What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

お友達へのメッセージ

2009年05月29日 14時45分56秒 | 日常
 まずは、大変な毎日をお過ごしでしたね、お疲れ様でした。初めて体験する不安な出来事に、どれだけ辛い思いをなさったことでしょう。自分のことのように感じられて、涙が出ました。

 これから、私の少ない体験から得た、参考になりそうなことを書いていきます。

 脳梗塞には、軽度の場合が多々あります。うちのおばあさんの場合、本人と家族がまったく判らなかったのに、脳のCTを取って「詰まった後が二箇所ある」と先生に言われ初めて判りました。

後から考えるに、一度目は庭に倒れていた時(偶然、私が庭に出て見つけたのですが、黙って倒れていてそりゃビックリしましたよ!)本人いわく「転んだら起き上がれなかった」と話していました。二度目は、お風呂から上がって裸のまま、茶の間に倒れていた時で、おじいさんが独りで服を着せて布団まで運んだのですが(何故、私たちに声をかけなかったのか聞いたら、大晦日の夜だったからと言われ、脱力しました)次の日から二日ばかりは、妄想が激しくてわめくように悪口を言うので閉口しました。

勿論、半身麻痺になったりする重度の脳梗塞にならなかったのは、幸いとしか言いようがなかったと思います。なんにせよ、糖尿病が万病の元というのは真実です。そして、軽い脳梗塞を引き起こすまでに進行しているなら、相当気をつけなくてはならないレベルです。

当時、おばあさんは自分で薬を管理していましたが、飲み忘れや勝手に数量を変えて飲んだりするのは、あたりまえのようでした。何故私たちがそのままにしていたかというと、それを指摘すると物凄く怒りだしたからです。他人から自分のミスを指摘されると、もう手がつけられないくらい怒り出しました。そもそも、ものすごくコンプレックスのある人だったので、常に他人を妬んだり、誹謗中傷していたのですが、晩年は病気が進行して余計に酷くなっていたんだと思います。

 人が変わったような行動や物言いも、脳の働きの異常や衰えを示すポイントだと思います。特に、おばあさんは記憶などを司る脳の「海馬」という部分に脳梗塞を起したので、数字や月日、人の顔や出来事などが、どんどん判らなくなりました。

それで失敗して責められたり、カッとなったりするのが、更に身体に良くないのですが・・・「既に一回お父様がキレた」と仰ってましたが、そう、うちの場合もおじいさんが本人まったく無自覚なのですが、大きなストレスの要因でした。

おじいさんは、本当にここ二年くらい前まで、おばあさんの行動の元に病気があるというのを、受け入れられませんでした。酷い悪口や行動の半分くらいは病気の進行のせいだったのですが、それをまったく認めなかったんです。私は何度もおじいさんに頼みましたよ。「おじいさんが言い返せば、もっと状態が悪くなるから、頼むから受け流して下さい」と。とばっちりをくらって、次男が食事をしているすぐ横で「じじいに、死ねっていわれたから、首くくるから」とおばあさんがわめくのを想像してみて下さい。

おばあさんの場合は、とにかく一番強い感情をぶつけるのがおじいさんだったので、おじいさん自身の健康に気を配りつつ、おばあさんの心配もしなきゃいけないのが、年寄り相手の一番しんどい部分じゃないでしょうか。

 糖尿病が進行すると、全身の血液の流れが悪くなってきます。目の毛細血管が詰まって視力が落ちたり、手足の血行不良で冷えたり、泌尿器の働きが悪くなって膀胱炎をおこしたりします。目に見えて悪くなる部分は、まだ良いのですが、内臓の働きが悪くなってくるのに気をつけるのは、家庭では大変難しいです。なので、日常の些細な症状や出来事を、とにかくお医者様によく伝えなければなりません。

以前拙宅でも書きましたが、いまは本当にいろんな種類のお薬があって、人それぞれに合う合わないモノもあります。いまの症状に合わせたお薬を服用すれば、ぐっと体調が安定したり、進行が遅くなるかもしれません。(でも処方されたお薬のせいで、ちょっとでもおかしいと思ったら、直ぐに相談なさった方が良いです)

