私には、偉大な小説家が書いた畢生の作のタイトルに思える。この言葉にすべてが詰まってる。
本来の話は、海外の皆さんが日本のコンビニの商品が映っている動画を観て、懐かしいとか食べたいとかいう流れなんですが、そのコメントの中に、心掴まれるものがありました。
★「海外反応 パンドラの憂鬱 / 「日本のコンビニ最高!」 外国人が恋しくなるコンビニ商品30点が話題」
( http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-998.html )より引用
今は製造をやめちゃったけど、ホットケーキ味のホットドリンクがモリナガにあったの。本当にメープルシロップたっぷりのパンケーキの味がするんだから!
初めて飲んだのはあの大震災の直後。電気が戻った時のことで、近くの自販機にはこの商品だけが残ってたの。なぜかね、パッケージの写真が、光り輝く希望の指針のように見えたんだよね。「きっともう大丈夫。ホットケーキのジュースみたいなものがある世界なんだから!」って。その瞬間、私の中では単なる珍しい味のドリンクじゃなくなったわ。もっともっと、特別な何かになったの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
すっごくわかる。「もっともっと、特別な何かになったの。」
震災からしばらく・・・一年くらい経ってから、家の台所でコーヒーを淹れていた時に、その瞬間がきました。電気がきて熱いお湯が沸かせている。止まない余震に怯える事も無い。お店に品物がいっぱいあって好きな味のドリップのコーヒーが買える。寒さに震える事も無い。水道もでて洗濯した清潔な服を着ている。毎日お風呂にも入っている。子どもたちは学校へ行って、主人は仕事に行って、おじいさんは茶の間で寝ている。朝の家事が終わって一息つく。ゆっくりとお湯を注ぐと、細かい泡ふぁぽこぽこでて良い香りがたちのぼってきて、心が安らぐ。
なんでもない日常の1コマに過ぎない動作だったんですが、それらが全部普通に出来ている状況に「あぁ(震災前の日常に)戻った」と震えがくるほどに感動しました。それ以前にも同じ事をしていたんですが、何故だかその瞬間にカミナリがあたったみたいに、それら全部の事がわーっと胸に溢れてきて、ようやく震災が終わったと感じました。実際には台所はぼろぼろでネズミがでて(苦笑)家の建て替えもいつかはとは思っていても住み替えるアパートは見つからず、なんにも進んでいなかったんですが、なにかこう心の内で荷を下ろした感じがしました。
今も復興はさっぱり進んでいないと報道されるたびに、確かにそう見えるだろうけれど、被災地で暮らす者にとってはマイナスでもゼロでも無くて、もがいてちょっとずつプラスになってきているんですよと言い返したくなります。「日常」を暮らせるありがたさ、まずそれを感じられるようになった、それだけでも大きいです。
このコメントを書かれた方が見た、真っ暗な夜が続いた後で久しぶりに輝く自販機の光と、食べ物の心配をして節約していた後に飲んだ、ホットケーキ味のドリンクのこの上ない美味しさ、それらすべてが合わさった「きっともう大丈夫。」という心の底からの震えが、じかに肌に感じられるようです。
「きっともう大丈夫。ホットケーキのジュースみたいなものがある世界なんだから!」
ほんと、こんなへんてこりんな飲み物がある世界なんだもの、なんだってできる。どんなに上が見えない底に沈んだとしてとも、絶望なんかしなくていいんです。
本来の話は、海外の皆さんが日本のコンビニの商品が映っている動画を観て、懐かしいとか食べたいとかいう流れなんですが、そのコメントの中に、心掴まれるものがありました。
★「海外反応 パンドラの憂鬱 / 「日本のコンビニ最高!」 外国人が恋しくなるコンビニ商品30点が話題」
( http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-998.html )より引用
今は製造をやめちゃったけど、ホットケーキ味のホットドリンクがモリナガにあったの。本当にメープルシロップたっぷりのパンケーキの味がするんだから!
初めて飲んだのはあの大震災の直後。電気が戻った時のことで、近くの自販機にはこの商品だけが残ってたの。なぜかね、パッケージの写真が、光り輝く希望の指針のように見えたんだよね。「きっともう大丈夫。ホットケーキのジュースみたいなものがある世界なんだから!」って。その瞬間、私の中では単なる珍しい味のドリンクじゃなくなったわ。もっともっと、特別な何かになったの。
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すっごくわかる。「もっともっと、特別な何かになったの。」
震災からしばらく・・・一年くらい経ってから、家の台所でコーヒーを淹れていた時に、その瞬間がきました。電気がきて熱いお湯が沸かせている。止まない余震に怯える事も無い。お店に品物がいっぱいあって好きな味のドリップのコーヒーが買える。寒さに震える事も無い。水道もでて洗濯した清潔な服を着ている。毎日お風呂にも入っている。子どもたちは学校へ行って、主人は仕事に行って、おじいさんは茶の間で寝ている。朝の家事が終わって一息つく。ゆっくりとお湯を注ぐと、細かい泡ふぁぽこぽこでて良い香りがたちのぼってきて、心が安らぐ。
なんでもない日常の1コマに過ぎない動作だったんですが、それらが全部普通に出来ている状況に「あぁ(震災前の日常に)戻った」と震えがくるほどに感動しました。それ以前にも同じ事をしていたんですが、何故だかその瞬間にカミナリがあたったみたいに、それら全部の事がわーっと胸に溢れてきて、ようやく震災が終わったと感じました。実際には台所はぼろぼろでネズミがでて(苦笑)家の建て替えもいつかはとは思っていても住み替えるアパートは見つからず、なんにも進んでいなかったんですが、なにかこう心の内で荷を下ろした感じがしました。
今も復興はさっぱり進んでいないと報道されるたびに、確かにそう見えるだろうけれど、被災地で暮らす者にとってはマイナスでもゼロでも無くて、もがいてちょっとずつプラスになってきているんですよと言い返したくなります。「日常」を暮らせるありがたさ、まずそれを感じられるようになった、それだけでも大きいです。
このコメントを書かれた方が見た、真っ暗な夜が続いた後で久しぶりに輝く自販機の光と、食べ物の心配をして節約していた後に飲んだ、ホットケーキ味のドリンクのこの上ない美味しさ、それらすべてが合わさった「きっともう大丈夫。」という心の底からの震えが、じかに肌に感じられるようです。
「きっともう大丈夫。ホットケーキのジュースみたいなものがある世界なんだから!」
ほんと、こんなへんてこりんな飲み物がある世界なんだもの、なんだってできる。どんなに上が見えない底に沈んだとしてとも、絶望なんかしなくていいんです。