」というのが普通の人の感覚だろうなという思いが押し寄せて来てました。だって最後に明かされる彼女の残した娘の名前(勿論、彼女が名づけました)が、別れて自殺した彼女の名前なんですよ!これはもうホラーでしょう!!
愛情や同情とまで、はっきり名前の付けられない感情に揺れる、男性の心情を丁寧に正直に書いている部分が、清々しさを生むのかと思います。男性を奪ってしまった事に対する心の呵責に精神を蝕まれる彼女を、不器用で心の優しい人と受け入れる男性の気持ちも判る、判るんですが・・・やっぱり綺麗な別れなどなくて、もがいてあえぐ女性の方に気持ちが行ってしまいました。
私は大崎さんの「アジアンタム・ブルー」の生きていく上での欲とか汚れとか情熱とかが入り混じった、血の通った人間たちの生き様が好きでした。「聖の青春」のあそこまでギリギリに生と死が背中合わせの、実在した天才棋士の生き様に、読んでいて体が震えました。まさかですが・・・ここにきて大崎さんが変調してしまうんでしょうか?結婚されてお子さんが生まれて、作風に変化があるのは当然だと思うんですが、既存の作品を描くような作家さんになってしまうんでしょうか?
今回は「スワンソング」の読後感想をネットで探して読む事をしませんでした(あんまり気分が悪くなったので、もう読み返しもしないです)なので、いわゆる一般世間の評価がどんなものか判りません。私だけが、こういう感想なのかもしれませんので、皆さん、機会があったら「スワンソング」と「阪急電車」を読んで見て下さい。そしてどう感じられたか、お教え下さい。