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毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

郷土の偉人 林 子平

2023年07月11日 14時32分44秒 | 日常

 「郷土の偉人、林 子平(はやし しへい)は、『海国兵談』を書き、日本の海も外国の海も全て繋がっていると正直に殿様に伝えたために、怒られて罰せられてしまいました」

↑ 私が小学生の頃に、担任の先生が社会の授業中にこう話してくれたんですが、子ども心にも何で?当たり前の事だよね?と理不尽に感じて、その日のうちに図書室に行って、子ども向け「日本の歴史~江戸時代後期」を借りて読んだので、先生の'生徒に教科に興味を抱かせる'作戦は、成功したようです。確か6年生の授業だったと思うんですが、今も社会の授業で『海国兵談』を習うのかしら?

 

道端の掲示板にこのポスターが貼ってあるのを見て、四十五年も前の記憶がよみがえりました。「子平まんじゅう」屋さんもまだありました。

 

冒頭の話しは、お分かりでしょうが大変ざっくりとしたあらすじなので、興味のある方は ↓ こちらをお読み下さい。

★「仙台市博物館 / キッズコーナー(林子平と海防論)」( https://www.city.sendai.jp/museum/kidscorner/kids-08/kidscorner-06/index.html )より引用

 仙台藩士林子平は「無禄厄介(むろくやっかい)」という待遇(たいぐう)で、給与もなく兄の世話を受けて生活していました。しかし、子平はこの身軽さを利用して自由に江戸や長崎に行き見聞を広めました。そしてその後、そこで得た新知識をもとに、『三国通覧図説(さんごくつうらんずせつ)』、『海国兵談(かいこくへいだん)』を著し、海防が急務であることを力説しました。しかし、鎖国(さこく)主義を守る幕府はいたずらに世間をまどわす行為(こうい)としてこれを取り締まり、版木(はんぎ)没収・出版の中止を命じ、子平を処罰しました。兄の家にちっ居となった子平は1793(寛政5)年6月21日、56才で行動的だったその生涯(しょうがい)を閉じました。

このあと幕府は相次ぐ異国船の渡来や開国と通商の要求などの対策にたいへん苦しむことになり、子平の考えが正しかったことを歴史が証明することになります。

・・・・・・・


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