What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

「被災すること」とは。

2013年07月30日 11時10分19秒 | 
 最近、本を読めなくなった理由が思い当たってきたんですが、言葉にうまくできないでいます。本の感想を読むも、じゃあ読んでみようという気持ちが出てこないのですが、感想ブログをめぐるのは止めていません。「本の雑誌」とかも、まさか読むのをしんどく思うようになるとは思いませんでした(苦笑)

そんななか、日参させて頂いている「琥珀色の戯言」様で、心に響く読書感想を読みました。

★「琥珀色の戯言 / 【読書感想】津波の墓標」( http://d.hatena.ne.jp/fujipon/ )より引用

* 石井 光太さんのノンフィクション『津波の墓標』を読まれた感想を、fujiponさんが書かれたものです。


 この本を読んでいると「被災すること」とは、具体的にどうなってしまうことなのか?が、少しだけわかるような気がします。

 あくまでも「少しだけ」なのですが、マスメディアで伝えられる「大きな悲劇」と「心温まるエピソード」の間に、多くの「命を奪われはしなかった被災者」たちがいるのです。

 著者は、取材を終えたあと、母親と十代の娘が二人で歩いているのを見かけ、自宅まで送っていくことにしたそうです。

 この十代の娘さんは、なかなか車に乗りたがらなかったそうなのですが……

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 私は自宅までの案内を母親に頼み、アクセルを踏んで車を発進させた。ミラー越しに見ると二人の顔には明らかに疲労の色が浮かんでいた。

ハンドルを握りしめながら前を見ていると、急に車の中が寒くなっているのに気がついた。いつの間にか後部座席にすわっていた娘が車の窓を開けていたのだ。雪が吹き込んでいたが、彼女は身を縮めているだけで閉めようとしない。頬や鼻の頭が寒さで赤らんでいる。

私は窓を閉めてくれと言おうとしてミラー越しに後部座席を見たところ、彼女の服が汚れており、車内にすえた臭いが漂っていることに気がついた。もしかしたら彼女は自分の体臭のことを気にして窓を開けたのではないか。震災から十日、一度も体を洗うこともできず、服は汚れきり、否応なしに異臭を発していた。彼女はそれを気にして、窓を開けて少しでも臭いを外に逃がそうとしたのかもしれない。

私は窓を閉めてほしいとは言い出せなかった。母親も娘の気持ちを察したのか申し訳なさそうに黙っている。結局私は言葉を呑み込み、凍てつく風と雪が吹き込む中、目的地までの道のりを進んだ。

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 「被災する」ということ、「日常を失う」というのは、こういうことなのかな、と僕は読みながら考えていました。

 もちろん、命を落とすよりは、「生きていてよかった」。

 でも、「生きている」=「よかった」で済まされるものではない。

 津波の被害や原発事故で日常を失った人たちが受けた、こういう「心の傷」は、そう簡単に癒えることはないでしょう。


 僕がここであれこれ言うより、とにかく読んでみていただきたいルポルタージュです。

 やりきれない気持ちばかりが残る本ではあるのだけれども、これが「現実」だと思うから。


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 山口や島根の豪雨被害のニュースを観ていて、あとかたづけをなさっている皆さんのご様子に、震災当時の自分の事が重なります。水が出ない、電気が止まっている、そういう中で、家の一階のドロを片付けをしていた時はしんどかった。手の皺や爪にドロが詰まって真っ黒になっても、給水所から貰ってきた飲み水は、何があるか判らないので使えなかったです。しばらくして、あんまりだから、洗面器に水をはって、顔を洗ったら、嘘みたいに水が真っ黒になって笑ってしまいました。家族もご近所も、みんなそんな状態だったから、自分たちが臭くて汚いことは、考えもしませんでした。(震災当時は、3月で寒い時期だったからかもしれません)でも、よそからボランティアや支援に来られた方たちは、嫌だったでしょうねぇ、ほんとすみませんでした。

そんな私たち家族を、わざわざ遠くでガソリンを給油してきた車で送り迎えして、家のお風呂に入れて下さった親戚の旦那さんと奥さんには、なんと言って感謝しても感謝しきれないです。(汚くてごめんなさいね)お風呂からあがってから、垢の浮いたお湯を見た時は、申し訳なくてたまりませんでした。

ここに出てきたお嬢さんとお母さんの気持ち、だからよく判ります。引用した以外にも、fujipon様が抜き出して感想を書かれている部分のことも、よく判ります。


>あ、この人も、震災に遭わなければ、こんな言葉を吐かなくても済んだはずなのに……震災は「誰のせいでもない」けれど、さまざまな感情の歪みを、多くの人にもたらしました。