出来れば、食事に関しても、お父様か貴女が関わり始めた方が良いと思うんです。結局、自分の味覚に合うように料理を作ってしまうので、もしかして濃い味付けやパターンな食事内容になっていませんか?おばあさん本人が身体がだるかったり、目が良く見えなくなったこともあって、10年くらい前から私がほぼ独りで料理をするようになったのですが、戦いでした(苦笑)味噌やお醤油を減塩のモノに変えたり味付けを薄くすると、じゃぶじゃぶ味噌汁にお醤油を入れられたりね!病気と加齢のせいで、味覚が鈍っているのは判っていましたから、我慢しましたが、せっかく作ったお正月用の煮物を「味を直す」と言って、砂糖と醤油をたっぷり入れて煮なおしたものの、味が濃すぎておばあさん以外誰も手を付けず、カビが生えて捨てた時は・・・うん、しんどいなぁと思いました。

 ご両親様は、まだ老齢とお呼びするにはお若いですが、それにしても貴女から見れば十分にお年寄りです。ご病気と加齢という事を踏まえて、対処して下さい。
家族の内に病人が居るという事は、その人だけでなく自分を含めた全員の健康を考えなくてはなりません。その大変なことを、どうそ貴女御一人で背負わないで下さい。親戚でもご近所の人でも公的サービスでも、なんでもどんどん利用して下さい、いまはそれが可能な時代です。

私は貴女がとても有能な方だと(勝手ですが)お見受けしています。その能力を使って、病気のことや福祉サービスのことなどを、本人以上に学んで下さい。ネットという便利な道具もありますし、病院の相談窓口など、たくさん知識を得る手段はあります。判らないから不安になるし、長く戦うには、まず相手を知らないとね!

貴女の話しをお聞きするしかお力になれない、微力な私ですが、どうぞ何でも仰って下さい。力の限り応援します!

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やっぱり作者さんが、一番悔しいよね。

2009年05月29日 11時33分09秒 | 
栗本薫さん「グイン・サーガ」129巻出版へ…絶筆130巻も(読売新聞) - goo ニュースより引用

  膵臓 ( すいぞう ) がんのため26日に56歳で亡くなった作家の栗本薫さんが、一作家が書いた小説では世界最長とも言われる代表作「グイン・サーガ」(早川書房刊、本編126巻)を130巻途中まで執筆していたことが分かった。

 夫の今岡清さんによると、栗本さんは闘病中も、原稿を書き続けた。「多い日は50枚も書いていたのに、最後は1日数枚がやっと。思い通りにならず、とても悔しがっていました」

 129巻までの原稿は既に書き上げ、130巻も書き進めていたが、先月23日を最後に筆が止まり、病状悪化のため今月7日、都内の病院に再入院。闘病中の心境をノートにつづり始めたが、2ページほどで文字がうまく書けなくなり、断念していた。

 早川書房は129巻までの出版を決めており、絶筆の130巻途中までの原稿も公表したいとしている

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 栗本さんが原稿を仕上げる速さと量産する力量は、伝説のように広く知られていましたから、文字が書けなくなった時は、さぞやお辛かったでしょうね(ため息)

残されたあと4巻ぶんの「グイン」は、読者にとっての宝物になるでしょう。
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大越さんが、高校野球の監督に!

2009年05月29日 11時27分50秒 | スポーツ
大越氏がアマ指導者資格取得 今秋、高校野球監督に(河北新報) - Yahoo!ニュース

 あの熱かった甲子園の夏を、今でも私は覚えていますよ。たくさんご苦労なさったぶん、子ども達の心の声が聴ける指導者になられるよう、願っております。




ただしね、大越君が夢を見せてくれたその後にも、ダルビッシュ君、由伸君と、素晴らしい投手たちが続いて夢を見せてくれましたけど・・・それでも、優勝旗は宮城にはこないんですよ~(号泣)大越さん、どうぞ一日も早く、宮城県民の悲願を叶えて下さい!


コメント (2)
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