これが被災してみて判った、一番しんどいことだと思います。
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震災の時のJAFの話

2013年07月30日 09時35分27秒 | 日常
 20歳で免許を取って、それ以来ずっとJAFに加盟しています。助けて頂いたのは3回(だったはず)で、全部キーの閉じ込みです(恥)電話での対応から始まって、いつも気持ち良く対応して下さるので、他のロードサービスへのお誘いもありましたが、信頼が一番で変える気にはなりません。


 震災の津波で、うちの車は運転席の肩くらいまで水に浸かって、動かせなくなりました。近所のお家の車が、販売店さんのレッカー車で移動されていくのを見て、うちもなんとかしなきゃないけど、どうにもならないなぁとぼんやり思っていました。

この時は、水は引いてましたが、まだ電話も電気も水もガスも使えなかった頃のことです。たびたび書いてますが、うちの駐車場って狭くて、普通乗用車1台分しかスペースが無くて、前後左右に余裕が無いんです、毎回が縦列駐車ですよ(笑)なので、エンジンのかからない車をどうやって移動させればいいのか、私には皆目見当がつきませんでした。

ところが、同じく近所の方がJAFに連絡して車を移動して貰うんだと話しているのを聞いて、あぁそうかJAFならお願い出来るかも!と思い、作業中の時に訊ねて行ってみました。JAFカードは財布に入っていて無事だったので、それを見せてお願いしたところ、すんなりと受諾して頂きました。

この頃の記憶って、いつにもましたあやふやで(苦笑)担当して下さったお二人の隊員さんの背中に、他県名が書かれていて、あぁ、こんな遠くから救援にこられているんだと思ったのは確かなんですけど、いまも県名が思い出せません。もうね、車の中はドロドロで、泥やら草やらが変に発酵しちゃって臭うんですよ。ちゃんと防護マスクやメガネやカバーなどを装備されているとはいえ、車のシートに白い紙製のカバーをつけて座ったって、そりゃ嫌な作業だったと思います。

問題の車の移動ですが、できちゃったんですよ!ハンドルを切って車を左右に振って、レッカー車に接続する様はね、プロって凄い~~と、ひたすら感動の技でした。

そして、車とお別れする時になりました。買い物に、学校に、仕事に、おばあさんを病院へ送ったのも、子どもたちの部活で楽器を運んだのも、家族6人で旅行に行ったのも、全部この車で。津波が無かったら、まだまだ乗れる車で、使い勝手の良い働き者で、私の大好きな車で、家族同様だったんです。そんな事を思い出してしまったら、泣けてきてしまって。

そうしたら、隊員の方が察して下さって、本当は車をレッカー移動する時って前輪をひっかけて運ぶんですよね?そうじゃなくて、普通に走る様に、うちの車を連れて行って下さいました。たぶん、レッカー車の運転はめんどくさかったと思うんです。それでも、私の気持ちを汲んで下さった隊員さんのお心遣いに頭が下がりました。


 いつか「JAFメイト」にこの事を書いて送りたかったんですけど(笑)長くなるんで断念しました~。たぶん、私以外にも、たくさんの人が震災関連でJAFの皆さんに助けられたと思います。↓の記事を読んで思い出した、震災の時のJAFの神対応でした。



★「産経新聞 / なぜ?競合増えても余裕のJAF 損保各社はロードサービスのライバルにあらず」
( http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130729-00000501-san-bus_all )
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男子フィギュアスケート 高橋 大輔選手 五輪用新SPは「バイオリンのためのソナチネ」

2013年07月30日 09時04分07秒 | スポーツ
 作曲家の佐村河内 守(さむらごうち まもる)さんの生い立ちと現在を追った番組(被災地話題の民放だったかな?それともNHKだったかな?)を以前観たんですが、その闘病生活と創作活動の凄まじさには圧倒されました。この「バイオリンのためのソナチネ」が、どんな演技になるのか心から楽しみな反面、高橋 大輔さんが「選手」としての最後の演技になるのかと思うと寂しいです。


フィギュア高橋大輔 全聾の作曲家が紡いだ「闘いの曲」で五輪へ(dot.) - goo ニュース

★「徒然雑記 / 佐村河内守作曲「ピアノのためのレクイエム」演奏会 in 石巻」
( http://kenmachi.com/archives/1900/ )
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